みんなで生きて、また
レンとジンが目覚めたのは、NAMELESSがカルキとハルを奪還した翌朝であった。
「あや? 起きた?」
「んがっ!? どこだここ誰だお前リリカは腹減ったァ!」
「忙しいねぇ。起きてすぐ元気かよぉ」
ヨルテアはほうと息をついた。
これで意識不明だった全員が無事目を覚ましたことになる。
ヨルテアは彼らが空から生還して今までの事情をこと細かに説明した。ミュウたちもみんな無事なこと、犠牲者は出たがエリーンやオーガたちが生きてここに匿われていること、ここがどこか、夜のうちに何が起きたのか。
話をしているうちに、リリカたちが部屋に雪崩れ込んできた。部屋にいたナースが気を利かせて呼びに行ってくれていたのである。
「レン!」
「ジンさん!」
「リリカ! ミュウ! ソリューニャ!」
「おお! 元気かー!?」
待ちわびた瞬間だ。もう懐かしい気すらするその再会は、涙なしでは迎えられなかった。
「「うわあああん、あうあうあう!」」
「わっはっは! 何泣いてんだよ二人とも!」
「心配したんだよぉ~!」
「したのです~!」
「そうか! ただいま!」
「「うわあああん、あうあうあう!!」」
泣きつく二人と、困ったように笑うソリューニャ。よく見ると彼女の安堵に緩んだ目尻からも、一筋の光が頬を伝っていた。
「よかった」
「へへ。ガウスと戦ってる時にな、ソリューニャのこと感じたぜ。起こしてくれたんだろ」
「バカ、レン。アンタら心臓止まってたんだって炎赫に聞いたよ……!」
「なにぃーっ!?」
自分では少し気を失っていただけだと本気で信じていたレンとジンにとっては驚きの事実だった。
「じゃ、じゃあオレたち……死んだのかーっ!?」
「心停止が死かは学派でも争点になるけど、まあ死んだね」
ヨルテアが補足と、そして衝撃の事実を追加した。
「ちなみに運ばれてからもレン君一回心臓止まってるよぉ」
「オレ二回死んでるーー!?」
「わはははは! だっせぇーー!」
「あ、ジン君は二回ね二回。臓器損傷が酷くてねぇ」
「え」
ちなみに一番驚いたのは何を隠そうヨルテア自身だったりする。死の淵から何度も蘇る生命力の強さにはもはや恐怖すら抱いたものである。
「ぶあははは! 三回も死んでんじゃねーか! オレの勝ちだな!」
「三回も生き返った俺のが強いんだよ! 残念だったなレン!」
「んだとコラァ!」「やんのかコラァ!」
「病院で騒ぐなガキ共ぉ」
ぱこんっ、ぱこんっ。十分に重症なはずの二人の頭をはたいて、ヨルテアが諫めた。
心停止ともなれば後遺症が残ることも多いというのに、異常な生命力の二人はもう大声を出している。
「喧嘩で怪我増やすなよぉ? いつ急死するやら目が離せないもんだから、三日三晩寝ずに看たウチの苦労無駄にしないでおくれ」
「みっかみばん……! 大変、すぐ寝なきゃ!」
「いや峠越えてからは寝てるけど……リリカちゃんは可愛いねぇ」
「そうだったのか。たすけてくれてありがとう!」
「いいよぉこれがウチの戦いだから」
ヨルテアは白衣の懐から酒瓶を取り出した。
「てことで辛~い禁酒もおしまいっと」
「先生!? お酒はダメですよぅ!」
「いーじゃないぃ。安定するまで一滴も飲まなかったんだからこれくらいは……」
「え? でも私が起きたときお酒臭かったのです」
「いやー山場を越えたから一瓶くらいいいかなって……」
レンたちがここに搬送されてから最初の三日は全く予断が許されない状況で、常に誰かが二人の容態の推移を観察していなければならないほどだった。特にヨルテアはミツキやソリューニャたちの手術をしている時間以外のほとんどをこの部屋で過ごさざるを得なかったというほどである。
「しばらく絶対安静。んじゃね~」
「先生ー!」
「あーははは。祝い酒だよぉこれは~」
残された五人、水入らず。
「ガウス、本当にやっつけたんだね」
「すごいのです! すごいのです!」
「約束したからな!」
リリカとの約束が彼らの底力を引き出したことは言うまでもない。だが戦いの中で彼らを支えたのは、リリカとの約束だけではなかった。
「リリカだけじゃねぇ。ミュウが船を守ってくれてたことも、危ねぇ時にソリューニャが助けてくれたことも」
「全部だぜ。俺たちぁみんなに助けてもらって、ガウスを倒したんだ」
ガウスには勝った。それでもガウスを超えたわけではない。
「けど一人じゃ勝てなかった。今まで戦った奴らん中でダントツ最強」
「どんな攻撃も真っ向からぶち破ってきやがった。あいつは嫌いだけど……かっけぇって思っちまった」
「うん。目標になっちまうくらい、悔しいけどすっげぇ奴だった」
こうやって死の淵から蘇ったばかりだというのに、二人はもうさらに先を見据えている。そうやって先を走る彼らの背中に、リリカたちは影響されてここまできた。
「カルキがね、言ってた。二人はこれからもっと強くなるって」
「次元の違う戦いを経験したから、成長は加速するって。言ってたのです」
「……! あんにゃろ、偉そうに」
「それでね。次は本気で殺し合おうって」
「けっ。吹っ飛ばす」「おうよ! 返り討ちだ」
ガウスとの戦いは事実、さらに未知の次元に到達できるという確信を彼らに与えていた。再び敵に戻ったカルキから言われたことは癪だが、二人の肉体にはあの時の感覚が強く刻まれている。
ぎゅっと拳を握り込む。
「けど、わかる。強くなれる。オレは」
「俺たちは、だろーが」
一瞬も気の抜けない死地に晒され、限界を超えた能力を全開で発揮し続けた。あの時の強さは今再現しろと言われてもできない、敵が強すぎたからこそそれに呼び覚まされた無我の領域なのだ。
それをいつでも発揮できるように。敵や場所に関係なく発揮できるように。そうなって初めてそれは自分の力だと言えるのだ。
「あ、あたしもっ! 次はみんなと、最後まで!」
「おう! 頼りにしてるぞ!」
ガウスへの敗北と、自身の戦いの成果を受け入れたリリカは次の目標を掲げる。ただ強く、がむしゃらに前へ。みんなの隣に並び立つ資格、そのための力をつけること。
「アタシは……竜の戦いは終わったからね」
「あぁ、そうか。炎赫が勝ったんだよな?」
「うん。炎赫は役目を終えて、今は呼びかけにも反応がない。ひょっとするともう現れないかもしれないね」
「うーんそっかぁ。礼言いたかったんだがなぁ」
「もしかしてさ、消えちゃった……?」
因縁に決着をつけても、ソリューニャと炎赫の契約は続いている。
故にリリカの心配を否定する。
「いるさ、繋がりはある。彼が残した竜の魔力、早く自分のものにするのが今の目標だ」
「竜から貰った力!? すげぇ! 今度ケンカしよーぜケンカ!」
最後の戦いで、ソリューニャは捨て身の策に頼った。生涯消えない痕が残るとヨルテアに言われた。腹にあけられた穴は未熟の証明だった。
ソリューニャは自分の命の使い方を決めた。そのときが来るまで、もう二度と命を削る戦い方はしない。そのために目指すのは、竜の力を完全にコントロールすることだった。
「私は、私も。力のコントロールが必要なのです」
「すげぇ力手に入れたんだっけ。ガウスと戦ってる時も伝わってきたくらいだぜ」
「神樹の至宝は……壊されました。左手も痺れてまだうまく動かないのです」
母とヘスティアから贈られたミュウの杖はレインハルトに斬られ、地上に持ち帰ることができなかった。悔いはあるが、何度あの場面に立っても同じことをするだろうとも思う。
だが、左手。これは自分の持つ才能に正面から向き合ってこなかったからこその傷だ。
ヨルテアは診療の結果、神経の異常だと言った。筋肉が繋がっているのに動かないならば、原因は神経系にあるということだ。
「もう振り回されるなんて嫌なのです。ちゃんとした、自分の力に……」
「ん! 俺たちの“白”とどっちが先にモノにできるか、競争だな!」
「ま、負けないのですっ!」
幸い手は回復傾向にある。ヨルテアは「魔導融合」能力を封印することを強く勧めたが、ミュウは即答できなかった。
レンたちと話して、その理由がはっきりした。きっと二人ならこの力、使いこなせるように努力するからだ。
「えへへっ。やっぱ、あたしみんなといるときが一番幸せだ!」
「約束したからな! 全員、ちゃんと守った!」
「ああっ! アタシたちが勝ち取ったんだ!」
「すごいのです! 嬉しいのです!」
「わはは! 俺たち強えー!」
みんなで生きて帰る。五人は約束が果たされた喜びを分かち合ったのだった。
◇◇◇
同じ頃、とある病室。
「…………」
「…………」
意識不明だった全員が無事目を覚ました。ヨルテアの言葉はミツキの目覚めも示唆していた。
「…………」
無言で、互いに目も合わせない。シャリ、シャリと果物ナイフが皮を剥く音だけが、この静謐な病室における唯一の主張だった。
その手が止まりテーブルに皿が置かれたとき、ようやく彼は相手と目を合わせようとしたが、相手は相変わらず目を伏せたままだった。
「ありがとう。もらうよ」
「……ええ」
その素っ気ない一言が、マオがようやく発した言葉であった。ミツキは苦笑すると、冷たい態度とは裏腹に食べやすいよう一口サイズまで切られたものを口に運んだ。
「距離感がまだ難しいんだ。慣れなきゃあね」
ミツキは狭くなった視野に自分の手を収めて動かしてみた。
レインハルトとの戦いで右目を斬られた。それ以外の傷も決して浅くはないが、それでも目が潰れるというのは特に堪えた。一命は取り留めたが、万事もとの通りとはいかないだろう。
「…………」
「悪かったよ」
「何が」
ぶっきらぼうに聞き返すマオ。
嘘ついたこと、とミツキは答えた。
マオは不機嫌そうに口を閉ざしている。
「レインハルトと鍔迫ったときに心は決まってた。君を生かすには嘘ついて行かせるしか思いつかなかったんだ」
「…………」
「騙してごめ……っ」
おもむろにマオは立ち上がると、づかづかと迫ってミツキの胸倉を掴む。そして乱暴に引き寄せ唇を奪った。
「!?」
唇を離したマオの目には涙が浮かんでいた。
「これでっ……わかんないとか言ったら殺すからっ!」
そう言うとマオは病室を出て行ってしまった。
残ったミツキはしばらく呆けていたが、やがて台の上に置かれた皿に手を伸ばし果物を一切れ口に放った。
「……ぜんぜん知らなかった」
もう一切れ、と手を伸ばしたがその指は楊枝を掴めず、代わりに台の上に置かれたそれに触れた。
「ナギサ」
半分に割れた、彼女の形見。いつも懐に入れていた鞘付きの短刀は、レインハルトの最後の一刀からミツキの命を守ったのだった。
「ナギサは生きてほしいのかな」
手に取り、彼女との時間に思いを馳せる。
「それでもおれはもう一度会いたいよ」
その弱音が偽らざる彼の本心だった。
ミツキのそれは積極的な自殺願望ではない。ただあの時は誰かが犠牲にならなければ仲間も助からないどうしようもない状況で、その犠牲に自分がなることを躊躇うことなく受け入れることができる。
「さすが我が弟子、よく戻ってきたな」
入ってきたのは師匠であるヴェルヴェットとギルドマスターのクロードだ。
「ん、マオがいたのか。あいつ、毎日通ってたぜ」
「……うん」
「ままいいや。それより大変だったな。よく帰ってくれたよ」
クロードは剥かれた果物と花びら一枚落としていない花を見てマオがいたことに気付いたが、すぐに本題に入った。
「うむ。また腕を上げたようだな。何があった」
「はい。虫人間に襲われ竜に攫われ空気薄い中で狙われ……」
「む、そんな任務を三人に行かせたのか? マスター」
「何やら研究施設でキナ臭い動きがあるってタレコミがあった。だから視察を頼んだ、そこまでが任務だね」
高山地帯カーテンウォールが覆い隠す北部には、大陸で最大の面積を持つ「ゼルシア帝国」がある。カーテンに隠れて何をしているのか、情報の少ないこの大国にクロードはスパイを送り込んでいた。
「で、どうだった?」
「ヒバリさんやマオから聞いたんじゃないのか? 弾丸をばらまく新型装備に、死体に寄生する植物型魔物。そして弄られまくった廃人……」
「ふむ。面妖なものばかりだな」
「そうすね、物騒だった。金もかかってた。未知の技術があった。一体何しようってんだか」
「そりゃあ戦争でしょ」
あっけらかんとクロードは言った。
「南側で同盟が発足したことで、北も対抗しようと武力を蓄えてるのは知ってるよな。だがここ最近活発化してるみたいでどうもキナ臭い。まるで戦争の準備を進めているみたいだ」
「そんな話、風の噂でも聞いたことない」
「向こうでも平民にまで伝わってるわけじゃない。こっちでは僕くらいかもよ、この話掴んでるのは」
ゼルシアは国を挙げて戦争の気運を高めているわけではないから気付かれにくい。研究施設も山岳地帯に囲まれた場所にあり、徹底的に情報を秘匿した上での計画だということを裏付けている。
「そういうあんたは情報どうやって仕入れてんだよ」
「味方にも言わない徹底した秘匿主義が情報の信頼性を担保するのさ」
「戦火の中でこそ修羅は生まれ出るもの。起こるならば歓迎する」
「それ外で言わないで下さいよ師匠。怒られます」
ヴェルヴェットは強者と戦い己を昇華することに人生を捧げている。今の発言も別に戦争で死人が出てほしいと言っているつもりはないが、聞く人によってはモラルの欠如した破綻者のように見られてしまうだろう。事実はただ戦い以外に関心が薄すぎるだけである。
「NAMELESSとも小競り合いしたしこれからもっと動ける人材がいる。そこでミツキ、君をSランクに昇格させようと思う」
クロノスにはSからCまでの階級が存在し、それが上がるほど重要な任務や困難な依頼を受けられるようになる。クロード、ヴェルヴェット、ウェンリル、ロールマリンはSランクのメンバーであり、各々が特出した能力を保持している。
「君は生存のための的確な行動をとれる。集団を率い果たすべき役目を自覚できる。高い次元で安定した戦闘能力がある」
「だから前々より伝えてあっただろう。私の弟子はいずれ私を超えると」
「まだ戦闘力はヴェルヴェットやウェンには一歩劣るよ。でも今回の任務である情報を持ち帰り、不慮の事態に見舞われながらも生還した。君にならSランクの仕事も任せられると僕は判断した」
クロードがミツキの返答を待つ。
「片盲のおれなんかよりマオだろう、Sランクに上げるなら」
「もちろんマオも評価してるさ。マオにはSに同行できる特権を与えようかと。それはさておき、君の目は治るかもしれないんだぜ。前例があると先生に聞いたよ」
「……相変わらず会話を先読みして備えてくるよな。気持ち悪い」
「ミツキ。私はまだ諦めてはいないぞ。今でもお前はいずれ誰よりも強い剣士になると信じている」
片目が見えなくなった自分ではそもそも戦場にすら立つ資格がない。そう考えての辞退だったが、治った後の話を断るほどの理由は持ち合わせていなかった。
「……はー、やれやれ。今はまだ皿の上の果物も掴めない。刀を振るどころか歩けるかも怪しい。でももし以前のように動けるようになったら……そのときもう一度持ってきてくれないか」
「それでいいぜ。君には特別報酬と長い休暇を与える。他にも必要なものはすべて手配しよう。それだけの価値が君にはあるんだ、きっと治してくれよ」
クロードは話を終えて帰っていったが、ヴェルヴェットははたと足を止めた。
「そういえば、壊れた刀をそこに置いておいたはずだが。大切なものと言っていたな」
「これ。ナギサの形見です」
「お前が生きているのはそれのおかげだ」
「そうですね。拾ってくれてありがとうございます」
「最後に握っていたのは妖刀だな」
ヴェルヴェットはミツキに禁じていたことがある。
「結果目を潰された。戦いにも負けた」
「はい……」
それは妖刀「秤厄双」の使用。握ったものはその戦いに勝つことができないという曰く付きの妖刀であり、彼女は弟子の身を案じそれを禁じていたのだった。
「妖刀とはいえ刀、本当ならば持ち帰り供養でもしてやるべきなのだろうが……お前に呪いが降りかかる気がしてな。やめた」
「……それで、いいです」
「む?」
妖刀を使うなと言った人物は二人いた。師匠ともう一人、マオだ。
レインハルトとの戦いで妖刀を握ったミツキを見て、彼女は何を思ったのだろう。彼女の気持ちを知ってしまった今、ミツキの胸は罪悪感でじくじく痛む。
「なんだかもう握る気にはなれなくて」
「そうか。明日も来る、よく休め」
「師匠」
ミツキは彼女を呼び止めると、頭を下げた。
「お前はここで終わっていい男ではない。信じて待つ」
ヴェルヴェットはそう言って病室を出た。
◇◇◇
レンとジン起床の一報を受け、居ても立ってもいられなかったエリーンとミィカが訪ねてきた。
「「レンさん!」」
「エリーン! ミィカも!」
「ミィカちゃんだー!」
瞳を潤ませるエリーンと興奮で赤面したミィカは、レンの快復をずっと待ち望んでいたのだ。
「二人とも、よカった……!」
「エリーンもな。ガウスと戦ってる時、エリーンがずっと一緒に戦ってる気がしてた。本当に感じてたんだ」
「……! 私も皆さんと一緒に戦ってるルって思って、それで……!」
「最後はな、お前が魔力を取り返したおかげで勝てたんだ。ありがとな!」
「う、嬉しいです!」
レンとジンとこうして再会できたことと、自分が押し勝ったことがガウスを倒すきっかけになったと言ってもらえたこと。なんとかこらえていたエリーンはついに感極まり、決壊した涙が溢れ出した。
「レン、さん」
「ミィカも、よく頑張ったな」
「うん、うん……! それで、あの……」
「レン。ミィカちゃんは約束守ったんだよ。褒めてあげてっ」
本人を前に尻込みしてしまったミィカの代わりに、リリカがレンに耳打ちする。
「ん、ミィカ!」
「……!」
「やったな! にししっ!」
レンが手を出す。おずおずと、ミィカは自分の小さな手を合わせた。
ぺちっと可愛らしい音が鳴った。
「……違うよ~おバカ! もっとこう、わーよしよしって! 頭撫でて思いっ切り褒めてあげてよ~!」
「うあいっ、急にデケぇ声出すな! わかったってば!」
なぜかリリカに怒られたレンは、少し強めにミィカの頭をわっしわっしと撫でる。
「ありがとな~約束守ってくれて! よくやったぞ~!」
「ん……! ん……!」
ミィカは目を細めて心地よさそうにご褒美を享受した。
「アンタが小さな子に懐かれるなんて意外だな。何があったんだ」
「そお? ジンなら分かるけどね」
「なんだリリカ馬鹿にしてんのか? アァン?」
「ジンさんはちょっと目つき悪いだけなのです。あとガサツなだけなのです。だから凶暴に見えるだけなのです。実際凶暴なのです。ちっちゃな子には近付けない方がいいのです」
「ミュウてめーもコラ! 治ったら覚えとけよこの野郎!」
レンもジンもよく似た性格をしているが、ジンの方が近寄りがたい雰囲気がある。何を隠そうミュウも最初はジンが苦手だったりしたのだ。
「あいちち……」
「あーあ、騒ぐからぁ」
「テメェらのせいじゃボケェ」
「……すみません」
エリーンが暗い顔で俯く。
「あん? なんでお前が謝んだよ」
「私、モう癒す力が使えないんです。だから、皆さんノ怪我も、私、私何も……!」
エリーンは聖域の魔力と巫女の血族だけが持つ特殊な魔力を利用して強力な治癒結界を張る。しかしニエ・バ・シェロが失われた今、エリーンが先祖から受け継いできた特別な力も失われてしまったのだ。
「おい、いいよ別に! オレそんなこと考えてねぇって!」
「そうだぜ! 治す力には世話んなったけどよ、それがなくたってエリーンはエリーンだろ!」
「違う……違うんです……!」
戦い傷ついた者たちを治せないと知ったとき、しかし沈んだ姿を見せまいと封印してきた心の負い目。一度それを口にしてしまった彼女はもう、せき止めていた弱音を再び飲み込むことなどできなかった。
「皆は今デも巫女と呼んで守ってクれます。何の力もなくなって、何者でもナくなった私をですよ……?」
武力はない。治癒能力も失った。では、巫女の力を受け継いできたエリーンがチュピの民たちのために一体何をしてやれるのか?
仲間に笑いかけ、励ましの言葉をかけながら。エリーンは絶えず考えていた。
「私はもウ……長でも巫女でもなイ! 傷を治せないなラ……私は一体何なんデすか!!」
静寂が病室を支配した。
チュピの民たちが信仰する霊山ツァークが消え、故郷を失った。それだけでなく、彼らの心の拠り所でもあった「無限の神」すらエリーンの能力の消失と共に揺らいだ。ある意味で死の恐怖すら克服した信仰が揺らぎ、残されたのは無限と対を為す恐怖「有限の悪魔」だけ。
エリーンの能力の消失は、外傷の治癒ができなくなること以上に彼らの足元を大きく揺らす事件だったのだ。
その静寂を破ったのはレンだった。
「何言ってんだお前」
「え?」
「傷なんて肉食って寝りゃ治んだろ」
「うん。当たり前だな」
ジンの同意も得て、あっけらかんとレンは続ける。
「それじゃ治んねぇ傷もあるのは知ってるけどよ、ほら」
レンが笑う。
その隣にはジンがいた。リリカがいた。ソリューニャがいた。ミュウがいた。
「そんときは仲間が支えてくれる。特別な力がなくたって、みんなそうやって生きてきたんだぜ」
レンの隣には、仲間がいた。
「いるんだろ。エリーンにも!」
エリーンの胸中に浮かび上がる、彼女の仲間たちの姿。
「います……!」
「みんながリーダーって認めてんだろ? じゃあ治せねぇとか関係ねぇよ! 必要とされてんだから後はエリーンがどうしてえか。そんだけだ!」
かつてエリーンは民に語った。地上で一緒に生きようと、そう語った。あのときエリーンは自分に民を統べる資格があると思ったから言ったわけではない。ただ民たちと生きたいとの願いが紡いだ言葉だったはずだ。
「私は皆と一緒に生きていキたい……! 皆が大事デす!」
「お姉ちゃん」
ミィカが姉に抱き着く。その大切な温もりを、エリーンはそっと抱きしめた。
「役立たずなんかじゃねぇよお前は。みんなに頼りにされてんだ」
「あのね、エリーン。みんなエリーンが好きなんだよ! それって、すごいことだよ!」
「うん。権威だけの愚王と比べればよっぽど相応しいよ」
「治す力を持つ気持ち……少しは分かるのです。でも本当の仲間はそれでも一緒にいてくれるのです」
彼らは知っている。仲間であることに理由なんて必要ないことを。仲間とは資質でも能力でもなく、ただ互いを信じ合う絆だということを。
「ま、そういうこった」
「ありがとう、ございます……! 私、やれることを探してみます!」
「おお! 応援する!」
エリーンは憑き物が落ちたような晴れ晴れとした顔で、ミィカと手をしっかり繋いで帰っていった。
最も深い傷を負っていたレンとジン、ミツキもついに目を覚ました。それぞれが仲間たちの祝福を受け、未来への展望を新たにする。
激戦を本当の意味で生き抜いた彼らには、少しずつ日常が戻ってくるのであった。




