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第十三章 恋心仄香は***がお好き?

 体が熱い。

 こんな気持で全力疾走するなんて初めて。

 もう、なにも怖くない。

 死亡フラグに対し死亡フラグで相殺するという発想は正しいのか間違っているのか。

 大規模火災を爆破による爆風で消火するという発想もあることだし、間違ってはいないだろう。多分。

 そんな益体もないことを頭のなかで思い浮かべている一方、この上なく体が熱いというのもまた事実だった。風邪などに罹患すると細菌だかウイルスの侵入によってそれに体が抵抗するため免疫力が働くことで発熱するというけど、そんなレベルじゃない熱さ。たとえて言うなら、体の深奥からマグマが噴き出して体中に溶岩が染み渡るかのような、まるで全身の古い全組織全細胞が灼熱でまっさらに薙ぎ払われた後に新たな細胞が生まれ変わるかのような、そんな感覚。

 それはさっき飲み込んだ赤いキャンディーのもたらしたもの。

 世界史をも書き換えかねないオーパーツ級のアイテムが、一人の魔女の体内に取り込まれたらどんな超作用が生まれるのか。

 魔女の新生。

 否。

 魔女の復活。

 こうやって走っている最中の視線の高さから見える光景が、さっきまでの小学生目線から見えるそれとは明らかに異なる。およそ五年前、北欧系の金髪美人こと恋心仄香・大人バージョンだった頃の記憶にある光景と同じ目線の高さ。しかし、走ることで風に棚引く自慢の髪の色は、もはや見覚えのある流れる砂金のような美しさとはまったく異なった、『私』という起源オリジナルのものだ。橙色の光を浴びての見間違いとか、そういうものではなく。多分、鏡の前に立てば自分が何者であったか判然とするだろう。もっとも、そんな確認作業をしなくても私の原初の記憶は霧が晴れたかのようにクリアになりつつある。私が『私』であったころに戻りつつある。

 なぜ私は一億七千万十七年もの不死の時間を生き永らえた魔女であったのか。

 なぜ私は聖鳳院アリスと初めて会ったときにあの気持を味わったのか。

 なぜ私はここでアリスを捜して全力疾走しているのか。

 それらすべての答はあそこにある。

 魔法を使わず自分の脚と頭で。

 私は正解へとたどり着く。




「あ、アリス」

「……………………」

 夕焼けに染まった、小さな女の子の背中。

 そこは名前も知らない小さな公園。

 私にとっては、鬼姫とアリスの束の間の逢瀬を楽しんだ思い出の場所。

 そして、アリスにとってはアンヌ姉さんと最後に別れた思い出の場所。

 そんな彼女は私に一瞥すら与えることなく、ブランコの置物と化している。

 らしくない。

 昨日までなら私の声を聞くなり、とびっきりの笑顔で、

「あ、ほのちゃんだ~」

 と駆け寄ってくるはずの元気いっぱいのボクっ子少女は、外界と見えない壁でもあるかのようにぽつん、と隔絶していた。

 心の無いお人形。

 瞳に光の無い少女。

 それこそが聖鳳院アリス本来の在り方なのか。

 と。

 不意に彼女の口が動く。

「……『無心』は」

「え?」

「『無心』は無事?」

「え?う、うん。無事だよ」

「……そう」

 きぃっ。

 ゆっくりとブランコを漕ぎ始める。

「……私にはね、心が無いんだよ」

「え?」

「四年前だったかな。あの日、飼っていた猫が死んだんだ。物心ついた頃から家族同然に過ごしてきた猫の死に、両親もマリア姉さんも涙をいっぱい流して悲しんだ。でも」

 きぃっ。

「私一人だけ泣かなかった。泣けなかった。別に目や涙腺に異常がある訳じゃない。起きぬけとか寝不足のときとか普通にあくびして涙流しているし」

「…………」

「でも、あのときに泣くということがどうしてもできなかった。そもそもなぜそんなことをするのか、その意味がわからなかった。そして、泣くための起爆剤となる『悲しい』という感情の回路自体が私のなかには見つからなかった。私のどこを探してもそんな情動の湧き出るスイッチが見つからなかった。それはつまり、それらの大元となる心自体の機能が無い、ということ」

「アリス……」

「そんな自分に気づいた夜、私は心を掌る魔女の誘惑を受けた」

 きっ。

 足ブレーキをかけてブランコを止める。

 ブレーキ痕のように残るアリスの足跡。

 何万年か経てば、少女のこの足跡も恐竜の足跡みたいに旧種の化石として発掘されたりするのだろうか。

 そんなとりとめもない空想をよそに、彼女は続ける。

「彼女は言った、『君には心が無いわけじゃないよ、それに気づいていないだけだ。もし『僕』を受け入れてくれたら、君のなかで眠っている心の装置は情動の湧き出るスイッチや感情の流れる回路と共に問題なく起動する。『僕』のなかにある心を掌る魔女の魔法でね。そうすれば、そんな哲学者めいた懊悩に囚われる必要もなくなる』と。『君の心が起動しないのは君の持つ力があまりにも強大で、常時休眠状態を強いられているからだ。でも安心するといい。この『僕』を受け入れてくれたら天涯孤独なぼっちキャラから天真爛漫なボクっ娘キャラとして、人々から広く愛されるキャラクターとして君は生まれ変わることができる』とも。そしてこう続けた」

 虚ろな目が虚ろな空を見つめたまま、言う。

「『君は姉と同じ運命を歩まなくてもいいんだよ』と」

「……どういうこと?」

「前に言ったよね。アンヌ姉さんが悪魔に憑かれてこの世界からいなくなったって」

「……うん」

 嫌な予感。

「ごめん、あれ嘘」

「嘘?」

「悪魔じゃなくて、魔女なんだ」

「……魔女に憑かれたってこと?」

「ううん。姉さんが魔女だったってこと。正確には、彼女の持つ膨大な力が魔力に反転して最悪の魔女になる可能性を孕んだ、それほど危うい存在だったってこと。だから、その事態を懸念した世界意思によって拒絶されて、追放されたんだよ。それが、いなくなったってこと」

「…………」


「そして、私も結局同じ運命をたどることになる」


 そういって物憂げに耳元の髪一筋を撫で上げる。

 青とは異なった色彩。

 それはカリスマとか母性の象徴とか、聖なる聖女属性を表わす青色ではもはやなく。

「アリス、その髪は?」

「昨日までは生え際辺りで留まっていたけど、『魔女の契約』が途切れて一気に変色が進んだのかな。まあ、魔法が解けたらこうなるのはしょうがないよね」

 若き空手界の最終兵器が肉の削げ落ちた我が手を見つめるように、彼女もまた変色した己の髪を見つめながら自嘲気味に語る。

 聖なる聖女属性から反転した魔なる魔女属性への、赤色への変貌。

 燃えるような赤。

 魔女が燃えれば後には灰が残るのみ。

 灰は灰に、塵は塵に。

 そこに一陣の風が舞い降りれば、何の跡形も泡沫も無く、誰の記憶にも記録にも残らず。

 ただ一切は消え去るのみ。

 そんな残酷な世界の真理が、不意に少女の背中を透かしてしまう。

 少女の煤けてなどいないまっさらな背中を透過して、私の視界一面に、夕日の残光が降り注ぐ。

「あ、アリス!?」

「もう、時間かな?もうちょっと、留まっていられるかと思ったけど」

 当人も自覚しているのか、虚ろな目ながら存在感が限りなく希薄化していく己と己が手を見つめている。

 と、そこに。


 にゃー。


 泣きたいほど場違いなほど愛らしい声。

 昨夜、アリスの手から逃げた猫だろう。

 今日はご機嫌なのか構って欲しいモードなのか。

 消えゆく少女の足元に躊躇無く擦り寄ってきた。

「……ごめんね。今の私はもう、君のことを撫でられないと思うんだ」

 そういって、背後で立ち尽くしたままの私を振り返りもせずに、

「悪いけど、私の代わりにこの子のことを撫でてあげて。多分、アンヌ姉さんと会えないまま消えてしまうこの私を憐れんだ、この世界で最後のプレゼントだから」

 うなだれたまま、背中をぴくっ、としゃくりあげるように震わせる。

 この子は泣いているのか。

 泣いているところを見られたくないのか。

「でも」

 嗚咽するのを堪えるように、代わりにぽつりと一言。

「姉さんに一目でいいから、会いたかったな」



「じゃあ、会わせてあげるよ」



「え?」

 ぎゅっ。

「え?え?」

 途惑う声に構わず私は彼女を抱きしめる。

 本来なら消滅しているはずの彼女の身体を。

「もっとこっちを見てほしいな」

「え?え?え?」

 よほど大事なことなのか三回連呼した後、ようやく少女の虚ろな瞳に光が灯る。

 そこに映ったのは、一億七千万年振りの再会に感極まって熱烈な抱擁を抑えきれないで頬を真っ赤に紅潮させた真っ赤な魔女。それは金髪ツインテールの女の子でなく、金髪キャリアウーマンでもなく、聖鳳院マリアと聖鳳院アリスと血を分かち合った、それでいて真っ青な箇所など微塵も無い、真っ赤な魔女。



 聖鳳院アンヌ。



 『私』という魔女。

「お、お姉ちゃん……」

「ごめんね、アリス。遅れちゃって」

「ほ、本当だよ……。いままでどうして……ひぐっ」

 ついに堪え切れずに、しゃくり上げる泣き声が身体年齢相応で幼くも愛らしい。

「ごめんね、ちょっと道が混んでいて」

「そ、そんなどこかのダンディな刑事さんみたいな言い訳したって、うぐっ、誤魔化されないんだから……!」

「ごめんごめん」

 そう。

 今ならわかる。

 私はこの子をこの世界に引き留めるために、いままで生き永らえてきたんだ。

 とっくの昔に世界から退場してもおかしくなかったのに。

 この笑顔を見たいためだけに。

 いままでずっと。

「お姉ちゃん。これからはずっと一緒だよね?」

「おもちのロン!アリスが嫌って言わない限り、私はずっとここにいるよ?」

「ぼ、ボクいわないもん、そんなこと!」

「みゅふふ。それで安心したよ。もうちょっとこうしてていい?」

「うん!」

 元気いっぱいに応えるアリスに、罪悪感がちくりと痛む。

 ごめん、嘘。

 『無敵の魔女』は嘘がつけないかもしれないけど、私は場合によっては平気で嘘をつける。まして、大事な妹を守るためとあらばなおさらのこと。

 体を抱きしめて頭を撫で続けると同時に、赤く変色した髪を通じて魔力に反転した彼女の余計な力をこちら側に吸収する。アリスが元通りの青色の髪と無邪気さと存在感を取り戻すのと引き換えに、こちら側には許容し難い魔の澱が一気に溜まる。

 ぴきっ。

「くっ……」

「アンヌお姉ちゃん?」

「ご、ごめんね、私もうれしくてつい涙が出ちゃった」

「ふふっ、お姉ちゃんの泣き虫」

 泣き笑い合う姉妹。

 『私』の魂に、ほぼ致命傷となる大きな亀裂が入った。

 すでに一億七千万年という魔女の耐用年数をとっくに超過した活動時間、それに『私』という起源への強引な遡行及び復活、さらにアリスをこの世界へ留めておくために使った不条理を覆す力。

 そこに血の繋がった妹の強大な魔力を注ぎ込んだりしたら確実に、劣化した『私』に対するとどめの一撃となるだろう。

 ただ、後は消え去るのみ。

 だが、それでいい。

 だが、それがいい。

 アリスにとっては十一年ぶりの、私にとっては一億七千万十一年ぶりとなる姉妹同士の再会が果たせたのだ。対価としては妥当なものだろう。


 にゃー。


 物言いたげな猫が、私の足元へ擦り寄ってくる。

 ごめんね、私も君のことは撫でてあげられそうにないよ。

 でも安心して。

 私よりずっと優しいあの子が毎日うんと可愛がってあげるから。

 だから君も遠慮しないで、うんとあの子に甘えてあげて。

 私がいなくなっても、君があの子のことを慰めてくれますように。

 私のいなくなったココロのスキマを埋めてくれますように。

 そんなささやかな願いごとを願いつつ、最後のアリスの魔力の欠片を掬い上げようと私の唇は彼女のおでこに、母親がおはようのキスをするように近づいて――。



「そこまでだ」



 え?

 思いもよらない声に制され、私たちはその声の主を見る。

 猫。

 にやり、と嗤ったそれは瞬時に正体を現す。

 『無敵の魔女』。

 夢で出会った自律型インターフェイスでもなければ『復讐の魔女』を呑み込んだ能力でもない。

 まぎれもない本体。

 まぎれもない正体。

 それは、私が誰よりも見慣れた顔で。

 それは、私が誰よりも見たくない顔で。

 封印したはずのお前がなんでここに?

 そんな疑問にヒントすら与えるつもりもないのか、彼女は芝居がかった台詞で私に拍手を贈る。

「まずは惜しみない賞賛を贈りたい。僕が仕掛けたこととはいえ、数々のバッドエンド分岐点を回避してよくここまでたどり着いた。本当によくやってくれたよ」

 ぱちぱちぱち。

 夕日の公園に空しく響き渡る拍手音。

「だけど、だ。このまま物語を進めてしまうと、恋心仄香という稀有なキャラクターはここで脱落してしまう。演出家としても脚本家としても一読者としても、それはあまりに惜しい展開だ。だから」

 すっ、と指を構えて。

「この世界、少しだけ修正させてもらうよ」

「ちょっと待ってよ!そんな勝手に」

「君の意見は聞いてない」

 そういって、なぜか聖鳳院アリスのほうに振り向く。

 それは懐かしむような、慈しむようなまなざしで。

 何かを伝える。

「……わかったよ、『僕』」

「アリス!」

 私の叫びにアリスはぎゅっ、と背中を抱きしめる腕に力をこめる。

「ごめんね、アンヌお姉ちゃん。ううん、ほのちゃん」

 そういって、上目遣いで訴える。

「ボクもほのちゃんともっと一緒にいたい。だから、『僕』の言うとおりにしてあげて」

「アリス……」

「ボクの代わりにほのちゃんが消えちゃうなんて、そんなの絶対に嫌だから。耐えられないから」

「……っ」

 懇願するアリスから目が離せない。



 ぱちん。



 それを狙ったかのように、魔女のフィンガースナップが容赦なく響き渡る。

 夕日の逆光から外れて一瞬私と目が合わさった魔女の素顔、それは私同様どこまでも真っ赤な装いに染め抜かれてはいたものの、まぎれもなく私の見慣れたものだった――。


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