リリカ
「っっ……」
「あ、気が付いた」
レンは背中が擦れる感覚を覚えて、薄く目を開けた。
そしてその目は、自分とジンの首根っこを掴んで歩く少女を捉える。
その背格好からすると、レンと同い年くらいだろうか。
レンからは顔は見えないが、首を隠すくらいの長さの艶のある黒髪が見える。
ショートカットというには無造作すぎる、がさつというより野性的な髪型である。
「ぅう~、頭イテ……。って、あり? なんで引きずられてんだ?」
「あんたたちが島虎いじめたからよ」
「あのでけぇ虎のこと? ありゃあいつから攻撃してきたんだよ」
「言い訳無用っ!」
「ぐぇっ! 魔力!?」
聞く耳持たんと、レンの首を掴む手に力を入れる少女。
その手には魔力が込められていて、レンは再びあの違和感を抱く。
少女は手の力を弱めることなく、二人を引きずっていく。
「あ、そうだ。あんたたちの名前教えてよ」
「んー? オレがレンでこいつがジンだ」
「やい、おめーも名乗れ!」
「む……リリカよ」
レンとジンは道中、このリリカと名乗る少女の強さを身を持って体験していたから、依然抵抗する事なく引きずられていた。
少し体を動かすそぶりをするだけで首を絞めてくる、反射神経。
その時の、適度な力加減。
決めつけは、身体強化の練度である。
レンとジンが強制連行されている間、ほとんど魔力が不安定に揺れることも、余剰な魔力を生成することもなかった。
それだけの才能と、訓練期間がある証拠だ。
こと身体強化に限るならば、レンやジンに勝るとも劣らぬ実力を備えていることは容易に伝わっていた。
だが、リリカにはそれで彼らをどうしようという気は無いように思われた。
虎を殴ったことにはお怒りのようだが、少なくとも殺されるようなことはないだろう。
だからこそ、彼らは下手に逆らうことなく引きずられていたのだった。
というより、魔力がほぼない彼らが逃げ出したところで、簡単に捕まるのがおちだろう。
逃げるつもりも、逆らうつもりもなかったとも言える。
リリカにずるずると引きずられて行き着いた先は、村だった。
「なあジン。こいつ、どんな魔法使うんだろうな」
「分かんねーけど、きっとすげーと思うぞ」
「しっ! 喋んないで!」
村の道を引きずられながら期待でワクワクしていた二人は、ようやく周囲からの強い疑いの視線に気付く。村人たちは道の端へと寄りながら、遠慮ない視線を送ってきていた。
二人はわけも分からぬまま、黙って村を引きずられることにした。
二人が引きずられてこられたのは、一軒の家だった。
村からやや離れたところに一軒だけ、ぽつんと建っている。
すぐ後ろには森があることから、ここは村の中でも端っこのようだ。
レンとジンはその中に放り込まれた。
「ん。まず訊くけど、暴れる気ある?」
「そっちがなんにもしなければ、ないぞ」
「なら、逃げたりは?」
「しねぇよ。お前が乱暴者じゃないならな」
「よーし。じゃあそこに座って、あたしの質問に答えて。もし変なこと言ったら、ボコボコにして海に捨てるから」
「乱暴者だな! 暴れるか!」
「逃げたりするか!」
「黙れ!」
そんなやりとりの後、リリカによる尋問が始まった。
「あんたらはどっから来たの?」
「オレたち? んーと、空?」
「はぁ?」
「本当だよなぁ? ジン」
「ああ。気づいたら空にいた」
空と聞いた瞬間、リリカの顔色が変わった。
ぱっちりとした大きな目に映るのは、驚きと疑いの色。
「ぇ……。じ、じゃああんたらは、島に落ちてきた、ってこと?」
「そーだよ」
「ど、どうして? もしかして、誰かに飛ばされたりした?」
「飛ばされる? 違うぞ」
「じゃ、どっからきたの?」
「レイドールのカラカサってとこ」
「知らないわね……」
レイドール、カラカサ町。
レンたち一家が住む町である。
「それよりどうした? なんか様子おかしいぞ?」
「……ううん、なんでもない」
リリカは、一呼吸置いて自分を落ち着かせる。
「あ。そういえばあたし、この島以外の場所の名前なんか一つも知らないわ」
「オイ!」「つーかここはどこだよ」
「クラ島。海の向こうの大陸の話は聞いたことあるけど、すっごく離れてるみたい。おまけに潮の流れが激しくて海に出たら三秒で沈めるよ」
「あー。確かにぽつんと島だったな、ここ」
落ちてくるときに見た光景が頭に浮かぶ。西に陸とおぼしき影がある以外、どこもかしこも海だった。
「……つまり、カラカサ町って所からいきなりクラ島の空に移動して、落ちてきたところ島虎に襲われたと。そういうことね?」
「おう。そのとーりだ」
「はぁ。もう一度訊くけど、あんたらは村のみんなに悪さする気はないんだね?」
「何だよ俺ら、信用ねーな」
眉をひそめるジン。
するとリリカも困ったような顔をした。
「あたしはいいんだけど、村のみんなはちょっと分かんないから」
「なんかあんのか?」
「三年に一度、ちょーどこの時期になると怪鳥が来て島を荒らすのよ」
「かいちょー?」
「そ。でっかい鳥よ。で、今年がまさにその時期。そしてそのタイミングで現れたあんたら」
「そんなに怖いのか? 鳥」
「焼いて食えばいいのに」
ま、みんなには一応、あんたらが無害だって言っとくけど、期待しないでよね。
そう言ってリリカは立ち上がった。
「今日はここで寝ていいよ。あ、外には出ないでね」
そう言い残して、すっかり暗くなった外へ出ようとするリリカに、この島に船はあるかとジンが尋ねた。
彼らの目的はあくまで帰ることであって、この島に長居する理由はなかった。
「さっきも言ったけど、海は危ない。波がすごく強いから、船で海に出たら誰も戻れないの。三秒で沈めるってのも嘘じゃない。だから、もうこの島からは出られないわよ……死ぬまで」
だからみんなに説明しとかなきゃいけないのよ。あんたらきっとここに住むことになるんだから。
と、今度こそリリカは出ていった。
レンとジンは顔を見合わせ、そのまま床に寝転がった。
「……なあ、リリカっていい奴みてーだな」
「あの乱暴者がぁ?」
「いやだってさ。なんかオレたちをかばう感じとかしてなかったか?」
「うーん。そう言われればなー」
実際リリカは他の村人と同じような目で二人を見てくることがなかった。これは人の良さといえば納得できるのだが、空と聞いたあとはことさら優しくなった気がする。
これにはとある理由もあり、確かにリリカには警戒こそすれど無闇に敵視するつもりがなかったのだが、内情など二人には分かるわけもない。
難しく考えるのは性に合わない二人は、とりあえず寝ようと目を閉じる。
内容の濃かった一日の疲労で、二人はすぐに寝息をたてはじめたのだった。
◇◇◇
まずリリカが向かった先は、村長の家である。
村長と、村で力のある大人が数人座している。
「……ってことなんだけど、村長さん」
「ほお。そんなことが。それで、どうじゃ? そのガキ共は」
大人たちは口を挟みたいのを我慢して、じっと聞いている。
リリカは即答する。
「悪い奴じゃないよ」
「ふむ。なぜ?」
「う~ん、実際に話したから……かな?」
「な……!」「おいおい……!」
「そんなこと……」
「これ。話の腰を折るでない」
「く……」
声を大にして異を唱えようとした一人を、村長は静かに咎める。
「それで、どうしたいんじゃ?」
村長の問に、逡巡するリリカ。
その問はここに来るまでも考えていたことだった。
が、いざ己の心を問われると口が重くなる。
彼女はこの村の住人が大好きだったし、だからこそ、思うところも沢山あった。
みんなこの時期の怪鳥を恐れ、憎んでいることも痛いほどよく理解していた。
そして何より、彼女自身にも怪鳥にはつらい思い出がある。
だが、それでも彼女はレンとジンを擁護したい。
彼らは関係ないから、というのは表の理由。
本当は、彼女にはあの邪気の無い二人を疑えず、どうしても信じてしまうような過去があったからだ。
しばらくそんなことを考えて、彼女は二人をかばうことに決めた。
たとえこの発言で村のみんなが嫌な気分になり、どんな反感を買うとしても。
リリカがその旨を伝えても、村長は動じることなく静かな声で応じた。
「いいじゃろう。ただし、責任は全て背負ってもらうぞ? そして何かやらかしたりしたときには、責任をとってガキ共を追い出すこと。守れるな?」
「……うん! ありがと村長!」
村長直々の許しが出た。
リリカは興奮して頭を下げる。
しかし、大人たちが黙って聞いていられたのも限界だった。
「バカな!」「ああ、おかしいぞ!」
「この時期です!」
「考え直してください! 村長!」
「怪しい奴らは見過ごせません!」
「空からなどとふざけた嘘に騙されるのですか! 村長!」
「しかも島虎を倒すような力のある奴らを、この村に置いておくのですか!」
周りから上がる非難の声。リリカはおそらくこうなることが分かっていた。
分かってはいたのだが、実際に非難を受けると自分のことのようにきつかった。




