怪鳥ククルクス
洞窟の中は明々とランプのオレンジ色に照らされていた。
不安で泣き始める子供や赤ん坊をあやす声があちこちから聞こえてくる。
「なあリリカ。あれ外に聞こえんじゃねえか?」
「大丈夫。音漏れも調べてあるみたい」
「へえ、すげえな」
レンとジンがリリカの説明を受けていると、外から地響きが聞こえてきた。
遠くからも、近くからも、足音が聞こえる。
怪鳥が島に降り立ったということだ。
しんと静まり返る村人たち。
微かな物音と、子供の泣き声だけが聞こえる。
そんな中、一人の男の声が洞窟に響き渡った。
「トト! どこだ!」
トトという人物を探しているらしいその男は、昨日レンたちが川で会った男だった。
その男が村人たちに息子の目撃情報を聞いて回っている。
「どうしたのじゃ?」
「っ! 村長! トトが……息子がいないのです!」
「落ち着くのじゃ。お主が逃げるときにトトはおったのか?」
「部屋の前で声をかけたら、確かに返事はありました。……すぐに逃げる、と、確かに言っていたのです。それから俺は腰の曲がった母さんを背負って家を出たのです」
「どうしたんですか?」
ただ事ではない雰囲気に、リリカも何事かと話を聞く。
「ああ、リリカ。息子が逃げ遅れたみたいなんだ……。まだきっと村にいる! 助けに行かなくては!」
「えっ!? トトくんが!?」
「落ち着けと言っておる。今お主が行ってもどっちも助からんじゃろう」
「それでも! それでも、もう家族が殺されるのだけは……っ!」
彼には愛する妻がいた。
村でも仲のいい夫婦として有名だった。
だが、その妻は怪鳥に殺されたのだ。
男は亡き妻に、家族は死んでも守ると誓った。
「……頼む! リリカ! トトを助けてくれ! このとおりだっ!」
土下座してリリカに懇願するその男の姿は、大人の男としてのプライドを完全に捨てた者のそれだった。
確かにリリカは村で唯一魔力を保有しており、魔力の存在を知らない他の村人たちは彼女に厚い信頼を寄せていたし、彼女自身もなるべくそれに応えてきた。
それでも彼女は、まだ15の少女である。
だが、たとえ彼女に土下座しても、彼女を危険にさらしても、トトが助かるならば。それが非力な男の覚悟だった。
「こんなこと君に頼むのはおかしいと分かってる! 危険なことも分かってる! それでも、リリカしかいないんだ……」
「…………」
男は、自分の不甲斐なさに涙した。
結局自分の力では何もできない、無力な自分を呪った。
リリカも、泣きたかった。
自分なら、みんなよりは生きて帰れる可能性は高いだろう。
だが、人間は奴らに踏まれても死ぬし、つつかれても死ぬ。
そんな中で自分が他の人とどれだけ違うのか、リリカは分からない。どれだけ力をつけようと、攻撃を受けてしまえば死ぬかもしれない。そうなれば、力の有無などまったく意味がない。
最後に怪鳥を見てから、三年が経った。三年前よりは強くなっているはずだ。
だが、怖い。
あの鳥は、巨大で、陸を走るのも速く、口から岩を飛ばせる化物だ。
そんな奴ら相手に、生きて帰れる保証も、勝てる自信もリリカにはなかった。
「頼む!」
「…………っ!」
リリカは思い出す。
自分に“魔”を教えてくれた人を。
勝てないと分かっていながらも怪鳥と戦って、その命を散らせたあの人を。
「……分かった、行ってくるわ」
リリカはそれだけ言うと、外に向かって歩き始めた。
(あたし、死ぬかもしれないな。でも)
(今逃げたら、きっとあとで後悔する。それは、いやだし)
(そもそもあたしが、追い払えるくらい強くなってるかもしれないじゃない。そうよ、どうせ分からないなら……)
リリカは、木の扉に手をかけた。
「あー。ちょい待ち」
レンの、普段通りの声がリリカを呼び止めた。
「うん。俺たちも行かせろ」
ジンも、なんでもないことのように言う。
一体何を考えてこんなことを言うのか、リリカは不思議だった。わざわざ危険を冒しにいくなど、理解できない。
「……なんで」
確かに、その申し出はリリカにとってすがりつきたくなるようなものだった。一人は不安だ。
だが、そんな理由で彼らは巻き込めない。
彼らは怪鳥の恐ろしさを知らないのだ。
「ふざけるなよ」
そしてそれは、男にとっても見過ごすことはできないことだった。
男は、彼らはリリカが一人になったところを狙うのではないかと、根も葉もない妄想をしていたのだ。
少し冷静になれば、リリカを殺せるほどの力があるならすでに全員殺されていてもおかしくないことや、そもそも自分たちを殺す理由があるのかということに考えが及んだだろうに。
「お前らは信用できない! ここから動くんじゃない!」
「うるせー! てめーの考えなぞ知ったことか!」
「そーだそーだ! そもそもてめーが原因なんだろー!」
「な…………っ!」
「やめて!」
喧嘩を始めたレンとジンと男をリリカが止める。
男の方はジンの的を射た指摘に言葉を詰まらせていた。
リリカは男を見て、レンを見て、ジンを見た。
「……分かったわ。レン。ジン。一緒に来ても」
「おう」
「任せろ」
「……なら、俺も行く」
「あん? 今度はなんだよ」
「やめとけよ。なんか危ないんだろ?」
「…………」
リリカは黙って男の心中を悟った。
ジンの言葉はよほど心に刺さったらしい。
助けたい気持ちは本物で、しかしその手段が少女頼り。ならばたとえ危険であろうと自分も行くのが道理だっただろう。彼はそれを失念していた。
「いいんだ。行く」
「おじさん……」
「リリカ。急ごう」
「うん。じゃあ、行ってきます」
「うむ。よく気をつけるんじゃぞ。お主らもなぁ」
「おう!」
洞窟から出たリリカが村の方角を見ると、早速怪鳥が二羽、村への道を塞いでいた。
しかも二羽は村へと向かっている。
(回り込んでたら間に合わない! ここは正面から行くしか!)
リリカは即座に判断して、まっすぐ村へと走り始める。
自分は村で、いや、島で最も速く走れると自負していた。
だが。
「おほっ! でっけぇーー!」
「本当だ!」
「えっ」
リリカのすぐ後ろから聞こえたのはレンとジンの声。
自惚れていた訳ではないが、この速度についてこられる人は今までいなかったのだ。
そして何よりも、巨大な怪鳥を目の当たりにしてなお余裕のある二人の態度に驚いた。
だが、そんなことをゆっくり考える暇もなく怪鳥との距離は縮まる。
時間にして約5秒。
向こうはもう近づく人間に気づいている。リリカは大きく息を吸って、吐いた。
「「クェェェェェェェッ!!!!!!」」
怪鳥が鳴いた、一瞬の後。
リリカは、さらに信じられないものを見た。
「ぅらぁっ!」
「くらえー!」
「ええええっ!?」
リリカはスタッと綺麗に着地して、ポーズをキメている黒髪の少年たちを見る。レンの右の拳には風が渦巻き、ジンはさっきまでなかったはずの銀色の武器を携えていた。
(今、何が起きて……?)
リリカはたった今起こった信じられない出来事を思い返す。
怪鳥がリリカに襲いかかろうとした瞬間、レンとジンがリリカを追い抜いて、跳んだ。あっと思う間もなく、頬辺りにキツい一撃を喰らった怪鳥がぶっ飛ばされたのだった。
「イエーイ! 絶好調~」
「う~ん、スカッとした!」
「あいつ狩ったら、焼き鳥腹一杯食えるかな!」
「いや、何羽か手懐けてカラカサまで送ってもらうぞ!」
そして二人は、そんなことなんでもないとでも言うようにカラカラ笑っている。
「し、信じられない……」
リリカは思わず足を止めてつぶやく。
「クケェェェェェエ!」
「うわーっ!」
二羽のうちの一羽が村の方に飛ばされ、怒りの鳴き声を上げた。すると、その声に押し出されるかのように一人の子供が悲鳴を上げて出てきた。
「トトっ!」
怪鳥はその大きな黒眼で子供を捉えると、巨大なハンマーのようなくちばしで襲いかかる。
一瞬だが間に合わないかもと思ってしまったリリカは、とっさに動けずにいた。
「こら、てめぇの相手はオレだよ」
対するレンは、子供が出てきた瞬間すでに走り出していた。
そして今にも子供を潰そうと、あるいは喰らおうとするくちばしに風が渦巻く豪快な跳び蹴りをかました。
くちばしは見事に逸れ、、腰を抜かしている子供から少し離れた地面を凹ませる。
レンはそのまま子供を抱えると、ようやく追いついたリリカに投げた。
リリカはとっさに胸元に頭から飛びこんできたトトをうけとめ、後ろ向きに倒れ込んで衝撃を和らげた。彼女の胸には強い衝撃が残ったが、今はトトの心配をする。
「ちょっと! 怪我はない!?」
「あ、あ、頭。むね、で、頭打った……」
「…………」
頭をかばいながら泣いているトトに拳骨を振り下ろすリリカ。
リリカはその主張の弱い、申し訳程度に膨らんだ胸がコンプレックスである。そのことに不用意に触れる者には、例え相手がガキでも手がでてしまうのだった。
「っと、おじさん!」
「トト! よかった!」
「とーちゃん!」
リリカはトトを男に渡すと、洞窟に走り始める。
レンとジンのことが気になったが、二人なら大丈夫だろうと思うことにした。今はまず、この非力な親子を無事に避難させることだ。
しかし、
「クェェェェ!」
「うお!」
「うわああ!」
「なんて……運が悪い!」
怪鳥が現れてしまった。リリカは自分がどうすべきかを瞬時に頭でまとめる。
「止まらないで!」
「リリカ!?」
「いいから行って!」
リリカは怪鳥の足に魔力を込めたパンチを叩き込む。
そうすることで自分が囮になろうとしたのだ。
「うわっ!? 速っ!?」
その目論見は見事に当たった。
怪鳥の足が異様に速かったことを除けば、だが。
怪鳥が片脚ずつしっかりと地面を掴みながら、大股で歩けることは知っていたが、ちょっとこの速さはリリカの想像を超えていた。
洞窟と逆方向に引き付けて、適当に撒いて戻ってくるつもりだったが、これは無理そうだ。
どうするか考えながら逃げていると、いつの間にかレンたちが戦っているところに来てしまった。
というか、振り切れないまま洞窟と逆方向に真っ直ぐ走っただけなので、当然と言えば当然だが。
「レーーン! こいつ止めてーー!」
「お前の獲物だろ? いいのか?」
「いいからやってー!!」
「お~け~」
泣きが入るリリカ。
レンは走り来る怪鳥の脚を蹴った。どんな怪力で蹴られたのか、怪鳥が真横に倒れる。
「お前にも出来るって」
「む、無茶言わないでよ……」
「無茶じゃねーって。ほら、起きて来たぞ」
「え、ちょっとちょっと!」
「オレ今ジンと競争してっから。先にあっちやらねぇと」
そう言い残して、自分の獲物に一直線に向かっていくレン。
こんな時にも競争とは、リリカには理解できない。だが、レンが怪鳥を圧倒しているのを見て、なんとなく自分にも出来そうな気がした。




