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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
神樹の森編3 嵐が去って
80/256

STEP

 

 

 Scene1



『いたか!?』『こっちにはいないぞ!』『よし、次だ!』『俺は向こうを!』


『…………』


『……くすくす。ふぅー、今日は危なかった』


 追っ手が完全に行ってしまったのを確かめると、少女はするすると木から下りた。


『もぉー、タイクツなの! お勉強とか魔法とか作法とかっ!』


 サラサラの銀髪と先の尖った長い耳。イタズラっぽい大きな目と、ニンマリ満足げな唇、そして褐色の肌。

 ダークエルフの少女は華美なワンピースの裾を摘まみ上げると、綺麗な足を大胆に晒して走り出した。


『最近はみんなすぐに追ってくるなー。気を付けなきゃ』


 少女は目印の木の下に来ると、秘密の穴を隠している板を取って穴に入っていった。抜け目なく板を戻すと、穴の中は真っ暗になった。


『ホーリーボール』


 少女が手を握って開くと、輝く魔力の球体が現れた。小さな光は手の平の上でふわふわと上下している。

 光に照らされて、真っ暗だった穴の中は奥へ続く道を呈した。


『ふふっ、秘密の場所~』


 大きな穴だ。少女が一人、歩くには十分の広さがある。壁面には樹の根が網のように張り付いており、崩れるのを防いでいる。


『今日も来ちゃったって言ったら、びっくりするだろうなぁ』


 天然の洞窟を進む足取りは軽い。ご機嫌な鼻歌を歌いながら少女は奥へと消えていった。


 ◇◇◇






 アルデバランの襲撃はフィルエルムに確かな爪痕を残していった。


 神樹は根本が深く抉れて傾き、いつ倒れてもおかしくない。生活区画に倒れられると壊滅的な被害を及ぼすだろう。

 また混乱を防ぐ意味で情報に制限がかけられ、アルデバランの襲撃を知る者は一部を除いていなかったが、それでも神樹が傾いた現実は隠すことなど不可能だ。

 いずれにせよ何らかの説明が求められるだろう。


 しかし今回の事件の真相を知る者の安堵感はひとしおだった。もちろん傾いた神樹やそれなりに出た死傷者のこともあり手放しに喜べはしなかったが、それでも大きな危機を回避した戦勝ムードが城内を満たしていたのも事実だ。



 未だ落ち着かない夕暮れ時。


「なんだか、思ってたのと違うです」


 ミュウは一人、部屋のベッドに仰向けになりながらポツリと呟いた。


「もっと静かなものかと思ってたです。みんなにただいまって言って、レンさんたちにはごめんなさいって言って、それからありがとう、またいつかって……はぁ」


 小さく開いた口から吐息が漏れる。


「きっと、言えなかったですね。楽しすぎたのです。普通なら叶わなかったはずの夢に浮かれて、ふわふわって気持ちよくて」


 寝返りをうった。


「まだこの匂いが、懐かしいはずなのに落ち着かないのです。戻らなきゃいけないのに、日常に」


 コンコンと、木製の扉を叩く音がした。ミュウが返事をする。


「はーい」

「ミュウ様、アーマングにございます」

「じーじですっ!?」


 ミュウが飛び起きて扉を開けると、美しさすら感じさせる立ち姿のアーマングがそこにいた。ミュウ専属の執事は腰を折って一礼すると、そのまま話しはじめた。


「ミュウ様。先ほどはこの老いぼれの命、救っ……」

「じーじっ!」

「……!」


 アーマングの言葉は抱きついてきたミュウに遮られた。


「よかった……! 本当に……!」

「ミュウ様。話は聞きました。今日と言う日ほど幸福な日はありません」

「うぅ、う……」

「さて、ミュウ様。私はご報告があってここに来ました」


 顔をうずめたままのミュウに、アーマングは告げた。


「セレナーゼ女王陛下が目を覚まされました」






「お母様っ!」

「ミュウ!」


 セレナーゼは慌ただしく飛び込んできた愛娘をきつく抱き締めた。


「あぁ、無事でよかった……! ミュウ、心配したんですよ……っ!」

「ごめんなさい! お母様っ、うぁああん!」


 泣きじゃくるミュウの銀髪を撫でながら、セレナーゼは胸がいっぱいになった。


 思えば、もうずっと会えていなかった気がする。

 いなくなってしばらくは探索に力を入れていたが、次に感じたのは冷たい虚無感、喪失感だった。そしてそれがもとで食事も喉を通らなくなり、体調を崩し病気になった。

 何度もこのまま死んでゆく夢を見た。


「おかえりなさい、ミュウ……」

「ただいま、なのです……」




 しばらくして、現場で後始末の指揮を執っていたフェイルも部屋に入ってきた。そして一時の間仕事も忘れてセレナーゼと感動を共有した。


「さて、それじゃあ話をしましょう。ミュウのこと、フェイルのこと、そしてフィルエルムのことを」


 落ち着いてきたところで、セレナーゼが切り出した。


「だいたいの予測はついています。ミュウが帰って来たタイミングで私の目が覚めた。治癒魔導でしょう? そして、治癒魔導が使えたということは私は病気ではなかった」

「凄い……さすがお母様だ」

「ここからはいくつかの推測がありますが、二人の話を聞くのが早いでしょう。ミュウ。あなたの話を聞かせてください」

「はい……っ」


 名前を呼ばれて、ミュウは緊張したように返事をした。セレナーゼはミュウに笑いかけると、優しくこう言った。


「緊張しなくていいのですよ。楽しみに聞かせてもらいます。あなたが見たこと、感じたこと、出会った人、行った場所……」

「……!」

「フェイル。椅子をここに持ってきてくれますか。一緒に聞きましょう、ミュウの冒険を」

「はい、お母様」

「お兄、ありがとです」




 ミュウは語った。

 自分が体験したことを順番に一つずつ。


 星空の夜、誘拐されたこと。

「それで、カキブのお城に連れていかれることになったのですよ」

「まぁ!」

「でも、ディーネブリさんは優しくて、頭がよくて、仲良くなったです」


 カキブでレンたちと出会ったこと。

「レンさんたちは本当に強くって、お城のみんなが敵なのに全部やっつけちゃったのです!」

「驚いたな、彼らがそんなことをしていたとは……」

「ミュウはどうしたのですか?」

「私も頑張ったです! 杖を見つけて、初めて本物の敵と戦って、でもやっぱりみんなより弱いなぁって……」


 カキブを脱出したこと。

「お勉強したのが役に立って、魔方陣を動かすことができたのです!」

「まぁ、すごいですね! きっとすごく複雑だったでしょうに」

「みんなが守ってくれてたから、集中できたのです。でもちょっと失敗しちゃって、転移したら高いところに行っちゃって怖かったのです」


 羊のひづめ亭で働いたこと。

「リリカさんがメイド服を気に入っちゃって、服買いに行ったときもひらひらした服ばっかり着せてくるのは困っちゃったのです。帰ってもひらひらした服しかないのに」

「あらあら。言ってくれればはすっきりした服も仕立てたのに」

「あとはあとはー、そう! ドートさんとミケノさんがすっごくいい人で」


 馬車で旅をしたこと。

「そしたら止まる度に飛び出して、体を動かすのです! 私も魔術の練習を手伝ってもらったり」

「魔術? どうしてわざわざ?」

「ダークエルフが弱いのは分かってるですけど……でもみんな強くてキラキラしてて、いいなーって憧れて」


 屍の洞窟で屍人に襲われたこと。

「ゴーレムが勝手に崩れて、床も崩れたと思ったら下が空間になってて、そこにソリューニャさんたちもいて」

「あの山の内部に洞窟があるとは、初耳だな。今度、調査隊を出そう」

「そうですね。一応調べておいた方がいいでしょう」


 ミュウは自分が見聞きしたことをありのまま話した。はじめは話しにくく感じていたが、話していくうちに段々と楽しくなっていった。


 そして、フィルエルムでのことはフェイルからも補足が入り、事件の全容をセレナーゼに伝えた。


「そしたら私も眠らされちゃって、目が覚めたら部屋にいて、じーじとも再会して」

「ここからは今回の騒ぎの話になるのですね」

「はい。それで、じーじはずっと一人で調べてたみたいで、実はホムラ……あ、ほんとの名前はミカゲ=イズモみたいですけど。それがアルデバランの仲間だったって教えてくれて」

「今までの襲撃もどうやら彼らの自演だったようです」

「なるほど、うまく騙されていたのですね」






「……なるほど、そういうことだったのですね。二人とも、よく頑張ってくれました。それで、レンさんやジンさんたちは今どうしているのですか?」

「寝てるです。四人とも戦いが終わるとすぐに眠ってしまったのです」

「一応、優先的に怪我の治療は行いました。現在はそれぞれの部屋に見張りをつけてあります」


 レンはミカゲを倒したあと、力を使い果たして気絶してしまった。ジンとリリカはシドウとの戦闘から眠ったままだ。ソリューニャもジンとシドウの戦いを見届けると気絶するように眠ってしまった。


 敵はほぼレンたちが倒したと言っていい。大陸で一番巨大な盗賊団を相手に驚異的な戦果である。

 ただし彼らにもまったく余裕などなかった。全力の全力で戦った結果がこれなのである。


「……それにしたって超人的な活躍です。彼らは人間の中でもかなり強いのでしょう。今もまだ信じられません」


 フェイルが言った。


「しかし、今回のことは本当に何と言えばいいのか……。全て僕の責任です……」

「お兄……」


 今回の事件の間接的な原因はフェイルである。

 リカルドを側に置いておくことを決めたのも、ミカゲたちの駐留を認めたのも、全てフェイルの判断だったからだ。


 しかし、それにはフェイルなりに国を案じた結果でもあることを、セレナーゼは知っている。


「顔を上げなさい、フェイル。私は知っていますよ。あなたが自分なりに国の行く末を考え、私がいないフィルエルムを支えてきたことを」




 最初のアルデバラン襲撃のとき、ミカゲたちの商隊に助けられたことを知ったフェイルは彼らの滞在をセレナーゼに頼んだ。


『お母様、相談があります』

『なんですか?』

『実は僕は……この国が生き残るためにはもっと外に向かって交流していくべきだと思っていました。今回のように人間が攻めてこないとも限らない。僕たちだけでは力が及ばない事態に陥らないとも限らない。そんなとき、頼れる仲間がいる……そしてそれは種族の垣根を超えて繋がるべきだと思うのです!』


 長く封鎖的な国だったフィルエルムは、変わるべきだとフェイルは主張した。


『そのためのテストケースとして、彼らの滞在を許可していただきたいのです。僕が将来、王位に就いたときのために。責任は全て僕が負います、だから……』

『……分かりました。では彼らをどうするのか、あなたに任せることにしましょう。フェイル』

『お母様……!』


 セレナーゼは微笑んだ。


『子供の成長とは、早いものですね。あなたが真摯に国のことを考えていることはよく分かりました。とても嬉しく思います』

『はい。ありがとうございます』

『私はあなたの理想に反対しません。やってみなさい』

『はいっ!』


 こうして、フェイルはミカゲたちの駐留を認め、親睦と知識を深めるためにリカルドを置き、人間との交流を図った。反対派の大臣や貴族たちもいたが、説得を続け、時にはセレナーゼの影からのサポートを受け、未来のために少しずつ国を変えていった。




「あなたが原因の一端なのは間違いありません。それだけは理解して受け止めるべきです。それが責任ということです」

「はい」


「ですがここであなたが諦めてしまえば、それは責任の放棄です。逃げてはなりません。今回の事件を民にどう説明するのか、全てあなたに任せます」

「はい」


「ですが、これだけは言わせてください。……よく、頑張りましたね」

「はい……っ!」


 結果としては今回のような事態を招いてしまったが、フェイルはうまくやっていた。女王不在のフィルエルムを保たせたのはフェイルなのだ。

 フェイルは自分が未熟であることを理解しており、人の手を借りることも厭わなかった。そうやって足りないものを補いながら、彼はここまで繋いできた。


 それについて、何一つ恥じることはない。セレナーゼは我が子が誇らしかった。




「さて、そろそろ遅いですからミュウは部屋に戻りなさい」

「あっ、もう外が真っ暗になってるです」

「ええ。おやすみなさい、ミュウ」

「お兄は?」

「フェイルとは少し難しい話がありますから」

「そうなのです? じゃあ、おやすみなさいなのです」


 ミュウが部屋を出て行くと、フェイルはセレナーゼに訊ねた。


「なぜミュウを?」

「あなたのためです。少し話しにくい話をしましょう」

「はぁ」


 ニコニコと軽い雰囲気だが、内容は軽くはなかった。


「あなたがミュウに引け目を感じていることについてです」

「!!」


 フェイルは胸を抉られるような衝撃を覚えた。

 セレナーゼは相変わらずにこやかである。


「確かにあの子はすごく優秀ですよね。魔道も学問も、覚えが早い。実戦も経験して、運よく生きています」

「あの、それは」

「でもね、私はあなたが劣っているとは思ったことは一度もない」

「え?」


 フェイルは驚いてセレナーゼを見た。


「あの子には足りないものがあります。人の感情を理解する能力と、自己主張です。そしてそれはあなたの長所でもある」

「……!」

「あの子は、国の未来を案じて意見を主張したりはしません。あなたの複雑な感情にも気づけていません」

「…………」


 セレナーゼは穏やかに続ける。


「ふふ、あなたが人間たちとの交流を増やすべきだと思ったのは、ミュウのためだったでしょう?」

「あ、え、お母様。それはその」

「あの子は昔から外に憧れていましたからね。優しいあなたはその夢を叶えてやろうとしていました」

「……はじめは、そうでした。でも今は本当に……!」

「分かっていますよ。あなたの理想は形にできるくらいしっかりと考えられています。それはとても素晴らしいと思います」


 昔の話である。あの頃はまだ妹は外に対する興味をおおっぴらにしていた。もちろん、兄に対しても。

 そしていつしか兄が自らの理想を持つきっかけになったのであった。


「今回、私の代わりに国を守り抜いてくれたことで確信しました。あなたには、政治の能力があります」

「いえ、今回は本当に、ミュウが彼らを連れ帰っていたからで、その偶然がなかったら……」

「それを素直に言えることもまた素質ですよ。でもまあ、その通りでしょうね。ミュウは戦場を経ても生き残る能力で、あなたは人を動かす能力で、この国を守ったと言えます。本当に誇らしい限りです」


 セレナーゼの惜しみ無い賛辞を受けて、フェイルが赤面する。こうして褒められることは初めてなのだ。


「少しだけ話がそれましたね。まあ私が言いたいことは、フェイルはフェイル、ミュウはミュウということです。フェイルには長所も短所もありますが、それはミュウとて同じことなのです」

「……はい」

「比べる必要はありません。私はあなたの努力を知っています。それを、忘れないでくださいね」

「分かりました、お母様」


 フェイルは少しすっきりとした表情で立ち上がった。


「そろそろ現場に戻ります。病み上がりですから、お母様も無理はしないでくださいね」

「ええ、おやすみなさい。忙しくなるでしょうけど、ほどほどにね」

「はい。あの……」


 部屋を出ようとしていたフェイルがふと足を止めた。


「ありがとうございました。少し……楽になった気がします」

「いいえ。母親らしいことができたなら、私は嬉しいです」


 フェイルは満たされた気持ちで扉を閉めたのだった。

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