嵐の前の一騒動 2
「うおおお!?」
「きゃあああああ!」
崖崩れでいきなり足場を失い、谷底深くにまっさかさまという不幸のなかで唯一幸運だったのは、レンも落ちていたことである。
気流を操る風の魔導士、レン。彼は空中でもその能力を存分に発揮できるのだ。
「ま、ラッキーだったなっ!」
風の噴射で推進力を得て、レンの落下スピードが増す。加速しながら目指すのは、自分より先に落ちたソリューニャとリリカだ。ついでに一緒に落ちてきた荷物も掴んで、レンはリリカとソリューニャに手を伸ばした。
「ジタバタするなよ!」
「レン!」
「助かっ……てないよっ! 落ちてるっ! レン!」
「無理。さすがに三人も支えられねぇ」
無事に二人を掴まえることには成功した。が、落下しているこの状況は何も解決していない。このままでは全員地面に叩きつけられてミンチになる。
「じゃ、ソリューニャ! あとはヨロシク!」
「へ? あ、なるほど!」
「ちょ、なにしてんの!? ぶつかるーー!」
だから今度はソリューニャの力を借りる。レンは二人を抱えたまま風エンジンで岩壁に飛び込んだ。
「いくぞ、竜の鱗ッ!」
ソリューニャが腰に差したカトラスを引き抜き、岩壁に突き立てた。さらに足もつけて、竜人族にしか使えない魔導「竜の鱗」を接触面に発動した。
「すごい、スピード落ちてる!」
「頑張れソリューニャ!」
逆立つ赤い鱗がスパイクとして機能し、少しずつ速度を落としているのだ。そして。
「生きてる、助かった……」
「いやほんとに。助かったよ、レン」
「どいたま。ていうかやっぱり便利だよなぁ、ソリューニャの魔導」
「アンタの方が便利さ。あんな使い方できるなんてね」
着地。辺り一面が湿っぽい霧に包まれた奈落の底は、まだ夜になっていないのに真っ暗だ。どうやら川が流れているようで、耳を澄ませばせせらぎが聞こえてくる。
(うーん、荷物もいくつか埋まったね。幸い、代えがきく物ばかりだけど、さてどうしようか……)
文字通り八方ふさがりの中、ソリューニャが重々しく口を開いた。
「とりあえず、上との連絡をどうにかするべきかな?」
「おーいソリューニャー。なにしてんだー?」
「登らないの? はやくおいでよ」
「早いっ! 崖崩れがあったんだから、危ないよ!」
と、ここでレンが何かを見つけた。
「おい、待て。洞窟がある」
「なに、本当か?」
「わぁ、奥まで続いてる! ソリューニャも登っておいでよ!」
「簡単に言ってくれるね……」
細心の注意を払いながら濡れた岩肌を登っていくと、そこにはたしかに洞窟があった。また上から岩が落ちてくるかもしれないのを考えると、この場所はありがたい。
「はぁ~、怖かった……」
「見て見てソリューニャ。ほら、真っ暗で奥が見えない!」
「うわ、本当。ああ、もしかしたらここから外に繋がってるかもしれないね」
「え? 普通に登るのが一番はえーだろ」
「ミュウちゃんも心配だし、そうね。それが一番」
「基準がおかしい!」
そのとき、上からかすかな声が聞こえてきた。
◇◇◇
パニックになったミュウとは対照的に、ジンはまだ冷静だった。
「まあ焦んな。ここも崩れるかもしれねーんだぞ!」
「これが落ち着いてられますかっ! レンさんも落ちてったんですよ!? それなのに」
「それだからだよ。あいつがいりゃあ問題ねー。あれが俺たちだったらたぶん無事じゃねぇぞ」
「なんでそんな……」
「まー、見てなって」
そう言うと、ジンは大きく息を吸って霧がかった底へと叫んだ。
「レェェェン!! 無事かーー!!」
すると、しばらく時間を置いてから小さな声がこだましながら聞こえてきた。
“おーーーー。みんなーーー無事ーー!”
「これ、レンさんの声! 大丈夫そうなのです!」
「だーから言ったろ?」
また大きく息を吸うと、
「登れるかーーーー!?」
“むーーーーりーーーー!”
「怪我人はーーーー!?」
“なーーーーしーーーー!”
そんな感じで情報を交換し、
「じゃーーまたーー、同じ時間にーー!」
“りょーーかーーい!”
次の約束までしてしまった。
ふと気付けば陽は沈み、あたりはすっかり紫色だ。
「さて、ちょうど日も暮れたし。俺たちは安全な寝床でも探……」
「ひゃあああ!」
崖崩れのときとは違う悲鳴にジンが振り向くと、ミュウの足を掴む手が見えた。そして次の瞬間、ジンはその手を蹴り飛ばしていた。
「けりっぴ!」
「ジンさ……え?」
「あ…………?」
宙を舞う手。固まる二人。ミュウの足元には手首から先のない腕。
「い!? そんな強くしてねぇのになんで!?」
「ジンさん……ついにやっちゃったのですね……」
「いやいや、ついにって、いやいや……」
「うがぁーー」
「っ!?」
人間のそれに近いが、はっきりと別の生物のものと分かる声がして、腐りかけの人の顔がにょっきりと現れた。顔面蒼白な今のジンより生気のない、死人の顔。
「こいつぁ……!?」
「ぬがぉぉお」
「まぁぁぁんむ」
「下からたくさん来てるですっ!」
「ちっ! どうりで脆いわけだ……この、焦っただろうがぁぁあ!」
屍人。ジンも直接見るのは初めてだ。
その正体は特殊な魔力が宿った死体で、まるで生きているように動くいわゆる魔物の一種だ。
「おい、ミュウ! 少しエグいが我慢しろよな!」
「え、あの、はっはっはいっ」
「うがぁ、ぬぼぉ!」
「やかましい! 成仏しろ死に損ないが!」
これを止めるには生きた人間を殺すのと同じことをすればいいと聞いたことがある。要は生命活動を停止させればいいのだ。そうすることで生前の状態を模倣した存在である屍人はただの屍に戻る。
つまり。
「きゃあーー!」
「しゃーねーだろっ! 俺も初めてでよく分かんねえんだから!」
「うう、気持ち悪いのです」
胴体と離れた首が飛んでいく。頭をもがれた死体はパタリと力を失って、坂を転がり落ちていった。
ミュウがそのあんまりな光景、少なくとも十四の少女には酷すぎる光景に悲鳴をあげた。
「っち、どっから来てんだこいつら!?」
「うぇ、じ、ジンさん。あそこ……」
ミュウが恐る恐る指差したところを見ると、人ひとりが通れそうな岩の裂け目から次々と屍人が這い出してくる。
「あんなの、登ってきたときはなかったぞ? ……らぁ!」
「あの、ジンさん、逃げませんか? こんなにもいるですし……気持ち悪いし……」
「死ねぇぇえ! あ、もう死んでるか。おら」
「あの、ジンさん? 聞こえて」
「逃げったって、どこに? ここで潰しとかねーと夜も眠れねェだろ」
確かに、数は増える一方である。こんな状態では、休むことすらままならない。
「ていうかもう夜です。……夜です!?」
「んあ?」
「そうですよ、この魔物は夜にしか出ないのです! 光が苦手だから……!」
「光? だとしても、そんなもんどこにもねーよ」
「あるです! ジンさん、眩しいので注意です! 照らせ、輝る衛星!」
杖の先で光る魔力が膨らんでいき、一抱えほどの大きさになった。
「ぅぅ、これであっち行ってほしいのですーー!」
ブンブンと杖を振り回すミュウ。
攻撃魔導ではなく光るだけの無害な魔力だが、この魔物に対してはピンポイントで有効打になる。
「うばばば!」
「ぃいぃいぃいぃ!?」
「おお、すげ! 帰ってくぞ!」
「悪霊退散です~~っ!」
屍たちは一斉にミュウから逃げだした。はじめから近くにいた屍は逃げきれずに倒れていく。そして、うじゃうじゃといた大量の魔物たちは倒れているものを除いてみな穴に逃げこんでしまった。
「よし、追うぜ!」
「はいですっ…………え?」
「あの穴、来るときはなかったからな。探検してみよーぜ?」
「ま、待つです。よく考えたらいろいろおかしいのです。どうも、綺麗すぎるというか……」
「あん?」
ミュウが考えたのは、なぜあそこで屍人が襲ってきたのかということだ。あの穴から出てきたということは、あの穴の中にずっと潜んでいたことになる。
そうなると崖崩れから魔物の襲撃までのタイミングの良さが際立ってひっかかる。
「あれも引き起こされたものだと考えると、なんとなく繋がるです」
「?」
「わざわざ入り口を隠したり、崖崩れをタイミングよく起こしたり……。黒幕みたいのがいるかもです」
「へー」
もしも黒幕がいたとして考えてみると、たしかにこの一連の事象にはその意思が絡んでいるのだろう。
「あっ、そうです! もしかしたらあの崖の下に落とすのも作戦だったのかも……!」
「あん? レンたちか?」
「ですっ! 殺すのが目的だった……とか?」
あれこれ考えるミュウに、いまいちついて行けていないジンが声をかけた。
「よーするにあれだろ? 奴らを追ってって黒幕さんをぶっ飛ばせばいいんだろ?」
「……いえ、なんでそうなるですか。いるかも分からない上、リリカさんたちの安否とは直接関係ないかと」
「うっし、決定!」
「何がです!?」
ジンはニヤリと笑うと、楽しそうに言い放った。
「洞窟探検だ!!」
「…………!」
探検という単語には不思議な力がある。子供たちをその気にさせる魔法の言葉なのだ。
「まあ、確かにリリカさんたちの洞窟と繋がってるかもしれないですし、その……行くです!」
「へへ、決定!」
かくして、ミュウ初めての洞窟探検の幕が上がった。




