第十二章 恋心仄香は決闘がお好き❤❤
「「「「「…………っっっ」」」」」
凄まじい音響と振動で顔が引き攣る。
泣きそうになるも涙が零れるのを許さないのは、絶対的な死の恐怖。
それを薄紙一枚ですべて弾き返しているのは、同世代の少女たちより少しだけ背が高く、少しだけ体力があって、少しだけ魔法が使えるだけの、愛と勇気をあわせもった女の子。
鬼姫彦星。
なにか。
なにか、私にできることは。
人の身である魔法少女に頼られっ放しでなく、人の身を外れた魔女にだからこそできるなにかはないのか。
彼女を隔てて十メートルほど離れて見える魔女の手には、絶対服従の『魔女の契約』がある。あれがある限り、そして魔女の血が私に流れている限り、こちらに取れる策はない。
「くっ……」
再び胸を押さえてしまう。
と、そこに覚えのある感触が。
「キャンディー?」
夢のなかであいつが渡した赤いキャンディー。
そういえば、内ポケットに入れておいたんだっけ。
どうしようもないピンチに陥った時、これを使えとあいつは言った。
使いどころを間違えたらその効力を発揮しない、とも。
もしかして、今こそがそのピンチの時とやらでは。
そのピンチの原因を作ったのが他ならぬあいつであることに、言いようのない不安はあるけど。
でも、あの魔女はその性質上、嘘はつかない。
そうと決まったら、この切り札を。
いつ使うの?
今でしょ!
気合一閃、辛うじて動く手で内ポケットから赤いキャンディーを取り出し、そのまま口に放り込む――。
「ストップですよ~」
――と、その寸前で私の手首を掴む白魚。
「な、なんで止めるの?」
「そりゃ止めますよ~?ワタシの推理から外れた行動取られちゃうと、取り返しのつかないことになっちゃいますよ~?」
「だ、だけど今こいつを使わないとそれこそ取り返しがつかないことに」
「……そうあいつに教わったのですか~?」
「ふぇっ?で、でも嘘はついてないみたいだし……」
まるで浮気を詰るような白魚のジト目線に、私は言い訳をする駄目亭主のようにたじろぐ。そこに、不意に目を潤ませてとどめの一言。
「仄香ちゃんはワタシとあいつ、どっちを信じるのですか~?」
ずっきゅん。
私は何も言えずにキャンディーをそのまま手に握り締める。
きゅっ。
白魚は何も言わずにキャンディーを握り締めた私の手を握り締める。
「それでこそ仄香ちゃんですよ~」
ずっきゅん(二度目)。
女の子ってずっこい。
女の子ってあざとい。
あまりのあざとさに鼻から何かが出そうになった、まさにその瞬間――。
ずざざああ―――っ!
「鬼姫っ!?」
「……ったく、ひとが死線潜り抜けている最中に後ろでイチャラブこいてんじゃねーよ。一つ撃ち損ねたじゃねーか」
私たちに割り込むように倒れ込んできながらも、軽い口調でぼやき返す銀髪のっぽ。
しかし、そんな軽い口調とは裏腹に彼女の状態はガチ深刻だった。あばら、手首、足首、肘、膝、等々、満身創痍という形容がぴったりの、レッドゾーンぎりぎり状態。
血と汗混じりの荒い呼吸。
そんな手負いの獲物に、ゆっくりととどめを刺しに近づいてくる死刑執行人の影。
『無敵の魔女』の能力。
紫髪の手品師のガワを被った彼女は、不敵にも称賛の言葉を贈る。
「一分弱、といったところかな?他の魔法少女が一発退場したのを思えばよく善戦したと思うよ、おめでとう♪まあ、でも」
そういってぺろり、と嗜虐の笑み。
「結果は同じだけどね♪」
ゆらり。
まるで死神の鎌のような影の揺らぎが、兇悪な死の閃光を解き放つ。
かち、かち、かち。
後輩二人組の少女が恐怖の余り、歯の根が合わぬような音を掻き鳴らす。
一方、鬼姫と白魚は平静に影の動きを見据える。
瞬き一つせずに。
まるで、何かを待っているような……?
私と同じ疑念を抱いたのだろう、少し慎重に彼女たちに近づく魔女。
「もしかして、プランBでも練っているのかな?残念ながらそれを見過ごすほど『僕』は甘くないよ、とっとと刑を執行して」
「あなたは本当に嘘がつけないんですね~」
「?」
「あらゆる魔女の頂点に立つ『無敵の魔女』、でもその万能性の代償として唯一不可能なのが、嘘をつくことができない。もっとも、嘘がつけないだけで、自分の台詞を利用したミスリーディングとか、外道三昧な行為そのものとかにはいささかの支障もないようですが~?」
「……なにが言いたいのかな?」
「私たち魔法少女はちがうのですよ~。人にもよりますが外道三昧に耽るには良心からかなりの抵抗感がありますし~、また~」
ちらっ。
「人である以上、必要とあらば嘘をつくこともできるのですよ~?」
「!?」
焦る魔女。
それに愉快そうに追い討ちをかけるのは傷だらけの銀髪貴公子。
「この女狐が素直に切り札発動までの所要時間を吐くタマかよ。『三分間待ってやる』って台詞は、『二分しか待たねえよバーカ』って意味なんだぜ?」
「む~、ワタシそんな姫ちゃんみたいに口悪くないですよ~」
「姫ちゃんいうな」
そんな夫婦漫才も耳に入らない様子で慌てて背後の影の手を振りかざそうとするも、時すでに熟せり。切り札が彼女の肩を掴む。
「なっ……」
「貴方との契約を解除します、『無敵の魔女』」
それは初めて聞く静謐な声。
それは初めて仮面とローブを外した素顔。
それはまさに純和風美少女といった趣き。
「なんで、君がここに……?」
「そして、当該契約に関連して彼女たちとの『魔女の契約』も、専有的解除権を有するこの私の手で解除させていただきます、『無敵の魔女』」
『東方の魔女』こと無心残心。
『復讐の魔女』と化して『無敵の魔女』の能力の渦に飲み込まれ、物言わぬ人形と化していたはずの彼女は、その無いはずの意思を眦を決し怜悧な声を響かせることで決然と魔女に示すと。
びり。
びり。
魔女の手にあったはずの二枚の用紙が彼女の手に奪われたと思う間もなくあっさり破り捨てられ、同時に私たち二人の魔女の自由が発動する。
すかさず『無敵の魔女』に対し構える私たち。
しかし、当の魔女は私たちなど一瞥だにせず、無心残心のほうへ見入っていた。
もはや歓喜といってもいい震える感情を隠そうともせず、訊ねる。
「質問してもいいかな?」
「手短にお願いするわ」
黒髪をふわりとたなびかせて興味無さげに返す無心。
「なぜ君がここに?『僕』の魔力のなかでどろどろに熔けて、というか『僕』のなかに引き寄せた時点で君の本体はただの木偶の坊、ただの入れ物に過ぎない『無心』と化したはずでは?」
「私の名前をご存知ないのかしら?いくら私を『無心』にしたところで、その心の在った場所にはきっかけさえあれば再生可能な微量の残余が常にストックしてある。だから、『残心』。ゆえに『無心残心』――魔女であり、魔法でもある四文字――それが私よ」
「……なるほど。もう一ついいかな?」
「……手短に、と言ったはずだけど」
ふう、と気怠げにため息をつくと、こつ、こつ、とこちらへ接近し、
ぴとっ。
「…………」
なぜか私と寄り添うように立つ無心。
「さあ、早くしなさい」
「う、うん。だからといってなぜ契約を解除したのか、その理由がわからない。過去の魔女狩りを清算するために、君の心は『聖域』への復讐一色に塗り固められていたはずだ。その目的を遂行するためにもこの契約は解除せず続行すべきではないかと思うのだが、ちがうかな?」
「違わないわ。確かに『復讐の魔女』だったときの私なら、そうしたでしょうね」
「今はちがう、と?」
「言ったはずよ。『無心』はきっかけさえあれば新たな『残心』として生まれ変わる。その新たな心の性質や在り様はたとえ大まかには元の心と一致しても、完全に一致することはできない。どれだけ精巧なクローン人間を培養しても、個々の微細な差異が避けられないのと一緒。まして目覚めるきっかけとなったのが」
そこまでで台詞を区切ると、不意に私の小柄な体躯がひょい、と誰かの手で持ち上げられる。具体的には現役女子高生160センチくらいの和服のよく似合いそうな黒髪の美少女の手で――っておいい!?
「『西方の魔女』こと恋心仄香様直々のプロポーズ、よ」
「「「「はあああああっっ!?」」」」
無心残心が情熱的にお姫様抱っこを私にかますのを見るや、殺意の針が一気に一斉に私へと向けられる理不尽。
落ち着け、頼むから落ち着いて下さい。
敵は『無敵の魔女』であって私じゃないから。
『魔女の鉄槌』だの凶刀・血煙だの法儀式済み純銀製弾丸使用の拳銃だの私に突きつけても問題解決しないから。
そんな少女たちの殺意などまるで頓着せず、うっとりとした口調で無心は言う。
「『月がきれいですね』――嗚呼、なんて理知的にして情熱的な、教養溢れる斬新なプロポーズなのかしら❤そう、こんな愛の誓いを耳元で囁かれたからこそ私は身も心も捧げて蕩けて熔かされてしまい、『復讐の魔女』だったときの私の取るに足らない復讐心など遥か彼方へと捨て去ってしまった。そして、いま仄香様が『聖域の歌姫』を守る側の魔女である以上、それに付き従うのが伴侶としての務め。そうですよね?」
にっこり、と小悪魔めいた微笑を浮かべて、
「あ・な・た❤」
ちゅ。
「「「「きゅぴやぁぁぁ~~~~!!」」」」
もはや人語を解さない地球外生物の如き雄叫びを発する魔法少女たち。
バッド・ステータス こんらん。
もうどう収集をつければいいのか。
回復魔法もアイテムも持ち合わせていない私が頭を抱えると、「あはははは」まるで助け舟の合図のような快活な笑い声。
何事、と声の主を見ると、
「降参だよ」
えっ。
思いもよらぬ返事に、見ると観客にタネを見破られた手品師のように戯けた降参のポーズを取る魔女の姿が。
「降参って」
「言ったとおりだよ♪契約した当人が解除を行った以上、こちらも復讐代行の大義名分が消滅してしまったのだから、これ以上君たちを蹂躙する理由もない。このままおとなしくおうちにでも帰るさ♪」
「……っ」
それでも彼女の一挙手一投足を用心深く警戒する私に、彼女は悪戯っぽく笑う。
「まったく、『僕』の本体を封印したというからどんな魔女かと思えば、こんな幼いなりでハーレム王国を築き上げて、挙句の果てにこちらの切り札まで取り込んでしまうのだから、恐ろしい魔女だね♪」
そういってフィンガースナップをすると、地球最後の日のような悪夢の如き夜空を一瞬で元の女王アリの内装風景へと戻す。
いやいやいや。
誤解、それ全部誤解ですから。
今回も前回もほとんど偶然と偶然が遭遇した、奇跡のような星の巡り合わせの結果に過ぎないですから。
そんな心の内を読み取ったかのように、シルクハットを目深に被り直して帰り支度をしながら魔女は語る。
「言っておくけど、運も実力のうちってね♪それもこうも連続で運を手繰り寄せられるのなら、それはもう間違いなく君の実力だよ♪」
「そ、それはどうも」
「なに下手に出てやがんだよ、てめえは」
ぼこっ。
「あう」
「てめえ、ここまでやらかしといて、五体満足で帰れるとでも思ってんのかよ?」
そういう当人こそほぼ五体不満足の状態なのに、私に拳骨を喰らわすや気合だけで無理やり体を起こし『魔女の鉄槌』を構える鬼姫。その様子をまるでチビた使用済み鉛筆でも見るような憐憫の目で一瞥すると、
「満足も何も『僕』はあの魔女の能力に過ぎないからね。ミッションが終了したら本体の封印場所へ帰るだけさ。それよりいいのかい?」
「あん?」
訝しげに鬼姫が問い返すと、
「仄香さん、姫ちゃん」
「姫ちゃんいうな、どうし――」
泣き声のような黄泉の呼びかけに鬼姫が振り返り、ようやく異変に気づく。
アリスがいない。
さっきまで、黄泉と白魚が客席に寝かしつけておいたはずの少女は、綺麗さっぱりいなくなっていた。
『魔女の目』で女王アリをアリ一匹見逃すことなく全領域捜索。
いない。
いない。
いない。
どこにも。
「てめえ、アリスをどうした?」
火を吐く寸前のドラゴンのような形相で、躊躇なく魔女の胸元を締め上げる。
「『僕』はどうもしてないよ」
「それじゃあ、この状況は一体」
「『復讐の魔女』を内包した『僕』を彼女から追い出した上、『魔女の契約』まで解除したらこうなるのは当然だろう」
「あん?どういうことだよ、おい」
「本来なら聖鳳院アリスという少女はこの世界からとっくの昔に消えていた、ということよ。それを私とあいつが第三の『魔女の契約』の契約者とすることで、その強制力を無効化していたの」
クールな口調ながらも私へのお姫様抱っこを止める気配がない『東方の魔女』が割って入る。そして、解説キャラの口調で続ける。
「彼女の有する力はこの世界が許容するにはあまりにも危険すぎるし、制御するにはあまりにも膨大すぎる。『聖域の歌姫』にまつわる数々の伝説エピソードを見れば、一目瞭然でしょう。彼女の力は世界の理すら容易く捻じ曲げてしまいかねない。ゆえに、この世界意思は彼女に『聖女』という手駒に落とし込んで従属させるというリスクを伴う方法でなく、この世界から追放するという最も安易で乱暴な方法を選び、不条理という運命で彼女にそれを押し付けようとした。それが強制力。それに対し」
「ひゃうっ!?」
むぎゅっ。
「「「「なっ!?」」」」
お姫様抱っこから赤ちゃん抱っこへという、予想の斜め上を行く変化。
「『魔女の契約』でアリスと世界との絆を人為的に密着させることで、ぎりぎりで消滅を回避してきたというわけ。こんな風にね❤」
「事情はわかったが、いい加減離れろやゴラァ!」
「拒否するわ」
ギャーギャー。
魔女魔法少女入り乱れてのカオス感たっぷりの修羅場。
それを尻目に一人の魔女の姿が掻き消えようとする。
「それでは『僕』はそろそろお暇しよう。なかなか楽しかったよ♪」
「てめえ、引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて一人だけさっさと帰るつもりかよ!?」
「あ、そうそう♪」
ぽん、といま思いついたという様子を装って手を打つ魔女。
「これはただの独り言だけど、『魔女の契約』が解除された少女が世界から消えるとしても、一時間くらいのロスタイムは残っているはずだよ♪でも、それは彼女の想いの強く残った特別な場所に限定されるだろう。いわゆる残留思念というやつだね。捜索するなら早めにするといい」
「「「「っ!!」」」」
一斉に沸き立つ場の空気。
しかし、せっかく芽生えかけた希望の芽を当人達の目の前で愉悦ゆえに踏み躙るのは、外道たる魔女の性。彼女はこう付け加えるのを忘れはしなかった。
「それと、彼女はもはや普通の人の目には視ることができない。いうなれば世界との結び目が外れかかった幽霊のような漠然とした存在だ。彼女の長年の友人やお傍でお仕えする聖少女たちはもちろんのこと、出会って二、三日程度の魔女や魔法少女では感知すらできないだろう。よほど彼女にとって、『縁の深い』相手でもない限り、ね♪」
上げて落とす、と呼ぶに相応しい魔女の所業。
まさに外道。
絶句する魔法少女たちの絶望顔を最後の駄賃代わりに愉しんだのか、すっきりつやつやした笑顔で別れを告げる。
「やれやれ、手品師にしてはタネを明かしすぎたかな?それでは君たちの健闘を祈るよ。アデュー♪」
すっ。
消えた。
「無心、降ろして」
「御意に」
すっ。
降ろした。
手にある赤いキャンディーを石川啄木にも負けない目力でじっと見る。
「……どうやらやるべきことがわかっているようですね、仄香ちゃん」
「うん。後はお願い」
「お任せですよ~」
白魚のいつも通りの間延びした返事を合図に、私は走る。
ゲート付近で負傷した北方ソード学園の魔法少女四名を無事回収した真酔先生とすれ違いざまアイコンタクトを交わす。後はお願いします。うむ。
そのまま一気に加速度をつけて夕刻の空の下に飛び出すと、手にした赤いキャンディーを舐めることも噛み砕くこともせず一気に嚥下した。




