旅立ち、出航
「ただいま!」
リリカが帰ってきた。
村人たちは歓声を上げようとして、思いとどまる。
リリカが怪鳥を撒いて戻ってきたと思っているのだ。
「……あ。ヤツらみんな追い払ったから、声出しても大丈夫だよ」
そう言ったリリカの姿は少し汚れていたものの、掠り傷一つなかった。
元気に戻ってきてくれと願っていた村人たちだったが、実際にピンピンした姿を見るとやはり安堵を隠せない。
それと同じくらいに
「え、追い払ったのか?」
「さ、さすが神童だな……」
「神童といえどまさか無傷とはな……」
「……バケモンかよ……」
「し、失礼なっ! 人間の女の子だよっ!」
畏怖が隠されていなかった。
ちょっとショックなリリカ。
「あぁ……。オレのやきとり……」
「ちくしょう……。まさか逃げるとは……どうやって出よう」
その後ろでは、これまた無傷の少年たちが肩を落としている。
そこに一人の男、トトの父親が息子を伴って歩み寄った。
「お前たち」
「あん? ……あ、ガキのとーちゃんか」
「俺たち今、機嫌わりーぞこら」
レンたちは出がけにこの男と険悪になっている。ジンは気だるげだが鋭い眼差しを向けた。
しかし男は、静かに膝を折って。
「息子を救ってくれて、ありがとう! 疑ってすまなかった!」
土下座をした。
これに驚いたのは、村人たちだった。
男がトトを抱えて戻ってきたとき、村人たちは無事を喜び、そしてリリカを心配した。
男はトトを庇うように抱きしめながら、村のみんなに一言だけ言ったのだ。
リリカなら大丈夫だ、と。
そしてリリカは帰ってきた。
村人たちは一部を除き、後から付いて来る二人の少年はリリカに守られていたのだと思っていた。 男は少年たちについて触れなかったし、たとえ二人が怪鳥をぶっ飛ばしたと言っても信じなかっただろう。
だったら、この状況は?
なぜ、男がこのような子供相手に頭を下げているのか?
困惑したのは、トトも同じだった。
「なにしてんの? とーちゃん……?」
「いいから、お前もお礼を言うべきなんだ」
「だって、だってこの人たちには近づいちゃダメだって。とーちゃんが言ったんだよ?」
「……とーちゃんが間違っていたよ。お前も助けられたんだろう? 早くお礼を言うんだ」
「う、うん……。にーちゃんたち、ありがとう」
ぺこりと頭を下げるトト。
村人たちはみな、呆気にとられて静まり返っている。
「うんまあ、気にすんなって」
「おう!」
レンが笑って言った。
その頭は飛び去っていったやきとりのことでいっぱいで、レン自身は本当に気にしていないのだった。
それから一週間が経った。
「せーのっ!」
ドッ!
駆け出す姿勢のレンが、残像を残して消え、5メートルほど先に移動した。
……が、勢いを殺しきれずに滑り、石に躓いて転ぶ。
「びゃーーー!」
「ほほっ。まだまだじゃの~」
「ぺっぺっ。くっそ、難しいなぁー」
レンたちは徐々に村人たちに受け入れられてきている。
特にトトを中心とした子供たちとはすぐ馴染んだ。
子供たちは、その年代特有の直感的善悪判断でレンとジンを無害だと判断したのだ。
怪鳥を撃退したあと、怪鳥たちはククルクスという鳥獣型の魔獣だったということを村長に教わった。
ククルクスは大陸中を旅する魔獣で、決まったルートを回る。
あの群れは三年かけてルートを一周する群れで、ここクラ島はそのルート上にある。
ククルクスが初めてクラ島に現れたのは九年前。
なんの準備もしていないところをいきなり襲われ、村は大きな被害を受けたのだった。
そしてその日は最厄の日と呼ばれるようになった。
三年後、ククルクスは再び現れた。
二年間何も無く、意識が緩んだところを突かれた形だった。
さらに三年後、三年おきに来ることを予想した村人たちはある程度の備えをしていた。
この年初めて洞窟を使い、初めて死者が出なかった。
そしてまた三年後が今年だったが、結果はこの通り。
ちなみに、なぜ今更そんなことが発覚したのかというと、村長百歳以上が「すまん、大昔に一度だけ聞いたことがあったのを思い出した」からであるとか。
「ジン~。見て見て~」
「うっせー! 自慢は後にしやがれ!」
「いーじゃなーい。見て悔しがるくらいしてくれても」
「やなこった!」
そして今は、村長指導の下で魔法の修行をしている。
実は村長は、魔法が使えた身だった。
大陸にはこの島にはない危険があり、自分で自分の身を守る必要がある。そこで村長は、自衛の一助とするべく修行をつけているのだ。
レンもジンも父親から似た理由で稽古をつけてもらっていたため、修行には全く抵抗がなかった。
そして村長がレンとジン、そしてリリカに教えているのは「瞬身」という技術である。基本的なところはもう十分だと判断したが故の発展技術である。
通常スピードを求める場合、魔力で身体強化することで動きを速くする。しかし、空気抵抗や摩擦などの影響があるため、思いきったスピードは出せない。
それを可能にするのが「瞬身」である。
「スピードを出せるほどの魔力で脚を強化する」
「体全体に、空気を受け流し摩擦熱から身を守るための魔力を纏う」
「スパイク代わりとなる魔力と体への衝撃に耐えるための魔力を、止まる瞬間同時に出す」
以上三つの技術を使用することで「瞬身」は完成する。
「おめーは空気抵抗もともと少ねーからな」
「か、関係ないわ! 殴られたいの!?」
リリカがコンプレックスをつつかれたときの反応が面白いことに気付いたレンとジンは、ことあるごとにこうしてからかってくるようになった。たまに殴られることもあるが、わざわざ毎度反応してくるのは面白い。
「儂ものう……。ちっとばかしおムネが邪魔して、ここまで覚えるのにけっこう掛かったものじゃ……」
「うわーん! 村長までバカにするー!」
このメンバーの中で最も上達が速いのは、リリカだった。すでに狙った距離で止まれるようになり、転ぶこともブレーキがきかずに滑ってしまうこともない。
そしてリリカの上達が速いのには訳があった。
「……つまり大陸では、魔力を生み出すことを魔法、それを体に纏ったり込めたりして身体強化をすることを魔術、魔力をオリジナルの形で使う技術を魔導というのじゃ。また、魔法を使う者を魔法使い、魔術を使う者を魔術師、魔導を使う者を魔導士と呼ぶ。知らんかったのか?」
「へぇ~。オレ全部まとめて魔法かと思ってた」
「てことは、レンの風と俺の鉄は魔導なのか」
「そうなるのぅ。向こうに行くなら覚えておくべきじゃ」
たまに休憩がてら、座学じみた雑談が入ることもある。
「ばあさんも魔ほ……魔導使えんのか?」
「そうじゃ。高速機動の魔導のう」
「おお! かっけー!」
「なあ、リリカはどんな魔ほ、魔導使うんだ?」
「……あたし、魔導使えない……」
そうなのだ。
リリカは魔術までしか教わっていない。
リリカが魔導の修得法を教わる前に、彼女に魔法や魔術を教えた師は亡くなってしまったからだ。初めて怪鳥に襲われた日だった。
「村長も、教えてくれればよかったのに……」
「ふむ。おぬしの師が教えなかったことを儂が教えるのはどうかと思うてな。それにここじゃ覚える必要もないしのぅ」
「う……」
動揺するリリカ。
「別にいいじゃん。お前、魔術だけならオレたちと同じくらいだぞ?」
「いや、俺は負けてねぇぞ」
「なにぃ? じゃあオレも負けてねぇな!」
「くだらないことで喧嘩するな!」
魔術を鍛えることはすなわち底力を上げることである。
そしてその強みは、単純故に弱点がないこと。身体能力を上げることにデメリットなどほとんどないだろう。
対して魔導は修得に時間がかかり、例えばレンのように風を吹かせられるようになったとしてもこの平和な島での恩恵は少ないだろう。つまり割に合わないのである。
リリカは魔術までしか知らなかったために、ほとんど魔術の修行しかしてこなかった。
だから魔術は非常に高いレベルを誇っており、そしてそれで十分なのである。
結局急いで魔導を得る理由が見つからなかったため、リリカの魔導習得は保留となった。
「努力もあるが才能もかなりなものじゃな。魔術だけならガキどもと同等、か」
「村長?」
「いんや、ただの独り言よ」
「そう? それより、あたしの瞬身はどうかな?」
「文句無しじゃ。次は二連続でやれるようにしてみるといい。まずは直線でよい」
(……まったく。末恐ろしい才能を持ったガキどもじゃ。儂がここまでできるようになるのに一カ月はかかったはずじゃったが)
リリカに遅れているとはいえ、レンたちも驚くほどの短期間で成長している。
(……これは、こいつらが島を出るまでに修得してしまうかもしれんのう)
村長は目を細めて杖を持つ手を握り替えた。
帰り道。
「あ、おっさん」
「おう、レン、ジン」
「船は?」
「まだだ。恐らくあと十日はかかるな」
「ん、そっか。ありがとな、おっさん」
「何を言っているんだ。君たちはトトの命を救ってくれたんだ。これぐらいじゃ足りないくらいさ」
ククルクスを撃退した後のこと。村長はレンたちに、村を守ってくれたお礼に望みを聞いた。
するとレンたちは、家に帰るために島を出たいと言ったのだ。
それは簡単なことだった。
島に流れ着いた古い船があり、それを修理するだけでよかったからである。
しかし、村人たちはレンジン無双説にいささか懐疑的であったため、この二人のために労働するのを渋っていた。
そこに名乗りを上げたのは、トトの父親だった。
「俺がやろう」
「あん? 急にどうしたおっさん」
「なんか気持ちわりーぜ」
「ほっとけ! 俺は恩は返すだけだ」
彼は大工でもあり、また大工仲間たちのリーダーでもある。
そして彼は大工仲間たちを説得し、船の修理をするメンバーを集め、その日のうちから修理を始めたのだった。
「なあリリカ、本当に……」
「……うん。寂しいけど、決めたから」
「うぅ……。リリカ、君がいなくなったら……」
「そんな、大袈裟過ぎよ。そんなに悲しまないでよ」
「誰が村を守ってくれるんだよ……」
「そうだよ。せめてその時期になったら帰ってきてくれよ……?」
「あたしの存在価値はそれだけかっ!? 純粋に別れを惜しめ!」
「冗談だよ。寂しいのさ」
リリカの本質はレンやジンと同じだった。
関心。興味。探求心。冒険心。好奇心。
リリカは過去に師から、この島の海の向こうに広がる大陸のことを聞いている。
曰わく、「王」という存在が「国」という単位で大陸を分け、統べていること。
曰わく、「魔法」という技術が存在し、また自分もそれが使えること。
曰わく、魔法が生活に溶け込んでいること。
幼き日のリリカは、そんな話を聞くのが大変好きだった。
そしてまだ見ぬ世界への憧れを募らせた。
また、自分も魔法が使いたいと散々わがままを言って、魔力を引き出してもらったりもした。
幼いリリカは体から溢れる淡い光を見て喜び、はしゃいだ。
そしてそのお礼に、
『リリカがおっきくなっておじちゃんの怪我が治ったら、島の外に連れてってあげるね!』
と約束したのだった。
今ではもう、叶わない約束だ。
そう。
リリカはずっと、外の世界へ行くことを夢見てきた。だから彼女は、レンとジンと共に島を出ることにしたのだ。
たとえ誰に反対されても。どれほど危険であったとしても。
……ここで死ぬまで想い焦がれながら、くすぶってくすぶって。そんな人生は、ごめんだった。
だから、このまたとない機会は逃せない。
瞬身は、基本は直進のみ。足が地に着いていないので、着くまでは曲がれない。長い一歩とでも。




