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第十章 恋心仄香は夢の世界がお好き❤❤

 夢の世界というのはいつ来ても不思議なものだ。

 どこぞの愉悦魔女を肯定することになるのは癪だけど、事実なのだから仕方がない。そもそも古代から夢というものはもうひとつの現実としてその価値の一端を認められていたし、二十世紀に入ってからはラノベにもよく出てくるフロイト先生やユング老師など世界に名だたる研究者たちが夢の謎を解き明かそうと挑戦していったくらいだ。いかに現実の覚めた目線から見ると荒唐無稽で意味不明な事象が多々あるとはいえ、現実の世界とは異なる物差しが確かにある以上、それらを無視することなどできない。そうした雑多なものを引っ括めての夢本来の魅力なのだから。ゆえに、もう一度言おう。

 夢の世界というのはいつ来ても不思議なものだ、と。

 そんな私がいまいる夢の舞台は、壮大な宇宙空間。

 わーお。

 いつからここは魔法ファンタジーの世界からスペースオペラの世界へと早変わりしたのだろう。

 真下に青い惑星を見下ろしていて、BGMにはリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」が荘厳に鳴り響いていて、なのに私は宇宙服など防護服の類を一糸一切纏わずに、寝たときのパジャマ姿のままで宇宙遊泳なんぞしている。

 なんという荒唐無稽っぷり。

 ありえない。

 究極生命体に覚醒した柱の男ですら考えるのをやめたほどの極寒極限の宇宙空間で、一介の魔女でしかない私がパジャマ一枚で漂っているなんて。まあ、どこぞの塾長みたいに褌一丁で泳いだ挙句生身で大気圏突入するような規格外の例外もいるけどさ。

「ゆうべはおたのしみでしたね、仄香?」

 ああ、やはり出たか。

 無人の宇宙空間で気配を微塵も感じさせずに背後から登場とはさすがというべきかなんというか。

 『無敵の魔女』。

 今回はシルエットでなく、いくつかある本体バージョンのうちの一つでの登場。

 シルクハットを被せた紫色の髪を遊惰に靡かせてにんまりと私を見つめる、いかにもといったマジシャンの装い。なお、私が認識できるのは彼女の口元から下のみで、それより上の彼女の顔としての明確な全体構造の認識は何らかの魔法で阻害されている模様。なんかいやらしい。

「おたのしみって……いや、なんでもない」

 泥沼の深みに嵌りそうなので、回答保留。と、思わせておいて寝技の逆襲。

「私より、そっちこそおたのしみなんじゃないの?わざわざ妖しいライトノベル改竄してまで私たちにヒント与えてくれて、ご苦労なことで」

 しかし魔女さん、これを余裕のスルー。

「こちらも君たちという物語を最前列の特等席で愉しんでいる以上、これくらいの労力は出し惜しみする意味もないからね。TRPGであれば、GMによる初心者向けプレイのプレゼントといってもいいかな?」

「そんなオマケしてくれなくても、こっちには優秀な人材が揃っているんだから心配いらないと思うけど」

 事実、白魚はほとんど自力で真相にたどり着いていたし。

「ていうか、私が原因とか言ってたけど、結局自分が愉しみたいためだけにこんなこと始めたんじゃないの?『復讐の魔女』の覚悟がどうたらって言ってたけど、それももしかして私の危機感を煽るために言っただけじゃ」

「僕は嘘はつかない」

 私の煽りに、にっこりと笑って答える『無敵の魔女』。

「まず君が原因と言ったのは、本来無意識の遥か最下層に潜んでいるはずの僕が夢の世界を通じてとはいえ、こうして君と接触できているこの不測の事態についてだ。これは君の魔力不足とか体力低下とかいう表層的な問題ではなく、存在の核となる君の魂の劣化に伴うものだが」

 そういって再度、にっこりと笑ってみせる。

「まあ、これはたいした問題ではないから置いておくとして」

「まてまてまて」

 たいした問題だよ、由々しき問題だよ!具体的にはお昼ごはんを友達に買いに行かせたら焼きそばと焼きさばを間違って買って来ちゃったくらいに!

「私の魂ってそんなやばいことになってんの?」

 外見の年相応の震え声を出す私に、魔女は無情にも頷く。

「一億七千万飛んで十三年の時代を生き永らえた僕と共に、一億七千万飛んで十七歳の年齢を生き永らえた君だもの。その魂にかかる負荷だの腐食だの劣化だのは相当なもののはずだ。普通ならとっくの昔にこの世界から消え果ててもおかしくないのに、まだなんとか無事なところを見ると、僕同様この世界にやり残したことがあると見えるね」

「そりゃ、まあ」

 否定はしない。

 その記憶が定かでなくとも体が動いて魂に訴えかけてくるものがこの世界にまだある限り、私がこの世界から退場することはありえない。魔女の奇跡ってそういうもの。

「その心意気、実に素晴らしいと思うよ。エクセレントだ」

「そりゃどうも」

「その輝かしい生き様も明日には見納めかと思うと、感慨深いものがあるね」

「ちょっとまてい」

 なんなんだ。

 上げて落とすのが最近のブームなのか、この魔女は。

「明日には見納めって、どういうこと?」

「昨日にも言った通りだよ?君はあいつには勝てない。僕の能力を譲渡した『復讐の魔女』にはね」

「そ、そんなことわからないよ?私だって魔力がだいぶ回復したし、ほかの魔女や魔法少女のみんなと協力すれば」

「無駄だよ」

 そう冷たく言い放つと、シルクハットを取って丸い口を逆さにする。と、まるで手品のようになかから白い鳩が平和の象徴らしく能天気な鳴き声でご挨拶。くるっく~。

「君たちがどんなに群れて束ねて集まっても、所詮は鳩合の衆、もとい烏合の衆に過ぎない。規格外の『無敵の魔女』こと僕からその能力を譲渡された『復讐の魔女』には決して敵わないのさ。こんな風にね」

 そういうなり、逆さまのシルクハットから今度は猛禽類と呼ぶに相応しい面構えの巨大な鷹が登場するや、平和の象徴ぱっくんちょ。小骨も残さずご馳走様。そのまま食後の運動と言わんばかりに、真下の青い惑星に向かって大気圏突入。ずううん……という鈍い音と火山が噴火したらしき爆発音が遥か彼方から轟く。

 まあ夢だよね、うん。

「おわかりいただけたかな?いまの君たちと彼女との間にはこれくらいの、否、これ以上の決定的な魔力の格差が横たわっている。順当に行けば明日が君たち魔女と聖女と『聖域』の命日になるだろう」

「それで私たちにどうしろと?お祈り済ませておトイレ済ませて部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備でもしておけと?」

「まさか。僕がバッドエンド情報を開示するだけでPLをそのまま死地に特攻させるほど鬼畜なGMだと思うかい?」

「思う」

「……ふう、それはそれで傷つくものだが」

 その艶やかな吐息はなんだ、この変態淑女め。

「そう思うなら全員が笑って迎えられるハッピーエンドの道筋を示せばいいんじゃないかな?」

「ハッピーエンドは示すものではなく、作るものじゃないかな?」

「ぐぬぬぬ」

「くふふふ」

 ああ言えばこう言い、こう言えばああ言う。

 まったく口の減らない奴だ。

 なんていい返したものかとたいして豊富でないボキャブラリーの貯蔵庫をがさごそと漁っていると、

 ぽいっ。

 私のてのひらに何かが投げられた。

「赤いキャンディー?」

「とっておきのマジック・アイテムだよ。まったく、GMを脅して自分だけ最強キャラでハッピーエンド世界最速プレイに挑もうだなんて、鬼畜なPLだね」

 どの口が抜かすか。

 心の中で突っ込みを入れつつ、私はてのひらの楕円形の固形物にじっと見入っていた。

 否、魅入られていた。

 市販のキャンディに彼女の魔力を注入した、ただそれだけのものなのに。

 使いようによっては世界史をも初めから書き換えられるオーパーツ級の財宝。

どないせいと。

「使い方は簡単だよ。ただ飲み込めばいい」

「……舐めるんじゃないの?」

「君の味蕾がメシマズ細胞と化してもいいのなら」

「速攻で飲み込みます」

「賢明な判断だね。あと、これを君に譲渡するに当たって、二点ほど伝えたいことがある」

「……どうぞ」

「一点目。これは君が正真正銘の危機に陥った時にのみ、効果を発揮する切り札だということ。使いどころを間違えれば何の効果も齎さないから、注意して取り扱ってほしい」

「……わかった。もう一つは」

「ハッピーエンドとしての条件のハードルを上げさせてもらう。具体的には明日までにあの子を救わない限り、君たちもあの世界もまとめて命日をお迎えすることになる」

「ふぁっ!?」

「なにも驚くことはないだろう。僕の能力を譲渡する以上、最低でもこれくらい難易度を上げないと世界のパワーバランスが崩れるんだよ」

「で、でも……」

 世界の命日って。

 いつから私は世界の命運を背負う魔法少女になったんだ――ていうか魔女なんだから、むしろ世界の命運を脅かす側のはずなのに。

「そんなに不安がらずともいい。それは使いどころさえ間違えなければ、間違いなくハッピーエンドの最短ルートを齎す代物だ。あとは簡単さ」

 そう得意気に言うとシルクハットを被り直し、宇宙空間でありながら椅子に腰掛ける姿勢で膝を華麗に交差させてみせる。

「ラスボスである『復讐の魔女』を消し去って、苦しむお姫様を救い出す。ただそれだけの、誰にでもできるごくごく簡単な作業だ」

「ううん」

「うん?」

「私は『復讐の魔女』を消したりはしない」

 毅然とした態度で宣言する私。

 その反応は海千山千の魔女にとって、想定の範囲にあったものか否か。

 その胸中を微塵も露わにすることなく、彼女は悠然と訊き返す。

「ほう?消さずにどうすると?」

「止めるだけだよ。簡単でしょ?」

「言葉にするだけなら簡単さ。けど、それを実行に移すのは別次元の問題だと思うね。『復讐の魔女』を相手に、君のか弱い身体でどう立ち向かうと?」

「止めるよ」

 二度目。

 子犬を救うために躊躇なく高速新幹線を止めたテキサス超人のように言い切る。

 そんな私の宣言に、魔女は愉快そうにこう答える。

「好きにするがいい。ハッピーエンドの条件はあくまでもお姫様の救出であって、魔女の生死は判定に関与しない。ラスボスを倒そうが倒すまいが、改心させようがさせまいが、君の自由だ」

「そいつはどうも」

「……君は本当に変わらないね」

「ん?」

「僕が惑星の深淵に封印された時の話さ。君がその気なら、あのまま僕を髪一本も爪一枚も残すことなく因果の糸ごと断ち切ることも可能だったろうし、事実そうすべきだったはずだ。少なくとも僕が君の立場だったらそうしたさ」

「…………」

「だが、君はそうしなかった。なぜだ?」

 そんなこと。

 当たり前のことすぎて、脳が台詞を思いつくより先に口と舌が自然と衝いて回る。

「可愛い女の子 (それ)を消すなんてとんでもない!」

「微妙にネタを絡ませつつ概ね予想通りの回答をありがとう。その上で訊こう」

 そういって、交差させた脚を解く。

「僕は君と出会うまで全世界で数え切れぬほどの少女を、出会ってからはさらに数え切れぬほどの少女を消し去ってきた。可憐に咲き誇る数多の花々を可愛いインクの染み程度にしか認識できない僕は、彼女たちを容赦なく呵責なく根こそぎ千切り引き裂いてきた。目障りだったから、たったそれだけの理由で」

「……っ」

 奥歯をぎりっ、と噛み締める。

 猛烈な勢いで胃液が咽喉からせり上がって来る。

 が、辛うじて我慢。

「そんな僕を君はやはり『可愛い女の子だから』というたったそれだけの理由で寛大にも消し去ることなく封印に留めておいた。結果、その無用な寛大さで生き延びた僕は『復讐の魔女』という新たな厄災が生み出し、僕と同じく再び無垢な花束たちを無残にも手折ろうとしている。何の躊躇も呵責も良心もなしにね。彼女もまたその因果の糸を断ち切らない限りその手の愉悦、純粋悪の種子を世界中にばら撒き続ける最悪の魔女として無限の怨嗟を蹂躙しながら無限の迷宮を彷徨い続けることになるだろう。そこまでを前提とした上で、再度訊こう」

 再び魔女の脚が華麗に交差する。

「君は『復讐の魔女』をどうするんだい?」

「止めるよ」

 三度目。

 それは私にとっての最適解、というより固定解。

 幾度問答を繰り返したところで違えることはない最終回答。

 たとえ相手が最悪の魔女であっても。

「ブレないね」

「そっちほどじゃないよ」

 再度脚の交差を解いた『無敵の魔女』に対し、余裕ぶってふん、と鼻を鳴らす『西方の魔女』。

 正直、胃がいっぱいいっぱい。鼻と口からストレスがだだ漏れしちゃいそう。

 起きたら洗面台にダッシュ待ったなしかも。

 そんなことを考えていると、彼女は手品師というより道化師といった風情で手をぴら、とひろげてみせる。

「わかった。君がそこまで意思を固めている以上、これ以上の問答は無意味だね。健闘を祈るよ」

「そいつはどう……も?」

 目を見張る。

 『無敵の魔女』が珍しく子供っぽいポーズを真下の青い惑星に向けている。

 人差し指を親指と垂直に構えた――それは男子お馴染みの拳銃を撃つポーズ。

 彼女の銃口を示す指先には、バトル漫画でお馴染みの膨大なオーラだの闘気だのの類が周囲の空気――宇宙空間なのに――をも巻き込んで収束していった。

「もし、君が彼女を救うことなく終われば、その時は僕自らこの手でとどめを刺してあげることを約束するよ。こんな風にね」

 にっこり。

 そういって私のほうに振り向いた魔女の笑顔はまぎれもない、見覚えのあるあの子の笑顔――それが誰かを判別する前に、爆破してこちらに飛び込んできた青い惑星の欠片の数々が私の意思を跡形も無く破壊し尽したのは、幸いというべきか。それが判断できる頭脳を持ち合わせないまま、私の意識は新たな闇の現へと熔解していった――。



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