リリカとミュウの、居酒屋
「え、えええーーーーっ!?」
「きゃーーーー!」
空中スタート。
いきなりのことにリリカとミュウは悲鳴を上げた。眼下には大きな街。直下には木造りの屋根。落ちたら痛そうだ。すごく。
「レーーン! ジーーン! ソリューニャーー!」
「…………」「…………」「…………」
「気絶してるーー!?」
「いやぁーーーーーーっ!」
リリカはパニックに陥ったミュウの手を掴んで引き寄せた。さっきまで頼もしかった少女は、今は見た目相応に怯える少女になっている。
しかしレンたちをかばうには至らず。
「~~~~っ!」
「ぃやぁーーーー!」
五人は盛大に木っ端を巻き上げながら屋根をぶち抜き、ドスンと大きな音を立てて床に落ちた。
リリカはいまだ震えるミュウを胸に抱き、レンたちの無事を確認しようと部屋を見回した。
「いたた……。みんな、大丈夫!?」
しかし返事は胸元からしか返ってこない。気絶していてろくに身を守ることもできなかったレンたちが無事なはずもない。
「こ、怖かったです~……」
「ミュウちゃん。怪我はなかった?」
「はい……」
「それで、レンたちは?」
リリカはすぐに三人を見つけた。
まだ天井に引っかかっているレンも、あお向けでのびているソリューニャも、床板に頭を突っ込んでいるジンも、胸は上下している。怪我やダメージはともかく、生きてはいるようだ。
しかし安心したのも束の間、扉の向こうからドカドカと乱暴な足音を立てながら誰かが近づいてきた。
「あー。これはー……」
ばんっ。
「ゴルァァァァァァ!」
「きゃ!」
怒鳴りながら部屋に飛び込んできたのは、たくましい体つきの男だった。無精髭をたくわえたいかつい顔のその男は、部屋の惨状と屋根の大穴を確認してからリリカを見下ろした。
(怒ってる! 分かりやすく怒ってる!)
これはまずいと、怯えるミュウをかばうようにしてリリカが口を開く。
「おじゃましてまーす……」
あたしのバカ!
というセルフツッコミがリリカの脳内で展開された。もしミュウがこんな状態でなければすかさずうまいフォローをしたのだろうが、ないものねだりをしても仕方ない。
「…………」
「…………」
(せめて何か言ってよーー!)
シンとした空気が痛かった。いたたまれなくなり、リリカの目線は徐々に下がっていく。
「あらあら、何があったの?」
「ああ、おまえか」
殺伐としたその空気を破ったのは、人の良さそうな女性であった。彼女は男の後ろから部屋を覗くと、サッと顔色を変えた。
「あらあら! どうしたの!?」
「知らねーよ。来て見りゃこれだ。まったく分からん」
「ちょっとアンタ、ぼけっとしてないで救急箱持ってきて! あの子ら傷だらけじゃないの!」
「お、おう……!」
男と入れ替わりに入ってきた女はテキパキとレンたちの介抱を始めた。
リリカとミュウは顔を見合わせる。落ちた先がたまたまいい人たちの家のようで、疲弊した彼女たちにとっては幸運だった。
「さて、アンタたちも手伝ってくれないかな。友達なんだろう?」
「は、はい。あの、ありがとうございます!」
「いいんだよ。えっと、あなたたち名前は?」
「リリカです!」「ミュウです!」
「リリカちゃんにミュウちゃんね。アタシはミケノだよ。で、主人……あの強面はドートって言うのさ。よろしく」
「はいっ」「よろしくです」
ミケノは簡単な自己紹介を済ませると、天井に差さったレンを引っこ抜いた。
「よし、リリカちゃん、ミュウちゃん。この子らを隣の部屋に運ぶよ」
そう言って部屋を出るミケノに従ってリリカはソリューニャを背負った。リリカの背中で柔らかいものが二つ、その形を歪める。
「えぎゅー」
「ミュウちゃん、無理はいいよ」
「う~、悔しいです~……」
ミュウもそれに倣おうとして…………ジンの下敷きになった。仕方なくミュウは何をするともなくリリカについて行くことに。
「…………柔い」
「リリカさん、どうしたですか?」
「いや、別に……」
隣の部屋にはベッドがちょうど三台あり、レンたちはそこに並べられた。
「さて! アンタたちはどうする?」
「え?」
「これからこの子たちの怪我を見るんだよ。友達なのか兄妹なのかは知らないけど、裸見ても大丈夫なの?」
「わわっ」「ちょっとそれはっ!」
あせあせとミュウが首を振った。リリカも「兄妹」という単語に引っかかりながらも断る。
「あ、でもそれはおばさんも同じなんじゃ……?」
「アタシはいいのよ~。もう、足腰立たなくなった主人の体を拭いてやる覚悟だってできてるんだから~」
「バカヤロウ、まだまだ先のことだ。それに、お前よりは長生きしてやるぞ」
野太い声が突然後ろから降ってきて、リリカとミュウはぎょっとして振り返った。
「ほれ、救急箱だ。取ってきてやったぞ」
「あら、ありがとう」
ドートは救急箱を渡すと、リリカとその背中に隠れるミュウに目を合わせた。
「……あと、お前らは俺について来い。怪我人は女房に任せときゃいい」
「え、あの……」
「いってらっしゃいな。こっちは大丈夫だから」
リリカたちが落ちたのはドートとミケノが経営する店「羊のひづめ亭」だった。ここは一階に居酒屋や厨房、二階に宿屋があるといった構造をしている。そしてリリカたちが落ちたのはちょうど宿の一部屋である。
「ねぇ、ミュウちゃん。あいつら、あたしにやってくれたみたいに治せないの?」
「あー、ヒールボールですか? ごめんなさい。しばらく、使えないです……」
「あっ、気にしないで!」
ドートのあとについて階段を降りながら、リリカはミュウに尋ねた。が、結果は残念ながらノーだった。
少し落ち込んだように見えるミュウを気遣い、リリカはドートに声をかけた。
「あの、ドートさん……」
「なんだ?」
「ありがとうございます。その、いろいろと」
「フン……。屋根の修理代と貸し部屋代は日数分しっかり払ってもらうからな」
「え、それって……」
「バカヤロウ! 物壊したら弁償すんのは当たりめーだろうが! それだけだ!」
これはつまり、滞在の許可だ。金さえ払えばレンたちの怪我が癒えるまで泊めさせてもらえるという許可である。
「ところで、お前らはどうしてあんなことに? どこから来た? あの怪我は?」
「え、えっと、」
「ちょ、ダメですよリリカさん!」
素直に言ってしまいそうなリリカを抑えて、ミュウが口を開く。自分たちはすでにとんでもないことをしでかしているのだ。そう簡単に事情は明かせない。
正直ドートのことは怖いが、悪い人ではないというのが勇気の後押しになった。
「その前にここは、どこです……?」
「ん? チアンだが?」
「カキブです?」
「何言ってんだ。マーラに決まってるだろう」
チアンという土地は知らない。が、マーラといえばカキブの隣国だ。かなり遠くまできたことに驚きながらも、やはり身元を知られるのはまずいとミュウは判断した。
「そうです、か……。実は私たち、転移魔導に失敗したです。怪我もそのときの……」
あっさりと嘘を吐く幼い少女。リリカへの目配せ(ここは黙って任せるですよーサイン)も忘れない。これがリリカも羨む的確なフォローの本家である。
「魔導に失敗? 俺ぁ魔法すら使えねーから分からんが……。それで、どこからだ?」
「えと……。私たち、旅をしてて……」
「ガキだけでか?」
「はい、です……」
「ふーん、まあ、いろいろワケアリなんだろうけどよぉ……」
ドートは納得してない表情で引き下がった。
深く詮索しない寛容さ持つドートに、怪我人とあらばまず手当からのミケノ。客観的にみてもこの夫婦は、とても優しい。
そんなことを考えながら、リリカとミュウは酒臭い厨房の裏手へと案内された。
「夕方から開店だ。それでお前ら、女房の代わりに店を手伝え」
「え、でもあたしたち……」
「ごちゃごちゃ言うな。雇ってやるって言ってんだよ」
雇う。給料がでる。今リリカたちが抱えている負債を払うにはお金が必要で、居酒屋バイトは一文無しのリリカたちにとって願ってもないことだった。
と、いうことで。
「とりあえず客が来たら“いらっしゃいませ”だ! ハイ、復唱!」
『いらっしゃいませ!』
「リリカ、可愛げが足りねえぞ! もう一度!」
「ヒドい! いらっしゃいませっ!」
リリカとミュウは簡単な接客セオリーを伝授してもらっていた。
ミュウは「それもアリ。いやウケる!」とのことでそのままメイド服(白ハイソックスにカチューシャにフリル完備)を流用。ミュウに合うサイズの服が見つからなかったのもあるが、店の雰囲気を変えるほどのインパクトがメイド服にはあった。
……これが後に大変な事態に発展するのだが。
対照的にリリカは店の名前が刺繍された地味な色のTシャツに着替えている。もともと着ていた服は激しい戦いの名残でとても使えなかったのだから仕方ないが、明らかに古着であるそれではミュウの引き立て役にしかならない。
そこで無理を言って、「ギリギリそういうデザインに見えなくもないミニスカート(ダメージコーデ風)」は流用した。が、虚しいだけだった。
「ぶーーーー!」
「しょうがねぇだろう、うちに子供用の服なんざねーんだからよ。昔のがあっただけ運がいいと思え!」
「だってこれもうよれよれじゃん!」
そんなやりとりをするうちに開店の時間になった。
リリカとミュウの職場体験一日目、スタート。
ほぼリリカとミュウの話。ほのぼのした章になります。




