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第七章 恋心仄香は逢引きがお好き❤

 見知らぬ天井。

 否。

 見覚えのある天井だ。

 目覚めると同時に現状把握を意識するのは、野良魔女として生きてきた時間が永いという証拠。頭を上げて、研ぎ澄まされた五感と共に情報収集を開始する。

 現在位置、部屋のつくりから察するに、午前中鬼姫やアリスたちと一緒にだったクイーンズホテル。もしかするとさっきと同じ1313号室でまだ通されていなかった部屋なのか。意識を失う直前の電話でもアリスのところに連れて行くとかいっていたし、その可能性は高い。部屋のなかは結構散らかっている。乱雑に読み捨ててある本や雑誌、無造作に放り出してある教科書やノートや筆記用具、そして等身大のクマさんおウマさんウサギさんといった動物ぬいぐるみシリーズがずらり。お気に入りなのか。

 机の上には猫キャラのマグカップに飲みかけのうがい薬、ミント味のキャンディーの袋に混じって写真立てがちょこん、と置いてあった。

 何の気なしに、ふと覗いてみる。

 なにこれ可愛い。

 自分の部屋だったら間違いなく絶叫して、布団のなかに持ち込んでじたばた身悶えするくらいの可愛らしい被写体がそこには写っていた。

 ベビー服姿の聖鳳院アリス。

 よちよち歩きが様になっているところから、まだ二、三歳といったところか。

 右隣には小学生らしき聖鳳院マリアが寄り添うように傍にいて、これまた可愛い。

 地上に舞い降りた姉妹天使シスターエンジェル

 そんな微笑ましいフレーズを脳内で反芻していると、ふと左隣に写っている赤髪の少女が目に入った。彼女たちの静かな青色とは対照的な、燃えるような赤。右隣のマリアが膝を折って目線をアリスに合わせているのに対し、その子はタイミングが悪かったのか見切れていて顔が見えない。同じ年頃のようだからマリアの友達か親戚の子だろうか。

 ぶるるっ。

 不意に寒気が襲ってきたため、さっき大量の汗をかいてしまったことを思い出す。早くどこかで着替えなければ、この時期でも風邪をひいてしまうかもしれない。でも替えの服も下着もないし、どうすれば。


 かちゃ。


「あはっ。ほのちゃんおっきしたんだー♪」

「アリス?なんで洗面器なんか持ってきたの?」

 扉を開けた『聖域の歌姫』は、なぜか大きな洗面器いっぱいにお湯を入れて持ってきていた。小さな二の腕がぷるぷる震えていて、いまにも中身のお湯をぶちまけてしまいそうで怖い。

「だって、ほのちゃん汗びっしょりなんだもん。はやく拭かないと風邪ひいちゃうよ?」

 いや、それって風邪ひいたとき体拭くためのやつだと思うけど。

 それより替えの服と下着――って。

「悪いけどアリス、なにか着替えがあったら」

「さ、ほのちゃん、からだふきふきするよ~」

 そういって二人が同時に距離を詰める。

 運の悪いことにアリスの足元には摩擦係数を著しく減少させる教科書だのノートだのが乱雑に散らかっていた。つまりドタバタコメディお約束の展開が舌なめずりして待ち構えていた訳で――。

「!アリス、あぶなっ」

「にょわっ!?」


 ばっしゃーん。


「だ、大丈夫アリス?怪我してない?」

「ふみゅ~。ごめんね、ほのちゃん」

 危ういところでアリスを抱きとめるのに成功したものの、洗面器いっぱいのお湯を避けるミッションまではさすがにクリアできず、びしょびしょに。考えようによっては冷えた体がお湯で温まったから不幸中の幸いといえなくも――無理だな、うん。

「これはシャワー浴びるしかないか。悪いけどアリス、シャワー貸してくれる?」

「いいよー」

 ばさっ。

「って、なに脱いでんのっ!?」

「?お洋服脱がないとシャワー浴びれないよ?」

「いや、そういうことじゃなくて。浴びるのは私にゃああっ!?」

 目の前にはすでに一糸纏わぬ青い天使がご降臨。

 やめろ。いややめてくださいお願いします。

 ただでさえ思春期の男の子な部分がある私にとって、それはあまりに目に毒な光景だった。女子更衣室の着替えでも自分以外の女子がいるときは、目隠しや(鬼姫たちの)人間の盾でかろうじて理性を保っているくらいだというのに。

「ほら、ほのちゃんも脱ぐのー」

 ばさっ。

「って、なんで脱がしているのっ!?私は後でいいから先にっ……!」

「却下しまーす。ふたりでいっしょにシャワー浴びるんだよっ」

「いやああああっっ!?」

 



「あったかぽかぽかだね、ほのちゃん」

「ソウデスネー」

「シャワー熱くないかな、ほのちゃん」

「アツクナイヨー」

「お背中お流しするよー、ほのちゃん」

「イイヨー」

 見るな私考えるな私。色即是空空即是色。素数だ素数を数えて落ち着くんだ。そもそも女の子同士一緒にシャワーを浴びるくらい何もおかしいことはない。しかも二人とも(肉体的には)まだ第二次性徴期すら迎えていない子供同士。劣情だの色欲だのとは無縁な仲のいいお友達として裸のお付き合い、スキンシップと考えれば万事解決。ほら、何もおかしいところはない。ナイデスヨー?

「あ、そういえば」

「ひゃんっ!?」

 アリスの声と同時に背中の敏感な箇所にシャワーのお湯が注がれたため、変な声が出てしまう。

 しかし、アリスはそれを無意識スルーして無垢な瞳で訊ねてくる。

「ほのちゃん公園で倒れたって聞いたけど、どうしたの?日射病?」

「あー。それは」

 何と説明すればいいのやら。

 あいつとの悪夢での再会がちらつくけど、あいつは私が倒れたのは自分の仕業でないと明言していたし。

「もしかして、ほのちゃんも悪い魔女さんにおそわれたの?」

「あー、うん。そんなとこ」

 歯切れ悪く曖昧に話をぼかす。

 あれ。そういえば。

「そっちも魔女が襲ってきたって聞いたけど、大丈夫なの?」

「うん。ボクはお昼寝してたからね。でも聖少女十字軍のひとが巡回中に襲われたって、ひこちゃんがいってたよ。さいわい外傷もなく、眠っているだけだって」

 ひこちゃんは定着ですかそうですか。

 それはともかく今回も襲われた少女が怪我もなく昏睡で済んでいることに、かえってきな臭い匂いを感じずにはいられなかった。

 『復讐の魔女』。

 おそらく契約者の本名を口外できないあいつにとって、それがぎりぎり私に明かせるヒントだったのだろう。それは『無敵の魔女』のように特定の魔女を指す二つ名やあだ名の類ではない。過去数百年に渡る聖女と魔女をめぐる闘争史上、幾度か出現した名無しの魔女たちを指す文字通りの忌み名だ。彼女たちは顔も時代も出身地も得意魔法もそれぞれ異なっていたが、次の二点では完全に一致していた。

 世界規模のレベルで災厄をもたらすこと。

 それが復讐という目的に特化していること。

 天災。

 疫病。

 動乱。

 戦争。

 魔女狩りの落とし子とも呼ばれた彼女たちはその手練手管こそ異なっていたが、標的として違えることなく魔女狩りを主導した聖女や聖少女はもちろんのこと、それに関わった人間たちも一人残らず炙り出し、縊り上げ、どす黒い魔力の糧として彼女たちの底のない釜のなかへと呑み込んでいった。

勇気ある聖女のとどめの一撃により、その身が消滅するその瞬間まで。

そんな畏怖しい『復讐の魔女』の所業が、ただ口から魔力を注ぎ込んで霊力を封じ込めて昏睡させるだけの、妖精のイタズラごっこで終わるはずがない。きっと、これから想像を絶するようなカタストロフィーが待ち受けているはず。それがどんなものなのかは、現代っ子の魔女である私には正直検討もつかない。しかしいずれにしろ、能力の大部分を封じられたいまの私の手には余り過ぎる相手だ。

 かといって、正直に鬼姫たち魔法少女やここにいるアリスたち聖女陣営に打ち明けたりしたら、ほぼ間違いなく聖女騎士団の出番となる。そのなかには狂信者といってもいいほど過激に先鋭化した聖女や聖少女もおり、彼女たちが出張れば結果として新たな魔女狩りの惨禍を引き起こしかねず、そうした行為が新たな憎悪を生み、新たな『復讐の魔女』を出現させるという負のジレンマだのスパイラルだのに陥りかねない。

 どうしたものか。うむむ。

「ごめんね、ほのちゃん」

「ん?どうしたの?」

 いつの間にかシャワーのお湯を止めてしょんぼりモードのアリス。

 珍しい。けど可愛い。

「ボクのわがままで迷惑ばかりかけて。怒った?」

「へ?あ、いや、いま考えていたのはそうじゃなくて」

 そんな怒っているように見えるほど、私の考えこむ顔って怖いんだろうか?

 ちょっとショック。

「ごめんね。でもどうしてもあさってのコンサートはやりたいんだ」

 そういって再びシャワーを流し、私の肩についた泡を洗い流してくれる。

「ボクの最後のコンサートだから」

「最後?」

「明日でボクは『聖域の歌姫』をやめて、普通の女の子に戻るんだよ」

 芸能ジャーナルとかで喋ったら億単位の金が動きそうな超弩級の特大ネタを学内対抗合唱コンクールの出場を辞退するようなノリで、あっけらかんと話すアリス。

「やめるって。なんでまた」

「サンフランシスコの学校に留学するんだよ。そこで苦手な英語をみっちり勉強してくるんだ」

「いやいやいや。英語なら駅前留学でもすれば」

 まさかイギリス滞在中ハローだけで済ませた鬼畜こけしに影響されてとかじゃないよね?

 そんな疑念を抱いていると、急にじっと探る目で私を覗きこんでくる。

 ていうか、近い。近いですよアリスさん。

「ねえ、ほのちゃん」

「な、なに?」

「……もしも、だよ?もしも、大切なひとがいて、ずっとずぅっと待ち続けていたんだけどついに待ちきれなくなっちゃって、あきらめて普通の女の子に戻るっていったら、どう思う」

「ど、どう思うって」

 話が突然すぎてよくわからない。

 とりあえず、その上目遣いで話しかけてくるの禁止。反則すぎる。

「……お姉ちゃんがいたんだよ」

「?そりゃあアリスにはマリアって立派なお姉さんが」

「ちがうよ」

 毅然とした声。

「マリアお姉ちゃんのほかにもうひとり、アンヌお姉ちゃん。双子のお姉ちゃんだったんだ」

「え、そうだったの?」

「うん」

 初めて聞いた。

 そういえば、さっき写真立ての写真に写っていた赤髪の女の子。あれがそのアンヌお姉ちゃんだったりするのだろうか。わざわざ写真立てに入れるってことはそれだけ大切な、たとえば家族の写真だったりするものだし。

「小さい頃の話だからボクもよく覚えていないけど、ある日悪魔に憑かれたとかで、いなくなったんだって」

「いなくなった?」

「うん」

 OH……。

 思った以上にダーク&ヘビーな話で言葉が出ない。

「でもね。マリアお姉ちゃんがボクにいったんだ。『聖域の歌姫』になれば、きっといつの日か、アンヌお姉ちゃんは帰ってくるって」

 そういってシャワーのノズルをバトンパス。

 私は泡のついたノズルを持って、もっとふわふわな泡いっぱいのアリスの裸体をできるだけ目を逸らしつつ洗う。

「その言葉を信じてずっとがんばってきたんだよ。『聖域の歌姫』として、世界中を旅していろんな人に歌を唄って励まして祝福して喜びを分かち合って。そんな忙しいスケジュールで一年の半分以上を過ごして小学校を卒業したんだ。でも、中学の入学式でふと思った。ボクの人生これからもずっと、こうやってお姉ちゃんを探すためだけで終わってしまうんじゃないかって」

 しゅん、と目線を落として俯くアリス。

 迷子のような儚げな様子がたまらない。

「だから区切りをつけようと思ったんだ。今度のボクの13歳の誕生コンサートでお姉ちゃんに会えなかったら、引退しようって。マリアお姉ちゃんもそうしなさいっていってくれたし。だからこそ、明日のコンサートはお姉ちゃんに会える最後のチャンスだから、どうしてもやりたいんだ。たとえ、悪い魔女さんが妨害してきても」

 むん、と胸を張って意気込む。

 それに私は何と答えるべきか。

 そんなの決まっている。

「お姉さんに会えるといいね」

 なでなで。

「えへへ」

 すりすり。

 ごくごく普通の女の子同士の睦み合い。スキンシップ。

 さっきまでの男女混浴と見紛うばかりのドキドキモードが嘘のよう。

 あれ?

 よく見ると、アリスのおでこの生え際になにか――

「!ほのちゃんダメぇっ!」

「へ?」

 急に距離を取ろうとするアリス。

 運の悪いことに、アリスの足元はいま私たちが洗い流したばかりの泡混じりのお湯で溢れかえり、極めて滑りやすい状況にあった。つまり、ドタバタコメディお約束の展開が舌なめずりして以下略。

「あぶないアリス!」

「ひゃん!?」

 抱きっ。

 ふうっ。

 間一髪。

「大丈夫?」

「ふみゅ~。何度もごめんね、ほのちゃん」

「まったく。こんなんじゃ、アンヌお姉さんも会ったとき大変」


 がらっ。


「アリス様、お怪我はございませんか!?」

「仄香、大丈夫か!?」

 歌姫&魔女のお目付け役・鬼姫シスターズ登場。

 こんな瞬時に駆けつけるなんて、こいつら隠しカメラでも仕掛けているのか?

 そんな疑念を抱いて天井を見上げようとすると、私を見る彼女たちの瞳孔がみるみるうちによろしくない光を放ち始める。

「彦星、貴女の魔女がアリス様にいま何をされているのか伺いたいのですが?」

「その名を呼ぶな。だが奇遇だな。あたしもあの天然ジゴロが今度はどんなタラシネタ仕込んでいるのかじっくり尋問しようと思っていたところだ」

 じり、じり。

 ちょ、なんで二人ともそんな犯人を追い詰めるような動きで近づいてくるのさ。

 私はただ、泡で転んで頭ぶつけそうになったアリスを咄嗟にかばって、抱きかかえているだけで――あ。

「それで、いつまでその生まれたままのお姿で不埒な体勢をキープされるおつもりでしょうか、『西方の魔女』様?」

 ひゅいん。

「とりあえず、いままで心配させてくれた分も込みで、鬱憤晴ら――もとい、教育的指導してやるわ。てめえの体でな」

 ちゃきん。

 いつの間にか完全武装で私の前方を塞いでいる聖少女&魔法少女。

 こいつら、私はともかくアリスまで巻き込む気か――?

 って、アリス?

 ふと見るとすでにアリスは入り口付近に聖少女十字軍らしき少女たちに手を取って連れられていた。


「さ、歌姫様はこちらへ。ここは危のうございます」

「でも、ほのちゃんは?」

「ご心配なく。魔女様は歌姫様をお守りするためちょっと稽古をつけてもらうそうです。ささ、どうぞこちらへ」

「そっか。ほのちゃん、ガンバだよ♪」

 ぴしゃん(扉の閉ざされる音)。


「「……さて、始めるか(ましょうか)」」

 いやあああああああああああああっっ!?

 私の断末魔の絶叫は防音設備である浴室から1デシベルたりとも漏れることなく、日付が変わるまで続くのであった――。


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