嵐の前の一騒動 4
広い空間に出て、リリカはまず天井を見た。
「ナ、ナニモナイヨネ?」
「おーい。片言ぉーい」
「おお、高い。すごいな……」
ソリューニャがはるか頭上の天井見て感嘆の声をあげる。山の内部にここまで広い空間があるとは素直に驚きである。
ひとまず虫や蜘蛛がいないのを確認すると、リリカはホッと胸をなで下ろした。
「ふーん。こんな広い場所があるとはねぇ」
「見ろよ、奥。まだ続いてるぜ」
「ゴールはまだかなぁ?」
「お、リリカ直った」
ここもやはり薄緑にぼんやりと光るコケに照らされ、その広さも相まって幻想的な雰囲気を醸している。
(……これほどの優良物件なのに虫も蜘蛛もいない。安心というより不気味だな)
「さてと。とりあえず進むか」
「そうだねー。広いけど、なんにもないし」
「ああ、そうだね。なくて結構だけど」
「そうだった。いけないいけない、縁起悪いよね」
「お、あそこからまた先に繋がってる。行こーー」
不気味だが、何もないなら気のせいですむ。が。
『匂ウ……久シイ人ノ匂イダ……』
「やっぱりいるのかー!」
「片言っ! リリカまたお前」
「今のがあたしの声に聞こえたってか!? 覚えときなさいよあんた!」
人のものではない、くぐもった声が響いた直後、部屋の中心の地面が盛り上がった。
『ナゼココニ……。死ンデイナカッタカ』
「……っ! これは……!」
三人が息をのむ。
地中から現れたのは、この世のものとは思えないバケモノだった。レンの10倍はあろうかという巨大な体躯。皮膚には毛も艶もなく、骨格が浮き出ている。そして退化したのか、目とおぼしき部位には眼球のない窪みがあるだけだ。
『イヤ……。直接、トイウノモ悪クナイ、カ』
「そ、ソリューニャ。なにあれ……?」
「アタシも初めて見たよ、こんな怪物は……!」
「でっ、けぇーー!」
『グクク、活キガイイ……』
バケモノはニタリと笑った。その、大きく裂けた口の中には臼のような歯がずらりと並んでいて、だらだらと垂れ流される唾液がそのおぞましさをより一層際だたせていた。
バケモノが指のある四本の脚で突進してくる。
「来るぞっ!」
「散れっ!」
「きゃ、気持ち悪いっ!」
ただ突っ込んでくるだけならよけるのは簡単だ。もともと大きな体で小さなレンたちを捉えることに無理がある。
しかし。
「えっ、きゃあ!」
「リリカ!? うわっ」
「人!? いや、屍人かっ!」
リリカの足を掴む腕が地面を割って生えてきた。屍人である。
屍人はこの部屋の至る所から地面を割って這い出してきていた。
『行ケ、我ガ下僕ドモ。押サエロ』
「てめーかこれ操ってるのは!」
「下僕……? それにあの姿、もしかして」
「やっ、冷たい手で触るなっ!」
屍人を知らないリリカが腕を蹴り飛ばした。当然、回転しながら弧を描く腕。
「…………あれはなぁに? ここはどこ? あたしはだぁれ?」
「ちょ、リリカぁぁあ!」
「きゅ~~」
「あああああ、まずいまずい!」
あまりの慣れない事態に、リリカが白眼を剥いて倒れた。
無防備なリリカに屍人が群がる。しかしその手がリリカに届く前に、
「リリカのばーかやろーう! こんなとこで寝る奴があるかーい!」
「ぬばぁぁぁあ」
「仕方ない……と言いたいね。確かに屍人は知らないと驚くだろうし。……起きたときが大変そう」
「ぽぎょおおお」
レンとソリューニャに殺されて動きを止めた。
そこに、あのバケモノも突っ込んでくる。
「レン! リリカを頼む!」
「ずるい! デカいのはオレがやるっ!」
「アタシじゃ守る戦いは難しい! その点アンタなら囲まれても大丈夫だろ!?」
レンの魔導はその特性故に対多数の戦いに有利である。その攻撃範囲は背後だろうと上方だろうとカバーできる。
対して、ソリューニャの魔導は味方を守りながらというのに向いていない。ひとり孤独に修行を続けていた彼女は、そもそもとして味方を守るという想定がなかったのだ。
「それに、たまにはアタシも暴れたい」
「むぅ……しゃーねぇ」
「ありがと、さんっと!」
ソリューニャが背負ったカバンからカトラスを引き抜いて、正面で交差させるように構えてバケモノの頭突きを受け止めた。
「やっぱ重……っ!」
はじめは押されてずるずると後退する。が、やがて踏みとどまった。
「ふぅ。さて、確認したいことがあるんだけど、アンタも屍人?」
『…………グクゥ!』
「っ! イエスでいいのかい!」
ソリューニャがカトラスを振り払い、バケモノの頭に蹴りを喰らわせた。
『……タダノ屍人デハナイ』
「見れば分かるよ。アンタ、体の構造は人みたいだけど明らかに別物だよね」
ソリューニャの予想を裏付けるかのように、バケモノの頭には髪のような毛がまばらに残っていて、歯の形は人の奥歯とそっくりだし、指はきっちり五本ある。だがしかし、異形だ。
「こんな大きなのがいるなんてのは知らなかったけどさ。魔導を使う個体の噂は聞いたことあるけど」
『…………グクゥ。教エテヤロウカ』
「偉そうに、アンタ生前も相当ヤな奴だったね? 友達いなかっただろ」
そもそも屍人がどのようにして生まれるのか、その問いには一つの有力な仮説が存在する。
前提として屍人の定義は、死体に魔力が宿ったものである。それを踏まえた上で問題はその魔力はどこから来るのかということだ。
結論は、その死体が生きた体であったときに宿っていた精神の残痕から、である。精神とは魔力、魔力とは精神。強い精神が魔力という形で死体に憑依するのだ。
ただし全ての死体が屍人になるわけではない。そこにはある傾向が存在する。
『俺ハ魔導士ダッタ。命ナキモノヲ操ル魔導士……』
魔力を生成できる、つまり魔法使いであること。精神から魔力を生成できる人間は、死んだときその精神が魔力になりやすく、屍人になりやすいと言われている。
『俺ニハ何カ目的ガアッタ』
また現世に強い執着があったり、死を受け入れられなかったときにも屍人になりやすい。その意志が強いと魔力は肉体から離れられず、死体に憑依しやすいからだ。
「命なきもの……。そうか、屍人は命なきものとして魔導が効くのか」
『ソウダ。サラニ俺自身ガ屍人ニナルコトデ、魔導ハ進化シタ』
「操るための屍人が造れるって? それは今時ゾンビって言うんだよ」
『グクゥ。食ウニハ惜シイナ……! ソノ通リダ!』
屍人に関する研究が進んでいなかった頃は動く屍はすべて屍人と呼ばれていたが、現在は人工的に死体に魔力を宿して操る場合の屍をゾンビと呼ぶ。
(異常だ。完全ではないとしても、生前の記憶があるなんて……)
ソリューニャはこのバケモノとの会話から様々な仮説を立てて、その正体に思考を巡らせていた。
このバケモノはまず、奇形だ。人の面影を残しながらも巨大で、しかも四本足の生物としての骨格になっている。
(だけど、そんなことじゃない。完全に異常なんだ!)
喋る。考える。記憶がある。
ソリューニャが最も驚き、そして警戒したのはこれである。
通常の屍人には記憶はない。精神の残痕はあくまで残痕、偶然逝くことができなかった小さなカケラであり、その力は死体を生きているときのように動かせるだけである。
そこに意思はない。生前、よっぽど強烈な記憶や意志があればそれが屍人の動きに影響すると言われてはいるが、それでも本能レベルの反応であり考えて行動しているわけではないという。
(そりゃ、頭が腐ってるんだから思考なんてできっこない。なのになんでコイツは!)
明らかに屍人の範疇から逸脱している。
宿った魔力だけで思考ができるものか?
それなら話していることをどう説明する?
話すためには舌も咽も必要、つまり身体は腐りきっていない?
一つの疑問を適当な仮説で解き、別の疑問との矛盾をなくすようにまた適当な仮説を立てて……とソリューニャの思考は深みにはまっていく。
『考エゴトカ?』
「なっ、これは!」
それで注意力が散漫になっていた。ソリューニャの足下が盛り上がり、彼女がバランスを崩す。
「ゴーレム! なるほど、お前の魔導!」
『グクゥゥ』
「けど、魔力を使っていけばいずれお前はただの屍に戻るぞ!」
『グクッ、ドウカナ』
現れたゴーレムをカトラスの一振りで破壊する。だが、もともとその行動を引き出すためのゴーレムだ。
『ガ、グクァ!』
「う……!」
バケモノの体当たりで大きく弾かれる。ガードは難しくないものの、それが遅れてあの巨体からの衝撃を受ければ踏みとどまるのは難しいのだ。
さらに破壊されたゴーレムも再生し、その数を増やしていく。
(無限の魔力……? もはやこいつは屍人じゃない! だけど……)
謎は深まるばかりだが、ソリューニャはひとつ息を吐いて目の前の敵を見据えた。
「ふぅ。お前の正体には興味があるけど、もういい」
『グクク、正体ナド自分ニモ分カラン』
「あっそ。じゃあ、行くぞ!」
バケモノを相手にするソリューニャから少し離れたところで、レンもまた屍人たちを相手に駆け回っていた。
「意外と軽いな、リリカ」
「ぅ、ぅぅぁああ」
「うりゃ」
レンが気絶したリリカを背負って戦っているのには訳がある。
屍人の肉体は腐蝕が進んでいるからだ。攻撃力が高くない屍人であっても、ひっかかれれば傷口から細菌や微生物が侵入してしまう。
だから無防備なリリカを地面に寝かせておくことができないのである。
「ったく、オレだってあっちとやり合いたかったぜ」
「うばばばぁ!」
「うるせぇ。せめてあいつみたいに言葉を話せよ」
レンが放った蹴りで屍人たちの体は簡単に壊れる。
「ぽきょ」
「あ、話せたらもっとエグいか。声なんて聞いたらリリカの心臓止まるな」
あくまで冷静に屍人たちを倒していくレンは、まだ最大の敵に気づいていないのだった。




