病室ではお静かに
最初に会いに向かうのは病室が近いミュウとソリューニャだ。
「あら~? お見舞い~?」
「あ、すいません。いいですか?」
「もちろん~」
病室には先客がいた。
この施設には魔道医学の勉強をしながら医者の卵として、病人の看護を通じ実務経験も積んでいる研究者が多くいる。彼女もその一人で、二人の様子を見に来ていたのだという。
「ミュウちゃん、ソリューニャ……」
「あ~もしかしてリリカさん~? 担当違うんで間違ってたらごめんなさい~」
「リリカだよ! ミュウちゃんとソリューニャのお世話してくれてるの? ありがとう! いつ起きるの? 起きるよね?」
「わあおしゃべり~。病室ではお静かに~」
こらえ切れなかったとばかりに質問を投げるリリカを、間延びした口調でナースが制する。
リリカは慌ててこそこそと小さな声で謝った。
「わわ、ごめんなさい」
「いいですよ~。一度言いたかったんですよ~これ。“お静かに”~」
「そ、そうなんだ」
聞くとミュウは外傷は派手だが命に別状はなく、いつ起きてもおかしくないとのことだった。
ただ厚く包帯の巻かれた左腕には魔力由来の異常の痕跡が見られたようで、それだけは懸念だという。
「そっか。あたしが寝てる間……すごく頑張ったんだね……」
「死の淵で戦ってた間、ね。はやく目覚めるといいわね」
次はソリューニャ。仕切りカーテンの奥から小さな寝息が聞こえてくる。
「このカーテンの向こうにソリューニャさんがいますよ~。静かに開けてくださいね~」
「ソリューニャとミュウちゃんお隣さんなんだ。あたし一人部屋で寂しいからなぁ」
「これからは散歩くらいは自由なんでしょ。今度私の部屋に招待したげる」
「わぁい」
恐る恐るカーテンを開けると、窓際にソリューニャが眠っていた。腕や足には添え木をしたうえで吊られており、リリカから見える部分はほとんど包帯が捲かれている。
この大げさな医療器具がリリカを怯ませる。明らかにミュウよりも重傷だった。
「ソリューニャ……」
「信じられない生命力ですよ~。こんな重傷で生きてる人初めて見ました~」
「聞いた話ね。敵に治療を受けてたみたいで、それがなかったら今ここに寝てなかっただろうって」
「強い薬が投与されたかもしれないそうですが、今のところ副作用は出ていません~」
「敵に、かぁ。いろいろあるもんね、向こうにも」
コルディエラにやられた傷で大きなものは三つ。肉まで剥げた拳と、折れた腕と、槍で貫かれた脇腹。どれも全治にかなりかかる大きさの傷だ。
しかしエドガーが竜人族の秘薬を使ったことで、通常では考えられないほどの治癒力がはたらいている。そのおかげもあり、ミュウ以上に外傷はひどくとも容態としては安定しているとのことらしかった。
「ウェンさんが間に合ってなかったら連れ去られてたかもって」
「あとでお礼言わなきゃ。でも、とにかくよかった。ソリューニャが無事なら全部」
「そうね」
ソリューニャは最終決戦では仲間のいない場所で戦い続けていた。そこで何があったのかは、彼女にしか説明できないだろう。
「きっとすぐ目覚めるわ」
「うん。またね、ソリューニャ」
傷の治りとは別に、意識を取り戻すのはもうすぐだろうとのことだ。
それだけでリリカは嬉しい。静かに眠る仲間に手を振ってカーテンを閉め直した。
「ミュウちゃんも、また来るね」
「私もまた来るわ。二人をよろしく頼みますね」
「お願いします」
「はい~」
ミュウはベッドにその身を横たえ静かに胸を上下させている。
その寝顔は穏やかで、リリカは少し安心する。
「またね」
窓際に花の差された花瓶を飾る。
もう一度小さく呟いて、二人は病室を出た。
「次は上ね」
「レンたち?」
「ええ。階段はこっちよ」
マオに連れられて階段を上がり、廊下をまっすぐ一番奥の部屋。
「……」
「大丈夫?」
「うん。入るよ」
部屋の扉を軽く叩くと、返事が戻ってくる。中からは一人のものではない声が聞こえてきて、リリカはレンたちがもう起きているのではないかという淡い期待も抱いて扉を開けた。
「おや? さっきぶりだねリリカちゃん。髪切ってもらったんだねぇ」
「あ、うん。二人は?」
ソリューニャたちのそれよりも広い部屋に二つ、二人の眠るベッド。声の主はヨルテアと何人かのナースたちだったようだった。
全員の顔には緊張と疲労の色が見える。特にヨルテアの目の下には隈が浮かんでいて顔色も青白い。
「んー、ん」
言い辛そうに、ヨルテアが口ごもる。
広いはずの部屋が狭く見えるほど医療器具が置いてある。ヨルテア以外の看護婦はずっと手を動かしていて、今このときでさえレンたちの命を繋ぎ留めるための処置が行われているのだろう。
二人の状態など聞くまでもなかった。
「まあ、良くはないよ」
「…………」
「リリカ……」
不安だろう。怖いだろう。横からでも、リリカの表情を見れば分かる。
それでもリリカの心は事実を事実のまま受け止めるだけの覚悟が決まっているようだった。
ヨルテアは肩の力を抜いた。この少女にはちゃんとした事実を、医者としての言葉を伝えても大丈夫だと思った。
「もう何度か容態が急変してそのたびにギリギリで持ち直してる。夜中でも目が離せなくってねぇ」
「そ、か。うん、そっか……」
「でもね、リリカちゃん。生きてるのが不思議なくらいの怪我で、ここまで命を持たせてる。リリカちゃんの友達は強い子らだよぉ」
「ありがとう。……あのね、二人を助けてあげて」
真剣な目だ。リリカは自分では怪我を診れないから、せめてそれができる人に頭を下げて託すことしかできない。気持ちを伝えることしかできない。
「大丈夫よ! センセイが看てくれてるんですもの!」
「そうそ。先生は天才なんだから」
「それをあのモジャ眼鏡が連れ去った……憎いぃ……!」
「おいおいキミ達ねぇ……」
会話に割り込んできたのはナースたちだった。彼女たちはヨルテアが指導員として勤めていた医学校の後輩であり、開校以来の天才だったヨルテアをこよなく愛する盲目の淑女である。
ちなみに彼女ら信奉者にとってクロードはさながら女神を誑かした悪魔も同然であり、多額の支援を施し十分な設備を整えた研究施設の提供者であることなど、彼への評価において一切考慮に値しないのであった。
「相変わらず愛されてるのね、先生」
「重いよォ~……」
「すごく信頼されてるんだね。あたしにできること……何でもやるから。レンたちをお願い」
まさにアイドル。祀り上げられたヨルテアとしては照れるやら重圧やらで困るばかりだ。
自分は医者で、医者とはすべての命を救える存在などではないことは誰より自分が知っている。それでもヨルテアは頭を下げるリリカに言う。
「助けるよ」
「うんっ」
リリカは笑った。
「もういいの? リリカ?」
「うん。先生の邪魔しちゃう」
「それじゃあ先生、皆さんも。私からもよろしくお願いします」
「ええ。お大事に」
この部屋にも花瓶を飾ると、またね、と部屋をあとにした。
「…………」
「…………」
廊下を歩く二人はしばらく無言だった。
薬品の匂いが染みついたこの建物の中で、今も戦いは続いている。そのことを再確認したからこその静かな時間だった。
「ねえ」
沈黙を破ったのはリリカの方だった。
「もしかして、ミツキ?」
足が止まった。
「……なんで?」
「うーん、なんとなく」
リリカを気遣うマオの姿を思い出す。
「あたしがみんなに会うのはちょっとだけ怖かったから。それで、みんなの傷見たとき、やっぱり辛い気持ちになったから……」
怖いなら、とマオが言ったとき、彼女はただリリカの心を案じただけだったのだろうか。包帯を捲かれた仲間たちの姿を目に写すリリカを、マオはどんな気持ちで見ていたのだろうか。
「だから……もしかしたらマオも怖いのかなって」
「…………」
「あ、ご、ごめんね! 違ったら……ごめん」
マオの無言をどう受け止めたのか、リリカが慌てて謝罪する。
「ふ、ふふっ。リリカ」
「えっなんで笑うの」
「あなたのこと、アホ可愛いって思ってた」
「んなぁ!? ア、アホー!? あっでも可愛い? 褒められたの??」
「んふっ、くふふふっ!」
マオが肩を震わせて笑う。
「あーっバカにしてるなー!? ソリューニャとおんなじ笑い方してるーっ!」
「あっはは! だけどね……」
マオは顔を上げて、目尻の涙を拭った。
「カッコいいわ。リリカ」
「そ、そう?」
「うん。カッコいいよ。すごく」
「すごく……えへへ」
図星だったのだ。
マオはまだミツキの様子を見に訪ねることができていない。
“お静かに~!”
「ご、ごめんなさーい」
それは間延びした声のした方へ、誰にも見られていないのにぺこぺこと頭を下げるこの少女の推測通りの理由であり。
(あーあ、ダサいなぁ私)
背を押されたのだ。この少女が向き合う姿に。
「リリカ。ありがとう。私用事ができちゃったから、またね」
「え? あっ、うんっ」
「また遊びに来るわ」
微妙に察しの悪いリリカに別れを告げて、マオは戻っていく。去り際、前を向いたマオの表情はすっきりとしていたように見えた。
ぽつん、と残されたリリカはしばらくそこに立っていた。
「ややさみしい」
「あら? リリカちゃん?」
「わぁっ!?」
彼女の背後から声をかけたのはロールマリンだった。隣にはヒバリもいる。
「リリカちゃん、歩けるようになったのね。おめでとう」
「ヒバリさん、ありがとう。それで……」
リリカは見覚えのあるようなないような、長身の女性の名前を思い出そうと首をひねる。
腰元まで伸びるウェーブのかかった桃髪と、アンテナのように跳ねる頭頂部のひと房の髪。彼女は緩やかに下がった眉をさらに垂れ下げ、穏やかそうに微笑んでいる。
「うふふ、名乗るのは初めてですね。わたしはロールマリンです」
「ロールとは仕事仲間で、友達でもあるの」
「はじ、めまして?」
「船では白衣を着てたから分からなかったですかね。気分転換のつもりだからって脱いでくるべきじゃなかったかも、ヒバリちゃん」
「もう三日三晩羽織ってたじゃない、忙しいからって。脱いで正解よそんなばっちいの」
「え、遠慮ないですよ~……」
エプロンドレスの上から襟を正す仕草をするロールマリン。ヒバリはいつものパンツスタイルが堂に入っており、その記憶を思い起こしやすいいつも通りさが今は少し羨ましいようだ。
「ええと、ロールさんでいい? あたしはリリカ、よろしくねっ」
「ええ、リリカちゃん。出歩けるならお散歩でもどうですか? みなさんのお部屋を案内しますよ?」
「みんなの部屋は今マオと見に行ったよ」
「あら」
予定外だったようで、二人は顔を見合わせる。
「じゃあ支部を案内したげましょう」
「あ。今度はゆーかい犯ヒバリさんとロールさんだねっ」
「物騒ね。私たち悪役?」
「いいじゃないですか、わたしは気に入りましたよ。リリカちゃん愛らしいので拐かしちゃうのもやぶさかではないです」
「たぶ、やぶ??」
そういうことになった。
ギルドクロノス、ヘイグ支部。リリカたちの病室がある研究施設と同じ敷地内、施設の隣にある建物だ。
クロードは野心のために研究施設を建てると同時に、ギルドの支部を置いたのだ。
「……なぜならここは位置的に重要な土地で、ここに拠点を置くことはギルドの力を増すことに繋がるんです。あとヘイグは技術的にも先進的でそれを守るという……ああ、医療技術が発展するには他分野の先進科学が不可欠なので」
「ロール、ロール。悪い癖よ」
「ぷっしゅ~」
「まあっ。ごめんなさい」
ヘイグは大国シルフォードの端の方に位置しすぐ近隣に複数の国が面していることや、肥沃で珍しい植生が分布しており研究的価値の高い土地であることなど、リリカに理解できる容量を超えていた。さらに彼女がショートしたことで直前までのヘイグの医療都市としての発展の講説もだいたいトんでしまった。聞く人が聞けばわかりやすく面白い歴史の授業だったのだが、悲しいかな相手はリリカだ。
「あらあら……」
「病み上がりに聞かせる話じゃなかったわよ」
「ヒバリちゃん、わたし疲れてるんでしょうか……」
「クマひっどいわね。さすが悪役板についてるわ」
「わたしの慰められたいささやかな気持ちは無慈悲にも切って捨てられました……」
よよと鳴き真似をするロールマリンを無視して、ヒバリは目を回すリリカの介抱をする。
「はー。ロールさん物知りですごいなぁ~」
「んまっ、優しいっ……!」
「ふふ。裏表のないリリカちゃんは腹黒のあなたに刺さるわね」
「仲いいんだねー。楽しそうっ」
研究施設と支部を繋ぐ渡りの廊下で広げられる二人の掛け合いは小気味いいテンポと遠慮ない言葉の応酬で、その気の置けない間柄がリリカにもよく伝わってくる。
「ロールさん疲れてるんだぁ。なんで?」
「お仕事ですよ。リリカちゃんたちが巻き込まれたのは実はとんでもない大事件なんです。実感なさそうですけどね」
「そうよ? 地上じゃもうその話題で持ちきりなんだから」
「リリカちゃんも落ち着いたら改めて話を聞かせてもらいますね。歴史は人の数だけ語られるものなんです」
「ほへ~っ?」
三人は立ち止まって裏山の方を見る。そこにはリリカたちが乗っていた脱出船が横たわっていた。
雲を裂く極光は山一つ吹き飛ばし地形を変えた。天から現れた謎の大陸は山脈を越え北部ゼルシア国の方へと墜落した。ガウス軍の残党は人間族の土地で如何な道を辿るのか。人間の地で魔族とオーガ族はどう生きるのか。
戦いは終わったが、事件はまだまだ終わらない。その流れを把握するために情報を集め、編纂し、未来へと繋ぐ。ロールマリンの仕事とは少しでも多くの情報を記録することだった。
ロールマリンは左手を開いて、ここまでの成果の一部をリリカに見せる。
「“ハイパー・アーカイヴス”」
「わぁっ、なにこれ!? 文字? 島の絵もある!」
「こういう感じに、記憶が新しいうちじゃないとどんどん正確な記録が取れなくなってしまうので。情報って生き物ですからホント、今がヤマなんですよ~……」
「えーと、今が一番大変なんだね! 頑張って!」
「ヒバリちゃん……この子研究室で飼ってもいいでしょうか?」
「ダメに決まってんでしょ」
リリカの散歩は、誘拐犯をマオからヒバリとロールマリンに代えて続く。
ようやくリリカが動いてくれて楽しいです。




