約束の笑顔
ゴーンはその不穏な風をいち早く覚り立ち止まった。
「なんだ? この気配は……」
「ふう、思ったよりも早く見つけられたな」
「人間? 只者ではないな」
ミツキを無事に船に連れ帰ってから、ウェンリルは己の能力でソリューニャに追いつくことに成功していた。
(赤髪、長身。ここからじゃ“凛とした美人さん”かどうかは見えないが)
どこにいるか分からない、会ったことのない人物を探すことができるのはウェンリルの強みだ。ヒバリから知りうる限りの情報と回収した荷物を受け取っていたことが功を奏した。
同時にソリューニャを連れていこうとする竜人たちとの間に緊張感が走る。
「だが、治療? ひょっとして同じ竜人の仲間だったのかな?」
「そうだ。案ずることはない。ここは任せてもらおう」
乱れた白髪の間から覗く切れ長の目が、どういうわけか手当も受けて担架に乗せられている赤髪の竜人の姿を確認する。
敵意を剥き出すレインハルトを見ていたこと。ソリューニャと同じ竜人族であること。そんな彼らが手厚い治療を施したこの状況のこと。
それらがウェンリルを戸惑わせていると見抜いたゴーンは顔色一つ変えずに嘘をついた。
「……彼女の歳と親の名は?」
「…………」
「うん、彼女はやっぱり“返して”もらうよ」
もしもウェンリルがソリューニャの地上の仲間ならば、ゴーンが彼女を知っているかのように適当に答えても無意味である。それが分かっているからこそ言葉に詰まり、結果ウェンリルのカマかけの前にあっさりと嘘を見抜かれる形となった。
そしてこうなったからには、もはや戦いは避けられなかった。
「一応聞くけれど、退く気はないかい?」
「なるほど、詰んでおったか。地上の者がここまで上がって来られるほど高度を落としているのだな」
「族長、やりますか?」
「奴の狙いは女だ。儂が相手をする間に急げ!」
ウェンリルの左半身を中心に広がっていた太い爪痕のような文様が、左頬から首にかけての青いアザへと収束する。
ゴーンは目の前の敵が地上でも上位の存在であることを確信した。竜人の闘争を求める血が年甲斐もなく騒ぐ。
「じゃあ手荒にいくしかないね」
「はぁぁ……! これほどの拾い物、絶対に渡さぬぞ」
ジャラ、とウェンリルの手にはいつの間にか細い鎖が握られている。
ゴーンも年季の入った竜骨の剣を構える。
「落ち着いてるね。困ったな」
「なんとも貫禄ある小僧よ。やりづらいことこの上ない」
竜より祝福を受けし戦士ゴーン。相対するはクロノス最上位クラスの魔導士ウェンリル。地上も近づいてきたニエ・バ・シェロの上で、二人の雄が激突する。
◇◇◇
拠点となる脱出船の甲板の上、マスターから司令塔を任されたロールマリンは彼女にしかできない役割をたった一人で行っていた。
彼女もルーカスやジハイド同様、なにか突出して秀でた分野の能力を持つ。
しかし彼女のそれはあまりにも先進的だった。秀でているという言葉で表しきれない、他に類を見ない唯一無二の能力なのである。
「えーと、マーカーはうまく作用してますかねー。ひーふーみっ」
長くウェーブのかかった桃色の髪を、戦場ということで一つ結びでまとめたその女性の名はロールマリン。戦闘員ではないがギルド内で最も重要な存在とまで言われる才女だ。
『ロールマリン。聞こえるかい?』
「っと、クロード君ですか。あーはい、聞こえましたよー! ……音はかなり乱れてますけど」
『うん、聖域の魔力力場の影響かな』
「故障や距離の線もありますよ」
カチューシャのようなバンドで頭に固定した、耳元の魔導具から遠く離れたクロードの声が聞こえる。
彼らに持たせた対となる魔導具は、声を吹き込むとそれがロールマリンに届くのだ。
「いずれにしても改良の余地はまだまだありますねぇ」
『課題が見つかるのは良いことさ』
他に類を見ない機能性を突き詰めたフォルムの魔導具はしかし、彼女の特異性を示すものの一部でしかない。
「それで要件はなんでしょう?」
『ああ、四人を回収した。面白いものも見れたよ』
「そうですか、それは……」
そのとき、会話に別のノイズが入った。事前のテストで複数人が同時にロールマリンへ連絡しようとしたときに発生することが確認されている現象だ。
「っ、と混線。ウェン君ですかね?」
『……ソリューニャを発見……。生死は不明。敵が複数。戦闘も想定……奪還を目指す』
「了解! 誰か援護を向かわせますね!」
『ありがたい』
「いいえ、それまで耐えてくださいね」
誰を向かわせるか、と考えてヴェルヴェットの様子が気になった。
ミツキの危機と聞いていの一番に戦場に向かったヴェルヴェットは、すんでのところで彼を救ったが、その後はレインハルトとの戦闘を始めていた。
「聞き忘れていましたけど、ヴェルちゃんは?」
『強敵を足止め……ほどほどで逃げ……言ってあるけど、まだ……いのかい』
「そうなんですよー」
彼女はギルドに在籍していながら、滅多に帰ってくることはない。強者を求めふらふらと流浪する彼女がこのときギルドに帰還していたのは、偶然だが幸運だったのだ。
そんな彼女だから、レインハルトという稀代の強者と戦闘になれば後先なくそれに没頭する懸念は容易に想定できた。
「そういうわけなので、連絡をっと。ヴェルちゃんー」
『……! ……!』
「ヴェールーちゃーん!」
ロールマリンの魔導具一式は、仲間に持たせたサブユニット同士では会話はできないが、彼女が使うマスターユニットだけは各人へ声を届けることもできるようになっている。手の平大の魔導具に魔力を注入し、ヴェルヴェットに持たせたサブユニットに接続する。
『ッ……ザ……! む、ロールマリン』
「あっ! ヴェルさ」
『気が散る危険だ切るぞ』
バキ、という音に耳を叩かれ、ロールマリンは顔をしかめる。
文字通り切られたのだ、というのはすぐにわかった。
「…………」
集中を少しでも欠けば命取りになる。そういう次元の戦いなのだろう。
それは理解できたが、せっかく開発した魔導具を初投入にして破壊された事実は腹に据えかねるものがあった。
「“切る”ってそういうことじゃないです。ヴェルちゃんあとでお説教ですねー」
「ロールさ……うわ顔怖っ!」
「わ、マオちゃん」
「あの、みんなはまだ!? 地上まであと少しらしいの!」
黄色い魔力で形成された円形の板がロールマリンの正面に展開されている。その中心にある赤い点とは別にいくつか青い点がまばらに位置していた。
「これを見てください」
「……青い点、これってもしかして」
「はい。ここにウェン君、この二つがヒバリさんたち」
「す、すごい! ヴェルさんは?」
「消滅しました」
「はっ!?」
「消滅しました」
有無を言わせない圧を発するロールマリン。クロードと共にギルドを支えてきた彼女は、武闘派ではないが怒らせると怖いともっぱらの噂であった。
「とにかくみんな無事みたいですよ」
「そ、そう」
「うーん、このマップ。高低差による誤差が大きいですねー。恐らく平面の地形図のイメージが強く投影されてしまったんでしょうか、常識の更新が必要ですね」
不満げに唇を尖らせ、ロールマリンはウェンリルと思しき青点に触れる。すると点にソリューニャという文字が付随するようになった。
そしてマップの左横に並べられた名簿からレンたち四人の名前に斜線が入り目立たなくなる。
「“精度に難、高低差”っと……。改善点は余さず記録しておきましょう。いつかくる本番に備えて」
ロールマリンが右手を開くと、そこに魔力の板が現れた。彼女の目は正面のマップを見ながら、左手はマスターユニットを操作し、そして右手の板には改善点が記録されていく。
「我がものながら奥深いですねぇ……“ハイパー・アーカイヴス”」
彼女の魔導は膨大な情報を並行して処理し、事象を記録する。情報処理技術の魔導化という革新的な概念に基づくこの魔導こそ、彼女が唯一無二の存在であり最重要人物とされた所以であった。
情報の収集、分析処理に可視化、遠隔地への迅速な伝達、そして記録。それらすべてをたった一人の人間が担えることの恐ろしさ。
「クロード君、聞こえますかー?」
『うん。どうした?』
「ウェン君がソリューニャちゃんを見つけたみたいですが、敵に邪魔されてるみたいで」
『了解。四人はヒバリに任せてそちらに向かおう』
「ヒバリちゃんはわたしが誘導しますね」
ロールマリンは情報を司ることで戦場を俯瞰する。
彼女の力を持ってすれば戦場で互いの位置も分からないウェンリルとクロードを引き合わせることも可能になるのだ。
「クロード君は進行方向から4時の方角に進んでください」
『了解。急行する』
「ヒバリちゃん、聞こえますかー?」
『ええ、聞こえたわ』
ロールマリンは目視で確認できた敵船をマップに追加し、一人になったヒバリとのおおよその位置関係を把握する。
「まっすぐ行くと危ないのでやや右に迂回してきてくださいね」
『わかったわ。ありがとう』
「いえいえ、気を付けて戻ってきてくださいね」
魔導士は力の大きさに比例するように特異な性質を持っていたりする者が増えていく。この変人たちが入り乱れる戦場ともなれば当然一筋縄ではいかないことばかりであり、また戦況の変化が予測しづらくもなる。
「っと。はぁ~ヒバリちゃんホント良心……あとウェン君も……」
ヴェルヴェットがいい例だろう。強い変人、それをまとめるのは並大抵のことではない。この世界で魔導士の軍勢を作ることが困難極まるのはそれが根底にあるからだ。
「いけないいけない、まだ終わってません」
情報戦を制する者。クロードが求めていた理想を体現できる能力を持つ彼女の名はロールマリン=ルノアール。
曰く「最高の魔導士」である。
◇◇◇
「どうでしたか?」
「見事! いや、まさかの結末だった!」
「オホホ! 忘れられぬ記憶になりましたな! 無垢はどうでしたか?」
「……驚いた、と思う。少し体の力が抜けたようにも、思える……」
「オホホホ。さて勝者に挨拶にでも如何ですかな?」
「俺は驟雨に話がある。その後でな」
戦いは終わる。
その舞台となった大秘境は少しずつ高度を落としており、やがて大地の一部に還るだろう。
絶望を踏み越え、希望を乗せた船は間もなく地上に辿り着く。
「う……ん」
「えっ……?」
ミィカの目の前で、いつ目を覚ますかもわからないと言われていたはずの少女がゆっくりと目を開く。
「リ……リリカさん……!?」
「ん、んっ……。みんなは?」
最初に尋ねたのは仲間のこと。
「みんな……無事、デす!」
「行かなきゃ、あたしも……」
「あのっ、テっ、手伝う!」
ミィカに体を支えてもらいながら、リリカはやっとのことで船室を出た。
万年雲に空いた大穴から差す陽光が、扉を開けたリリカの世界を白く塗る。
「……! リリカ、さん!」
一歩ずつ、一歩ずつ。
目が慣れて、甲板。
二人の少年が横たわり、たくさんの人に囲まれていた。
「レン!! ジン!!」
リリカの声で、深く眠っていたはずの二人は目を開く。
「おー……リリカ」
「良かった……」
「レン……ジン……!」
ボロボロで、息も絶え絶え。自分が昏睡している間に起こった激闘の跡に、リリカは感極まり言葉が出ない。
「…………」
「どうだ……約束……!」
「勝ったぞ……リリカ……!」
ここは空と大地の狭間。濡れた目元を爽やかな風が撫で抜ける。
「……うんっ!」
満面の笑顔が咲いた。
天雷編完結。ペースが遅い上に100話ものボリュームとなってしまいまして、お付き合い下さった読者の皆様には感謝しています。
人物紹介でお茶を濁しつつ、3日後に新章が投稿されますのでよろしくお願いします。




