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突撃外れの廃病院

 

「あーリリカちゃーん。ちょっとちょっと」

「先生! なぁに?」


 リリカがヨルテアからお使いを頼まれたのは、曇り空のある日のことだった。


「これ、グラモールさんのお薬なんだけどね。テレサさんに間違えたの渡しちゃってねぇ」

「届けるよ! グラモールにも会いたいんだ!」

「話がはやぁい。お願いするね」


 バスケットに薬と見舞いの品を入れて、簡単な地図を手に病院を出る。


「私も行くのです。助けて貰ったお礼が言いたくて」

「わっ助かる! はいっ地図読んで!」

「ええ……」


 ミュウも合流し、向かう先は町はずれの廃病院。

 ギルドと病院の併設にあたり、その前身となった医療研究施設は廃止された。療養中も関係なく悪夢を撒き散らすグラモールにとって、人目につかないが療養のための設備も残っている廃病院は都合がよかったのである。


「……ここ?」

「ふ、雰囲気あるのです」


 ただでさえ医療都市、ただでさえ病院。人の生き死にを追求するこの街には、主に女性を中心にオカルトチックな噂に事欠かない。


「そういえばこの街ってお、オバケの噂とか多いって聞いちゃったぁ……」


 葉の落ちた木々に囲まれ、ひび割れた外壁に伸びたツタが絡んでいる。人がいなくなって数年には到底見えない荒廃具合は、これからここに突撃しようという二人にとてもとても嫌な予感を抱かせた。


「じゃあ行くよ! 手つなご!」

「は、はいです……」


 正面玄関から突撃。出迎えは薄暗いホール。固まる二人、音を立てて閉じた扉。


「…………」

「…………」

「やっぱオバケ屋敷モードだぁ!!」


 リリカが一度体験済みの現象であるこれは、睡眠中のグラモールが環境に影響を及ぼして自身の悪夢を投影しているがために起きる。


「ね、寝てるかぁ~~」

「りりりリリカさぁん……なななんですかこれぇ……」

「おて、お手手ちゃんと繋いでよーね。真っ暗になったり犬にじゃれつかれたりするよ」

「犬って……あれ、なのです?」


 いつの間に現れたのやら、リリカの背丈を大きく超える黒い犬がのっしのっしと近づいてきていた。

 愛犬を亡くした悲しみがグラモールの悪夢に作用して、よく現れるのだと聞いていたリリカはそれを思い出した。この犬の幻とは短い期間同じ屋敷で顔を合わせていたのでそんなには怖くはない。


「バウっガヴっ!」

「うん。あ、でもでも昔飼ってて死んじゃった子らしいから、大丈」

「ヴっ!」


 リリカの上半身をぱくりと一口。黒犬はリリカの下半身をぶら下げたまま病院の奥に走り去っていってしまった。


「……お持ち帰りの足だけ出てリリカさんが食べかけっっ!?」


 動転して妙な言葉をまくし立てたあと、ミュウは慌てて駆けだした。


「ええ!? ミュウちゃん!?」


 一方で急に手を振りほどき謎の文言と共に奥へと行ってしまったミュウに、置いてきぼりにされてしまったリリカは途方に暮れていた。


「お、置いてかれた……ミュウちゃんに一人で置いてかれた……」


 一度出てみようかとも思ったが、振り返った扉が燃えていたのでやめた。とても熱そうだった。

 ため息をついてミュウの消えた方に向き直ったところ、今度は壁がウゾウゾと蠢きながら道を塞ぎかけていたのでリリカは慌ててミュウを追った。


「こっ……っっわぁ~~! こうなったら一人でグラモール見つけて起きてもらわなきゃ!」


 病院は空で迷った館ほど広大ではないので、走り回っていればいずれ見つかるだろうと単純に考えたわけであるが。


「キャー! 壁から目玉が!」


 無数の瞳に凝視されながら廊下を駆け抜け。


「お邪魔しま~……せん! 絶対入んないからー!」


 部屋の中を確認しようとしたところ、リリカの語彙では到底形容できない半固形の化け物が食事中で。


「わ、透けた女の人! あれ、人間……? なんかグラモールっぽくない……」


 これまでのグロテスクかつ直接的な恐怖とはまた違う、ただ現れて壁を抜けて消えていった白い女性に首を傾げ。


「ぎゃー針がたくさん刺さった人形ー!?」


 無数の針が刺さり元が何の人形かもわからなくなった綿の死骸が廊下の真ん中で踊っており。


「この部屋には何もいませんように……うんいないでも血まみれのベッドが置いてあるー!?」


 まるで眠った人を捕食する化け物のような、斑に黒ずんだシーツのベッドが鎮座し。


「もぉーやだ……。ミュウちゃん大丈夫かな……」


 ヘロヘロになりながら辿り着いた部屋を覗くと、そこは広大な荒れ地だった。


「わ……お墓……?」


 乱立する墓標に枯れた花が供えられている。

 その墓標の一つに跪く男がいた。グラモール、恐らく幻の姿だ。


「そっか、キャングの……」


 親友の墓の前に跪く彼に対して、リリカはかける言葉がなかった。この無数の墓もきっと彼の仲間たちのものだろう。


「悪夢見るから眠れないって言ってたっけ……。もしかして、こんなにも悲しい夢をずっと……」


 もらい泣きに潤む目をこすりながらリリカはその悲しみの中心部へと手を伸ばした。


「っ! グラモール、起きて。ミュウちゃんが怖がってるかもしれないんだよ!」


 触れた瞬間の暗闇を覚悟していたが、目から涙がぶわっと溢れるだけで済んだ。寝覚めの一撃にも備えたが、グラモールの覚醒は穏やかだった。


「ああ、リリカか……どうした?」

「起こしてごめんね。怪我だいじょぶ?」

「おかげさまでな……お前こそあてられたんだろ、ごめんな」

「あたしは大丈夫!」


 グラモールはヨルテアに処方されている薬を飲み、妻のテレサに看病を受けている。普通のナースたちでは看病どころではないからだ。悪夢に巻き込まれても耐性を持つテレサだけがこの屋敷で面倒を見られる。


「あ、でもでも! ちょっとミュウちゃん探してくるから起きててよ!」

「もう一人いるのか。わかった、行ってこい」


 リリカは慌ただしく部屋を飛び出した。


 ミュウはすぐに見つかった。

 リリカは部屋の隅で膝を抱え蹲るミュウの肩を優しく揺する。


「ミュウちゃん、ミュウちゃん。もう大丈夫だよ」

「……リリカ、さん」


 ミュウが何を見てしまったのか、リリカは聞かなかった。自分も雲の上で自分の心の闇を浮き彫りにされるような、かなりキツい幻惑に囚われてしまったのだ。それは話すには結構な勇気を要するものである。


「グラモール起こしたからもう平気! 怖い人じゃないから、ネ。行こ?」

「はい……」


 顔色の悪いミュウに背を貸してグラモールの部屋まで戻る。


「……リリカさんは……」

「ん? あたし?」

「すごいのです……本当に……」

「えっ、そうかな。ミュウちゃんだってすごくすごいと思うけど」


 ぽつりぽつりとこぼれるのは、ミュウの弱音だ。


「私とは違うのです。リリカさんは……いつもすぐ立ち直って……」

「そうかなー。大事なとこでやられてばかりだから、うーん……」

「それでも……折れないのです……」


 リリカは困ったように頭を掻いた。ここのところ色んな人から持ち上げられすぎている。


「私……役に立ったってことはちゃんと、分かっているつもりです……」

「うん」

「でも、レインハルトに負けて……神樹の至宝を斬られて、ヘスティアさんも消えちゃって……」

「うん」

「今でも私……ダメだったことばかり考えてしまうのです……」


 ミュウはあの戦いで大きな戦果を挙げた。リリカたちが今地上に生きていられるのも彼女の力があったから、それは間違いない。


「うーん……ミュウちゃんが負けたから、じゃないかなぁ」

「ひぐぅ」


 基本ミュウにはだだ甘なリリカらしからぬ、遠慮ない一言が飛び出した。どちらかといえばレンたちデリカシー欠如組の発言に近いそれはミュウの心においうちをかけた。


「負けたら悔しいもんね」

「あ」

「特にレンとジン! あたしばっか負けて、あいつらは最後に勝っちゃうの!」


 負けたから悔しい。悔しいことは記憶に残りがち。

 当たり前のことかもしれない。


「ズルい! カッコいいけど! 超悔しい!」

「んふ、なんですかそれ……」

「そんであいつら、ボロボロんなって勝ったのにもう次は次はって! もっと強くなるんだーって!」


 ミュウの足を支えるリリカの手に力がこもる。


「なんかもう……腹立たない!?」

「あはは。ちょっとわかるかもです」

「だから……えと、何の話か忘れた……。あははは、自分の話ばっかでゴメン……」

「ふふ、もういいのです。聞いてもらえてよかったのです」


 リリカだって落ち込む。立ち止まる。それでもひたすらに前を行くレンたちに嫉妬し、憧れ、腹を立てて、離されまいとしてまた進み始めるのだ。

 その全てをミュウは真似ることはできないが、リリカがいかにして立ち直ってきたのかそのメンタルには参考の余地はあるだろう。


「ところでリリカさんは二人に似てきましたね」

「えっ、本当!?」

「はいっ、悪いところばかり」

「ミュウちゃんがいじめる~~!」


 ちゃっかり仕返しも忘れないしたたかなミュウだった。





「たっだいまー!」

「おう。ミュウ、だよな。嫌なもん見せちまって悪かったな」

「だ、大丈夫ですっ」


 そこにテレサも戻り、四人で茶を飲みながら休憩することになった。

 テレサは受け取った薬がいつもと違うことに気付き、リリカと入れ違いで戻っていたらしい。


「悪夢の影響を受けない能力があるからね、アタシだけが看病できるのさ。まあヨルテア先生ほどじゃないから、コイツの経過記録と薬を毎日交換しに行き来してる。特に眠りを深くする薬、これがないと夢に苦しんで治るものも治らない」

「毎日! 大変だぁ」

「あっはっは。本当に大変なのはコイツやリリカたちだろう? アタシはこの通り怪我一つないさ、アンタらが守ってくれたからね!」


 腕まくりをしてオーガ族らしい逞しい腕を見せるテレサ。ケガ人の手当てをはじめとした多くの仕事を今元気のある者たちが行っている。オーガ族もチュピの民たちも、みな一丸となっているのだ。


「先生来てないの?」

「一回来てトラウマ抱えて帰ってったよ。気にしてないみたいだけどね」

「ああ……」


 当のヨルテアは禁酒中。ついに3日目にして幻覚を見るようになったかと笑いながら帰ったらしい。


「そーだ、大活躍だったんだってね! グラモール、ありがと!」


 リリカが頭を下げた。

 グラモールは照れくさそうに謙遜した。


「いや、礼なら俺が。お前がいなきゃテレサ共々殺されてた」

「いやいや、ガウスから助けてくれたんでしょ」

「厚意の押し付け合いは無為さね。どっちも生きててよかった、そうだろう?」

「うん!」


 そしてミュウもグラモールには命を救われている。


「グラモールさん、私のことも守ってくれたって。ありがとうございました」

「酷い傷だったが……生きててよかった」

「ずっとお礼が言いたかったのです!」


 レインハルトに吹き飛ばされ意識を失ったミュウを奇跡的に受け止めたグラモールは、その後も身を呈した作戦でレインハルトを欺いている。

 その顛末はマオとエリーンから聞いていた。


「俺だけの力じゃない。特にマオが凄かったよ」

「マオもグラモール褒めてたよ。最後の力を振り絞ってでっかい幻作ったんだって」

「いや、ああ。マオはどうしてるんだ」

「街の図書館なのです。勉強したいことがあるって」


 ヘイグには大きな図書館がある。特に医学書や研究論文の蔵書数は大陸一である。


 話は途切れ、しばし沈黙が流れる。


「まあ、なんだ。傷、残らねぇといいな……」

「どう……でしょう。頑張って治すのです」


 ミュウの火傷は自身の最大火力を返されたことによるものだ。ヨルテアには「運が悪ければ肩から二の腕にかけて痕が残る」と言われている。左手は食器を持てるくらいには回復した。


「レンたちも目を覚ましたんだってな。よかったな、二人とも」

「うん。まだいっぱい寝なきゃいけないみたいだけど、どんどん元気になってるよ」

「レンがな、リリカを頼むって両手ついて頭下げたんだ。大した男だよまったく」

「そうなんだ……」

「ああ。俺は彼らを尊敬してる」


 リリカに死んでほしくないから、自分がいない間リリカを頼むと彼は言った。仲間のために躊躇なくすべてを投げうてる、そんな男の背にグラモールは敬服したのだ。


「……そろそろ次のことも考えなきゃならん。いつまでも世話になるわけにはいかないからな」

「まだ治ってないのに……」

「もう15年以上待たせてるからな……。だが問題は道中だ。キャングなら、はるか遠くの地まで導くこともできただろうが」

「グラモールがいるじゃん」

「いや、俺は……皆と一緒に行動すんのはな……」

「寝るときだけ離れればいーじゃん。みんなグラモールを頼りにしてたよ」


 ギルドで生活中のオーガたちはみなすでにグラモールを次のリーダーと思っている節がある。彼らは不安なのだ。これまで表のリーダーとして活躍してきたキャングがいなくなって、リーダー不在のまま先の見えない新たな生活が始まっていくことが。


「しゃきっとしなよアンタ、いい加減覚悟決めるんだよ」

「がんばって! グラモール!」

「リリカさん、私たちがあまり外堀埋めるようなこと言わない方が……」


 グラモールは深くため息をついた。


「わかっちゃいるんだ……俺がやるべきなのかって、考えないわけじゃない……。だが仲間の屍に生かされた俺にその資格があるのか、自信がないんだ」

「レンたち言ってたよ。信じて頼って貰えるのはすごいことだって。あとは自分がやりたいかどうかだって」

「……そうか」


 沈黙とため息。グラモールは観念したようだった。


「キャング……。お前のようにはできないが、全力で仲間は守るよ」

「がんばって! グラモール!」

「それと、チュピの先住民たちのことだが、奴らさえよければ連れて行こうと思うんだ」


 グラモールはチュピの民たちのことも案じていた。


「テレサが色々と聞いてきてくれたんだが、やはり人間の国に魔族は受け入れられてはいないんだとな。まあ予測できちゃあいたが、ニエ・バ・シェロまで落としちゃあどんな事情があれ歓迎はされねぇ。幸いそっちのリーダーは隠そうとしているようだが、大陸から出るまで続くわけがない」

「グラモール……」

「その点はまあ俺たちも同じだがな、このまま人間の国にいても混乱を招くだけだ。少しでも早く受け入れてくれる土地を見つけて根を下ろすべきだ」


 もともとエリーン一人を地上に連れてきた後のことはずっと考えていた。チュピの民たちはエリーン一人でも生き残りさえすれば自分たちは不滅であると信じていたからこその作戦。言いたい事はあったが自分の価値観を押し付ける気はなかった。

 ベルはエリーンが地上に逃れたあと、彼女が新たな聖地で子を為し再び民が繁栄するまで守ってほしいと頼んだ。


「地上の生き方、魔族の生き方、それを覚えるまで誰かが導かなきゃあ、また死人が出ちまう。せっかく生き残ったんだ、そんな死に方するこたねえだろ……」

「グラモールさんは……きっともういいリーダーなのです」

「コイツのおせっかい焼きは生来のもんさ。まったく、どの口で向いてないなんて」


 多くの民たちが生き残った今、グラモールはその全員が新たな地で根を張るまで見守ってやりたいと思っている。


「グラモールならできるよっ!」

「簡単に言ってくれるな、リリカ。よく寝て体も回復してきた。明日にでも奴らと話をしてみるぜ」

「うん!」


 グラモールは新たな決意をもって笑った。







 ◇◇◇



 新しい杖を受け取ったミュウは軽く魔力を通してみた。


「……うん。使える、のです」


 魔力安定型の杖。決して上等なものではないが、ミュウにとっては杖であることが重要だった。


「手、大丈夫なの?」

「はい。違和感ないのです」


 杖を調達したマオは心配そうにしている。

 ミュウはあのとき魔導融合能力を使った反動で、虹以外の魔導が発動できなくなった。今はもう手の感覚は元通りになっているので、使いたい魔導を選んで使うことができるだろう。


「じゃ、ありがとうなのです!」

「あ、もう。慌てちゃって……」


 ミュウが向かった先は、レンとジンの病室だった。

 二人は目を覚ましたが、まだ一日の大半を眠って過ごしている。ガウスとの戦いでのダメージはそれだけ深いということだ。


「先生には許可を取ったのです! いっぱい食べましたか!?」

「おう! 胃が破れるからって止められるまで食ったぞ!」

「危なくなったら出て下さいね。ヒールボール!」


 ミュウが杖を手に入れたら最初にしたかったのが、ヒールボールによる回復である。

 傷病人は数多くいたが、ミュウが自分で選んだ「最初に治したい人」はレンとジンだったのだ。


「ありがとう! ミュウ!」

「はいっ!」


 ミュウが退室してすぐ、二人はひどい倦怠感に襲われて深い眠りについた。





 その日、息を切らせたリラとベルがエリーンのところに駆け込んできた。


「巫女様! 大変です、レンさんたちが……!」

「え!? 二人に何かあったのですか!?」

「気まぐれの魔神に決闘を挑みました!」

「!?」


 エリーンは詳しい事情もよく聞かないままにギルドを飛び出した。


「リリカさん!」

「あっ、おーい! エリーン!」

「決闘って、一体何が……!?」

「うーん、なんていうか……続き?」


 リリカはにぱっと笑うとエリーンの手を引いた。


「まーいーや! 一緒に応援しよ!」

「レンさん……ジンさん……」


 騒ぎを聞きつけて続々と集まる人の群れの中心に、好戦的な笑みを浮かべる二人がいた。

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