第一話 こっくりさんいらっしゃい
静まり返ったとある公立高校の教室の放課後。
夕闇が迫るその中で一人の男子生徒が席に座っている。彼は机の上に大きな紙を広げ、そこに十円玉を置いた。
紙の上部の中心には鳥居のマークと『はい』・『いいえ』・『男』・『女』の文字、それから0から9までの数字。その下には五十音順に並べられたひらがなが書かれている。
鳥居のマークに合わせて置かれた十円玉に、指をを乗せた男子生徒、黒岩さとるは無表情で決まりの定型文を口にした。
「こっくりさん、こっくりさん。どうぞおいでください。もしおいでになられましたら、『はい』にお進みください」
すると、その言葉に従い、指が乗った十円玉がすうっと『はい』の位置に動いた。
当然、さとるはその十円玉を自分で動かした訳ではない。指を置いたそれが彼以外の力で勝手に移動したのだ。
さとるはその超常現象に驚く様子もなく、淡々とお礼を言うと次の質問を十円玉に投げかける。
「こっくりさん、こっくりさん。あなたは男性ですか、女性ですか?」
その問いに十円玉は『女』の文字の上まで移動した。
「ありがとうございます。鳥居の位置までお戻りください」
十円玉が鳥居のマークまで戻ると、さとるは次の質問をこっくりさんに告げる。
「こっくりさん、こっくりさん。あなたは現在、付き合っている恋人は居ますか?」
『…………』
鳥居のマークの上の十円玉は少しの間、まるで考え込むように微動だしなかったが、やがて先ほどまでよりも緩慢な動作で『いいえ』に動いた。
「そうですかそうですか。では鳥居の位置までお戻りください」
ダウナー気味の無表情ながら少しだけ機嫌を良くした彼は口元を弛める。
十円玉は釈然としない思いを懐いたのか、鈍い動きで渋々と鳥居のマークに帰っていく。
やや元気になった彼は早速、次の質問に移行した。
「こっくりさん、こっくりさん。あなたは可愛い見た目をしていますか?」
『………………』
十円玉は『はい』と『いいえ』の間の空白で行ったり来たりと繰り返した後、恐る恐るという様子で『ふ』『つ』『う』の文字を順番に差した。
しかし、そのこっくりさんの謙虚な返答がさとるのは好ましかったようで、ほくほくとした上気した恍惚顔で二、三度満足げに頷く。
一連のやり取りを踏んだ彼は再度質問を続けた。
「こっくりさん、こっくりさん。あなたの年齢はいくつでしょうか。見た目の年齢でいいので答えてください」
すると、十円玉は『1』と『6』の数字を順番に差し示した。
さとるはその答えに無言で空いている反対の手を使い、ガッツポーズする。
また同じように十円玉に鳥居のマークのまで戻ってもらうと、一度咳払いをして表情を引き締めた。
そして、満を持してこっくりさんへと最後の質問を放つ。
「こっくりさん、こっくりさん。僕と付き合って下さい」
『……』
僅かに悩む逡巡さえなく、十円玉は『いいえ』の上へ導かれた。
「友達からでもいいです」
『……』
しかし、十円玉は依然として『いいえ』の上を離れない。
「恋人居ないんでしょう? 僕でいいじゃないですか」
『……』
さとるは指先に力を入れて、無理やり『はい』の方に十円玉を動かそうと画策するが、その場に貼り付いたように十円玉は動かない。
「僕には彼女は居ないんです。友達も居ません。所謂ぼっちなんです。可哀想でしょう?」
無表情を変えない彼だが、語調には真剣さがあり、十円玉に籠めた力は徐々に強くなっていく。
動かなかった十円玉はその力に押され、少しずつ『はい』の方へと寄り始めた。
やがて十円玉は『いいえ』の上を離れ、間の何もない空白に飛び出す。
「こっくりさん、こっくりさん。もう一度言います。僕の、彼女に、なってください」
『……』
なおも抵抗を続けるこっくりさんだが、じりじりと彼の指先の筋力に押され、十円玉は『はい』のすぐ傍まで寄っていた。
目は細まっていないが、さとるの口元に既に勝利を確認した不敵な笑みを浮かべている。
乗せているさとるの指先が力を入れ過ぎてぶるぶると震えているものの、決着は決まると思われた。
しかし、ここでこっくりさんは十円玉を動かしている力を弱めた。
限界まで指先の筋力で押していた彼はそのせいで、十円玉を『はい』の上よりも先へ通過させ、その隣の空白の位置まで動かしてしまう。
「何っ……!?」
初めてさとるの無表情に亀裂が入った。
十円玉はそこから今度は力を入れ直し、『はい』の真下の余白を潜るように弧を描くように綺麗なターンを決める。
そのまま、十円玉は『いいえ』の上へと舞い戻ってきた。
『……』
十円玉は『いいえ』を踏みながらくるくると円を描くように動き、心なしか勝利を喜んぶ素振りをさとるに思わせる。
「っく……少しはやるようですね。ですが、茶番は終わりです」
こっくりさんからの断固拒否の姿勢を見せられても彼は諦めを見せなかった。
それどころか、勝利を確信させた笑顔を浮かべてさえいる。
彼は十円玉に乗せている指を――離した。
『…………!』
それは、こっくりさんをやる上で最大の禁忌とされる行為。
こっくりさんを呼んだ状態で十円玉から手を放すことは、即ち呼んだ霊に憑りつかれることを意味する。
さとるの狙いはそれだ。
呼ばれた霊はこっくりさんの形式上、さとるに憑りつかざるを得なくなる。
かっと彼の目の前に眩い光が一瞬だけ広がり、光が収まると半透明の少女の姿が教室に浮かんでいた。
獣耳とふわふわした尻尾を生やした、白いツインテールヘアの少女。彼女は大きな瞳を殊更開き、席に座るさとるの顔を見ている。
「やあ、こっくりさん。普通だなんて謙遜していたけど、十分過ぎるほど可愛いじゃないですか」
宙に浮かぶ彼女を眺めるさとるは不敵にそう頬を引き、口角を吊り上げた。
ツインテールヘアの少女はやがて驚愕に染めた顔を無表情に変えると、凍えるような冷えた声で言う。
『……殺す』
教室にある机や椅子が触れてもいないのに宙に浮かび上がり、椅子に腰掛けるさとるに向かって飛んだ。
俗に言うポルターガイスト現象と呼ばれる心霊現象の一種だ。
「いいや、君は僕の恋人になるんです」
この期に及んで怯える様子の片鱗さえ見せることなく、さとるはそれに対し、懐から一枚の札を取り出して宙に放つ。
「急急如律令」
一言その文言を口にすると、彼に向って飛んで来る複数の机と椅子たちはぴたりと停止し、掛かっていた謎の力が突如消失したかのように地面へ次々と落下していった。
『……それは、何?』
「陰陽道の呪符ですよ。霊的防護の力を持っているんです」
『……陰陽師、だったの?』
「そんな大したものじゃありません。通信教育で聞き齧った程度です」
そう言って、さとるは机の中から『陰陽ゼミ~これでキミも陰陽五行思想を学べる‼~』と表紙に書かれた通信教育教材を取り出して、ツインテールの少女に見せ付ける。
彼はこの日のために霊との戦闘すら考慮に入れ、陰陽道を通信教育によって習得していた。
ツインテールの少女は目の前に居る少年がただならぬ相手と理解し、警戒した素振りで睨む。
彼女は白い髪の中から起立した獣耳をまっすぐ立たせ、手のひらを天井に向けた。
手のひらの上には蒼い炎が音もなく出現し、激しく燃え上がる。
『……これなら、どう?』
球状に燃える蒼い炎をツインテールの少女がさとる目掛けて腕を振るい、撒くように宙に散らした。
教室の中で尋常ではない熱気が広がり、火炎が窓ガラスを融解させ、転がった机と椅子を跡形もなく焼き尽くす。
当然、空中に浮かんでいる紙でできた呪符など一溜まりもなく、一瞬で燃え尽きた。
「熱いのは嫌いなんですよ。臨兵闘者皆陣列在前――『九字切り』」
さとるの正面に向かう蒼い炎の波に向け、空中に指先で縦四つ、横五つの線を描き、早口でそう叫ぶ。
すると、襲い来る炎の縦に四本、横に五本の亀裂が入り、炎が広がる計九本の亀裂に切り刻まれるように千々に分かれ、鎮火した。
『……!』
「まさか、早九字護身法まで使わされるとは思っていませんでした。思った以上に高位の幽霊のようですね。でも、これで終わりです」
さとるは焼け焦げた床を千鳥足で前進し、炎が防がれ動揺するツインテールの少女の元まで一気に距離を詰める。
彼の人差し指と中指の間には、いつの間にか人の形に切り揃えられた和紙が挟み込まれていた。
「オン キリキリハラハラ シバリヤソワカ ナウマクサン マン ダバサラダ……」
駆けるように近付き、呪文を詠唱する彼にツインテールの少女は危機感を懐き、一時退却するために教室の扉まで飛ぶ。だが、扉の傍まで近寄ったところで彼女は不可視の力で弾かれた。
彼女はそこで気が付く。この教室の四方の壁に何重にも重ねられた結界が張り巡らされているということに。
これでは扉どころか、教室の壁に触れることすら不可能だった。
『……何があなたを、ここまで!』
「センダリナカラダ ソワカヤウン タタラザドマン!」
呪言を最後まで言い終えた彼はツインテールの少女に向けて人型の和紙を投げ付けた。
指先から放たれた和紙は彼女の身体に触れる。その瞬間、彼女は身体を強力な力で縛られる感覚を覚えた。
「不動金縛りの術です。もう逃げることはできないですよ、こっくりさん。大人しく僕の彼女になってください」
さとるは身動きの取れなくなったツインテールの少女に笑顔を見せる。
『……』
「そうですね。まずはこっくりさんの本当の名前を教えてください」
彼女は口を真一文字に引き結び、絶対に言うものかという態度を取った。
反抗的なその態度に彼は笑みを保ったまま、指先で宙に五芒星を描き、新たな陰陽道の術を掛けようとする。
嗜虐的な笑みから察するに、恐らくは霊に激痛を与える術の類だろう。
『……わかった。教える』
さとるの恐ろしさを味わった彼女はもはや抵抗は無駄な足掻きだと諦めて、大人しく降伏の道を選んだ。
『……(・・・)りくこ。それが、私の名前』
恭順。それが彼女の取れる唯一の選択肢だった。
しかし、それは愚行。悪手。陰陽師に対して最大の過ちでしかない。
「へえ、りくこさんって言うんですか。可愛いお名前ですね」
彼は頷きながらおもむろに制服の上着のポケットから筆ペンと一枚の呪符を取り出し、彼女の名をそこに書き綴る。
「黒岩さとるの名において告ぐ。我が式となり従え――『りくこ』」
真実の名を知られるということは呪術において、その存在そのものを縛るもの。
これにより彼女は使役される存在に成り果て、さとるの支配下に置かれてしまった。
『……!』
りくこの身体はさとるが名前を書いた呪符・式札に強力な力で引っ張られ、彼女の身体は完全に式札の中に吸い込まれる。
「りくこさん、りくこさん。これから俺の彼女兼式神として、以後よろしくお願いします」
式札に向けて、上機嫌な顔を浮かべ、ふざけた調子で彼はそう語りかけた。
返答するように、恨みがましい彼女の声がその札から漏れ出す。
『……いつか、憑り殺す』
「ツンデレという奴ですか。可愛いですねぇ」
りくこの怨嗟溢れる言葉も彼にはまるで通じず、暖簾のように受け流す。
さとるは舞い上がった気分で張ってあった結界を解くと、焼け焦げた教室内に背を向けて廊下に出て行った。
廊下ですれ違った風紀委員の腕章を付けた男子生徒が背後で大絶叫を上げたが、それすら気に留めた様子もなく、彼は式札を眺めて一人微笑みを零した。
「幽霊の彼女っていいものですねぇ……」
『……地獄に、堕ちろ』




