1話 初めての出会いと戦闘
いったいどれくらい経ったのだろう?
手にしたスマホを見ると歩きはじめて1時間はとうに経過しているようだった。しかし、いっこうに森を抜ける気配はない…。
着ていたパーカーはとうに脱いだ。今は11月のはずなのだが、ここはやたら暖かい。シャツの袖もまくりあげ、額に浮かんだ汗をパーカーで拭き取る。
この1時間で俺は完全に冷静さを取り戻し、何とかこの状況を少しでもちゃんと把握しようと、記憶を遡る事にした。
──俺の肩に乗った者の綺麗な足を見つめながら──
ここが、日本ではない──それどころか地球でもない──ということを俺は確信していた…いや、これは事実だ。
11月に似つかわしくないこの気温もそうだが。なによりここまでの道中、2度出くわした小動物たち…それらはどう見ても普通ではなかった、肩の上の人物についてもそうだ…。まぁ、まずは時系列に沿って振り返ってみる。
最初に遭遇したのは真っ白なウサギだった。
ただし、角の生えたウサギである。
ね?いきなり異常でしょ?見たことある?角の生えたウサギ。無いでしょう?だってこんなん地球に居ないしね(少なくとも今のところ)!
体のサイズにはほぼ違和感が無いが、額に15センチほどの立派な角を持ったウサギである。呼称が無いと不便なので、俺はこの保護色ガン無視ウサギを勝手に一角兎と呼ぶことにした。
一角兎と遭遇したのは歩き初めてほんの5分がたった時である。目の前の茂みが一瞬音を立て揺れたかと思うと、直後そいつは俺の眼前3mに現れた。記念すべき異世界住人との初コンタクトだ。
今考えると初コンタクトが一角兎であってほんとに良かったと思う。それがクマみたいな大型獣だったら俺はどうなっていたかしれない。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
固まる俺。
固まる一角兎。
2人(一人と一匹)の視線が交錯したのはほんの数瞬と言ったところか。
その時の俺はおそらく完全なる無表情であったろう、人は驚きすぎると声を出すことは愚か、表情を変化させる暇さえないものだ(という事にしておく)。俺が異常にビビリだったからというわけではない。断じて。
一瞬の思考停止から開放された俺の脳は目の前の生き物についての情報を急速に受信し解析し始めた。
うおおおお!?びびったあ!!なんだ!?ウサギ?ウサギ…じゃない!!なんか痛そうな角生えてるしいい!!アル〇ラージかよ!!紫じゃないけど!!こいつ保護色って知ってんのか!?この青々とした緑の中で白て!!てか、こんなん居るのここ!?ほぼ確じゃないすかあ!異世界ほぼ確じゃないすか!!あ、でも良く見たら可愛いかも…。って、いやいやそうじゃないでしょ俺!!
完全なる無表情に反して、頭の中では様々な情報が飛び交う。
そして、最初に口に出たのは…
「や、やあ、コンニチハ…。」
見知らぬ人間まだしも見知らぬ角の生えた謎のアル〇ラージ的小動物にまで挨拶できるなんてボクちゃんなんて良い子なんでしょう。それもこれもお母様の教育の賜物なのでしょうね。カタコトなのはビビっていたからではない。断じて。
そんな俺に「なんだお前?」とでも言いたげに謎のアル〇ラージもとい一角兎は、キュイ?と小首をかしげ、現れた茂みへと消えてしまった。
「えっ…いや、おい…待って…。」
呼び止めてもどうにもならないと分かっていても、つい呼び止めてしまったのは寂しかったから…ではない。断じて。
もし、ここが異世界だとしたら、もしかするとあのウサギとも意思疎通ができるかもしれない、と思っただけだ。ホントに。
居なくなってしまったものは仕方ないと、俺はまた歩き始めた。
しかし、心中は穏やかでは無かった。ついさっき、六大陸はおろか、独自の生態系をもつガラパゴス諸島にも、東洋のガラパゴスとよばれる小笠原諸島にも絶対にいないと思われる生物に遭遇したのだ。これが平常時ならば、「新種発見しちまったああああ!!俺の時代来たあああ!!」てな感じでテンションアゲアゲだっただろうが、今はそうはいかない。むしろここが異世界であるということを認めなければならない十分な判断材料となってしまったわけである。事実、俺はここが異世界であり自分が何らかの要因でここに転移してきてしまった…ということを8割ほど認めていた。
もちろん、ここが俺自身の夢の中っていう事も考えてはいるものの、その可能性については少し諦めかけていた。夢にしては感覚や情景がリアルすぎる。頬をなでる風や空気の匂い、気温に湿度、周りの草木等その他物体…いくら脳が擬似的に作り出すにしても限度ってもんがあるだろう。
「──ちくしょう、なんでだよ…。」
もう何度目とも知れない疑問符を口にし、俺は歩き続けた。
・ ・ ・
それから20分ほどして、そいつはいきなり現れた。そして、俺に確信を持たせる原因ともなってくれた。
依然として、森が開ける様子はなく。不安定な足場のためか少しづつ疲労も貯まりつつある。俺は一休みできそうな場所を探して辺りを見廻す。
この森は人の手が全く加わっていない様で、先程から人口物は愚か切り株の一つも見かけない──ここが異世界なら人がいるかも怪しいが──が、倒木などはチラホラと有るし、腰掛けるにはちょうど良さそうな倒木もすぐ近くに見つかった。そこに足先を向けたとき、目の前にボベチャッというなんとも奇妙な音とともに、何かが落下してきた。
「うぉうん!!?」
奇妙な悲鳴とほぼ同時に、俺は後ろに飛び退いた。直後、俺は驚愕した、軽く後ろに躱すくらいのはずだったのに俺の体は5m近くも後ろに移動していた。自身の予想をはるかに凌駕した跳躍に驚いた為か、着地時にバランスを崩し、尻餅を着いてしまった。
「──なんだ…これ…」
一応、運動部には所属しているし、武道の心得もある。しかし飛び向けて運動能力が高いというわけでもなかった。いたって平凡だった筈なのだ。
いや、これは運動能力云々の問題ではない。軽く後方に飛んだだけで5mは流石に人間業ではない。世界中探せばいるかもしれないが、特になんの訓練を受けたわけでもないただの一般高校生には有り得ないことであった。
しかし、そんなことはすぐに吹き飛んだ。何故なら眼前5m(つまり俺がついさっきまでいた場所)に、異様な形態のものがうずくまっていたのである。水色がかった半透明で流動性にかなり富んでいると思われるジェル状の何か…それがニュル…ニュルと動き球の形をとっていく…。全身の毛穴が開き、全身の毛が逆立つ。俺の背中をゾワワッと悪寒が走る…。
「──おい…ま、まさか…」
この時点で俺の脳内にはあるモンスターのビジュアル画とそれの補足説明が書かれていた。
最後にニュルンッと回転すると、パッチリとした目が俺を見据えた…。そう、それはファンタジー系のゲームや物語には絶対にいると言っても良く、ほとんどの場合最弱のモンスターに分類されるやつであった。
「──スライム…だよなー…コレやっぱり…」
そう、そいつはスライムだった。しかも、現代日本におけるスライムの認識とほとんど同じである。違うのは口的なものが無いだけでそれ以外は完璧なるtheスライムであった。体長はおよそ20cm、それほど大きくない、ぬいぐるみにしたら丁度良い大きさであろう。パッチリとした眼で依然こちらをジーッと見つめている。
「あぁ…もう、これ夢じゃないよなあ…流石に…」
俺は答えが出たという僅かな満足感と、このスライムが俺の知っているやつと同じく最弱で、出来れば好戦的でなければいいなと願いつつ曖昧な笑みをスライムに向けた。
しかし、俺のささやかな願いはあっさりと無視された。と、いうのも、スライムがググッと体を縮めたかと思うとピョーンと俺に向かって飛びかかってきたのだ。その小さな身体からは想像もつかない跳躍力である。しかし、俺はこれを横に転がり難なく回避、一拍の間をおきベチャリッという音を立ててスライムが落下する、次の瞬間その場所からジュワッと煙が上がる。
「えっ!!?」
俺はわずかな驚きとともに立ち上がり、身構える。
スライムがくるっと体の向きを変え俺を見据える。そして、体を引きずるように移動を始めた。もちろん俺に向かって…。見ると、スライムに触れた草は端から煙をあげて消滅する…いや、溶けていく…。どうやらここのスライムの身体は──なかなかに強力な──酸性のようだ。
「うっそぉ…マジかよ…」
そろそろ驚きすぎて、少々のことでは驚くことに対する耐性が付き始めてきた気がする。実際、このスライムの特性にも、厄介な…くらいにしか感じなくなっていたのだ 慣れとは恐ろしい…。
「──でもまぁとりあえず…逃げよう」
依然、ニュルニュルと俺に接近しつつある強酸性スライムに背を向け、俺は猛然と全力ダッシュした。
半ば予想していたとおり、これがまた速い。それにグングン加速する。どうやら先程の跳躍はまぐれなどではなさそうだ。これならば短距離世界新も余裕のよっちゃんである(古いか)。
「くっ…おぉ…!」
今ならばどこまでも加速していけそうな気がしたが、なにせここは森の中……立ち並ぶ木々や倒木、茂みに木の根っこ…そして垂れ下がるツタのような植物…地面は少し湿っているため滑りやすい。こんな中ではどうしてもスピードが抑えられる。
俺は前の障害物をよける事のみに全神経を総動員させた。少しでも集中をきらすと、即効で転倒または激突は目に見えている…こんなスピードで木などに激突した日には悲惨なんてものじゃないだろう…悲惨ですめばいいが最悪死ぬ可能性もある。
走ったのはほんの20秒ほどだが、体感的には300m位走った気がする。しかも驚くことに、あんな人外なスピードで走ったにも関わらず息はほとんど切れていないし、体も痛めた様子はない……俺ってほんとどうなっちゃたのかしら…。
「…ふぅ…こんだけ逃げれば流石に大丈夫だ……ろ…ってウソぉん!」
足を止め、後ろを振り返った俺の目に写ったのはほんの30mほどの距離を凄まじい勢いで詰めてくるスライムだった。しかも、地面を移動しているのではない…まさかの空中を移動している。正確には体の一部を触手のように伸ばし、それで木の枝を捉え(やつの体には粘着性も備わっているらしい)、そこを支点に振り子の要領で接近してくる(ターザ○みたいな感じで)。前に障害物があろうがお構いなし、片っ端から溶かして接近してくる。支点にしている枝が溶けてないところを見ると、どうやらそのへんのコントロールは可能なようだ…まったく、便利な体だ…。
見た目軽そうなのに何故あんなにスピードが出るのかは謎だが、今そんなことはどうでもいい。
「いやいやいや、マジでかおい!!」
どうやらこの世界において、スライムとは思っていたほど激弱ってわけではなさそうだ…残念。
俺はまたも走り出すが、スライムは依然追いかけてくる。どうやら諦めてくれそうにない。相変わらずターザ○移動法を駆使して接近してくる。
「──くそっ!」
このままでは永遠追っかけっこになりそうだ。
そう判断し、急停止した俺は近くにあった拳大の石を拾い、接近してくるスライムに向き直った。
何故だかは知らないがどうやら俺の身体能力は飛躍的に強化されているようであった。この石を本気で投擲し命中させることができれば、そこそこのダメージを与える事ができるかもしれない。そう考えた俺は、逃げから攻めへと方針転換する事にした。
狙うは、スライムが枝から離れ、宙に身を踊らせる一瞬…、ボールコントロールには多少自信はある。が、高速で移動する物体に直撃させるのはかなり難しいだろう。幸い、スライムは一度に多くの距離を稼ごうとしたのか、触手を長く伸ばしている…その為体の振れ幅が大きいし、枝から枝へと飛び移るのにそこそこの時間を要している。しっかり狙えるだけの時間はある──走ってて気づいたがどうやら俺の動体視力も強化されているらしい──。後はどれだけのスピードを出せるのか……そればっかりは今のこの体に期待するしかない。
「とりあえず、3つか…少し心もとないけど仕方が無いよな…。距離は……今んとこ60mってとこか?」
森の中で遮蔽物が多いため、スライムもちょこちょこ隠れてしまう。一応少し開けたところで待ち構えてはいるもののそこまで広くはなく、せいぜい5~6m四方位だ。手持ちの石は3つ、チャンスは3回……。なるべくひきつけてから投げつけたいものだが、それでは失敗した時が怖い…。スライムが俺に接触するまでは約5秒と言ったところだろう…。もはや、なりふりかまってはいられない。
「くそっ、当たれよっ!!」
渾身の力で投擲した石は、猛烈なスピードで突き進んだ。しかし、それはスライムの右2mを虚しく通り過ぎた。
「っちい!!」
外れたとわかるやいなや、二発目を投擲。スピードは申し分無い、あとはコントロールの問題である。
この時点でスライムとの距離は20mを切っていた。これが恐らくラストチャンス…。
一投目より少し左を狙って投げた石はスライムを僅かにかすめた…しかし、その威力ゆえかスライムは身体の一部を弾けさせ大きくノックバック。そして枝を掴みそこね地面に墜落し、数度体を大きくバウンドさせると樹木に激突した。そしてそのジェル状の体を跡形もないほどに爆散させた。
相当なスピードが出ていたのだ、まぁそうなる。
「……やった…か?」
四散したスライムの体は俺の目の前にまで飛び散っていた。よく見るとなかなか綺麗なものである、いや、美しいと言っても過言では無いだろう。透き通るような淡い水色…とても冷たそうなそれは陽光を浴び、暖かな輝きを帯びている…それは、昔テレビで見たブルートパーズのような美しさだった。
ふと気付くと、自分の手がそれに向って伸びていた。俺は咄嗟に手を引っ込める。
しかしそれは宝石にはまるで関心のない俺でさえ、無意識に手を伸ばしてしまうほどに美しかったのだ。
俺は、それに触れている草になんの変化もないことに気付くと、恐る恐る手を伸ばす…。指がその宝石に触れる…ヒンヤリとした感覚が伝わってくる…だが、確かな温かみも感じられた。
「…綺麗だ…。」
その宝石を眺めるうちに、俺の胸中にじわりと僅かな罪悪感が広がった……。
果たして、殺すべきだったのか…そこまでしなくても威嚇程度に留めておけば良かったのではないか…。
いや、先に仕掛けてきたのはあちらだし、殺らなかったら殺られていたのかも知れない。俺は間違っていない…。
「キュウ!!」
俺が、せめて埋めるぐらいはしてやるかと腰をあげたとき、後方の茂みから何かが飛び出してきた。
「──!?」
慌ててそちらに目を向けると、先程の白兎…もとい一角兎が猛スピードで突進してきた。
「──っ!またかよ!!」
俺は手元に残った石に手を掛け、モーションを起こした。しかし、すぐにその一角兎がどうも俺を見ているのでは無いらしいことに気付き、モーションを止める。
予期したとおり、一角兎は俺の脇を駆け抜けていく。
振り向くと、そいつはスライムが激突した木に駆け寄り、キュウキュウと悲しげな声を上げている…。
「お前の…仲間…だったのか…?」
僅かに抱いていた罪悪感がより大きく広がっていくのを俺は感じた。胸が締め付けられるような鈍い痛みまで感じるようだ…。
一角兎はそんな俺を一瞥すると、天を仰いだ。すると、その角に淡く白い光が宿る…春の陽光のように暖かな光が…。
「!?」
俺が驚きのあまり…またその美しさに見とれ、絶句していると、その光はスライムの破片を覆っていく…それはだんだんと周りの破片、俺が手にしている破片にまで及んできた。
─ドクン…
「!?」
その光に包まれた瞬間、それは僅かに…しかし力強く鼓動したように感じられた。
俺はつい、手を滑らせそれを落としてしまった。するとそれは地を這って動き始めた。そして、すべての破片が同じようにし、一角兎へと移動していった。
俺はその光景をただ黙って見ていた。声が出せなかった訳ではない、ただ出してはいけないような気がしたのだ。この神秘的な現象に割って入るようなことは許されない…ただそんな気がしたのだ。
すべての破片が一つになり、より強く発光する…。
そして、一瞬周りが真っ白になるほど強く光ると、徐々に弱まっていった…。光が収まるとそこには、あのスライムが全く傷ついた様子もなく、静かに…眠るように存在していた。
俺はそれを見て何故だか安堵した。よかった…と、そう思ったのだ。胸中の締め付けられるような痛みも少し和らいだように感じられた。
しかし、その神秘的な事象を起こした張本人は静かに…だが確かな怒りを宿した目で俺に向き直っていた…。
俺はそのちいさな体から発せられているとは思えない大きなプレッシャーに飲み込まれそうになりながら、俺は石を握る手に力を込めた。
時間外かかりました…
やっと2話目です…