第二話 突撃となりの廃病院
式札から聞こえる罵倒をBGMにしてさとるは一人下校する。鈴を鳴らしたような耳障りの良いりくこの声はどのような内容でも彼の鼓膜には心地よく響いた。
しかし、流石に罵倒ばかりでは味気ないと考え、さとるは足を止め、式札からりくこを呼び出す。
半透明の死に装束姿の彼女は不機嫌さを露わに睨んだ。
「りくこさん、りくこさん。機嫌を直してください」
『……私が、機嫌を、直すときは、お前が死んだ時、だけ』
悲しいですねぇと返しつつ、さとるは鞄から五芒星の描かれた長方形の木箱を取り出し、そこから何かを摘まんで引き出す。
それは一本の黄土色の線香。ほんのりとそれから漂う香しい匂いにりくこの食欲を誘った。
『……その、線香は?』
「式神にあげるご褒美のようなもの、らしいです。人間には分かりませんが、霊体には非常に良い影響を与えるとか……まあ、陰陽ゼミの付録ですけど」
一本食べますかと聞かれ、彼女は手を伸ばし掛け、悩む。確かにその線香には興味があった。
幽霊であるりくこにも食欲というものは少なからずある。空腹がない霊魂と言えども、何かを食す行為は己の精神を満たすことに繋がるからだ。
だが、さとるのような下劣な男から何かを恵んで」もらうことは彼の僕に堕ちたように思え、彼女の幽霊としての誇りがその行為を拒む。
二分ほど熟考に熟考を重ねた彼女は片手を突き出し、さとるにきっぱりと言い放った。
『……頂戴』
「どうぞ」
欲求に負け、さとるから線香を受け取った彼女はその先端を口に入れ、齧ってみる。
生前ですら味わったことのない極上の味覚が霊体を通して全身に広がった。
『……はあぁ……』
これほどの多幸感が存在していたとは彼女は想像もしていなかった。一口、また一口と全身で味覚を楽しむ。
「機嫌を直してもらえて何よりです」
さとるの一言にはっと現実に戻されたりくこは誤魔化すように彼から顔を逸らした。
彼に感情まで操縦されるのが、堪らなく嫌で味わっていた線香の残りを一気に口に放り、噛み砕いてしまう。
『……ふん』
「おやおや、気難しいですねぇ」
彼女が音を立てて線香を噛み砕いていると、空から一羽のカラスが羽音を鳴らし、舞い降りて来る。
よく観察すれば、そのカラスは普通のものとは違い、足が二本ではなく三本生えていた。
「このカラスは……陰陽ゼミ講師の赤筆先生の式」
降りてきたカラスはさとるの肩に留まり、太く黒い嘴を開く。
『黒岩さとる君。式神の習得おめでとう。私も採点講師として嬉しいよ』
「いえ、ゼミでやった通りのことを実践したまでです」
喋る三つ脚のカラスに彼にしては謙虚な言葉を返した。りくこは自分のことを言われているのだと気付き、不服そうに顔を歪める。
三つ脚のカラスは嬉しそうに両翼を広げ、大袈裟な手振りで彼に言う。
『いやいや、それがなかなかできないものだよ。最近の陰陽ゼミの生徒は練習では十分できても、実践になると力を振るえない子が多いからね。その点、さとる君は非常に優秀だよ』
人格の方は最低クラスだがね、と笑いながら付け加える。
りくこもそこに関しては三つ脚のカラスと同意見だったので、隣で頻りに頷いた。
「ははは。それほどでもないですよ」
技量を褒められたのが嬉しいのか、人格を貶されたのが腹立たしいのか、それすらも読み取れない無表情で彼は返事をする。
三つ脚のカラスはりくこのことを円らな黒い目で頭に生えた獣耳から尻尾の先まで眺めて興味深そうな声を零した。
『それにしても随分と珍しい霊を式神にしたものだね。二種類の魂が混じり合っている……狐と人間、ああ、そうか。この子も』
『……何を、言っているの?』
言われた意味が理解できずにりくこは聞き返したが、それについては何も触れず、本題とばかりに話を変えた。
『それじゃあ、さとる君には次のステップに進んでもらおうかな』
「次のステップ?」
『うん。陰陽師として次の段階、つまり除霊だよ。陰陽道の術も式神も身に付けた君なら大丈夫だと思うしね』
彼の話によれば、この街にあるとある廃病院があり、そこには悪霊が棲み憑いているのだと言う。そこに行き、廃病院に巣食う悪霊の除霊をするのが陰陽ゼミでの次の課題のようだった。
さとるからすれば、念願だった幽霊少女は既に手中に収めているため、これ以上に危険を冒す理由はない。適当に逃げてあわよくば陰陽ゼミも辞めてしまおうかなどと考えつつ、一応疑問に思ったことを尋ねた。
「別に廃病院に悪霊が居ようと誰も困らないじゃないですか? せいぜい、頭の悪いリア充カップルが肝試しでもして死ぬくらいでしょう? むしろ、世の中のためになりますよ。ああいう人種は死んだ方がいいです。というか、僕が直接殺したいくらいです。ああ、リア充殺すべし」
『最後の方の発言はただ殺人予告みたいになっているよ。まあ、さとる君の発言にも一理ある』
「ですよね! 赤筆先生もリア充は殺すべきだと思いますよね?」
『いや、そっちじゃなくて、放置しても困らないって方ね。……まあ、人気のない場所に悪霊が巣食うことはよくある話だけど、あの手の霊は人を招き寄せる性質がある。除霊するに越したことはないよ。どうかな? さとる君。君の住む街への貢献も兼ねてこの課題やってみないかい?』
暗に街のためにも受けることを勧めてくる三つ脚のカラスに彼は内心、鬱陶しさを感じた。
こういう善行を促そうとする輩は自分の欲望を満たすことが第一とする考えるさとるにとって非常に嫌いな手合いだった。
「残念ですが、僕にはそういう偽善じみた行為は嫌いで……」
『ああ、言い忘れていたけれど、何でも噂によれば女の子の姿をした悪霊だとか』
「世のため人のため、活動するのが真の陰陽師のあるべき姿ですよね! 是非ともやらせて頂きます!」
欲望に忠実な彼は相手の台詞を食い気味に、三つ脚のカラスからの課題を受ける。
瞬時に凛とした表情を浮かべたさとるにりくこはゴミでも見るような冷めた眼差しを向けていた。
『いやー。さとる君ならそう言ってくれると思ったよ。じゃあ、課題頑張ってね。君なら立派な陰陽師になれるって期待しているよ』
三つ脚のカラスはそれだけ言い残すと次の瞬間には一枚の式札になり、さとるの手元にひらりと舞った。
その札の裏には廃病院の場所やそこまでの道程が明記されている。
どうやら最初から赤筆にはさとるが引き受けることが見抜かれていたようだった。
「ふんふん。それほど遠くないようですし、このまま行きますか、りくこさん」
最悪な主人に使役された哀れな獣耳の幽霊少女には選ぶ選択肢は一つしかない。
名に縛られている彼女は否とは言えず、代わりに悪態を吐き出した。
『……お願い。早めに、死んで』
「ああ、焼き餅を焼いているんですね。分かります」
***
浮足立った足取りで件の廃病院の前までやって来たさとる一行はその尋常ならざる雰囲気を肌で感じっていた。
荒れ果てた外装は見る者に『入ってはいけない場所だ』と本能的に訴えかけてくるほどだ。
さっきまで雲一つなかった空には暗雲が立ち込め、ぽつりぽつりと小雨ながら雨粒が落ちて来る。
――ここに来てはいけない。
妙な既視感を感じ、りくこは一刻も早くこの場から早く立ち去りたいと心から感じた。
しかし、彼女の主人である少年はそんなことはお構いなしに敷地内に鼻歌交じりで足を踏み入れる。
『……本当に、行く気?』
「行きますよ。可愛い幽霊少女が僕を待っているんです! ここで行かないなんてあり得ないですよ」
容姿の説明はされていなかったが、彼の中では既に美少女像で固められているらしい。
彼の思考回路は終わっているのだと彼女は諦め、隣に並ぶ様にして敷地に入る。式札に名前を書かれている以上はさとるが死なない限りはりくこに逃げ場がないのだ。
汚れてくすんだ正面玄関の扉に二人は立つ。
『……鍵は?』
霊体であるりくこは通常の障害物なら難なく通り抜けることは可能だが、人間であるさとるにはそれは不可能。鍵が掛かっているのなら別の場所から侵入しなければならない。
「うーん。掛かっていないけど、開かないみたいです。扉自体が歪んでいるのか、それとも中の霊が僕らを阻んでいるのか……取りあえず、このままだとここからは入れませんね」
『……そう。なら、別の……』
「ぶち壊しまします」
何でもないような口調でそう言った彼は扉の前で陰陽道の指先を動かし、印を結び始める。
横着どころの話ではない彼の対応に彼女は言葉を失い、彼の後ろに身を引いた。
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケン ギャキギャキ サラバビキンナン ウン タラタカンマン」
彼が読み上げたのは不動明王の真言、『火界呪』。その呪文の性質は障害の粉砕。
不動明王の元であるインドの神話の破壊神シヴァが持つ破壊の力を籠められた呪術は容易く病院の扉を打ち砕く。
ひしゃげた扉の残骸が内部の埃塗れの床に転がり、塵と混じった空気が舞い上がった。
「さて、行きましょうか」
『……うん』
にこやかに笑うさとるにりくこは考えるのを止め、素直に従う。行動理念が常人とは異なる彼に道理や常識は馬の耳に念仏でしかないと彼女は悟った。
物怖じせずに平然と歩く彼に怖いものなど存在しないのだろう。
薄暗い屋内を我が物顔で歩き回るさとるは式神の呆れた目を気に留めた様子もなく、周囲を見物する。
特に目ぼしいものもなく、受付がある一階から二階へ階段を上ると彼はりくこ以外の視線を感じ取った。
見上げると階段の踊り場に長い髪を垂らした高校生くらいの白衣を纏った少女が背中を折り曲げて見下ろしている。
顔に掛かった黒髪のせいで顔を見ることは叶わなかったが、こちらに向けられた眼光だけは痛いほどに感じられた。
「おお! 君が噂の美少女悪霊さんですか? ……ん?」
興奮気味に彼女に駆け寄ろうと階段を上ろうとしてさとるは両足に違和感を覚えた。
足元を見れば、段差から青白い手が生え、自分の両の足首を握り締めている。
『……上だけ、見ているから、そうなる』
りくこはそれを見て、口の端を歪ませた。彼女は最初から階段から潜むものに気付いていたが、あえて彼には伝えず、黙っていた。
この廃病院に棲む悪霊に彼が殺されれば、式神という立場から解放され、晴れて自由の身になるのだ。自主的に協力する理由は皆無に等しかった。
だから、彼女はさとるに気を取られ、気付かない。彼女自身が上に居る白衣の亡霊の姿を見て無意識に竦み、震えてあがっているということに。
さとるは足を掴んだ二本腕を冷酷な目で睨み、一言叫ぶ。
「――滅!」
それだけで低級な腕のみの霊は消し飛び、跡形もなく消滅した。
陰陽ゼミ受講者の中でも取り分け、霊的素養の高い彼には雑多な霊など塵芥と同じだった。念じるだけで消すことも可能だったが、気分を害されたせいで念入りに消し潰す。
「ゴミめ……唾棄すべきゴミめ……」
足元の段差を踏みにじり、吐き捨てるさとるに、りくこはこの男の脅威を思い知らされた。
「ごめんなさい、悪霊さん。思わぬゴミのせいで」
苛立ちが収まった彼は顔を上げるが、その場には既に少女の亡霊の姿はない。
無言で表情をなくし、佇むさとるに彼女は怯える。彼の怒りの矛先が自分に向かうかもしれないという恐怖故にものだ。
この男がそれほど身勝手なサディストなのか知っている彼女としては、とばっちりを受けることが何よりも恐ろしい。
だが、さとるは笑っていた。
「ふふ、ふははははっはははははは! やってくれますね。増々欲しくなりましたよ、悪霊美少女」
薄く細めた瞳には欲望の光が爛々と輝いている。簡単には手に入らないものに蒐集家じみた欲求が沸々と湧き上がり、彼の中で肥大していた。
階段を上り、不気味な笑みを浮かべたさとるにりくこは恐る恐る付き従う。
二階まで来ると彼はふと同じ霊体のりくこならあの少女の亡霊の場所を探知できるのではと考え、試しに尋ねてみた。
すると、彼女は意外にも頷いて答える。
『……できる』
「本当ですか! それは助かりますね。では、早速……」
『……できるけど、意味がない』
「ほう」
それを反抗的な態度を取ったと見なしたさとるは嗜虐的な笑みを浮かべ、表情のみで脅しに掛かる。
りくこは慌てて首を左右に振って誤解を解いた。
『……違う。別に、協力を、拒んでは、いない』
彼女はここには何体もの霊が混在しているため、あの白衣の亡霊のみを探知することは難しいと答えた。
「なるほど。それなら致し方ないですね。ただ、霊が居る部屋くらいは教えてください。何もない部屋に入って時間を無駄にするのは嫌ですので」
『……それくらい、なら』
彼女はこくりと首肯して承諾する。さとるは彼女の案内を受け、二階の探索を開始した。
階段に居た腕のみの低級霊のようなものなら、数十体ほど見つけたが、さとるにより出会うたびに滅され、消失を余儀なくされていく。
そうしている内に彼はある一つの傾向に気が付く。
人間の四肢といった部位だけの霊が異常に多いのだ。
廃病院という場所から、霊の溜まり場になっていることは容易に想像が付いたが、それにしては五体の揃った霊があの白衣の亡霊しかいないのは妙だった。
りくこにも相談をしようと、隣に視線を向ければ彼女はどこか怯えたような様子を見せている。
「どうかしました?」
『……ここ、見たことが、ある。来たことが……あれ? でも、私は、ここで』
支離滅裂な発言を繰り返す彼女は、さとるに話しかけているという訳はなく、自分自身に問いかけているようだった。
彼はそんなりくこに何か声を掛けた方がいい気がして口を開く。――その時。
前方の廊下の陰からぬるりと何かが姿を現した。
一瞬、大型犬のように見えたが、そう思えたのは、その生き物の顔を視認する前までの話。
視界に入ったそれは人間の顔。瞳から鮮血を流し、嘆くように表情を歪めていた。
『……だじげで……だじげでぇ……』
あるべき手足の代わりにイヌ科の獣と思しき、短い四つ脚を生やした少女。それが地面をよたよたと這うように歩いている。
「さっきの悪霊ではないようですが……随分醜い霊ですね。ん? どうしましたか? りくこさん」
犬の脚を生やした歪な霊に冷めた眼差しを送るさとるだったが、隣のりくこの顔を見て怪訝そうに尋ねる。
『……うみね? あなた、うみね、なの……?』
彼女は蒼白な顔でその歪な霊の名らしきものを口ずさむ。
うみね、と呼ばれたそれは赤い血液で汚れた目でりくこを見上げると、しわがれた声で答える。
『……りぐご? りぐごぉぉ!?』
お互いに名前を呼び合うやり取りを見て、彼女たちが既知の間柄だったということが、さとるにも何となく読み取れた。
だが、うみねはりくこへと憎悪にも似た叫びをあげる。
『どうじで! どうじて、びどりだげで、にげだじたのぉぉ! ねえ、りぐごぉ!』
りくこはその叫びに答えられず、両手で頭を押えて恐慌状態に陥った。
『……違う。違うの、うみね。私は……そうだ、この、廃病院で……』
彼女は忘れていた記憶を思い出す。
りくこは生前、人間だった頃この廃病院にうみねと共に入り込んだのだ。
切っ掛けは大したものではなかった。夏休みに友達と一緒に肝試しをしようと、心霊スポットを探していたらたまたまこの廃病院を見つけた。
本当はりくこは乗り気ではなかったが、友達の二人がどうしてもと言うので渋々着いて行くはめになった。病院の扉が開かなければ、そこで肝試しは中断ということだったが、簡単に扉は三人を迎え入れ――そして、白衣の亡霊と出会った。
そして、りくこたちは白衣の亡霊に……。
そこまで思い出したりくこは絶叫を上げ、その場に座り込む。
「りくこさん! 大丈夫ですか?」
さとるは彼女に心配し、安否を尋ねるが、両目を皿のように開き、震えて蹲るばかりで彼女は反応を示さない。
やむなく、一度式札に戻そうと制服の懐から札を取り出した。
「『りく……』」
名前を呼ぶ前に天井から伸びた毛むくじゃらの腕がさとるの手から式札を奪う。
「っ……!?」
天井を見やれば猿のような長い体毛に覆われた手足を持つ少女が壊れた笑みを浮かべて、貼り付いている。
『けへへ……へへへへへへ……』
「犬の次は猿と来ましたか。生憎とそれは大事なものなので返してもらいます」
陰陽道の術を放とうと、口を開こうとしたその瞬間、背後に強大な気配を感じ、さとるは振り返った。
彼の目鼻の先には先ほど見た目当ての白衣の亡霊が前髪を垂らしてこちらを見ている。
凄まじい圧力を覚え、さとるの肌からじっとりと脂汗が噴き出した。
僅かな意識の間隙に彼女は傍に蹲っていたりくこに手を伸ばし、触れる。放心していたりくこは白衣の亡霊の姿をようやく視認し、再度絶叫を上げた。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
だが、次の瞬間にはりくこの姿は白衣の亡霊とともにこの場から消えていた。
「りくこさん!」
即座に天井を見上げるさとるだったが、猿の手足を持つ少女の霊も既に居なかった。
代わりに目の前の犬の脚を持つ少女を含めた、獣の一部が生えた霊が床や壁から次から次へと姿を現す。
「……ボスの元には行かせませんってことですか。いいでしょう。僕の力を味合わせあげますよ」
不敵な微笑みを浮かべ、さとるは人差し指と中指の二本を立て、素早く印を結んでいく。




