リリカの戦い
大陸最大と言われるギルド、クロノスにはシルフォードの本部とは別にいくつかの支部を持つ。そしてこの医療都市ヘイグにも支部を構えている。
ギルドマスター、クロードが気まぐれの魔神との取り引きで、異種族の難民を船ごとここに転送してもらった理由は猶予のないケガ人が多かったためである。
ケガ人の中でも特に酷かったレンたち人間族組は、支部に併設された魔道医学研究所に入院している。まだまだ予断は許されないが、気まぐれの力がなければ今頃生きてはいなかっただろう。
そしてもう一つの理由が、エリーンたちチュピの民とグラモールたちオーガ族を匿い情報を独占するためである。空の上で何が起きていたのかを語ることができるのはこの戦いの生き残りである彼女たちか、ガウス軍の残党しかいない。
特にニエ・バ・シェロの歴史はチュピの民にしか語れず、学者であるロールマリンとクロードはここ数日とても充実した忙殺週間を過ごしている。二人は根っこのところでよく似ているので、情報を独占して自由に捌けるチャンスが楽しくて仕方がない様子だ。
「要するに趣味なのよ、趣味。だからクマ作って本望、三日三晩の白衣も大好物ってわけ」
「お仕事ですぅー。白衣も洗濯しますぅー」
「あっ、あたしやるよ! 何かお手伝いしてお礼しなきゃって思ってたんだ!」
三人は話しながらギルドの戸を開く。
「「クロノスへようこそ、リリカちゃん」」
「わぁ!」
そこはリリカの知るギルドとはかなり様子が違っていた。暗く細い廊下に、いくつかの扉と作業台が置いてあるだけだ。
「……わぁー?」
「首傾げてどうしたの?」
「なんか、知ってるのと違う。暗い。静か」
「ああ、確かにここは少し特殊ですから」
ギルドは魔導士の仕事の仲介所であるだけでなく、魔導士やその土地の住人たち、旅人や治安維持に努める衛兵たちなど多くの人々の情報交換の場でもある。リリカが知る魔導士ギルドとはもっと人で賑わい、なんなら酒盛りの一つでもしているような空間のことだったのだ。
「ここは普段から人が出入りする場所じゃないですからね」
「そーなんだ?」
この支部は研究成果の管理やクロノス本部との情報交換のための施設であり、依頼の持ち込みや旅人の駐留所など外部とのやりとりはほとんどない。研究施設で必要になった実験動物の捕獲や危険地帯の薬草の採集など、魔導士ギルドとしての仕事もほとんど内部からの依頼となっている。
「なんならオバケの出入りの方が多いなんて言われてるくらいで、うふふ」
「オバケ! 怖い!」
「まあ人の死に触れることの多い仕事ですからね、病院って」
普段は内部の人間が数人出入りして業務を行ったり依頼を本部に転送したりしているだけなのだが、それにしては三階建てで地下室までついた立派な建物である。その人の出入りの少なさに対して大きく静かな建物は、ヘイグの人からすれば不気味にも見えるというものだろう。
「人の、死」
「……ちょっと。不用意じゃない?」
「うーん。子ども扱いするのも失礼じゃないですか、それに」
医学とは死の上に立って死を研究する学問といって過言ではない。この医療都市では、進んだ医学のほかにオカルト系の噂でも有名なのだ。
「少なくともここに飛んでから死人は出てないんですから」
「それは、まあ、ロールの言う通りかもしれないわね」
ヒバリとロールマリンが大きな扉を二人で押す。
薄暗い廊下とは打って変わって、そこは人で賑わう大広間となっていた。船に乗っていたチュピの民たちとオーガ族だ。
「おおー!?」
「ふふ、驚いたかしら? 研究施設との行き来は裏口からするのよ」
「いつも静かなのは本当なんだけどね。今はちゃんと賑やかよ」
目を丸くするリリカに気付いて、その中の一人が近づいてきた。
「リ、リリカさん!?」
「わぁ! わぁ……わぁ?」
「あ、えト……エリーンですっ」
「エリーン! あたしリリカだよ!」
リリカは素直なので、名前が分からないときはすぐに分かる。
「レンさんにお世話になったんデす」
「そっかーレンの友達なんだね! 一緒!」
「レン……さん!?」
レンという言葉に反応したか、エリーンの後ろからトテテと小さな女の子が駆け寄ってきた。
「ミィカちゃんだ! 久しぶりっ!」
「あ、リリカさん、元気になっタの……?」
「治った! ミィカちゃんが看てくれてたおかげだよ~!」
「こらこら。あまりはしゃいじゃダメなんでしょ」
ヒバリたちはリリカがようやく散歩を許可されたばかりだということを知っているので、リリカの強がりは簡単に暴かれた。
「……実はまだちょっとだけ治ってなかったり。えへへ」
素直がリリカの美徳だ。
「あの、お見舞い行けなくてごめんなさい。手が離せなくて……」
「エリーンちゃんには聞きたいことが山ほどありますからね~。それにこの大変な時にみんなの元から離れられないからって、朝から晩まで。若いのに立派な長ですよ」
「エリーンえらい!」
「や、やめてクださい……っ」
真っ赤になったエリーンが制止する。
ロールマリンやクロードの研究対象として非常に重要な存在であることに加え、傷ついた民たちからの心の拠り所になっている自覚もあって、エリーンはずっとここで生活している。常に仲間の目の届くところで、傷ついた顔を見せないように振舞い続けることがいったいどれほど辛いだろうか。それでも今エリーンが民たちに対してできることを考えた結果がこれだったのだ。
「リリカ。調子はどうだい」
「わぁ、テレサ! グラモールは?」
「今はさすがに眠っているよ。しばらく目は覚まさないだろうね」
「そっかぁ。目覚めたらお話ししたいなぁ」
「伝えておくよ」
広間にはチュピの民たちだけでなく、オーガ族の姿もある。空から生還したものたちはこの大広間を中心に、この施設内で生活をしている。
この事実を知る者はギルドや研究所の面々に限られている。情報を独占していることを外部に漏らしたくないというクロードのやましい事情もあるが、魔族やオーガ族はこの大陸では恐れの対象にもなっている。手狭なのは事実だが、混乱を招かないために我慢すべきところでもあるのだろう。
「今はクロード君が色々考えているわ」
「そっかぁ。怪我が治せてもいろいろ難しいこといっぱいあるんだね。オトナの話だぁ~」
「そうなの……てここでする話じゃなかったですね」
リリカが来ているのに気づいて、少しずつ人も集まってきた。
「俺はベル。ジンたちにはとても助けラれた。彼から話は聞いていた」
「わ、傷痛そう! 大丈夫?」
「昔ガウスにやられたんだ。今は平気さ」
ベルの下顎から首の赤黒い皮膚と、えぐれた左頬から覗く奥歯と筋肉は明け透けに言えば結構怖かった。
「スクーリアです。我々が生きてここニいられるのはあなタがみなを繋げてくれたからと聞いていマす。礼を伝えに行こうかと思ってイたところでしたが、巫女様がここかラ離れようとしなイので……」
「スクーリア、長いわ。私はリラ、私たちハ巫女様の守り人です」
「う、うん。よろしく」
ベルとスクーリア、そしてリラ。彼らはエリーンの付き人であり、みなリリカが人とオーガを繋げ作戦の成功に貢献したことに感謝していた。
「ありがとう」
「そんな! だってあたし、全然で……」
「だが、勝った。だからありがとう」
「……」「……」
双方、納得のいかないようなもやもやしたものを抱えていた。
「あの。大丈夫……?」
リリカでも気付いた。
どこか晴れない顔。悲しみの蔓延した空気。これは怪我が原因ではない。
「……ええ」
心の怪我だ。この喪失は「勝利」の二文字だけでは決して埋まらない傷だ。
彼らは喪った。親を。師を。隣人を。同志を。恋人を。その悲しみは一朝一夕で和らぐようなものではない。
チュピの民たちもオーガたちも、今はまだ少し時間が必要だった。
「リリカちゃん、クロード君に挨拶しときましょう」
「え、うん」
「あの、ミィカも連れて行ってあゲてください」
「えっ!?」
ミィカが慌ててエリーンの後ろに隠れ、裾をぎゅっと掴んで抵抗を示す。
「私にべったりデ……。少しは気分転換ヲと……」
ミィカは内気で、エリーンを姉と慕いいつも付いて回っている。レンも認めた誇りだが、それは彼女の寂しさに起因している。
「それに、キっと必要です」
だがエリーンは気づいていた。
親しい者がおらずエリーンだけが彼女の世界だったミィカだけは心の傷が浅いこと。他の皆が悲しみに思い出し泣きをする中で、彼女だけは自分の中の悲しみではなく他人の悲しみの感情に侵されていることを。
ミィカが姉の深い心の傷や自殺願望に気付いていたように、エリーンもまた妹の人見知りが過ぎた依存によるものだと気付いていたのだ。
「や! や!」
「嫌がってるけど……」
「いえ、あの……困りました……」
エリーンはロールマリンたちからの質問に答えたり、簡易的でも葬送の義をやろうという話が上がっていたりと気の休まる暇はない。だがこのままでは彼女から片時も離れたがらないミィカの方が先に参ってしまうだろうと思ったのだ。
その優しい気持ちはリリカにも伝わった。リリカはかがんで、半身を姉の後ろに隠すミィカに目線を合わせ語りかけた。
「ミィカちゃん、空の上でレンのこと助けてくれたんだよね! いっぱいありがとって言いたかったよ!」
「…………」
「レンの話聞かせてほしいな! あたしもレンのお話したい!」
「…………」
エリーンに優しく背を叩かれて、ミィカは一歩踏み出した。その小さな手でリリカの手をきゅっと掴む。
「クロード君の部屋はこっちよ」
「行こっ! ミィカちゃん!」
「……彼と会わせて大丈夫かしら……」
こうして一度、エリーンたちと別れる。
(勝った、か……)
一方で、リリカのもやもや。
(あたしのおかげって言われても、わかんないや)
リリカはオーガたちの世話になり、それが原因で敵の襲撃を受けた。その襲撃を退けるためにジェイン=ロールと戦い、ガウスに敗れた。
リリカはあの空で何を為したのだろう。ベッドの上で泣くほど考えて、答えは出なかった。
ミィカの手を引くリリカがクロードの部屋の前まで案内されたとき、扉はリリカのノックを待たずに開いた。
「あいたぁ!?」
「うお!? 君は……」
悶絶するリリカを見下ろすのは、まさに会いに行こうとしていたギルドマスター本人。茶髪の天然パーマを寝癖でさらに爆発させた色付きメガネの男クロード=クロス。
突然の登場に驚いたか、ミィカはヒバリの後ろに隠れた。
「やや、悪いね」
「女性の額にぶつけておいて軽すぎやしないかい? リリカだね、大丈夫?」
部屋の奥から現れたのは切れ長な目の男。彼はかがんでリリカに手を差し伸べた。
「あ、ありがと」
「ああ。何か用事かい?」
「リリカちゃんが部屋から出られるようになったから、少し案内してるのよ」
立ってお尻についた埃を払うと、リリカはクロードたちにぺこりと頭を下げた。
「みんなを助けてくれてありがとう!」
「はっは。こちらこそ地上の被害を最小限に抑えてくれて感謝してるんだ」
「あっ、ヒバリさん! ロールさんもねっ!」
「ふふっ、いいえ」
ほわっとした空気が流れる。
「そのうちお邪魔する気だったんだけどね。忙しくて後回しにしてたよ」
「紹介するわ。この白いイケメンはウェンリル。非の打ち所がないわ」
「白いイケメン……? 彫像か何かか……?」
「いいのよ褒めてるんだから」
白いイケメン、ウェンリルはヒバリに雑な紹介をされたにもかかわらず、それを気にするでもなくリリカに笑いかけた。
「で、この毛根まで捻くれた胡散臭いのがウチのギルドマスター、クロード君。リリカちゃんみたいな素直ないい子はこんな男に近づかないようにね」
「はっはっは。この陰険ピンクにも気を付けた方がいいぜ」
ロールマリンにあんまりな紹介をされたクロードは怒るでもなくヘラヘラとロールマリンに言い返す。言葉で相手を殴る殴る、リリカにはできない皮肉のボディーブロウ。その“頭良さそ~”な感じはまるで。
「……ロールさんと似てる」
「ちょ、やめて下さいよ! よく言われますけどわたし認めてませんからね!?」
「いや似てるわよアナタたち。ねぇウェン君」
「ヒバリの言うとおり。はじめて会ったリリカにまで言われたんじゃあ信憑性も十分じゃないかい?」
「同族嫌悪ってやつかな? ぷはっ、自分にキレてんの笑えるな」
「こもりきりで脳にカビ生えちゃったんですかね。かわいそうに、幻覚が見えているみたいです」
クロードは眼鏡を外して白衣の裾で拭く。眼鏡の奥の目には濃いクマがあり、白衣も相まってロールマリンと被る印象もある。
二人は確かに似ていた。
「…………」
「ミィカちゃん?」
「…………」
重度の人見知りなミィカはヒバリとリリカの後ろに隠れたままだ。空で声を張り上げたあの姿は今はどこにもなく、年相応の小ささでもじもじとしている。
「馴染みない大人がこう並ぶと怯えもするだろう」
「純粋な子供たちには伝わるんですよ。クロード君の腹黒さが。うふふふ」
「優しげな皮被ってる分タチが悪いよねぇ。性格が滲み出たロールマリンの笑顔は怖かろう? あっはは」
「腹黒二人が揃って罵り合いじゃあ怖いに決まってんでしょ」
「教育に悪い」
「「ごめんなさい」」
怖がらせないように優しく謝罪したウェンリルにもミィカは怯えたままだ。人見知りで純粋な彼女には、二人の腹に一物抱えているような、「趣味は根回しと暗躍」みたいな部分はさぞかし毒だっただろう。
「ああ、そうそう。奴が目覚めたってんでちとお見舞いに行こうかと思ってね。ウェンが伝えに来てくれたとこなんだ」
「もしかしてレンたち!?」
クロードは芝居がかった動きで手を広げて、言った。
「NAMELESS」
「……!」
試すようにニヤリと笑う。
リリカの額を緊張の汗が伝った。
秘密結社NAMELESSは、大陸で暗躍する謎の組織である。その存在は一握りのにしか知られておらず、一般人には存在を知られていないか、もしくは都市伝説としてぼんやりとした輪郭が見えているくらいのものだ。
「……というのは庶民のお話で、NAMELESSは実在する。ま、この大陸の裏のボスみたいなもんだな。S級手配犯レベルの実力者がゴロゴロいるぜ」
「カルキ……! バカみたいに強かった!」
大陸中の国々にある子組織と、それらを統括する親組織。その親組織の上位に位置するのがNAMELESSで、末端の人員はその存在すら知ることなく一生を終える者がほとんどだ。
言ってしまえばNAMELESSは大陸に存在する無数の裏組織、その頂点に立つ存在。組織同士の繋がりを介して大陸中に根を張る裏世界の精鋭なのだ。
といったようなことをかいつまんで説明すると、最後に口元に指を立てて警告した。
「ま、これは僕たちだからこそ掴める情報だけどね。下手に吹聴しようものなら口封じにこの街まで……」
「わ、わかった」
手刀を首の前で往復させる仕草を見て、リリカは頷くことしかできなかった。
「大丈夫。そのためにわたしたちがいるんですから」
クロードの脅しもあながち冗談でもない。
現実に起こりかねないからこそ戦いが終わってもこの街にはまだウェンリルなどの腕利きが滞在している。ヴェルヴェットはミツキが目覚めるまで動かないと言い張り、オグリは出張ヒーローとしてヘイグの町中をパトロールしている。ちなみに嫌がるルーカスは見張りを兼ねて脱出船に寝泊まりさせられている。
「うん。ウチでも知ってる人は限られる。くれぐれも気を付けな」
彼らが警戒するのは、敵が戦力を揃えてカルキたちを奪還しに来るというシナリオだ。カルキクラスの敵が複数ともなれば、犠牲者は必ず出る。
「どこから情報が洩れるかもわからない。この町を火の海にはしたくない」
「うええ~……絶対言わない」
この脅しは効きすぎるくらいでちょうどいい。
あまり聞きたい話じゃなかったなぁと素直なリリカは思った。
「で、どうする? 来る?」
「んー、いいや。あたしミィカちゃんといる」
「俺もそれがいいと思うよ。この子をそんな危険な場所に連れていきたくない」
「そうね。私たちだけで行きましょう」
「うん、バイバイ」
カルキたちには聞きたいことがあったが、リリカはミィカを優先した。
「行こっか?」
「……」
こくん、と頷くミィカ。歩き出す二人。ギルドの外に出て、二人で腰掛けた。
そういえばレンたちの話を全然できてないなぁ、と思ったリリカは彼らについて思いついたことから話し始めた。
「レンたちまだ起きないから、お話できないね。でもきっとすぐ起きると思うよ、あいつらケガすぐ治しちゃうんだ」
「うん……」
「いつものことなの。ボロボロになるけど、でも最後には勝つんだ!」
「レンさん、強い、カら」
「超強い! あたしも頑張ってるんだけど、まだまだだー」
リリカが生まれ故郷のクラ島を出る決心がついたのは、レンたちと出会ったからだ。強くなりたいと思ったのは、傷つきながらも最後には勝つ彼らの背中に憧れたからだ。
「最初に二人と友達になったのはあたしでねー。そのあとでソリューニャとミュウちゃんに会って、そのあとは五人でねー」
そしてリリカの旅路が楽しくて楽しくて、思い出すだけで笑顔になれるのも彼らがいたからだ。
「ここからずっとずっとずーっと、遠いところからみんなで旅してきたんだよ!」
「わぁ……!」
「もう最っ高に面白くて! ミィカちゃんもレンと一緒に歩いてたんだっけ?」
ミィカの目に映るリリカは満面の笑顔で。ミィカも思わず頬を紅潮させて目を輝かせて。彼女の冒険を見ていたわけではないのに、胸は高鳴る。
「あの、いっぱい守っテもらって」
「わあっ、よかったねぇ」
「あの、あのっ。守ってもらって、でモ、リリカさんをお願いって、頭ぽんぽんっテ!」
普段はエリーン以外には口下手なミィカも、気付けばリリカとの会話に夢中になっていた。
たどたどしく紡がれるミィカの気持ちを、リリカもまた心から楽しく聞いている。彼女の純粋で裏表のない性は、こうやって多くの人に好かれその心に入り込むのだ。人に愛されるという点では彼女は天性のものを持っていた。
「レンに頼まれてたんだ。ちゃんとあたしを守ってくれたし、じゃあ起きたらレンに言わなきゃね。ちゃんと約束守ったよって!」
「うん、うん!」
そうしてミィカをエリーンのところに送り返すと、ミィカは自分が興奮していたことに気付き、他の人たちの目に照れて隠れてしまった。
エリーンとリリカあははと困ったように笑う。ミィカの面倒を見たことで二人の間には友情が生まれていた。リリカの人好かれ体質の本領発揮だ。
「お姉ちゃん!」
「えっ、あたし?」
そんなリリカを呼び止めた、オーガ族の小さな子供。近くには母親と思しき女性が付き添っている。
「助けてくれてありがとー!」
「あ……!」
それはオーガの里でリリカが救った命だった。
「ど……どういたしまして!」
少なくともこの会話が、頭を下げる母の姿が、リリカが何かを為したことの証明だった。
「よかっタですね、リリカさん!」
「うん、うん……」
「私からも、改めテ。ありがとうございます」
「えっ? い、いいよ。あたしも楽しかったから」
エリーンが再び頭を下げたのは、しかしミィカのことではなかった。
「リリカさんは最後の戦いにいなかったこトを気に病んデいるかもしれませン」
「あ……わかっ、ちゃうんだ」
「わかります。私モ私のために傷つく人のため……何もできなイと思ってマした」
「あははー……。辛いよね」
死力を尽くす大きな戦いを経験してきた。だがリリカはいつも、最終局面や大勢を決する強敵との戦いに立ち会ったことがない。
その無力感はきっとエリーンと同質のものだ。
「違います。違ったんです。私は戦えナいけれど、船を動かしました。それが私の戦いだったんです」
「自分の戦い……」
「レンさんに教えてもらいましタ」
にっこりと笑うエリーン。
「リリカさんがオーガの皆さんを助けたかラ、『私だけでも逃がす』計画から『全員で逃げる』計画に変わったって聞きました」
「あ……」
「だから私の仲間が今ここにいる。それが言葉で表せないくらい嬉しいんです。あなたのおカげなんです!」
劣勢のキャングたちのところに飛び込んだことが。グラモールとテレサを助けてジェインを倒したことが。ガウスに為す術なく敗北したことが。
お前のおかげだと、言ってもらえたことがある。だがどんな言葉を貰っても、リリカ自身を納得させることはできなかった。
「リリカさんは本当にみんナを助けたんですよ?」
「うん……なんか、けっこーすっきりした。わかりやすいっていうか、うん」
この光景がリリカが勝ち取ったものだと言われて腑に落ちた。
助かった命たち。生きようとする命たち。リリカがどれだけ自分を責めても、この光景が変わるわけではないから。
「ありがとう。とっても嬉しい」
「よかった」
涙は流した。悔いも残る。それでもリリカは自分の戦いに確かな意味があったことを、ようやく受け入れたのだ。
「じゃあ、また来るね!」
リリカはにこにこ笑って手を振る。
赤味がかった顔を半分だけ覗かせるミィカもはにかんで小さく手を振った。
「ば、ばいばい……っ」
「うんっ、またねっ」
エリーンも嬉しそうに頭を下げて、釣られてもっと嬉しくなったリリカはまた手を振って部屋を出た。
「あー楽しかった。病院どっちだっけ?」
部屋を出ればまたそこは薄暗い廊下だ。
頭をひねるのもそこそこに、適当に歩き出したリリカは急な悪寒に襲われて足を止めた。
「いい湯でしたな、兄上」
「ああ、悪くなかった。また行くぞ」
「クロード殿が貸し切りにしたというおかげで、いつでも気まぐれに寄れますから……おや?」
「あ……!」
まるで初めからそこにいたかのような登場の仕方だった。たとえば布に覆われて見えずとも、そこに存在するという事実は変わらないだろう。その布をめくりあげて見えるようになっただけのことと言われれば納得してしまうような。
「おや、お嬢さん。名を……リリカと言いましたかネ?」
「わ、わ。魔神、族の……!」
「オホホ。改めて我ら気まぐれの兄弟、ハッターと兄のネロでございます」
気まぐれの魔神二人と対峙したリリカに心構えはできていなかった。そこに敵意はなくともガウスの仲間にふさわしい異質なオーラがあった。
彼らはクロードとの取り引きにより、エリーンたちをヘイグに送る代わりに「ある情報」とヘイグ滞在を融通してもらっていた。そのためここヘイグ支部には彼らのための部屋が用意されており、騒ぎを起こさないという条件付きで自由に出入りしているのであった。
「なんだ、小娘。まるで俺を睨んでいるように見えるが、まさかな?」
「……ネロ」
確かに睨んだ。それはネロにも確信をもって伝わった。
「今は気分がいい……が、言っておく。人間族は嫌いだ」
「あ、あたしとっ。勝負だ!」
「貴様が、この俺と?」
「オホホホ。ワタクシの物腰が柔らかいので誤解させましたかね?」
湯のぼりの二人は目の前の少女を見下ろしていた。片や人間と魔族どちらに肩入れするでもなく表面上はにこやかな気まぐれの弟。片や人間を嫌いそれを公言する兄。
どちらもリリカの味方ではない。気分一つでリリカを殺せるし、それを選択することに一切の躊躇もなければ抑止力も働いていない。
「貴様の恨みを買った記憶はないのだがな」
そういう次元の存在なのだ。リリカが今、怯えながらも睨み上げている大男は。
「グラモールに教えてもらったんだ! ガウスを連れてきてみんなを辛い目にあわせた悪い奴だって!」
「善悪の規範など俺には関係ない。ただの余興に些か犠牲がついただけのこと」
「ん、んんー!?」
「それを俺が煩慮する意味など無い」
「ぷっしゅー……」
難しい言葉の連続攻撃でショートした頭を叩いて、気概だけでネロに噛みつく。
「何言ってんのかよくわかんないけど! 傷ついた人がいっぱいいるんだ!」
「はぁ。阿呆か、この娘は」
「だから、あたしが勝ったらみんなに謝って!」
「殺しますか? 兄上」
このように、中立派のハッターでさえ気まぐれ一つでリリカを殺す判断を下す。リリカは今、紛れもなく死地にいたと言っていい。
「まあ待て。娘、その怪我で戦う気か?」
「あっ……」
「それに敗れた貴様が支払う代償はどうするつもりだ?」
「あっ……」
ネロは何も考えていなかったのだろう、小さくなっていく少女をせせら笑った。
「え、と、くじ引きとかで……」
「ハハハハ! おい、娘!」
「うえっ」
「面白い、相手になってもらおうか」
この日からリリカは気まぐれ兄弟の部屋に出入りするようになる。彼女は決まって気合に満ちた表情で入室し、うってかわって消沈して退室した。
彼女が何をさせられていたのか、それが知られるのは、まだしばらく先のことなのだった。




