ミュウ、未だカラの中
ミュウ=マクスルーはダークエルフの国フィルエルムを治める王家の長女として生まれた。
母と三歳上の兄はいるが、国王である父はミュウが生まれる少し前に病で亡くなった。肉体的に丈夫ではないダークエルフの中でも特に病弱であった彼は、発病から十日と経たないうちにこの世を去ったのだった。
「ミュウ。お父様がいないのは、寂しいですか?」
母、セレナーゼ=マクスルーは優美な女性で、二児の母親と国の長と二つの顔を使い分ける聡明な女性でもあった。
「うーん? お兄も、ママも好きー」
「あら、ママもミュウのことが大好きですよ?」
ミュウは一度も父親の顔を見たことはなかったが、それでもそれを寂しいと思ったことはなかった。母は優しく、兄とも仲がよく、侍女や執事の誰からも愛されていたからだ。
幼いミュウは、満たされていた。
そんなミュウにも物心がついて様々なことを考えるようになった頃だったか。ミュウは「世界」がフィルエルムの外にも広がるという事実をぼんやりと認識するようになり、外への興味は日に日に増していった。
しかしフィルエルムは閉鎖的な国だった。外との関わりも最低限の交易くらいに抑えられており、フィルエルムで人間の姿を見かけることは稀であるほど。
これはダークエルフの特徴に起因する風習だった。エルフ族は人間と比べて身体的に弱い。そこで先祖たちは自らを守るため外との交流をなるべく断って、フィルエルムに籠もるような生活を始めたのだった。
と、このような事情を理解できないミュウは拙い言葉で専属の執事によく話をせがんだ。
「ねーね、じーじ!」
「はい、なんでございましょう? ミュウ様」
「みんなは、ここが好き?」
「ふむ、もちろんです。民はみなこの国を愛しております」
「じーじ」という愛称で呼ばれた初老の執事は、ミュウのなんでもない質問にも必ず少し考えて答える、誠実な紳士であった。
「じーじ、じーじっ! ミュウって、ミュウたちだけじゃないんだって!」
「ええ、その通りでございます。ダークエルフの集落はここだけにはございません」
「やっぱり! でもねー、みんな自由になかよしなんだよ?」
それは、ミュウが知識を蓄えてより深い質問を投げるようになってからも同じだった。
「ふむふむ、そうですな。外との交流がほぼないのは我々フィルエルムの民だけにございましょう」
「ねーねー。お外のお話してー?」
「それでは、自分がここに拾われる前、まだ若い自分が旅をしていたときのお話を……」
だが、ろくに読み書きもできない彼女は本を読むこともできず、人に話を聞くことしかできない。やがてミュウはその旺盛な知的好奇心を持て余すようになっていった。
そしてその対象は、ほとんど外の世界に向けてのものであった。
だが、残酷な現実はすぐにミュウの期待を潰す。
ミュウは賢かった。自分が王族で周囲とは違った立場にいることを理解し始めたのは、早くも五歳くらいの時。
それはちょうど王族としての教育が始まるくらいのときだった。
「……そこ、間違いにございます」
「うん」
「ミュウ様、王族たるもの『型』を大切にせねばなりません。話し方などはその基本なのですよ」
「……はい、分かっ……りました」
ミュウは教育を受けるようになり、王族としての形式を求められるようになった。それは窮屈なものだったが、なまじ賢かったミュウは自分に求められていることを感じ取って、五歳という幼さにして自分を抑えつけるようになってしまう。
(ここにいなきゃダメ……。外に出たいなんて、言っちゃダメ……)
こうして齢五年にしてミュウは「世界」を諦めた。
さて、いかに賢くてもつらいものを抱えていても、ミュウには年相応の幼さがある。だから彼女は、教育の中にも楽しみを見いだすようになっていった。
「お兄……様!」
「うわっ、なんだミュウじゃないか」
「何するの……です?」
「はは、僕と話すときは楽にしていいよ」
三年早く教育を受け始めた兄、フェイルの行動が分かるようになったことはその一つだ。
フェイルはミュウに物心ついたときにはすでに教育を受けていて、二人で遊んでいると突然彼だけ用事で呼ばれたり、知らない大人と二人で本を読んでいたりすることがあった。
ずっと不思議で「勉強の時間だ」と言われてもよく分からなかったが、自分も兄と同じことをするようになるとそれはなんだか嬉しかった。
「じゃあ、お兄! これから何するの?」
「魔術の練習だよ。お前も魔法できるようになったら一緒に練習しような」
「わぁ! 約束っ!」
「うん、待ってるよ!」
また、褒めてもらうのも楽しかった。
「先生! 探したです!」
「また、丁寧な言葉を取り違えていますよ。です、は断定するときに使うものです」
七歳の頃にはもうミュウはこのしゃべり方だった。窮屈さに対する小さな反抗とかそんな意味はなく、ただ少し気を抜くと自然に出てきてしまうのだ。
「それで、どうしたんですか?」
「これ! 書庫で読んでたですけど、分からない所があるのです!」
「また……。まあ、そのうち直して下さいね」
それでもぐっと我慢すれば自然な言葉は話せたから、物覚えのいいミュウならそのうち直るだろう、と当時は思われていた。
結局、レンたちと旅をするときにも直っていることはなかったのだが。
「ここ! これです!」
「ああ、転移魔方陣ですね。それだったらもっと入門用の本があったはずです。書庫の33番の黄色の表紙を探して持ってくるといいですよ」
「へー。ありがとうございます!」
「いいえ、すみません。それにしてもすごいですね。もうそんな本も理解できるのですか」
「えへへ~~」
努力に見合う褒め言葉をもらえる、必ず認めてもらえる。それをもらうとちょっぴり照れくさくて、でもそれが嬉しくって、ミュウはますます頑張った。
八歳くらいのときだった。兄を追いかけることと褒め言葉を貰うことを原動力に頑張ったミュウの能力は、加速度的に向上していった。
「お兄! 今日からミュウも魔術師になるの!」
「へえ、すごいじゃないか! 僕もすぐ追いつかれるかもな!」
フェイルは軽い冗談のつもりだったが、それはすぐに現実になる。その冗談すら超えて。
「魔導が発現した!? どういうことだ!」
「はい。あれは恐らく固有発現だったのでしょうが、ミュウ様のご意志で発現したものではないでしょう。魔導の方から出てきてしまった、といったふうに感じました」
「魔導の方から……?」
「はい。驚きました。あのような固有発現は見たこともありません」
王子の前で平静を保とうとしているが興奮を隠しきれない様子で従者は報告した。
「それにしたって、ミュウが……。まだ僕もその段階にはいないのに……」
「お言葉ですが、フェイル様。ミュウ様のあれは事故のような危険なものでございます。あまりお気になさらず……」
魔導の発現を皮切りにミュウの能力は留まることをも知らないように伸びていく。
早い話、ミュウの有り余る才能が明るみに出たのである。
そして覚醒したミュウは、十歳で兄の能力のほとんどを追い抜くに至った。
ミュウの魔導は“魔導最適化”と名付けられた。
「杖を介さなければ魔導が使えない」制約と引き換えに、学習発現の魔導全てに固有発現レベルのポテンシャルを与える。言い換えれば学習発現の魔導も訓練で固有発現レベルにまで極めることができる、という魔導だ。
覚醒したとき、ミュウにはなんとなくその能力の詳細が感覚で分かった。「学習発現の魔導全てに固有発現レベルのポテンシャルを与える」というところは、魔道の研究の進んだフィルエルムだからこその感覚といえる。
ちなみに固有発現したときその効果がなんとなく分かるのは、「魔導の種」が元々自分の中に在るものだからだと言われている。そういう部分も含めて、ミュウの魔導は研究対象としても話題に上がった。
「ま、訓練ありきの能力……ですけどっ!」
「うわっ! いてて、流石ですねミュウ様……」
「いえ、その、ごめんなさい」
「気にしないでください。訓練ですから」
その才をもって必要な科目をあらかたクリアしたミュウの教育は次第に魔導士としてのそれに移行していった。
「お見事でした、ミュウ様。実戦において必要なことが意識できていたように感じられます」
「うん! ありがとじーじ!」
王族とはフィルエルムで最高の血統であり、特に魔道の才能は長く他の貴族たちに劣っていない。ミュウのせいで目立ちはしないが、フェイルも他と比べれば天才と呼べる。
「うーん。まだ狙いが弱いと思うのです」
そんな王族の戦い方も昔から変わっていない。戦場では兵たちが壁役の前衛をし、後ろから圧倒的な魔道攻撃を放つのが王族の役目なのである。
「ふむ、焦るほどのことでもありませんよ。充分にしっかりと狙えているかと」
「むぅー。じーじはのんびりさんなのです」
ミュウも王族として後衛魔導士としての訓練を受けていた。仮想敵とはいえさすがに練習相手を撃つのは慣れなかったが、迷いが少ないという少女らしからぬ才能も開花して、この分野でもミュウは破格の成績を修めていった。
一方。フェイルは破竹の勢いで履修科目を突破していくミュウの陰で、どんどん小さくなる自分に悩んでいた。
「くそ、解けない……っ! どう繋げるのが正しいんだ……!」
「……フェイル様。そろそろ歴史のお時間にございます」
「~~~~っ!!」
思わず散らかしたテーブルの上を叩く。描きかけの魔方陣が彼の手の下で皺を作った。
(きっとミュウなら僕ほど時間を掛けずに解いてしまうんだろ……!? くそ、なんで僕はこんなにも……!)
小さい頃、三歳年下の妹は可愛い存在だった。「お兄、お兄」と後を付いてきて、遊ぶときはいつも一緒だった。
だが、今になって彼は悩む。それは自分の優位があったから、自分に余裕があったからこその愛情だったのではないかと。
(だったらくそ、僕はなんて……!)
月日が経つにつれ、フェイルはミュウとの接触を避けるようになっていった。ミュウの輝きを直視してしまえば、様々な感情が頭をよぎって、自分も妹も嫌いになっていく。
王族の立場として自信だけは失ってはいけない。妹を妬むような情けない自分になってはいけない。
そう思ったから、彼はミュウとの接触を最低限に抑え、その間に研鑽を積んだ。
「ミュウ様。明日からは魔方陣の重ね掛けに進みましょう」
「わぁい、楽しみです! 予習しておく、おきます!」
「フェイル様。どうやら魔方陣はあまり得意ではないご様子ですね。明日もう一度同じところをやります」
「……わかりました。勉強しておきます」
現実は非情だ。
しかし、フェイルが17歳を迎えたその年。
彼と国をも大きく変える事件が起こる。




