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旅立ち、出航 2

 


 リリカが村を出ると知っている人は、レンとジンと修理班、そして村長だけであった。

 もしそのことが広まれば、みな必死に引き止めようとするのが目に見えているからである。


 今まで海に出て戻ってこれた者は一人としていない。


 その事実は重く、村人たちはリリカのそれを自殺行為と捉えるだろう。いや、生還者がいない以上まさに自殺である。

 心配、されるだろう。しかし決心を変えるつもりもない。だからリリカは、村人たちに黙って島を出るつもりでいた。






 怪鳥襲来から二週間後、船の修理が終わった。



 船は縦長の、真ん中あたりに大きな箱が積んであるような形状をしている。この箱の内部は不自由しないような生活空間になっており、三人で乗るにはやや贅沢である。

 しかしこれはこの島の技術水準からはオーバーテクノロジーと言っても差し支えなく、大工班は船が原形をとどめていたことに救われたようなものだ。だから、形は復元できても船としての機能は未知数である。

 一度は川に浮かべてみた。が、船は安定こそしたものの、流れに身を任せるだけという重大な欠陥が判明したのだった。


「……どうやって動かすんだ?」


 その問題は、村長が解決した。


「持って行け。これは魔導水晶といっての、吸収させた魔力を放出させることができるのじゃ。そしてこれには儂の魔導、高速機動の魔力がいっぱいに溜めてある。溜めてある魔力は放出時に魔導の効果を帯びるから、これを動力として使えばなかなかの速度がでるじゃろう」

「すげ! そんなもん船に使っていいのか!?」

「もちろんじゃ。餞別がわりに持ってゆくがいい」

「おぉ! ありがとばあさん!」

「太っ腹だな!」


 である。


 現在は約半世紀前(村長談)の村長の、高速機動の性質を持った魔力が溜められているのだとか。

 どうやら魔力を長年保存しておくことも可能らしい。


 そしてその他諸々船旅に必要なものを全て積み込み、出航の準備は整った。



 とうとう明日、島を出る。

 村人たちはレンとジンだけの出発だと思っているので、見送りには来ないであろう。

 来るとしても子供たちだろうが、彼らもリリカがいなくなることを知らない。


 本当なら村人全員にお礼とお別れをして、その上で笑顔で見送って貰いたかった。


 でも自分は、今までお世話になったみんなに何も言わずに別れを告げるのだ。

 島の外に行きたい。

 強い希望と言えば聞こえはいいが、強い私欲やわがままと何が違うのか。



 その夜。

 三人は村長宅で食事をとった。

 村人たちからレンとジンに敵意はないと理解されたため、この四人だけで食事をすることは簡単に許された。


 村長が昼間レンたちに何かを教えているのも大きい。

 いきなり村長が遠い人になった村人たちの驚きはひとしおだった。が、この島に様々な技術を持ち込んで、現在の生活を作り上げたのは他ならぬ村長である。納得の声も多かったという。




「……明日、じゃの」

「そーだな。今までいろいろありがとな、ばあさん」

「なーに、気にするな。儂の方こそ楽しませてもらったしの」


 話に花を咲かせる老若四人。

 この島で、四人で食べる最後の食事である。

 楽しいひとときが過ぎていった。



 やがて食事を終えた四人は、旬の果実をつついて食後の休憩をとっていた。


 そして一つの話題が終わった、一瞬の静寂。

 村長が唐突に話を始めた。


「儂は、ずいぶんと前にこの島に来た。これはいつか話したな?」

「はい、聞きました」

「覚えてっぞ」


 村長がこれから話すことが、今日三人を食事に誘った目的であった。


「どうやってここに来たと思う?」

「あ、それ気になってた」

「あたしも」

「どうやったんだ? ばあさん」


 そしてそれは、村長の過去に触れるものであり、この村の始まりでもあった。






 儂はな。兵士じゃった。驚いたか?

 儂が戦っておった相手は、同じ人間ではなった。魔族じゃ。


 だがの。一口に魔族といっても、いろいろおるようでの。

 あるとき人を殺すという魔族の討伐に向かったら、その魔族に笑顔で迎えられたことがある。実際は魔族を追い出して彼らの領地や、宝を奪いたいがための人間の嘘じゃった。


 儂はだんだん、考えることが増えた。なぜ人はこうも醜くなれるのか、と。そして今までに殺してきた魔族の中にも、実は無害な者もおったのではないのか、と。


 悩み抜いても。悩み抜いても。

 納得できる答えは得られなかった。

 答えが、はっきりとした形で欲しかった。


 そんなとき、大きな戦いがあった。

 魔族の上位に立つ、魔神将。その一角との戦いじゃ。儂にも命令が下った。大規模な奇襲をかけて、必ずや討伐せよ、とな。


 儂は先発隊の一部隊の隊長を任された。それでその作戦に、複雑な心境で望んだんじゃ。


 ……甘かったのぅ。いや、最初から決まった結末だったのかもしれん。

 面倒だ。そっちから仕掛けてくるなんて、よほど死にたがりなのか。

 だいたいそんなこと言っておったわ。奴はつまり、人類に積極的な敵意はなかったのじゃろう。


 奴が何かをした瞬間、隊は儂一人を残して消えた。

 一瞬の出来事じゃった。

 儂はしばらく茫然と立ち尽くしておった。目の前まで近づかれても、しばらくは気づけなかったほどじゃ。


 そして次の瞬間には、儂は見知らぬ海に落ちておった。

 周り一面陸地なし。見渡す限りの水平線。海は激流。儂は死を覚悟した。


 次に目を覚ましたとき、儂はこの島におった。なんでも浜辺に打ち上げられていたらしくての。

 そうそう。船が打ち上げられておったところじゃ。この島で唯一海流が流れ込む入り江じゃの。


 儂は助けられ、看病を受けた。

 村の者はみな、島の外から来た儂によくしてくれた。その頃はククルクスも来んかったでの。

 儂は久々に心が安らぐのを感じた。


 養生しながら、あるとき儂は驚くことに気づいた。

 この村には、魔導士も、魔術師も、魔法使いすら一人としておらんのじゃ。

 理由は分からん。だが、この島に魔法の技術がないのは確かじゃった。

 言葉が通じたあたり、大陸から何らかの方法で移住してきた者共の子孫なのかもしれんな。


 儂はここで、人本来の優しさ、美しさ、そして人間らしさを見た気がした。

 人間身の丈を超えた魔力ちからを持たぬと、このようになるのだ。


 それが儂がずっと見たかった答えなのかもしれん。


 儂はこの島を出ようと思わなくなった。

 そうやって月日は流れ、儂は大陸から持ち込んだ技術と文化を伝えて賢者などと呼ばれ、村長の座を任された。

 魔法を持ち込ませず、人のあるべき本来の姿を守る。そう決意した。


 おお、そうじゃ。リリカよ、おぬしの師匠も儂と同じ奴に飛ばされたんだと。奴は恐らく人をどこかへ飛ばす力を持っておる。無事向こうに行けたのなら、気を付けねばまたここに戻ってくることになるかもしれんぞ。




 村長は物忘れは目立たないところで増えているが、動き方も話し方もしっかりしている。

 一見元気な老人だがすで先も長くないことは誰の目にも明らかだ。

 それを分かっているからこそ。


「儂は、老い先短い老人じゃ。これから大陸に行く、お前たちに。儂の話を聞いてもらいたかったのじゃ」


 可能ならばリリカは、怪鳥が戻ってくる時に合わせてこの島に戻ってきたいと思っていた。

 何かあったときに村人たちを守れるのは自分しかいないからだ。

 だが、その時には。


「村長……。嫌だよ……そんなこと……」


 村長はいないかもしれない。


 リリカには、親がいない。

 村長は、リリカの親代わりとしてリリカを育ててきた。だからリリカにとって、村長は特別で大切なおやなのだ。


「っ……ぅぅっ………」

「今は、泣いてもよい」

「そ……ちょ………ひ…っぐ……」

「だから、旅立つときには、笑ってくれんかのぅ?」

「……ぅ……ぐ」


 村長にすがって、嗚咽をもらすリリカ。

 リリカを抱きしめて、優しくあやす村長。


 二人の姿は。

 血は繋がっていなくとも、目に見えぬもので繋がっているその姿は。

 確かに。親と子の、それだった。



 村長とリリカの最後の夜は、柔らかな月光が照らす絆の夜になった。

 レンとジンは静かに村長の家を後にした。






 そして、旅立ちの日。


 新しい朝は、眩しいほどの朝日と、うるさいほどの小鳥のさえずりで始まった。



「……ふあぁーーーーっ」


 レンは寝間着を雑に投げ捨てて、私服に着替える。

 この島に落ちてきたときに着ていたものだ。

 破れたパーカーもリリカが縫ってくれた。

 そして、隣で寝ているジンを叩き起こす。


「起きろーーーー!」

「っせーっ! でけー声出すなぁーーーー!」

「うるさーーい! 朝から迷惑でしょうが!」


 騒ぎ始めた二人に怒鳴り込んできたのは、リリカだ。

 目は赤いが、影は感じさせないその表情。

 ふっきれたようだ。


「さて。支度してさっさと出るわよ」

「おう! やっと帰れる!」

「ほらジンも!」

「う~~い……」







 船が停めてある岸。

 船が流れ着いた浜から少し離れたところにある岩場だ。

 海流は流れ込んでこないため、砂浜ではない。


 船は、激しい波にもまれて忙しく上下している。

 強い波に持っていかれないように、幾本もの太い綱で岩場に繋がれている。

 ここからまっすぐ進むと、太陽が沈む方角、大陸にたどり着く。



「おーい! おっさんたち!」

「おーーう! 来たかーー!」

「船は無事だぞーー!」


 岩場に座って焚き火を囲んでいた修理班の男たちが手を振る。

 彼らはこうして一晩中、船が流されないように見張っていたのだ。


「おー! ありがとな!」

「いつも言ってるだろうが。息子の命に比べりゃ安いもんだって!」

「そーだぜ? こんな面白れー仕事初めてやったぜ!」

「ちげぇーねぇや!」

「こんなデカい船本当に直せるとは思わなかったからな!」

「沈んだらわりーな!」

「ちょ、ちょっとそれは!」

「冗談だ! たぶん! ガハハ!」

「「「「ハハハハハハッ!!!!」」」」


 そうやって笑い合っていると、村長が森から出てきた。

 杖を握る手は細いものの、ここまで一人で歩いて来たのは驚きである。


「村長!? 誰かに連れてきて貰うんじゃ!?」

「おお、リリカ。そんな約束したかのう?」

「したよぉ! あぁ、やっぱり迎えに行けばよかった……」


 頭を押さえるリリカに、村長が声をかけた。


「リリカ。海の向こうは広いぞ」

「うん! 楽しみ!」

「そもそも海にどんな危険があるかも分からん。命を落とすかもしれん。それでも、行くのじゃな」

「うん! 後悔しないよ!」

「……よし。楽しんでくるがいい。リリカは苦難すら楽しむことができる強さを持っている」

「ありがと、行ってきます!」


「お主ら。リリカを、頼んだぞ」

「おう、ばあちゃん! 任しとけ!」

「俺たちからも頼むぞ。レン、ジン」

「ああ! おっさんたちも元気でな!」


 三人はそれぞれ、別れの挨拶を済ませて船に乗り込んだ。

 結局、子どもたちも来なかった。


(思ってたより静かなお別れになっちゃったな……)




 だが、リリカが乗り込んだと同時。

 森から村人たちがぞろぞろと集まってきた。

 子どもたちも一緒だ。


「えっ!? なんで!?」

「悪いなあー! リリカー!」

「おじさん!?」

「実はなぁー! みんな全部知ってんだよー!」

「ええーーっ!?」


 なんでも、村長と修理班が村の全員に話したのだそうだ。

 そして、リリカを見送って欲しいと頼んだのであった。


「こらーっ!、リリカーっ!」

「黙って出てくなんて薄情だろー!」

「あ……あたし…………」



 黙って出ていこうとしたことが後ろめたいリリカは、顔を伏せる。

 申し訳なさすぎて、頭が上がらない。

 だが、


「ありがとなーーーー!」



「え……っ」

「そんな顔すんなよーーっ!」

「みんなで決めたんだ! 好きにさせてやろうって!」


「あ……」


「行ってこい! リリカーーー!」

「元気でなーーっ!」

「病気に気をつけてねーーー!」

「バカ! あいつが風邪ひくかよ!」

「「「アハハハハハ!!」」」


「……!」


「オイ! てめーらー!」

「てめーじゃねー! レンだ!」

「てめーじゃねー! ジンだ!」

「知ってるわよーーーっ!」

「そこつっこむなーーー!」

「リリカになんかあったら承知しねーぞーー!」

「ったりめーだ! バカヤロー!」


「…………っ!!」



 自分は、黙って行こうとしたのに、みんなは。

 自分のわがままを、許してくれた。

 そんな自分を、許してくれた。


 それならば。


「みんな! ごめんなさい!」


 笑顔で。


「おおーーー!」

「いい笑顔じゃないのーーっ!」

「いけーーーーーーっ!」



「行ってきまーーーーす!」



 手を振ろう。

 この高揚感を、喜びを、隠さず伝えよう。



 船を繋ぐ縄は、斧でまとめてぶった切られた。

 今まで進んでいなかったのが嘘のように船は急に進み始め、すぐに遠ざかっていった。


「行っちゃいましたね、村長」

「そうじゃのう……」

「あーー。やっぱり心配だぁー」

「あいつ、おっちょこちょいだしよぉー」

「リリカなら……いや、あの子たちならきっと生きて渡れるわよ。でしょ?」

「……そうだな。きっと、またいつか顔見せに来るさ」




 少女は遠ざかる故郷に手を振り続ける。


 涙は流さない。

 応援された旅立ちに、涙はいらないから。

 そう思ったし、自分には似合わないと思ったから。


 彼女は故郷が見えなくなるまで、手を振り続けた。


 ◇◇◇




 少年と少女は海を渡る。


 かたや故郷に戻るため。

 かたやまだ見ぬ世界を旅するため。


 どんな困難があろうと、

 どんな危険があろうと、

 彼らは進む。


 好奇心を、糧にして。



 爽やかな風が、彼らの間を吹き抜けていった。

物語に関係のないクラ島の補足について詳しくは後の閑話にて。

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