第一章・キリカの受難Ⅲ
メイドの案内で地下まで足を運ぶと、キリカのいる部屋に到着するよりだいぶ前からキリカのものと思わしき悲鳴が聞こえてきた。
いくら地下が密封されていて音が反響するとは言え、前回地下室までいった感じから言ってあと10分程度は歩かないとキリカのいる部屋まで着かないというのに僕の耳まで届くというのは少々異常だと判断せざるを得ない。
一体どんな責め苦を与えてえれば……と思ったが、すぐに先ほど言っていたように、おそらく指を折っているのだろうという結論に至った。
もっとも、ただ指を折るだけでなく、何か他にも苦痛を与えるような事をしているのだろうけれど。
「……はぁ」
彼女の待遇を哀れに思ってしまっていたため、流石にため息が漏れた。
「急いだほうがよろしいですか?」
僕の数歩前を歩いていたメイドが振り向きながら僕に話しかけてきた。
どうやら僕のため息が、拷問に立ち会えないことへの落胆によるものだと判断したらしい。
それが自然だし、来客の機嫌を損ねないようにと彼女が心配りをしてくれた結果なのだが、僕もあの領主と同じような拷問趣味に見えるのだろうか……見えるよな。領主に誘われたとはいえ、屋敷に到着してすぐに拷問に行ったわけだし、むしろ妥当な判断だ。
「いや、いいよ」
「さようですか」
僕の否定を特に気にする様子もなく、一言だけ反応を示し、再び前を向いて歩き出した。
そういえば、領主のそばにいたメイドほどではないがこのメイドも表情が乏しいような気がする。
表情というか感情の起伏が少ないのか。それにしたって、これだけ悲痛な悲鳴が聞こえているのにあまりにも気にしなさすぎているような気がする。
「君は……この屋敷に使えて長いのか?」
この屋敷の領主は、年に二度側室とメイドを募集するらしい。その際に雇われたメイドはだいたい一年程度で仕事を離れるそうだが、一年程度で、ここまで人間の悲痛な叫びになれるとは思えない。
いくら拷問ジャンキーの領主とはいえ、毎日のように人を殺したりはしないだろう。もしもそうであれば、側室はともかくメイドなどやりたがる人間がいなくなる。
そんな憶測を持った上でのちょっとした興味から聞いてみた質問だったが、僕の憶測は裏切られた。メイドは振り返ることなく、三ヶ月ほどです、といったのだ。
わずか三ヶ月程度であれば、全てに立ち会ったとしてもほんの数回しか立ち会う機会はないだろう。それにも関わらず、これほど慣れている……というより、叫び声を叫び声とも思わない人間はそうそういない。
領主のようにそもそも叫び声が好きな人間ならともかく、普通は耳を覆いたくなる。それができない状況だとしても、これほど平然としていることはまずできない……と想いたい。
「その割に随分となれているんだな?」
怖いもの見たさ、というのだろうか、そんなような気分で聞いてみた。
「慣れてなど……おりません。ですが……いえ、何でもありません」
彼女は誰の目にも明らかなほど、何かを隠したが、僕はその先を聞くことはしなかった。否、できなかった。あまり感情の起伏が見られなかったが、彼女は言葉の後半を口にするまでの僅かな間に思わず後ずさりしてしまうような寒気を感じさせる何かを放ったのだ。
その雰囲気に気圧され、僕はそれ以上彼女に質問をすることをやめた。
もともと彼女から何かを話しかけてくるようなことはなかったので再び二人の間を沈黙が覆い尽くし、空間が密閉されているせいで乾いた靴の音と耳を覆いたくなるようなキリカの悲鳴がBGMになった。
しばらく歩くとキリカの悲鳴がいつの間にかかなりの大きさで聴こえてくるようになり、例の拷問室のドアの前についた。
「では、私は戻らせていただきます」
キリカの絶叫が聴こえてくるのも気にせず淡々と言葉を並べたあと、僕に一例し、来た道を帰っていった。もはや僕はそれを異常とは思わなくなっていた。いや、部屋の外まで響いてくる悲鳴の異常さに彼女の事を気にしている余裕がなかっただけなのかもしれない。
異常だと思いつつも、ドアノブに手をかけ、ドアを開ける。僅かに開いた隙間からキリカの悲痛な悲鳴が溢れ出してきた。
「ギャアアアアアアアアアッ!!!!」
キリカの悲痛な悲鳴が耳を刺した。目の前で挙げられた叫び声は母音にまで濁音がついたような、とても少女のものとは思えないものだった。
「おやおや、錬金術師様、やっとこられました。先に始めてしまいましたぞ」
「いえ、それは構わないのですが……」
悲痛な叫び声をあげているキリカの姿を目にすると、僕は言葉を続けられなくなった。
キリカはギザギザの石の上に正座させられ、太ももの上にもギザギザの石を三枚ほど乗せられていた。
それだけであれば、いわゆる石抱きという罰の与え方で、拷問としては一般的なものだが、二枚目と三枚目の間に両腕が挟まれ、鋭く尖った石が彼女の両腕を圧迫していた。
石一枚、重いとは言え、絶叫をあげるほどの苦痛ではない。しかし、それは通常の状態であれば、ということに限った場合であり、現在のキリカの様子は普通ではない。
ギザギザした石に腕の形を合わせられているかのように腕の形が変形していた。
石同士を重ね合わせ、その淵から見えている腕の様子を見る限り、肘の先から手首までの間、上腕部に三つほど関節が増えていた。石の間に収まりきらない手首から先の部分も関節がおかしなことになっていた。左右合わせて十の指すべての関節が本来あらぬ方向に曲がって、指が紫色に変色していた。
「お気に召しませんかな?」
僕が言葉に詰まっているのに見かねたのか、領主が催促するように僕に話しかけてきた。
「いえ、そんなことは」
ゲームの罰にしては重すぎる。なんて指摘は意味をなさないだろう。いたずらに領主の機嫌を損ねるだけだ。
「そうですかい?……まあ、いずれにしてもこの責めも同じことの繰り返しで飽きてくるのでね、そろそろ変えますから。……おい!」
領主の言葉で部屋の隅に立っていた男たちが動き出した。キリカへと近づき、彼女の上に置かれた石をひとつ外した。石が取り除かれることで、おかしな形に変形したキリカの腕が現れた。
石が取り除かれキリカは一瞬安堵の表情を浮かべたが、自分の腕の現状を見て、安堵の表情は一瞬で恐怖に支配された。
「嫌……私の、腕が……」
もはや腕としての機能をほとんど失った腕を必死に動かそうとしながら、彼女は首を左右に振り、現状を受け入れられない、という様子だった。
彼女の様子を気にするでもなく、部屋の隅へと石を置いてきた男は再び一枚の石を取り除き、部屋の隅へと運んでいった。石を取り除かれても、キリカは安堵の表情を浮かべることもなく絶望の表情のままだった。
すべての石が取り除かれ、座らされていれていた石からも下ろされたが、うぅ、という小さなうめき声が口から漏れただけだった。
キリカが石から下ろされたことで初めて見えたが、彼女の足もグシャグシャになっていた。脛とふとももを挟まれていたことで、上腕部のように骨が完全に砕けるということはなかったが、悲惨、という言葉を与えるには十分なほど砕けていた。
腕と脛を砕かれているせいで満足に動くことすらできず、何の拘束もされていないのに芋虫のようにうずくまっていたキリカの腕を男がつかんだ。
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
グシャグシャになった腕を掴まれたキリカは再び悲鳴を上げた。
男はそれを気にする様子もなく、表情一つ変えず、壁の方へと引きずっていった。
キリカも僅かに抵抗する様子は見せているが、ただでさえ腕力に差があるのに、四肢を砕かれているせいでろくに動くことすらできていなかった。
壁際までいくと、キリカの手首を壁から生えた鎖に繋いだ。繋がれたのが比較的無事だった手首だっておかげか、キリカはうぅ、と小さくうめき声をあげた程度でそれ以上の反応を示さなかった。
しかし、両腕を鎖に繋がれ、その鎖を男が引き上げ、彼女の足が中に浮くことで体重が手首に掛かり、ひしゃげた腕が引き伸ばされることで大きな苦痛となり、彼女は再び悲痛な叫びを上げた。
「バルボア、あれを持って来い」
いままで僕が男、と形容していた大男はバルボア、という名前だった。
まあ、それはともかく、領主の指名した、あれ、とは火鉢とその中に入った鉄の棒に木の棒を取り付けたものだった。
それが何をするものなのか、それは誰の目にも明らかだ。
バルボアはそれらを領主の目の前に置くと、領主はいやらしい笑顔を浮かべ、近づけられるだけで皮膚が焼けてしまうのではないかというほど真っ赤に焼けていた鉄の方を手に取り、さらに領主は広角を上げた。
「いや……やめて……」
キリカは弱々しく拒否したが、そんなものは領主を喜ばせるだけに過ぎなかった。
領主は嬉しそうに笑い、キリカへと近づいていった。
「錬金術師様、あなたの実験の成果で、体の一部を再生できるとおっしゃっていましたが、それはどんな傷でも元に戻るのですかな?」
ひしゃげた腕が、自らの体重で引き伸ばされ、苦痛の表情を浮かべるキリカを見かねたのか、腕を直して欲しい、ということなのだろうか。
「え、ええ、傷を治す程度だったらほぼ間違いなく治せます」
「それはよかった」
一言つぶやくと領主はキリカの右目に焼けた鉄を突き立てた。
「ギャアアアアアアアアア!!!アッあああああ……」
焼かれていない方の目をこぼれ落ちんばかりに見開き、涙を涙を流しながら絶叫した。
片方の目には焼けた鉄が刺さっているために、涙が蒸発する音なのか、肉が焼ける音なのか、じゅうぅぅ、という音が響いた。
領主はキリカが絶叫するのを気にすることもなく、眼球から棒を引き抜き、今度は左目に鉄を突き立てた。再び絶叫し、今度は両の目から血の涙を流した。
「錬金術師様、よろしくお願いします」
左目から鉄を引き抜きながら領主は僕に一言頼んだ。
「よろしく……というのは目を……ですか?」
そうであってくれるなと念じながら、ほとんど期待のできない希望を口にした。
「ええ、もちろんです」
当たり前だが、僕の希望は打ち砕かれた。バルボア、という男も流石に哀れに思ったのか、表情がわずかに曇った。
どうやら彼は案外常識的な判断力を持っているらしい。
彼とは対照的に領主と、特別だと言われたメイドは異常だった。領主は目を見開きながら悪魔のような笑顔を浮かべ、メイドの方はこの状況においても表情一つ変えなかった。
「ちゃんと直してくださいよ?あと五本、残っていますからね」
領主が動こうとしない僕を催促するかのように声をかけてきた。渋々キリカへと近づきながら手のひらをナイフで切り裂いた。
じんわりと血液が溢れ出し、傷が塞がった。体質のせいで、効能のある血液を絞り出すのも楽じゃない。
手のひらに溜まった血液をナイフの先に付け、キリカの目の中にいれた。片方に一度ずつ、わずか二度であったが、場所が場所であっただけにキリカは絶叫した。
「少し待てば回復するはずです」
「どのくらいですかな?」
わずかばかりも待てない、という様子だった。しかし、これには個人差がある以上僕には断定することはできない。
「個人差はありますが、遅くても五分もあれば治ります」
領主は不満げにふんっ、と鼻を鳴らし、先程まで座っていた椅子へと戻り、座り込んだ。
「まあ、こればかりは仕方ないですな。お茶でも飲んで待つとしましょう」
領主の声にバルボアが紅茶を入れ、領主の前に机とともに運んできた。
この人はメイドのような役割をするようだ。……メイド服を着た女性が居るにも関わらず、無骨な大男が紅茶を入れるというのはなかなかおかしな話だ。
運ばれてきた机の上にあった紅茶の数はふたつ、僕の分もあると思っていいのだろうか。
「さあ、錬金術師様もどうぞ」
僕の分だったようだ。
「ありがとうございます」
一言礼をいい、僕は紅茶を口に含んだ。この部屋に充満する血液の匂いのせいだろうか、鼻から抜ける匂いは血の匂いだった。
僕が一口紅茶を飲み干し、キリカの方をみると目の傷は既に治っているようだった。
体質的に彼女は僕の血液を受け入れやすいようで傷の治りが非常に早かった。……この傾向は桜子にも見られたもので、彼女同様、不死の肉体を手に入れられる器なのかもしれない。しかし、今の状況においては彼女の苦痛をいたずらに早め、休息の時間をいたずらに減らすだけに過ぎない。
「どうやら治ったようです」
領主に嘘をつくわけにもいかないので、正直に伝えた。
「随分と早いですな」
そういうと、再びいやらしい笑顔を浮かべてから立ち上がり、火鉢に突き刺された鉄の棒を取り出し、キリカの方へ近づいていった。
「いや、もうやめて……」
目の傷が治ったせいで、真っ赤に焼けた鉄の棒を持ち、いやらしい笑顔で近づいてくる領主の姿が見えてしまうのが、キリカのきょうふを煽ってしまっているようだ。
「グッ!アアアアアアアアアアアアッ!!」
再び領主の握った鉄の棒がキリカの目を焼いた。また、二度。
領主が再び椅子に座るために踵を返し、戻ってきた。
「では、よろしくお願いします」
僕はまた、頼まれてしまった。
こんなことをするために研究していたわけではない、そう思いつつも、僕は歩き出した。金がなければ研究もできない、世知辛い世の中だ。
恐怖で震えているキリカの前に立ち、再び手のひらにナイフをあて、彼女の目に血液をつけたナイフを突き立てた。
苦痛にキリカが悲痛な声を上げ、血の涙を流した。
僕はその様子を哀れに思いつつも、キリカがどの程度で再生できるのか、それを確かめるために苦痛に顔を歪め、涙を流すキリカの目の前にたち続け、彼女を観察した。
おおよそ十秒程度、桜子よりもわずかに早い再生スピードだった。
「あ……錬金術師様、やはり、あなた様の……ありがとうございます」
僕にしか聞こえない程度の小さな声で話しかけてきた。その内容は驚くべきことに何度も目を焼かれる痛みに対する恨みではなく、感謝の言葉だった。
僕は彼女の言葉に虚をつかれ、言葉を返すことができなかった。
何も言わず僕は振り返り、領主のもとへと戻った。
再び領主は火鉢から焼けた鉄を取り出し、キリカの目を焼いた。
それをあと四度度繰り返し、両目を潰されたまま、彼女は次の拷問までの僅かな間休息を与えられた。