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医療都市ヘイグ


 

 

 朝、カーテンの隙間。小鳥の囀り、漏れる陽光。薬のにおいと微かな家鳴り。

 戦いとは対極にあるだろう平和な時間。


「ふあ……あ」


 欠伸。ボサボサにハネた髪を掻く。

 捲くれた袖口から朝の冷えた空気が傷に触れた。


「アイタタ。腕はやく治んないかなぁ」


 少女はこの痛みの原因となった事件に思いを馳せた。

 NAMELESSとの邂逅からはじまり強敵ジェイン、そして最強の魔神ガウス。この傷と痛みは次々と現れる格上たちと戦い続け命を守り抜いた証だ。


「ううっ。思い出しちゃった……」


 黒い目に浮かぶ金の瞳が、記憶の中から少女を射抜く。中でもガウスは格が違った。

 トラウマになっている敵のことを思い出し、少女は再びベッドに身を沈め目を閉じた。


「はぁー。なんだかまだ、ふわふわしてる」


 リリカは思い出す。戦いが終わったあの日の、それからのできごとを。



 ◇◇◇





 もう地上が目の前に迫り、敵船も諦めて撤退していく。


「ふう、敵船も引き返していくみたい。そりゃそうだよな、アタマが()られて拠点も墜落。さすがに士気も保てんだろう」

「たとえ勝ったとしても補給もなく孤立して末路は悲惨ですからね。互いのために逃げ帰ってもらいましょう」

「竜人を連れ帰ろうとしたり敵にも各々の目的を感じた。来ないと断定するには些か油断がすぎないかい」

「ウェンにも一理ある。とはいえ今は一刻を争うようだし、来ないものとして話を進めようか」


 入れ違いにクロードとウェンリルがソリューニャを連れて帰還する。

 この降って湧いた天災についての情報はあまりにも少なく、敵にもう何の隠し玉もないと断ずるには尚早だ。しかし分からないものを考えても仕方がないので、クロードはなんとか連れ帰ったまだ息のある勇者たちを救うために頭を切り替えた。


「ああーーっソリューニャ!!」

「ちょっ、安静に!」


 目覚めたばかりのリリカは本来回復するかどうかも分からないと言われていたとは思えないほど元気だ。


「ソリューニャ! 大丈夫なの!?」

「落ち着けよ。先生が診てくれる」

「うーん、傷は深いけど正確な治療。ん、呼吸は浅く安定。こりゃ強い薬使われてんのかなぁ、後が怖いなぁ」

「よかった、よくない……でもよかったよぅ……。ソリューニャ、ソリューニャぁ……」

「はいはい。行くわよ、まだ寝てなさい」


 泣きつくリリカをマオが引き剥がす。

 ヨルテアが敵に処置されたというソリューニャを看て驚く。見た目の派手な傷とは裏腹に脈拍は安定しており、後回しにしても大丈夫だろうとすら判断できるほどだった。


 ケガ人を運ぶ者。救護活動に集中する者。うずくまり震える者もいれば、先の計画を話し合う者たちもいる。

 そんな彼らを乗せた船がついに地上に着陸した。

 ガウスに連れていかれた者たちにとっては懐かしの、チュピの民たちにとっては未知なる大地だ。


「うう、ついに戻ってきた……!」

「これが、地上……」

「お姉ちゃん、空が灰色! ここはもう夜!?」

「地上、狭いな……果てが見えないぞ」


 たくさんの犠牲があった。たくさんのものが失われた。

 それでも歓声は湧き上がる。そこにはあらゆる感情が込められていた。


「何やら万感の思いがあるみたい。後でじっくり事情をききたいな」

「ヴェルはまだ来てないのか。ロールマリン」

「ムダでーすーっ。切られちゃったのでー」

「切られた……ああ……」


 全てを察したウェンリルが迎えに戻ろうかと思ったとき、ヴェルヴェットが上空に見えた。


「ヴェルさん! これでみんな揃ったわね」

「マオ、ミツキは無事か」

「心配かけておいていきなりそれかい……。んにゃ、生きるか死ぬかはこれからだよぉ」

「そうか、生かしてくれ。マスター、敵との決着はつかなかった。奴は仲間を連れて退いた」

「君が無事なら特に問題はないぜ。相手は“驟雨”って化け物幹部らしいし、さすがヴェルヴェットだ」

「まったくアンタらは戦いのことばかり……。問題山積みだよぉ」


 突き詰めれば一兵士でしかないヴェルヴェットは役目を果たしたところだ。しかし医者のヨルテアは険しい顔をしている。


「ごめんごめん。今考えてる」

「手は尽くすけどね、尽くせる手の数が足りないよ」

「ああ、当面の問題はこの何もない状況。まさかこんなことになるなんて、先生連れてきたのが不幸中の幸いだね」

「怪我人で、難民で、魔族。うーん、大事にしないで解決は難しそうですね」


 クロードは船上から地上を見渡す魔族たちを見ながら言う。

 地上に来たからといってすべてが解決するわけではない。むしろ最低でも生命が保証されていた環境から抜け出したのだから、ここから先は何もないところから生きる術を見つけていくことになる。


「嘆いてる時間も惜しいです。とにかく人手と物資を確保しましょう」

「空から見た感じ近くの街までの距離はかなりあるな。救援を待つ余裕はない、輸送は可能か?」

「この船はもう飛べんぞ! むしろここまで持ちこたえたことに激しく感謝だ!」

「ぽっぽ(この子)たちも限界よ。アテにはしないで頂戴」

「仮にヒバリさんが最速で往復したとしても間に合わない人は出るよぉ」


 船が使えず、鳥たちも疲労が溜まっている。

 そのときクロードの目がズグと疼いた。


「ん……! 魔神か!?」


 直後、存在していなかったものが彼らの目の前に存在を確定させた。


「オホホ! 人間のみなさん、ご機嫌よう」

「ハッター。俺は人間に用はないぞ」

「…………」


 戦いを見届けた三人の魔神族である。


「気まぐれ……とこのモヤっぽい感じ……無垢、かな?」

「おや、兄上のお知り合いで?」

「まさか。無垢のは」

「知らない」

「だろうな」

「おや、おやおや? この方、目に呪いを受けてますねぇ」


 その存在感は異質にして圧倒的だ。立っているだけで撒き散らす、彼らが何か気が変わりでもすれば惨劇が起こるだろう予感を含むオーラ。

 三人と面識のないリリカは当然身構えた。


「うわーービックリ!? て、敵かーーっ!?」

「たぶん大丈夫だから、リリカ安静」

「はいっ!」

「素直」

「喧しくて失敬、初めまして。僕はクロード=クロス」


 クロードの名を聞いたハッターは、自分がその名前に聞き覚えがあることに気付いた。


「まさかアナタが“クロノス”の」

「おや、僕も有名になったねぇ。でね、気まぐれの魔神。僕と取引してくれ」

「断る。俺は人間族が嫌いだ」

「話してごらんなさいヨ」

「おい……」


 人間族を嫌う気まぐれの兄ネロ=ジャックマンは一蹴しようとしたが、それを制して弟のハッターが続きを促した。

 兄とは違いハッターは人間界にも気まぐれに立ち寄る。「クロノス」といえば大陸一とまで言われる魔導士ギルドであり、ギルドマスター・クロードの名はその噂と共に広まっていたのだ。


「僕たちを転移させてほしい」

「この惨状を鑑みるに、そうでしょうね。ワタクシが知りたいのは見返りの方ですヨ」

「ああ。面白い話を教えるよ。これからこの大陸で何が起こるのか、人間界の水面下で密かに蠢く陰謀の話を」

「……オホホ、いいでしょう。それで、どこまで?」


 クロードは首を回してヨルテアを見た。


「せーんせっ」

「な、なにさ?」

「里帰り、したくない?」

「……なるほど。それなら全員助けられるかもねぇ」

「決まったようですネ」


 目の前に気まぐれの弟が現れても、クロードは驚くこともなくニヒルに笑った。


「ああ、有数の湯治スポットがおまけに着いてくるよ。貸し切っておこう」

「それは上々。兄上もそう仏頂面してないでどうですか? 執筆のためにしばらく腰を落ち着けたいでしょう?」

「フン……よかろう。契約は締結された。忘れるな、クロノス」


 人間嫌いの兄は気まぐれに折れた。


「自分はもう見届けた」

「ホホ、なんとも味気ない」


 無垢の魔神は余韻も残さずスゥと消えた。

 レンとジンとの出会い。ガウスとの決別。無垢の新たな旅はすでに始まっていたのだった。


「さあ。行き先の名を」


 クロードは行き先の名を告げる。

 そこはクロノスの主治医、先生ことヨルテアの故郷。大陸で最も進んだ医学の研究が行われているという、すべての医者の聖地。


「ヘイグまで!」


 医療都市ヘイグである。


 ◇◇◇






「ん、経過順調。頭の包帯ももう取っていーよ」

「わぁい! もー暑くて痒くて」

「これお薬、朝と夜忘れずにね。まだ内臓が傷ついてるから、食事はこっちで出すもの以外ダメ。激しい運動もまだダメだけど、この辺出歩くくらいならよし。ただし折れた腕と斬られた肩は絶対に動かさないようにねぇ」

「はーいセンセー!」

「いいお返事。ういー、検診終わりっ」


 朝の検診に来たヨルテアと入れ代わりに、マオが部屋に入ってきた。


「おはよう、リリカ。よく眠れた?」

「おはよっ! 最近寝すぎてポケポケするよー」

「ふふっ。じゃあ許可も下りたし散歩でも行く? 案内するわよ」

「行くー!」

「あでもその前に。髪、切ってあげよっか?」


 リリカは少し悩んでから、切ってもらうことにした。

 彼女の髪は量が多くしかも少しクセがあってボリューミーだ。前髪は目を隠すのではないかというくらい伸びてきていたし、首後ろの髪もだいぶ増えた。そしてなにより寝癖の爆発具合が限界を訴えていた。


「じゃあ用意するからそこに座って座って!」


 マオは持っていたカバンの中から道具を取り出すと、手際よくリリカの髪を梳きはじめた。


「慣れてるね」

「妹にはいつも最強に可愛いくいてほしいからね。ギルドの仲間にしてあげることもあるのよ」

「すっごーい」


 じゃきじゃきじゃっきん。ハサミが閉じる小気味いい音に合わせてぱさり、ぱさりと髪の束が落ちていく。


「えへへ。ソリューニャに切ってもらうのも好きなんだー。でもあたしがやってあげたらちょっとだけ変になっちゃって……泣くほど怒られた……」

「当然ね」

「うわーん、だってできると思ったんだもん!」


 ハサミを持たせてもらえなくなって久しい不器用娘の話などをしながらもマオの手は動き続ける。そしてブラシで髪を落とし薄く油を馴染ませて完了した。


「できたわよ。これ鏡」

「わ~ありが前髪消えたー!?」


 鏡を覗くとそこには目を丸くするおでこの広い女の子がいた。隠れていた耳も出て、後ろ髪も首を露出させるほどまで短くなっている。


「雷で毛先がだいぶ傷んでたから仕方なかったの」

「じゃあしょうがないね!」

「ごめん嘘。半分は」


 にぱっと笑顔になるリリカがあまりにも素直すぎてマオは罪悪感に負けた。


「んなーー!」

「いや、いや! 毛も傷んでたけど可愛いから切ったの! ホントに似合ってる!」

「えっありがとー!」

「……簡単に誘拐とかされそうねこの子」


 マオは道具を片付け簡単に掃除をすると、着替えたリリカを連れて部屋を出た。


「いやーこれで“デコちゃんズ”に新たな仲間が加わったわね!」

「でこちゃんず?」

「そう! 秘密結社おでこ見せちゃうパーティー団クラブ!」

「そっか、マオとお揃いなんだね! えへへ」

「わぁカワイイ。誘拐しちゃおっ」


 誘拐犯・マオに案内されるまで、リリカは自分が寝るこの施設が魔導士ギルドクロノスのヘイグ支部であることを知らなかった。


「ギルドが出資……お金を出してね、このヘイグに研究所を建てたの」

「ここ研究所なの? 下に竜いる?」

「アレは特殊よ。ここは医術の研究所。魔導士ギルドって結構ケガ人出やすいから、病気や怪我を治す勉強をする場所って言えばいいのかしら」


 魔導士ギルドとは魔力のない人が9割の世界において、残りの1割に属する者たちを集め交流や仕事を仲介する組織のことだ。依頼人は魔導士の力を借りたい仕事を持ち込み、ギルドは登録している魔導士に仕事を割り振るのだ。

 その中には荒事もかなり含まれている。当然怪我も発生しやすく、クロードは医療都市に支部を設けることでこれをケアしようとした。


「え? 怪我したらお医者さんに診てもらえばいいんじゃないの?」

「もちろんそうよ? でも魔道関連の怪我もあるのよ。ほら、ソリューニャも普通のお医者さんはお手上げだったらしいじゃない?」

「あ、そういえば」


 以前ソリューニャが原因の分からない夢遊症状に悩まされていた時、シラスズタウンの町医者に見せたものの結局何も分からなかったことがある。魔法を習得できる者が少ないこの地では、その分野の医療技術の発展も遅く精通している者も少ないのだ。


「それで……魔道医学っていう分野なんだけど、それを研究するための珍しい施設がここってわけね。病院も兼ねていて、リリカみたいに入院している人が他にもいるのよ」

「わざわざこんな部屋もいっぱいある大きな建物作ったのはそのためなんだ! マスターいい人だね!」

「あの人そんな綺麗な人格じゃないわよ。近づくと病気になるわよ、心の」

「えっ怖」


 大陸で最先端の医療都市に、大陸で最大のギルドが設立した研究施設。

 クロードはその研究成果を独占し、それを利用して勢力の拡大や営利目的の取引を行っているのだ。彼には夢を実現するだけの巨額の資金があり、それを最大限の利益に繋げるだけの手腕もある。


「で、レンたちもここに入院してるわ」

「……うん」

「まずは病室に案内してあげる。けど……」

「うん。みんなキケンな状態ってことは、教えてもらった」

「こ……ん。怖いなら、別に」

「マオっ、案内して。あたし、頑張ってるみんなに会いたいんだ!」


 即座にリリカは言い切った。


「そ、っか。うん、いいわよ」

「うん! まずどこ?」

「ここからだと……」


 予断を許さぬ状態の仲間に会うことが怖くないわけがない。それでも迷いなく向き合おうとする覚悟が彼女にはあった。




新章ヘイグ編。天雷編のエピローグとなります。

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