道は別れど
別れの日。
チュピの民たちとオーガ族の全員が、昨日ネロとの私闘があったギルドの中庭に集合していた。
「おー人がいっぱいいる!」
「レン! お互い無事でよかったな」
「オーガのおっさん! 手ぇ大丈夫かよ」
「故郷でゆっくり治すさ。お前たちのおかげでそれができるようになったからな」
「うん、そっか」
過酷な旅路になるはずだった。大勢を率い、長い時間をかけ、別の大陸に渡って故郷に帰るのだ。手が治るとか体力が戻るとかそんな話に関係なく、必ず死者は出ただろう。
「それでな、チュピの奴らも俺の故郷に連れてくことにした」
「エリーンたちも? なんでだ?」
「一つは彼らが未熟だからだ。聞いたぜ、雨も知らなかったって」
「わはは! 不思議な話だよなー」
「生き方を教える。魔族の生き方を一から、俺たちにはそれができる」
グラモールはチュピの民たちを地上に連れてきた責任を取ろうと思っていたのだ。船に乗せたことは救いではない。未知の地に連れてくるだけ連れてきて後は知らぬ存ぜぬというのは無責任な気がしていた。
「もう一つ。彼らには故郷がない」
「あ、そっか。北の方に落ちたんだっけ、もう住めるような場所じゃねーよなぁ」
「すでに人間が出入りしてるそうだ。人間族の政治はわからんが、まずい状況なのは想像できるぞ」
「難しい話はわっかんね! でもおっさんがなんとかしてくれんだろ?」
「そのつもりだ。いつかは俺たちから離れて新しいムラを築いていってほしい」
グラモールはチュピの民を救いたいと思ったのだ。ならば地上に根を張るまで見届けて、はじめて救えたといえるのではないか。
グラモールは彼らと共に生きる覚悟を決めたのである。
「レンさん! グラモールさん!」
「よぉエリーン! しばらくおっさんが面倒見てくれんだってな!」
「はい! お世話になリます!」
「任せろ。乗り掛かった船ってな」
三人が談笑しているところに、リリカがミィカの手を引いてきた。
「やっほー……えぐ、ミィカちゃん連れてきたよ……」
「わはは! 朝からずっと泣いてんじゃねぇよ!」
「ぶえぇ~……だっでぇ~~」
感受性の鬼リリカは朝から目が赤かったが、別れの時が近づくにつれ水気を帯びるようになりやがて決壊した。
「ミィカも泣くなよ~」
「~~……!」
「うおっと。はは、どうしたどうした」
そんなリリカにつられてか涙をこらえていたミィカが、レンに勢いよく抱きついた。ミィカは駄々をこねるように頭をぐりぐりと押し付ける。
「うん。じゃもっかい約束だ」
「……」
「また会いに行くからよ。エリーンたちを助けてやってくれよな」
「ん……約束……!」
「オウ! 約束だ!」
レンは出会って間もない段階でミィカを認めていた。空の上で出会ったこの小さな少女は、姉を想い行動できる強い気持ちを持っていたからだ。
空での戦いの間もリリカをしっかり守り抜いた。レンからの信頼はより強いものになっていた。
「あああーー!」
「んあ? マオとミツキじゃ」
「キサマ幼女と~~! 羨ましい~~!」
「いでで!? てめっ、吹っ飛ばすぞボケ!」
杖をついたミツキがレンと取っ組み合い、一気に騒がしくなる。
「寂しいね、ミィカちゃん」
「ん……でも、約束しタ……」
「ふふっ。まったく女の子泣かせねぇ」
付き添っていたマオはミィカを撫でる。
ミィカの人見知りも地上で色々な人と関わるうちに少しだけ良くなって、今ではマオとのスキンシップも自然に受け入れられるようになった。
「ミィカちゃん、向こうに行っても元気でね」
「うん……マオさんも」
「あっだめミィカちゃん可愛い~! 持って帰る~!」
「ちょいちょいちょい」
「誘拐犯なのです。神妙にお縄につくのです」
たまに暴走の気のあるマオを止めたのはソリューニャとミュウ。
隣にはスクーリアとテレサがいる。二人はテレサがギルドに通ううちに知り合い仲良くなったそうだ。
「レンさん、昨日はありがトうございます。お二人があの人ヲ説得したとか……」
「ああ、本当にありがとうね。何かしてやりたかったけどなにぶん急な話でね」
「いーよ別に。そんなつもりじゃなかったし、礼言われると変な気分だ」
「うええテレサぁ~~……」
「リリカも、世話になったね」
テレサはへにゃへにゃのリリカを抱きしめる。
「いつかアタシたちオーガの里に遊びにおいで」
「うん絶対……」
「オウ。鍋みたいに熱い温泉焚いてもてなすぜ」
「それは忘れてぇ……」
リリカが空で最初に世話になったのがこの夫婦だ。二人には感謝してもしきれない。
「わはは、リリカ泣いてんのか」
「おい、ジン。あまリ茶化すこトじゃ……」
「そうデすよ。私だって寂しイです」
ベルとリラ、ジンの三人が連れ立って合流する。
「改めて、世話になっタ。感謝してもしきレないよ」
「ええ、本当に。ベルの無茶に付き合ってクれてありがとうね」
「気にすんな。あん時ミュウとソリューニャを助けてくれたしおあいこだ」
ガウスが居する都市リーグに囚われたソリューニャとミュウを脱走させる作戦で、ベルは道をよく知る案内役として活躍した。未知の土地で密かに地図を描き作戦に備えていた彼がいたことはとても幸運だった。
「ああ、助かったよ」
「そうなのです! ありがとうございました!」
「戦闘では足手まトいだったがな……」
今回の戦いでベルは己の力不足を痛感した。村一番の強者だった父ウルーガが戦死した今、ベルは強さをより渇望していた。
最近では外で稽古するヴェルヴェットに頭を下げ一緒に修行し、たまに手合わせしてはボコボコにされている。
「これカらはオレが巫女様をお守りする。いつか親父を超えジンのヨうに強くなるぞ」
「またあナたは一人で……。そういうのは無シって約束でしょう?」
「生き残った守リ人は皆同じ気持ちよ」
「皆さん、頼りにしてマす!」
力不足はベルだけではない。ガウスの侵略から守るだけの力がないと痛感してから、守り人たちは常に力を求めてきたのだ。
ベルも、リラも、スクーリアも。目の前の巫女エリーンを今度こそ守り抜く。それが託され生き残った者としての新たな覚悟だった。
「はっは! 俺も負けねーぜ!」
「ああ。もしモいつか会ウことがあれば、その時ハ手合わせ願うよ」
「俺はレンと世界中旅して回んのが夢だからな! それなら絶対会えるだろ!」
「素敵な夢デすね!」
ベルとジンは固い握手を交わした。
「オホホ、皆様お揃いで」
「わ、ビックリ! そういえばハッターたちはこっからどうすんの?」
「ワタクシたちもこの機に行こうかと。いい湯も堪能し尽しましたしネ」
「てことは本が完成したんだ」
「ええ、そのようです」
ネロとハッターはギルドに部屋を用意され、ヘイグの人たちに姿を晒さないという条件で自由に出入りしていた。そうまでしてこの地に滞在していたのは、ネロが趣味の日記を落ち着いて書く場所が欲しかったからである。
ネロは時間をかけて練り上げた計画とその過程、結果を物語風の日記に残すことで遊びの締めとしているのだ。ネロはその合間に温泉でリラックスをしたりリリカで遊んだりしたりしていた。
「最初は殺そうかとも思いましたがあの兄上にも気に入られました。気まぐれの性分だけでなく、アナタの人柄が手繰り寄せた幸運のように感じます」
「あたし負け続けただけだけど」
「関係ありませんよ。アナタにはそれだけの魅力があった、それが真実なのです」
「えー? そうかなぁ」
「覚えておきなさいナ。魅力もまたひとつの“力”であることを。そして大事を為した英雄は須らくその“力”を備えていたことを」
「あんまり自分じゃわかんないけど、わかったよ!」
「オホホ! ええ、ワタクシも覚えておきましょう。数奇な力を宿すお嬢さんのことを」
ハッターは今のトレードマークであるシルクハットを手に取り、どこもかしこも細長い体を折って一礼した。
「ではリリカさん、皆様も。どうかお元気で」
「何をしている、ハッター」
「お別れをね。ワタクシ紳士、たしなみですヨ」
そこにネロも現れる。隣にはクロードとロールマリンがいる。
「おい、長共。行き先を言え」
「グラモールさん、これをどうぞ」
「地図……? いやまさか、これは俺たちの……!」
「ええ、クロード君の私物の写しです。どこまで精確かは保証しかねますけど」
ロールマリンがグラモールに渡したのは人間族の住む大陸ではない、魔族の大陸の描かれた地図だった。
「なぜこんなものを!?」
「アハハ、まあいいじゃないか。その反応、使えるんだね」
「あ、ああ……。ここだ、ここに頼む」
グラモールは戸惑いながらも、地図に魔導で印を投影してネロに渡した。
ネロは小さな窓を作ると、グラモールに覗かせる。
「ここで間違いないな?」
「あ、ああ! わかる、この懐かしい感じ……!」
行き先の話はついたようだ。
「私たちもソこにお願いします。同じ場所デす」
「なるほど、まあどうでもよいがな。では行く者全員をそこに集めろ」
「ワタクシがやりましょうか? 塔の転移でまだ大きな制約を受けているのでしょう?」
気まぐれの転移能力も無制限ではない。塔の転移には1年以上もの魔力の蓄積が必要で、さらに今しばらく能力が減衰したままになっている。
「いらん。俺の言い出したことだ」
「オホホ。自慢の兄上ですヨ」
チュピの民たちとオーガたちがエリーンとグラモールの近くに集まってくる。逆にレンたちはそこから離れていかなければならない。
今この時、この場所が分かれ道だ。
「エリーンさん、グラモールさん。おかげで貴重な記録が取れました。ありがとうございますね」
「ロールマリンさん。クロードさん。本当にお世話になりマした!」
「いやぁ僕らが手に入れたものの方がデカいくらいさ。君の魔力も魔導水晶に入れてもらえたしね」
「妙な頼み事だな。だが俺たちもデカい借りを作っちまった。もしいつか力になれることがあれば必ず手を貸すよ」
「ありがたい申し出だ。クロノスオーガ支部の構想でも練っておくかね」
「ふっ、面白いことを考える」
グラモールたちはもとから人間族に友好的な思想を持つ親和派閥だ。そんな彼らとこうして直接かかわったことは、クロードたちにとっても意味のあることなのだった。
「本当にお世話になりました、先生。よく効く眠り薬の調合まで、とにかく世話になりっぱなしで何とお礼を言えばいいのやら」
「テレサさんまでよしてよぉ。使い過ぎには注意だよぉ」
「ふふ、先生も飲み過ぎには注意ですよ」
「おやぁ言われちゃったね。いつかオーガの秘酒とやら味見しに行くよ」
ヨルテアは酒瓶を振り振り、赤い顔でテレサと挨拶して離れていく。
顔が赤いのは酒のせいばかりではない。チュピの民たちも含めほぼ全員が世話になったヨルテアは先ほどまで皆に囲まれるという大人気っぷりだったのだ。
「ヴェルヴェット先生! ご指導ありがとウございました!」
「弟子とウェンリルに頼まれただけだ。達者でな」
「はい!」
ベルたち守り人と関わりのあるヴェルヴェットも、簡潔ながら挨拶をして離れていく。
「まったく師匠は淡白なんすから……。ベル、この結末は君の暗躍あってのものだと思ってる。焦るなよ、君はいい守り人になる」
「ありがとう、必ず守リ抜くよ。皆のことモ決して忘れない」
「じゃあ幸運を祈るよ、みんな。特にミィカちゃん」
「危ないこと言ってないで行くわよバカミツキ」
「ありがとう、ミツキ。マオ」
「うん……ばいばい……」
ミツキが不愛想な師匠のフォローをしつつ離れ、マオもそれに続く。
「うええん! あうえええ!」
「リリカもまたねってさ。ん……元気でね」
「あうう、これはもらい泣きなのです……。さようならなのです……!」
「もう、私まで涙が……うぅぅ、ありがとう……!」
「ぐすっ。リラまデ、珍しいわ……」
涙の輪がリラとスクーリアまで広がったところで、リリカたちも名残惜しそうに離れる。
「エリーン。お前は俺の戦友だ!」
「戦友、デすか?」
「うん。一緒にガウスと戦った。んで、勝った! エリーンがいてくれて本当によかった!」
「……はい! 私たち、戦友デす!」
「ニシシ! またな!」
ジンは戦友と拳を合わせた。
「おーい、エリーン! 言い忘れてた!」
「レンさん……!」
「オレお前のこと嫌いって言っちまったけどよ、取り消すよ!」
最後にレンがエリーンの前まで来て言った。
「今のエリーンのことは好きだぞ!」
「っ……!!」
会ったばかりの頃の自罰的なエリーンのことも。たくましく成長し最後まで戦い抜いたエリーンのことも。
レンはどちらも知っているから。だからこの同い年くらいの少女のことを心から認めていた。
「いつかまた……立派な長にナった私を……私に……!」
「会いに行く! だから負けんなよ、エリーン!」
「はいっ! レンさん!」
尊敬も、羨望も、友情も。ぜんぶまとめて溢れた複雑な感情に、甘くて淡い恋心は内緒で混ぜた。
そうして生まれたこの何とも言い表せない、それでいてとても大切なキモチをありったけ込めて。
エリーンは彼に笑顔で伝える。
「ありがとう!」
レンも笑っていた。
「うん! またな!」
エリーンたちとレンたち。行く者たちと残る者たち。
ふたつに別れた道がそこにはある。それでも向く先は同じだ。
彼らはそれぞれの道へ。ともに未来へ続く道へと進むのだから。
ネロが指を鳴らすと。
初めから何もなかったかのように彼らは消えた。
◇◇◇
ネロが指を鳴らすと、初めから何もなかったかのように彼らは消えた。
一瞬で見える世界は木々一色に変わる。植生、風の香りと虫の声。オーガたちはそこが確かに故郷への道であると確信した。
「この森……知ってるぞ!」
「ああ、思い出したよ……!」
グラモールとテレサの先導に従い森の中の道を進むと、少しずつ木々が減り陽光が強くなっていく。
やがて景色は開け、その先には街があった。
「ここがグラモールさんたちの……!」
街路がある。家があり、煙を吐く町工場があり、花壇に囲まれた広場がある。
人々が営む街だった。
「やあ。見ない顔だけどどこから来たんだい?」
「…………!」
街に近づくにつれオーガたちは顔を歪め嗚咽を漏らしていたが、街の人々が彼らに気付き集まってきた頃にはもうたまらずむせび泣いた。
「あれ? あんたぁまさか……グラモールか……!?」
「ああ、ああ!」
グラモールは膝から崩れ落ち号泣した。
「た、大変だぁ! グラモールたちが帰ってきた!」
「うおお! ふ、ぐおおおおお……っ!」
街中の人々が集まってくる。
15年という時を隔てた帰郷だった。オーガたちは誰もが声を上げて泣いた。
「優しそうな人たちですね、巫女様」
「はい。ここでなら、私たちもきっと……」
もらい泣きのエリーンが目尻の涙を拭う。
「ここから始めていきましょう」
「そうですね。我々も彼らのように温かな故郷を」
「ええ、レンさんたちに自慢できるくらいの場所に、きっといつか……」
チュピの民。彼らの新しい歴史が始まった。
◇◇◇
「行っちゃったね……」
「うん。急に静かになって、なんだか……」
「夢から覚めた、みたいなのです……」
初めから何もなかったかのように、彼らは消えた。
まぶたの裏の残像も二度、三度とまばたきする間に薄れてしまう。しかしそれが夢などではないことを知っていた。
「夢なんかじゃねーよ」
「ずっと忘れねぇさ。そうだろ?」
なぜなら胸の内に温かな思い出がある。
「うん、そうだね!」
それぞれの道へ進んだとしても、共に歩いた時間は確かにあったのだから。
これで天雷編ホントにおしまい
ここを物語の一つの区切りとして、次回から新展開です




