4話 村へ
「あー…腰痛い…!」
朝からの農作業での疲労を追い出すかのように、アリューシャは大きく伸びをしながら畑を見回す。それほど広くもない畑には、所狭しと様々な植物が植えられている…が、どれも最近植えられた物で収穫には程遠い。
その中に見慣れた大きな背中を見つけ、声をかける。
「お父さーん!そろそろお昼の準備するから一旦帰るねぇ!」
その無駄に大きな声に、父ゴルダスは片手を挙げることで答える。それを見たアリューシャは満足そうに頷くと、小走りで畑から去った。
すると、ゴルダスの頭上から声が降ってきた。
「村長とこのは、いつも元気だねぇ…見てるだけで力を貰えるよ…」
見上げると、そこには初老の男性が立っていた。隣の畑で作業している村人だ。ゴルダスは苦笑混じりに答える。
「まぁ、それだけが取り柄みたいな奴ですから」
「ははっ、そんな事は無いと思いますがねぇ…でも、どうも最近無理している様に見えてなりませんよ」
「そう…ですね…」
二人は走り去っていくアリューシャの背中を見つめながら顔を曇らせる。
村が小鬼の群れに襲われたのはほんの1週間前である。
普段なら村など襲うことは無いはずの彼らが大挙して押し寄せてきたのだ。しかも、その日は納税のため村の若い男たちは殆どが近くの街サハスに赴いていた。そのため女子供と老人だけの村に剣をまともに振れる者など残っておらず、村人達は逃げ惑うしかなかった。財貨は奪われ、畑は荒らされた、幸い死亡者は出なかったものの数人の村人が連れ去られた…その、連れ去られた人の中にアリューシャの母であるセリューもいたのである。
このような場合、本来ならば冒険者ギルドなどに依頼して討伐隊などを派遣してもらうのだが、今の村にそんな金は何処にもなかった。もちろん村人の中から選出して討伐隊を組むという案も出されたが、小鬼の群れは30体ほどと規模が大きく、戦闘能力が低い村人だけでは太刀打ちできるものではなかった。泣く泣く連れ去られた者達の奪還を諦めたのである。
村人たちはせめてもの対策として、村の周りに二重の柵を設けたが、これで小鬼の侵攻を止められるかと言えばなんとも言えなかった。今のところ小鬼達の攻撃は無いが、今度いつ来るか分かったものではない…村人たちは仲間を見捨てた罪悪感といつ襲われるかも知れないという怯えの中毎日を送っていた。
二人は大きくため息をついた。そして、気を取り直して作業に戻ろうとした時、ものすごい速度でアリューシャが畑に駆け込んできた。
先程まで綺麗にまとまっていた髪は乱れ、額には玉の汗を浮かべていた。その顔は今にも泣き出しそうだった。
「お父さん!たいへん!たいへんよ!!早く村の入口へ!」
それだけを言って再び掛けだそうとする娘にゴルダスは慌てて引き止める。
「どうした!?小鬼の襲撃か!?ならばすぐに女子供を奥内に隠さなければ…!村の男手を掻き集めて…それから…」
最悪の事態が脳裏に浮かび、どうすべきかを高速で考えていたゴルダスに娘の言葉が届く。
「違う!違うよ!そうじゃないの、その、お、お母さんが…皆が…帰ってきたのよ!!」
「なっ…!なんだと!?」
ゴルダスには一瞬信じられ無かったが、涙を浮かべ一秒の時間さえおしいと言わんばかりに駆け出した娘の姿を見た時、無意識に足が前に出た。一歩、また一歩とだんだん速くなっていく…気付くと先に駆け出した娘を追い越すほどの速さで駆けていた。
頑丈そうな丸太づくりの門を抜けた瞬間、共にしていた人々はほぼ同時に駆け出した。おそらくそれぞれの家族の元に向かったのだろう…村の至るところから歓声が聞こえ、泣き崩れる人もチラホラといた。馬を近くの柵につなぎ、俺はそんな彼らの姿を見て胸をなで下ろす。何はともあれ大きな仕事を終えることができた
「セリューッ!」
「お母さんっ!」
ひときわ大きな声につられ、視線を向けると三人が涙ながらに抱き合っているのが見えた。一人は男で、かなりの大柄…鍛え上げられた筋肉に包まれた腕はまるで丸太の様である。そんな男の腕の中にいるのはとても華奢な女性だった、先程まで俺と共にいた女性だ。あまりの体格差に折れてしまうのではないかと見ているこちらがハラハラする。そしてもう一人は少女だった。見たところオレと同じくらいの歳ではなかろうか?女性と同じくとても華奢で腰まである長い赤毛を後ろで一つに束ねているが、余程激しく動いたのだろう、それはひどく乱れていた。
そんな光景はさっと見回しただけでもいくつも見られる。
しかし、なんというか…そのとても幸福そうな空気感の中に俺は完全に入り損ねた。まぁ、入りようが無いのだが…完全に蚊帳の外に放り出されると、物凄く居心地が悪い。
数分後、ようやく場が落ち着いてきたかと思うと、今度は多くの視線が、隅で小さくなっている俺に投げかけられた。 日本では、こんなに多くの視線を受けることが無かった俺は少し身を引いてしまう。彼らの表情は様々だが、少なくとも負の感情は見受けられない。むしろ好意的なものばかりなのだが、数ゆえにその威圧感は凄まじい…。物理的圧迫感さえ覚える。
そんな俺の元に、先程の大男がドタドタと重たい足音をさせながら駆け寄ってきた。
近くで見るとよりでかい、190後半…いやもしかすると2メートルあるのではなかろうか?彼の目は赤く充血し目元にはまだ涙が残っているうえ、鼻水も垂れているが、口は引き締められその表情はとても威厳に満ちていた。
すると、突然男が膝を地面に着ける形で座り込み、頭を地面に叩きつけんとする程の速度で下げた。それに呼応する様に他の村人も同じようにする。
…え?なにこれ…何故土下座…?
困惑する俺にのぶとい声が届く。
「ありがとうございましたっ!妻より貴方が我妻と村人達をお助けくださったと聞きました。真っ先にお礼を申し上げなければならないところを、遅くなり申し訳ございません!このゴルダス、如何なる罰も甘んじてお受けしたいと…」
「いやいやいやいや!罰ってそんな…ま、まずは顔を上げてください。ほら、皆さんも顔を上げて…」
このままだと切腹とか言い出しそうな剣幕だったので無理やり遮り、男の肩に手を添えて力任せに顔を上げさせる。礼を言われるぐらいのことはしたとは思うが、それが遅れたからと言って処罰されるような世界なのか?ここは…。
ゴルダスと名乗った男は、少し驚いた顔で俺を見つめる。構うことなく周りを見回して言う
「ほら、皆さんも顔を上げてください。家族との久々の再開でしょう?積もる話もある事でしょう…と、言うことで本日はここで解散!詳しい話は村長さん…でいいのかな…に、まとめてしておきますので、気になった方は後日聞いてください」
そう言ったものの、村人たちはきょとんとして一向に動き出そうとせず、互いに顔を見合わせている。奇妙な静寂が一帯を覆う…。そこで俺は目の前で座り込んでいるゴルダス──代表して俺の前に来たようだから、おそらく彼が村長なのだろう──に言う
「ゴルダスさん、皆さんに家に戻るよう言ってもらえませんか?どうやら、俺では駄目なようなので…」
「え?あ…はい、分かりました。おい、皆!今日の仕事はここで打ち切って、家で休んでくれ!この方の言われた通り、久々の再開だ!ゆっくり話すといい!」
すると、1人2人と立ち上がり、やがてゴルダスの家族を残して、全員が各家の中へ入っていった。さすが、村長様の発言力は格が違うな。
彼らを見送るとゴルダスは俺に向き直り、家に案内すると言って歩き始めた。俺はその後を追う。
「ん?」
ふと視線を感じ後ろを振り返ると、先程の少女と目が合った…かと思うと慌てた様子ですぐに逸らされる。
いったいなんなのだろうか…?もしかして俺怖がられてる…?まぁたしかに、いくら家族と一緒にとはいえ、いきなり村に見ず知らずの男が現れたらそりゃ警戒もするだろう。
そう勝手に解釈し、前を行くゴルダスを追った。
そんな二人の姿を見て、セリューが微笑ましそうに目を細めたのを二人は知るよしもなかった。
案内されたのは村の家々の中でもひと回り大きな建物だった。幅は約10メートル、奥行も同じく約10メートルほどの木造平屋建て…なかなか丈夫そうな作りである。
すると、ゴルダスが家のドアを開けて振り返った。
「どうぞお入りください。大したおもてなしも出来ませんが、どうかお寛ぎください…」
「いえ、お気になさらないで下さい。それよりもすみませんね…家族の再開に水を指すような事をしてしまって…」
俺が頭を下げようとすると、大きく硬い手が俺の肩を掴んだ。見ると、彼はブンブンと音がしそうなほどの勢いで顔を横に振る。ちらと彼の横を見ると、あの少女も驚いたような顔をしている。その隣の、女性も同じくだ。
「お、御やめ下さい!そのような事は御座いません。再開の喜びは先ほど十分に分かちました…それに妻を、村人を助けて頂いたお方に頭を下げさせるなど、我々の威厳に関わります」
「は、はぁ…そうですか」
あまりにオーバーな反応に若干戸惑いつつも顔を上げる。すると、ゴルダスはほっとした様子で奥に手を向けて言う。
「では、どうぞお入りください」
「はい、おじゃまします…」
中に入るとそこは外から見るよりも少し広く感じられた。入るとすぐ15畳ほどの空間に大きめのテーブルがひとつと、4脚の椅子、窓際には段になった棚があり等間隔に植物学並んでいる。その種類はアロエやサボテンのような植物から見たこともない物まで様々だ。テーブルのそばの壁には引き戸付きの棚にはきちんと磨かれた食器類が並んでおり、その逆側の壁には本棚…ちゃんと下の段に百科事典並みの大きめの本、上に行くに従いだんだんと薄くなり文庫サイズの本が並ぶようになっている。住人の性格が表れているようだ。そして、その部屋の向こうにはキッチンがあり、その横を抜けるように廊下がある。その向こうにも部屋があるようだが、なんの部屋か分からなかった。壁や窓についている新しい傷やヒビなどは小鬼の襲撃の際の爪痕だろう。しかし、やはりというか、外見と中の広さが噛み合わない気がする。明らかに中が広い。
「外から見るより広く思えますね…何か工夫の様なものがあるんですか?」
素直に疑問を口にすると、それに答えたのはセリューだった。ゴルダスが何か言おうとしたようだが、彼女に遮られる形になり、少し気まずそうに口を閉ざす。
「ええ、この家には空間拡張の魔法が掛けられているんですよ。構造的な工夫ではありませんが、工夫と言えばそうですね。と、いっても空間拡張魔法はこの国…というかこの周辺の国も含めて極めて一般的なものなのですが…。そういえば、異国の方との事でしたが…これをご存知ないということは、よほど遠くの国から来られたのですか?」
「えっ?あー…いやまぁ、その、海…の向こうから来たもので、こちらの事はまだあまり知らないんですよ…」
俺は様々な方向へ視線を巡らせ、多少挙動不審になりながらも慌てて誤魔化す。まさか別の世界から来ましたなんて言えるわけがない。そんな事を言うものなら一気に怪しまれる…。しょっちゅう転移や転生があるならまだしも、それを確認出来ていない時点で言うのは非常にまずい。それにしても、どうしたものか…この調子だとどんどんボロを出しそうだ。どうにかして、この世界の一般知識位は手に入れておかねば後々苦労しそうだ。何事もまずは情報が無ければやっていけない。
そんな事を考えていると、セリューはにこやかに手を胸の前で打ち合わせる。革のグローブをしている為、ボフッというこもった音がした。
「ああ!なるほど、そういう事でしたか。森で助けてもらってから、ここまでほとんど言葉を交わしていませんでしたから。でも、この辺りでは黒髪は珍しいですし、衣服もこの辺りの物とは違うようでしたから、そうではないかと思っていたんです」
明るい声でハキハキと喋る。どうやらこの人はかなりおしゃべり好きらしい…。ここまでの道中はかなり憔悴していたように見えたが、その気配は何処へやら…。
すると、今まで黙っていた──というか口を挟めなかった──ゴルダスがセリューの肩に手を置き、口を開く。
「そのへんにしておきなさい。困っておられるではないか…ただでさえお前は喋り出すと止まらないんだから」
やれやれとでも言うように頭を振っているが、口元には優しげな笑みが浮かんでいた。目も慈しむ様に穏やかで優しげだ。
そんな夫を見たセリューは、またにこやかに笑うと、お茶入れなきゃねと、パタパタとした足取りでキッチンへ消えて行った。その後を追うように少女もキッチンへと消える。そんな二人の背中を見たゴルダスは、苦笑しながら振り返り、俺に席を勧めた。
言われるままに、俺は理科室にある様な背もたれの無い椅子に座る。その椅子は軋む事もなく、安心出来る安定感で持って俺を支える。テーブルを挟んだ真向かいにはゴルダスも同じように腰を下ろす…ただし、その椅子からはギシリと気の軋む音がした。やはりタッパに見合っただけの体重もある様だ。気にした様子もないゴルダスは先程とは打って変わって真剣な表情で俺と向き合う。
「改めてお礼を申し上げます。妻と村人達を助けていただきありがとうございました。私は、この村で村長をやっているゴルダス・ダリューシアと申します。妻はセリュー、娘はアリューシャと言います」
深々と頭を下げた後、キッチンに目を向けて言った。
俺は簡単に自己紹介をする。
「俺は、古海渉と言います。ここまでの道中、立ち寄った森でゴブリンに囚われている方々を発見致しましたので、脱出の手助けをした者です」
互いに紹介が終わり、襲撃後の経過についても聞き終わろうとした時、目の前にコトリとティーカップが置かれた。同じようにゴルダスの前にも置かれる。見上げるとそこにはお盆──というよりトレーに似た板状の物──を持ったアリューシャがいた。
お礼を言って、一口啜ると梅によく似た風味が口の中に広がる。昔祖父の家で飲んだ梅茶に似た味に、俺はほっとした。
「美味しい…落ち着く味ですね」
素直な感想を述べると、アリューシャは嬉しそうに微笑んだ。そして、俺の隣──円状のテーブルなので隣と言ってもすぐ横ではない──に腰掛け、その正面にピッチャーの様なものをテーブルに置いたセリューが腰掛ける。二人が座ったのを確認したゴルダスが口を開く。
「それでは…聞かせてもらますかな?コウミ殿」
もう少し気楽に接してくれてもいいんだけどなぁ…と、思いつつも俺は頷き、語り出す──
・ ・ ・
時は十数時間ほど遡り、昨日の夕暮れどきのことである。
シロたちと別れて5時間程が経過していたが、一向に村は見えなかった。だと言うのに日はもう半分ほどが西の地平線へ隠れてしまっている。綺麗な夕焼けだったが俺にはそれを楽しむ余裕などなかった。何しろもう直ぐ夜が来てしまうのだから。
俺はこれまでの道中で会得したスキルの1つ『遠視』を使用し辺りを見回し、安全に夜を越せる場所。つまり、高い木のある森を探していた。
その辺りで適当に横になっても良かったのだが、馬に聞くと首を横に振った──人語を理解するとの事だったので、試しに俺の質問にYesなら縦にNoなら横に振るように支持すると聞いてくれた。これにより大雑把ではあるが、コミュニケーションが取れるようになっていた──ので、このまま進むか森などで休むかと聞くと、森で休むの方で首を縦に振った為そうする事にした。森の方なら安全なのかと聞くと近くの木まで歩み寄り見上げたので、木の上で休むのが安全なのだろうと解釈し探している次第だった。
「おっ、あそこなんか良さそうだな。よし、進路変更!二時の方向!」
良さそうな高さ太さの木々が立ち並ぶ小さな森を見つけた俺は、少しカッコつけた指示を出してみた。すると、ちゃんとその方向へ向きを変えた。かなりしっかりと人語を理解しているようだ。
程なくして到着した時には日はほとんど沈み、森には入るものを拒絶するような暗闇が各所に出来つつあった。しかし、そこには先ほど確認したとおりなかなかに立派な木々──高いもので15メートルは有りそうだ──がそびえ立っていた。
そして、休むのに適した木を探すため森に入ろうとした時、馬が歩みを止め、森の奥を睨みつけた。不思議に思い、俺は『遠視』と『暗視』を使用し同じく森の奥を見る。すると二つの小さな人影が見えた。
「なんだ?人か?」
小さくつぶやくとそれが聞こえていたのだろう馬が首を横に振った。それを見た俺はすぐさま『遠視』を解除、馬から飛び降り、近くの木に張り付く。人では無いとすると答えは1つ…種類は分からないがモンスターである事に間違いはないだろう。馬もすぐに擬態を解き、元の形態に戻ると俺の傍に軽く飛んできた。すると、スライムは体を膨張させ大きめの岩に擬態した。小さくなれば人一人がはいれるほどの大きさだ。
おいおい…お前だけ隠れるのかよ…。
少し呆れ、俺も身を隠そうと思い周囲を見回そうとすると岩がその身体の一部に穴を開けた。よく見ると中は空洞になっているらしい…と、言うことは入れという事だろう…
二つの足音が近づいてきたため、俺は急いでその中に入る。それを確認したのか、岩は開けていた穴を閉じ、代わりに俺の目の前に──土下座しているような状態なのでちょっと頭を上げた先──に小さな穴が開く。覗いてみると、当たり前だが外が見えた。
数秒後森から二つの人影が──おそらくモンスターだが──現れた。ぎりぎり間に合ったようだ。
『暗視』を発動していると、例え暗闇でも昼間のように見える。そんな俺の目に二つの人影の正体が鮮明に映り込んだ。
「あれは…ゴブリンか…?」
出てきたのはいかにも「ゴブリンです!」という感じのモンスターだった。二匹とも体長は80センチほど、全身汚れた緑色でひょろりとした体型を獣の毛皮のような物で覆っている。頭に毛はなく、大きく尖った耳と突き出した鼻が目に付く。手には木を削っただけの粗末な棍棒を握っている。
じっと観察していると二匹の会話が耳に届いた。
「ソレニシテモ、アノ人間達ハドウスルンダ?モウ一週間ダゾ?」
「コノ間襲ッタ村カラ攫ッテ来タヤツラカ?頭領ノ話デハ、東ノ方ニ住ンデイル大鬼達ニ奴隷トシテ売リ渡スソウダ。間違ッテモ手ヲ付ケタリスルンジャナイゾ?」
「チッ、バレテイタカ…。具合ノ良サソウナ女ガ居タンダガナ…。マァ良イ、今ハ巡回ガ先ダ。行クゾ」
それだけ言うと二匹は森に沿うように歩き、姿を消した。
俺は周りを確認して岩から出る。
先程の会話…この森の何処かに人間が囚われているというのか?それに近くの村、と言ったな…。これは今俺が目指している村のことか?これは助けに向かうべきなのか…?いや、しかしゴブリン達の数…戦力が分からない。そんな状態で挑むのは危険だ…。第一何処に囚われているか分からないんじゃあな…
そこまで考えてふと横を見るとスライムが擬態を解き、そのつぶらな瞳で俺と森とを交互に見ていた。
「ははっ…助けに行かないのか?ってか?」
俺が笑って言うと、スライムは体を縦にプルプルと揺らした。「そうだ」と、いう事だ。
「って言ってもなぁ…ん?そうだ…!」
俺はある方法を思いつき、スライムに向き直る。スライムもプルりと一度体を揺らすと、俺を見据えた。
「うし、まずは俺を木の上まで上げてくれないか?」
すると、一度身体を縦に揺らすとすぐ横の木──見た感じ10メートル程ある──に張り付くとニュルニュルと登り始めた。少し待つと上から端を輪にした丈夫そうなロープが降りてきた。恐らくスライムの擬態であろう。俺はその意図を察し、輪に体を通し脇の下でロープを挟み両手でその先のロープを握ると二度ほど引いてみる。すると、グンッと力強く上に引っ張られる感覚。予想していた感覚に俺は両手に込める力を強める。そして、ほんの10秒ほどでスライムの居る枝──枝と言ってもかなり太い──に到達する。見ると思っていたとおりスライムが体の一部をロープに擬態させ、それを体内に取り込む事で俺を釣り上げていた。あとは腕力のみで体を持ち上げ、その丈夫そうな枝に腰を下ろした。
そして、目の前のスライムに礼を言うと、先程思いついた作戦を説明する。
「よし、これから村人奪還作戦について説明するぞ。お前はまず、ターザン移動法…えっと、木の枝に捕まって移動するヤツで村人がどこに囚われているか見つけてくれ。出来ればとらわれている村人の数、森の中のゴブリンたちの総数と、恐らく見張りがいるはずだからそいつらの数も調べてくれないか?わかったら一度ここへ戻ってきてくれ…よし!行け!」
そう言うとスライムは忍者の様な俊敏さで枝から枝へ飛び移り、あっという間に見えなくなってしまった。
そんな姿を見て俺はふと思った。
なんか俺…この世界に馴染んできてるなぁ…と。
スライムが戻ってきたのはたった10分後だった。思っていたよりも大分早い。
「おっ、早いな…お疲れさん。それで…どんな状況だった?」
すると、スライムは「ぺっ」という感じに小さな小石を──口は無いが──吐き出した。何に使うのかと思っていると、その小石を中心として周りを囲むようにスライムの身体が紐状になった。
つまりは…
「囚われた人たちは森の中心にいる…と?」
元に戻ったスライムは身体を縦に揺らす。
なかなかどうして、ちゃんとコミュニケーションが取れる…その事に少し喜びを覚えつつ、俺は次の質問をぶつける。
「小鬼の総数は?」
今度はピョンと木から飛び降りたかと思うとすぐに戻ってきた。すると、下で拾っていたのであろう様々な形の小石を枝の上に並べていく…もちろん器用に吐き出しながら。最初の小石と合わせてその数─12。つまり、今この森には少なくとも12匹の小鬼がいるという事か…もちろんスライムが見落とした可能性も考慮するともっと多いかもしれないが。
「なるほど…12匹か…。まぁ、なんとかなるか…見張りの数は?」
聞くとその12の小石の内から6つを払い落とす。
つまり…見張りは6匹。
となると…残りは──
「囚われている村人の人数は?」
これに関してはスライムはその目を伏せ、横に揺れた。「把握できなかった」という事だろう。
まぁ、それなら仕方ない…敵の数がわかっただけでも十分な収穫だ。
俺はスライムを軽く撫でてやる、ヒンヤリとしていて気持ちが良い。手を離すと、俺は森の奥を見据える。
よし、次は俺が動く番だ…!
「よし、計画実行だ」
俺は『身体強化EX』を全開で発動させると地上7メートル程の高さをまるでちょっとした段差かのように軽く飛び降りた。
・ ・ ・
「あれか…」
スライムに案内してもらい、村人が囚われている場所近くまで来ていた。木陰から見ると、そこは少し拓けた広場のような場所でその真ん中に木で作ったと思われる粗末な檻があった。どうやら村人たちはそこに囚われているようだ。少し目を配らせると、6匹の小鬼が先程の二匹と同じような格好、装備で檻を取り囲むようにして周りを警戒している。
そして俺は大きく息を吸うと、少しタンが絡んだような声で叫んだ。
「大変ダァ!冒険者ドモが攻めテキタゾォ!20人はイル!巡回の奴ラガタタカッテイル!北ダァ!早く増援ヲ!」
それだけ叫ぶと身体を支えるロープを引く。すると先程よりもはるかに早い速度で身体が持ち上がりあっという間に枝にまで達する。下を見ると、小鬼たちが慌てる様子が伺えた。
「20人ダト!?」
「馬鹿ナ!何処ニソンナ金ガアルンダ!金目ノ物ハアラカタ奪ッタンジャナイノカ!?」
「知ルカソンナコト!早ク森ノ北側ヘ向カウゾ!」
「見張リヲ1人ハ残シテオケヨ!他ハ着イテ来イ!」
そう言って、慌てて駆け出していく。結果、広場に残ったのは──たった一匹。計画通りだ。
俺は作戦が上手くいったことに胸をなでおろしもう一度広場を見る。一匹の小鬼は依然として周りを警戒している。囚われている村人の顔には怯え、不安の色が伺えるが、若干ではあるが希望の色も混ざっている。そりゃ、冒険者たちが助けに来たと聞いたのだ、彼らにとっては暗黒に差し込む一筋の光と言ったところか。まぁ、冒険者は大嘘だが助けに来たのは事実だ。嘘をついたことはそれで水に流してもらおう。
まぁ、まずは…あの小鬼には消えてもらうとしよう。俺は『身体強化EX』と『ターゲットサイト』を発動させる。すると、視界にライフルのスコープのような十字が表れ、同時に赤い点も表れる。このマーカーは今のまま投げると何処に飛んでいくかを教えてくれるものであるようだった──シロと分かれた後、スキルについては色々と実験をしたため、今会得しているスキルについてはだいぶ理解している──。つまり目標物と十字、点が重なった状態で物を投げるなどすればかなりの高確率で命中するということだ。
俺はポケットに収めた小さめの拳大の石を取り出し、木から飛び降りた。
着地の瞬間枯葉や枝を踏む音がし、それに気付いた小鬼が驚いたように振り向く。俺は大きく振りかぶり、十字の中心とマーカーを小鬼の頭部に重ね、全力で腕を振る。俺の手を離れた石は何事か叫ぼうとし、大きく開いた小鬼の口に超速で吸い込まれる。ボクジュッという不快な音と共に小鬼の頭が吹き飛び、大量の鮮血が吹き出した。顎から上を失った体は後ろに倒れ込み、ビクンッビクンッと数度痙攣するとそれきり動かなくなった。
そんな光景を目の当たりにした村人たちは声も出せず、ただただ唖然としていた。
俺はゆっくりと檻へ歩み寄る、途中殺した小鬼を横目で少し見たが、生き物を殺したと言う恐怖や罪悪感などは塵ほども感じなかった。おそらく、先ほど新たに会得したスキルの効果だろう。
突然現れた男に、村人たちは酷く怯えた様子だった。まぁ、そりゃそうだ…。
俺はなるべく優しい声で声を掛ける。
「安心してください。私は偶然ここを通り掛かった旅人です…あなたたちを助けに来ました。さぁ、さっきの小鬼達が戻ってくる前に早く逃げますよ。大丈夫です、ちゃんと村までお送りしますよ」
そう言うと、俺は力任せに檻をこじ開ける。メリメリという音と共に、檻の一部が折れ大きく口を開ける。
いまだ困惑した様子の村人達にさらに声を掛ける。
「さぁ、早く。奴らが戻ってくる前に」
すると、檻から次々へと人が出てくる。目だけを動かし数えると6人…子供は居ないようだ…男性2人、女性4人。守りながら村までたどり着けるか…?と、いうより村までたどり着く体力が有るのか…?
いまさらな心配事が次から次へと吹き出してくる中、一人の女性が声をかけてきた。
「あの…そんなに急いで逃げなくても冒険者の皆さんを待っていた方が良いのでは?」
見ると、女性の意見に賛同というようにその後ろで頷く者たちも見受けられた。そんな様子に俺は素直に謝罪する。
「すみません、冒険者の件は奴らをここから引き離すための嘘です。助けに来たのは俺一人です。」
その言葉に、希望の色が増えつつあった表情は一気に絶望の色に染められる。
まぁ、仕方が無いか…助けに来たのがこんな若造一人なんだもんな…。不安になって当然か…
「大丈夫です。こう見えて俺はなかなか強いですから!それより早く逃げましょう。奴らが戻ってきたら厄介だ。」
そう言い、俺が歩き出すと数人が座り込んでしまった。どうしたのかと聞くと、ずっと檻に閉じ込められていた為か、足が動かないのだという。そういう女性の声は震え、実際に涙を流していた。
「それじゃあ、これを食べてみてください」
と、俺が取り出したのは森でシロに貰った果物だった。りんごのような形なのに明らかにオレンジの味がするそれには、疲労回復の効果──移動中の暇を持て余していた俺は、スキルだけでなくアイテムもあらかた調べた──がある様だった
。
おずおずとそれを受け取った女性はゆっくり一口かじった。その表情は驚きで染め上げられる。
「な…なに?これ…体が…」
「疲れが抜けていくでしょう?ここの前に立ち寄っていた森で手に入れたんです。さぁ、皆さんもどうぞ」
女性に笑いかけた俺は、他の5人にも同じ果物を渡す。それをかじったとたん、彼らの表情も驚きで満たされる。
実際に俺も食べたのでわかるが、これを食べたとたんに何処からともなく疲れが抜けていく感覚があるのだ。味自体もやや酸味が強いがオレンジとうり二つでかなり美味しい。
すると、森の方から先ほどの小鬼たちの声が聞こえてきた。どうやら騙されたことに気付いて戻ってきたようだ。流石に慌てた俺は村人達を急かす。
「さぁ、早く逃げますよ!走れますね?」
その問いに村人達は力強く頷いた。良い表情だ。数分前の彼らと同じものとは到底思えない。
そんな彼らに頷き返すと小鬼たちがいる方向とは逆方向に駆け出した。
その後、森から1キロほど離れた場所でスライムの岩の擬態に隠れ──危険ではあったが──夜を明かした俺たちは、翌日の昼頃…つまり今日の昼頃に村に無事到着したのだった。
「──と、まぁこんな感じです」
一息つくとすっかり冷めてしまったお茶に口を付ける。しかし冷めてなお、その美味しさは健在だ。
残り少なくなったカップにセリューが新たに注いでくれる。セリューに礼を言い、もう一口啜る…うん、温かい…。
「なるほど…そうでしたか…」
見るとゴルダスが険しい表情で腕を組んでいる。素でさえなかなか迫力のある顔がより一層その迫力を増す。そんな父をアリューシャが心配そうに見つめる。
「何か心配な点でも?」
「ええ、実は──」
しかし、ゴルダスの言葉は突然の来訪者によって遮られた。
家の扉が大きな音を立てて開き、一人の青年が駆け込んできた。その表情には、焦り、怯え、恐怖…様々な感情が入り混じっているように見えた。
「村長!大変だ!急いで来てくれ!」
「何事だ!客人の前だぞ!礼節をわきまえろ!」
ゴルダスは低く太くよく響く声で青年を一喝した。青年は若干気圧されたように身を引き、俺を横目で見た。しかし、構ってられるかという様子で言葉を続けた。
「小鬼だ!この村へ小鬼の大群が向かってきてるんだよ!!」
「なんだとっ!!」
驚くべき情報にゴルダスは立ち上がる、はじかれた椅子がけたたましい音と共に床に投げ出される。そして伝えに来た青年とともに外へ飛び出した。俺は慌ててその後を追う。その際にちらりと見たアリューシャとセリューの表情は蒼白だった。
俺は大きく舌打ちすると家を飛び出した。
この村はまたも小鬼の脅威にさらされようとしていた。