リリカとミュウの、居酒屋 2
「い、いらっしゃいですっ」
「お? お手伝いかいお嬢ちゃん」
「はい!」
「はっはっはっ! 偉いなぁ!」
厨房はドートに任せて、接客はリリカとミュウの二人がかり。これが基本的な役割だった。いつもならリリカたちとは別にバイトが入るらしいが、たまたまこの日は休みだという。
それでも開店したてのときはなかなかに暇があり、二人は客の途切れるたびに談笑に興じた。
「仕事って楽しいねっ!」
「はいです。こういうの初めてですから、楽しいです」
「バカヤロウ。そろそろそうも言ってられなくなるぜ。今のうちに馴れちまいな!」
『はーい!』
このときはまだ楽しむ余裕があった。
笑顔でいらっしゃいませ。呼ばれたらすぐに注文を聞き、それを覚えてドートに伝える。そして料理や酒を運ぶ。暇があれば店の掃除。それくらいの仕事なら大したことなく、事実「あの」リリカがほとんど完璧にできるほどであったのだ。
だからドートの忠告を重く受け止めることはなかった。
……そして二人は「労働」の本当の苦労を身を以て知ることとなる。
「おーい、おれのビールはまだかー」
「す、すいません! すぐに持ってきます!」
「おーい、嬢ちゃんたちー。注文いいかー?」
「こっちが先だぜ!」
「なにをー!?」
「わーー! ちょ、少し待ってて欲しいのです!」
「メイドちゃーん! これ頼んだのと違うぜー?」
「ご、ごめんなさいですっ!」
日が完全に沈むころには客足が急に増えて、労働の密度と難易度は爆発的に跳ね上がった。
「おいリリカ! 早く運べ!」
「ちょ、焦らせないでー!」
「バカヤロウ、客が詰まってんだろ! 転ぶなよ!」
「ひぇぇぇえ!」
話す余裕どころか休む余裕すらない。
(えーとあのテーブルに右手のビールで左手のチーズとパンはあそこのテーブルで戻る途中で注文を受けて覚えてあっ今あっちはミュウちゃんが注文取ってるから……)
リリカの頭の処理が追いつかない。身体を動かしながら頭では注文と提供のパズルを並行して解いているようなものなのだ。そしてリリカは頭脳労働が苦手であり。
「ぷしゅーぷしゅーぷっしゅーーっ!」
「りり、リリカさん!?」
夜の「羊のひづめ亭」は大繁盛であった。仕事終わりの男たちが、フられてやけ酒を浴びにきた青年が、毎日見かける常連が、ドートの料理を肴に酒を呷る。ここでは仲間も他人も関係なく一つのテーブルを囲む男たちがいて、何よりもその雰囲気に酔っていくのだ。
「おいオヤジぃ~~! 誰だよこのカワイ子ちゃんたちはよぉ~~!」
「まっさかおめー、さらってきたんじゃねぇ~だろぉな~~?」
「おめー人相ワリーからよぉー」
「バッキャロウ! そんなんじゃねーよ!」
ただその酔い方が下品であることは否定できない。
リリカとミュウは男たちの喧騒のなかをパタパタと駆け回っていた。うるさくて仕方ないくせに、自分たちを呼ぶ声だけはやたらはっきりと聞こえるものだった。
「じゃあおめー、何だってんだよぉ!」
「……俺の娘だ!」
「んなわけあるかぃ! 信じねーよ!」
「どう見てもありゃダークエルフじゃねーか!」
「そうだそうだー! 人からエルフが生まれっかー!」
そしてこの日の話題のほとんどを集めたのがリリカとミュウである。特にミュウは男どもの聖地・居酒屋に異質な存在としてその注目を浴び続けたのだった。
「そもそもあの女将からこんなペッタンコが産まれるわけねーよ!」
「わははははは!」
「誰がペッタンコじゃーー!」
リリカの声も届かないほどに喧騒は凄まじく。酔って歯止めを失った男たちの会話は、いよいよ熱くなる。
「あんたのかみさん、乳でかいもんなー。オヤジぃ」
「牛並みだよな、牛」
「誰の嫁が乳牛だコノヤローーーー!」
熱く、熱く。かつ下品に。
ここから話題は「激論! 巨乳は漢の浪漫であるか!?」になり、リリカとミュウの間でも、
「あーもう、腹立つわよねー、ミュウちゃん。別にいいもんねー、小さくてもッ」
「え? 私たちダークエルフは人間と比べてかなり小柄な種族でして、私こう見えて発育はいいほうなのです。まあ、言うなればー……ある方です?」
「裏切られたーーッ!」
エルフ族は小柄で有名な種族であり、見た目が若いこともその特徴である。
「え、え、ミュウちゃんって、いくつ?」
「14歳です?」
「嘘ーーーー!?」
リリカやレンたちとは一歳の差しかない。ミュウの見た目(人間基準)は十歳前後であり、なるほど確かに若く見える。
そして部分的な発育では年上のリリカを完全に下していた。
「かっ、完敗だったーーーーっ!」
『ぎゃははははは!』
「うるさい笑うなァーーッ!」
焼け石に油。リリカ怒りの叫びは雰囲気をより盛り上げるだけである。
飲んで飲んで、そうしていると酔いつぶれる者が出てくる。
「おじさーん、この人寝ちゃったよー?」
「ああん? おう、そうかそうか」
するとドートはその男をかついで二階に連れて行った。
「どういうことです?」
「ああ、メイドちゃん。ここは酔いつぶれた奴を問答無用で一晩泊めるっていう商売やってるんだ。飲み過ぎたら酒代だけじゃ済まねーっていう、まったくあくどい商売だぜ」
「……悪かったなぁ。あくどくて!」
「げ、おやじ!」
「フン。だから看板にも書いてあんだろうが?」
「羊のひづめ亭」はこのように居酒屋と宿屋を併せた方式をとっているのだ。もちろん宿屋はそのまま宿屋として営業しているのだが、利用者の半分は酔いつぶれて眠ってしまった男たちである。
もっとも、酒場が一体となった宿屋は他にもあるのだが。
「だいたい夜の街に酔っ払いを寝かせておくなんて危ねーだろ」
「ひゅー。旦那は優しいな~~」
「酒臭いツンデレなんか可愛くねーよっ?」
「馬鹿にしてんのかコノヤロウ! だいたい俺が心配なのは酔っ払いに襲われるかもしれねー善良な町民どもだ! てめーらなんざどーでもいーんだよ!」
もっとも、その根底にあるのは優しさでありそれは客もよく分かっていることであって、この悪態もただの冷やかしである。
こうして夜は更けていき。店じまいは日を跨いでからであった。
「おうお疲れ。だいぶくたびれたな」
「はーーっ。あたしもう駄目ー」
「すー……」
「あ。ミュウちゃん寝ちゃった」
「さすがにガキには重い仕事だったか……。ほんとならあいつも降りてくるはずだったんだが……」
「そういえばおばさん……」
ちょうどそのとき、ミケノが階段を降りてきた。
「ごめんねぇ? 気づいたら寝ちゃってて」
「あ、あのっ! ソリューニャたちは?」
「結局ずっと寝てたよ。医者も呼んだんだけど、三人とも死にはしないってさ」
「本当!? よかったぁー……」
リリカたちの知らないところでミケノも粉骨砕身働いていてくれていたようだ。リリカにはそれを気にする余裕もなかったのだが。
「さて! あんたたちも上がってらっしゃい。隣の部屋にベッド二つ並べておいたからね」
「うん! ありがとう、おじさん! おばさん!」
「はいはいどういたしまして」
「いいから早く寝ろ。明日もあるぞ!」
「うんっ! おやすみなさい!」
勢い良く頭を下げると、リリカはミュウを担いで階段を昇っていった。
「おう。悪かったな、全部任せちまって」
「いーのよ、あんたにゃできないでしょ?」
「…………まーな」
二人はそれを見送ると、手頃なテーブルに向かい合って腰をかけた。ドートが持ってきたエールがしゃわしゃわと爽やかな音を立てる。
二人はそれでのどを潤し、労いの言葉を交わす。
「何か聞けた?」
「5人で旅してたところちょっとした事故で……とか言っていたが、本当のとこは分からん」
「あらら、いいのかしら? そんな怪しい子供たちを置いておくなんて」
「分かってて聞いてんだろ? ……追い出したりできるかよ」
「ふふっ、そうね」
夫婦二人、長い付き合いだ。お互いがお互いを知り、考えていることなど筒抜けである。
「子供たちが5人。賑やかになるわね」
「そうだな」
「もう諦めてたけど、神様も粋なものだねぇ。子供のできないあたしたちに、こんな夢を見せてくれるんだから」
「ばかやろう。夢なんかじゃねーさ……」
◇◇◇
ミュウが目を覚ますと、そこには古びた木の天井があった。しばらく経って、自分が今どんな状況で、どこにいるのか思い出す。
「わわっ。私、知らないうちに寝ちゃったのです」
慌てて身を起こすと、そこはベッドの上だった。ここは二階の部屋で、きっと誰かが運んでくれたのだろう。
(ベッドで寝るなんて、久しぶりなのです)
昨日までは暗く冷たい地下牢で、固い床に毛布を一枚という劣悪な環境に身を置いていたのである。ちなみに投獄される前はお城の部屋が与えられ、ここよりもいい環境にいたのだが。
「あ、ミュウちゃん起きたー?」
「あ、はい。おはようです、リリカさん」
「これ、お水貰ってきたよ」
リリカが部屋に入ってきて、二つ重ねた桶を床に下ろす。どぷん、といかにも重そうな音がした。
ふとミュウがリリカの寝癖をを見つけて、笑った。
「あはは、リリカさん頭ぼさぼさですっ」
「そーなのよ。レンやソリューニャみたいに柔らかい髪が欲しかったわ」
リリカの髪は硬い。剛毛とも言える。しかも癖っ毛で、普段からぼさぼさというか野性的なヘアースタイルをしている。一度伸ばそうとしたことがあるが、手に負えなくなって断念した過去もある。
「あたしとジンの髪は硬いけど、レンの髪はふわっとしてて、羨ましいなぁ~……」
「リリカさんのその黒髪、似合うですよ?」
「え、ホント? ミュウちゃんもさらさらの銀髪、かわいいよ!」
にへっと相好を崩すリリカ。褒められて嬉しいのを隠さない素直さはリリカの美徳だ。
「じゃ、こっちでミュウちゃんは顔洗ってね」
「ありがとです」
「あ、服がしわくちゃ! それ好きなのにー」
「このメイド服です? あ、本当……」
こうしてまた、一日が始まった。




