とある男の野望
男は戦争を嫌っていた。
愛する妻と息子を戦争によって失ったわけではない。
年がら年中「戦争」の悲惨さを嫌というほど見せつけられ、もう辟易しているのだ。
「コーヒーを、砂糖多めで」
男の声に反応した女型のアンドロイド。口から出る黒い液体をカップに注ぎ、胸のポケットから角砂糖を4つ取り出してそれに入れた。
「おまたせしました。二つ母指博士からメッセージが届いています。読み上げますか?」
そう言ってアンドロイドはコーヒーカップをテーブルに置き、男の命令を待つ。
「いらん、削除」
男は数年前、「ナノマシンによる人類のコーディネイト」という論文を出し、各所から袋叩きにあった。とくに人権屋あたりからの批難は轟々で、男の居場所は日に日に無くなっていった。
「マチコ、サンプル582番の様子はどうだ?」
先程コーヒーを用意したアンドロイドが、直ぐ様男のもとへ移動し、ホログラフィックの映像をテーブルの上に映しだした。
「582番は刑務所での攻撃性がなくなり、今では模範囚となっております」
男が開発したナノマシンは、遺伝的な凶暴性を修復する他に、後悔の記憶を忘れさせない処置をする機能があった。
「安定しているならいい」
男が散布しているナノマシンは人間の目には見えない。男が非人道的な実験をしていることなど、誰も気づかないのだ。好き放題である。
「よしマチコ。戦争情報リファクタリングが済んだら、それを新型ナノマシンにインストールしとくように」
「わかりました」
夏のある日。
男は完成した新型ナノマシン800億体を、世界に解き放った。
戦争を拒否するのは、それをその身で体験した世代の心にのみにある。そのアナフィラキシーを受け継ぐことは実質不可能。
人類に心も遺伝する機能が無ければと考えた男は、ナノマシンによる人類の調整をと考えたのである。
ナノマシンを解き放って一週間が過ぎる。
多くの人間は心を病み始めた。精神科医が過労死し、カウンセラーが発狂しだす。
男は想定内だという笑みを浮かべ、マチコの背についたボタンを押す。
昔、核爆弾を2発も落とされたにもかかわらず、その後異常な回復をみせた国があった。その民族を分析し、戦争ワクチン機能を新型ナノマシンに搭載していたのだ。
人の心にある耐える力と気付きの力。それにより人類は徐々に平静を取り戻し始めた。
だが
「突如凶暴化した集団が、ホワイトハウスを襲撃しました。幸い大統領に怪我はありませんでした」
モニターから流れるニュースは凶暴化する人間のニュースばかりだった。
男はナノマシンからの情報に驚きを隠せずにいた。
「しくじった」
戦争の根源は心ではなかったのだ。作られた心で無理やり縛りつけたせいで、人の本能が凶暴化してしまったのだ。
世界各地で宣戦布告。世界各地で殺し合い。
「もうだめだお終いだー」
外から凶暴化した集団の声とも言えぬ叫び声がこだまする。
男は隠し持っていた銃をこめかみに当て、引き金を引いた。