次世代のクロノス 3
時は数日を遡り、マオたちが雲の上へと消えた直後の話。
漆黒の竜がマオたちを連れ去る光景を、ヒバリは見ていることしかできなかった。
「マオちゃん! ソリューニャちゃん、ミュウちゃんまで……!」
彼女たちは生きているのか。どこへ連れ去られたのか。
それら逡巡を経て、ヒバリはレンたちとの合流を目指し行動を開始した。
「え、あの子たちまで……!?」
しかし彼らもまた深紅の竜とともに雲の向こうへと消えてしまった。
「ど、どうしたらいいのか……」
ヒバリはさすがに頭を抱え、次の行動を決めあぐねていた。
そのとき彼女の相棒であるぽっぽが飛来した。
「ぽっぽ!」
竜同士の衝突に怯え戦場となる火山湖から避難していたぽっぽは、ヒバリの危機を察知して本能に逆らいここに来たのだ。
「ぽっぽ……ありがとう……」
ヒバリは古くからの相棒に抱き着き、その暖かな羽毛を撫でる。
相棒は甘えるようにヒバリに頭を擦り付け、クチバシで彼女の背をつついた。
ヒバリは意を決してぽっぽの背に乗った。グレイたちも集まってきているのが見えた。
「みんな、行きましょう!」
彼女はまさか分厚い万年雲の上に大地が存在するなどということを想像すらしていない。生存の可能性があるとすれば、どこかから地上に降りていることに期待するしかないだろう。
だからヒバリはできることを考えた。
「ギルドに戻るわよ! 急ぎましょう、みんな!」
ヒバリ一人ではどうにもできない。人手が最優先だ。
そして彼女には有事に強い頼もしい仲間がいる。特にロールマリンは必ず力になってくれるだろう。
その後彼女はギルドの仲間たちを連れ、彼女の動員できる最大限の鳥たちとともに例の火山湖周辺へと再び戻ってきた。
竜の目撃情報を集めれば、竜がどこに着地したのか、そこからマオたちの居所が明らかにできるかもしれない。
しかし、雲を貫く極大の魔力砲撃が山を吹き飛ばす。雲に空いた大穴から現れるは天雷の大秘境。
「きゃあ!? なに、なんなの!?」
「よくわからないが、ミツキたちと無関係とは思えないな! とりあえず行ってみようか!」
ギルドマスターが確信をもって言い放つ。
そうして曇天の下、絶望のマオの前に集った。
「ヒバリさん……! ロールさんまで……!」
「泣いてる暇はないぜ、マオ。僕たちにできること、教えてくれ」
マオは感極まって、こんな時だというのに、言葉が出てこなかった。
張り詰めていた糸が切れて、喉からは嗚咽が漏れ出して。
「う……うっ……」
「助ケて!!」
そんな彼女の代わりに前に出たのはミィカだった。
色付きメガネをかけ不敵に笑う人間族の男。初めて見る相手に恐怖の一つもあろうが、それでも必死になってミィカは訴えかけた。
「まだ残っテるの! みんな死んじゃウの!」
断片的で拙い言葉。それでもそこに宿った願いは届く。
大陸最大の魔導士ギルド「クロノス」の若きマスターは、腰を屈めて目線を合わせるとこの勇敢で健気な少女の頭に手を乗せた。
「お安い御用さ、お嬢ちゃん」
「……ッ!」
マオも目元を乱暴に拭うと、声を張り上げた。
「ヴェルさん! あの森のところにミツキが!」
「何っ行ってくる」
顔に傷のある女が、ミツキの名を聞くや否やマオの指差す方へと飛んで行った。
「あらら、弟子想いだこと」
「ヴェルヴェットの行動を予測して操った。マオもやるね」
「それだけ窮地なんだろう。間に合うと良いが」
ミツキに時間がないことを知っているマオは、弟子想いの師匠を最短の時間で動かしたのだ。
「さあマオ! 急ぎ情報を!」
「黒い塔に四人! たぶん“雷の魔神族”もいる!」
「へぇ……! これは僕が行かないとね」
マスター・クロードが自ら出向くことを宣言する。
「リリカとミュウは負傷中! 船にいる!」
「これで八人。残りは一人かな?」
「ソリューニャの場所は分からない!」
「赤髪の竜人だったね。俺が適任かな?」
「頼んだ、ウェン」
「任されたよ、マスター」
彼らはヒバリからメンバーの名前と外見的特徴を共有したうえでここにいる。それがこの迅速なやりとりを可能にしていた。
「くっくっく。鳥の数に合わせて精鋭を集めてきたが、運がいい」
こんなことになるとは想定外だったが、ヒバリが連れてきたのはギルド内でも優秀なメンバーたちだ。彼らの力があれば、このような不測の事態にも臨機応変に対応できるだろう。
「ロールマリン、急だが予行演習にしよう。いけるか?」
「ええ、みんな優秀だもの。データ収集は任せて」
「よーし。作戦開始後はロールマリンが指揮をとれ」
クロードの理想とする戦術論の最重要人物であるロールマリンのお墨付きを受けて、彼はこの救出作戦を演習を兼ねたものにする。
「みんな聴け!」
クロードが声を張って、ここに集うギルドメンバーたちに作戦を伝える。
「ウェンはヴェルヴェットとミツキ、ソリューニャの回収!」
「マオ! ルー! ジハイド! 船の防衛! 地上まで堪えろ!」
「先生は怪我人の治療にあたってくれ!」
「ヒバリは僕と一緒に塔へ! 四人連れだすから空いた鳥も連れていきたい!」
逃げる船。追う敵船。墜ち往く天空の大地と、取り残された仲間たち。
「その他生存者がいれば救出してくれ!」
「指揮は船でロールマリンがとる! 情報は彼女に集め、常時戦況を把握しておけ!」
この状況を観察し頭の中で組み立てた最善の策を口頭で出力する。
「さあみんな、初めての大規模オペレーションだ! ぶっつけ本番! 気張っていこう!」
マスターが最後にそう締めくくると、彼らは一斉に動き出した。
◇◇◇
「……っ、ナギサ……」
目を斬られたミツキは、そのままとどめの一撃を正面から受けて倒れた。
ここまで数々の重要な局面で勝利をもたらしてきたその青年は血だまりに沈む。
「ミツキ!!」
「っ、何者っ!」
ばしゃ、と血だまりに飛び降りたのはクロノス指折りの実力者ヴェルヴェットだ。
彼女は赤い鎧に身を包み、左右の腰に一本ずつ鞘付きの剣を差していた。顔の中心に真一文字に走る大きな傷があるが顔立ちは凛々しく、その鋭い目には純粋な闘志が宿る。砥がれた刃物のような物々しいオーラを放つが、それとは対照的な大きなリボンで長い黒髪を束ねているのが特徴的だった。
「ミツキ! 死ぬな!」
ヴェルヴェットはレインハルトには目もくれず、ミツキの呼吸を確かめた。
「…………ぅ」
「よかった……! まだ息はある!」
致命傷。そう思われた胸の傷痕を確かめると、懐から血濡れの短刀が転がり落ちた。
「これは……そうか、『ナギサ』の形見か」
「し……しょ……」
「喋るな。お前はここで終わってはならん」
レインハルトの一撃で割れた短刀を仕舞い込むと同時、ヴェルヴェットは神速の抜刀でレインハルトの一振りを防いだ。
「貴様は地上から来たのか。そいつの仲間だな?」
「お前か、弟子をやったのは」
鍔迫り合い。睨み合い。
彼女たちは互いに互いの実力を読み合っていた。そして読みが深まるほどに露わになる、相手の磨き上げられた強さ。
ビリビリと、二人の皮膚に互いの全身から発せられる圧力がカミソリのような緊張感となって走った。
「ヴェルヴェット!」
「チッ、一人ではないか!」
レインハルトが飛び退くと同時、そこに鉤のついた鎖が突き刺さった。
そしてバネのように円筒状にたわむ鎖の中心に白髪の男が着地する。
「この男もまた一握りの強者……! フィアードも復帰させねば、援軍も必要か……!」
レインハルトは己の置かれた状況が劣勢に変わったと確信する。
「ウェンリル。ミツキを連れていってくれ」
「うん、わかった」
だが幸運なことに、どうやら人間たちは瀕死の仲間を優先するようだった。
レインハルトからしても助かる可能性の見えないミツキに執着する理由はもはやない。
「無茶しないようにね」
「無論勝つ」
「そういう意味じゃないよ」
ウェンリルは切れ長の目を細めて笑うと、ミツキの傷口を簡単に縛って鳥を呼ぶ。ヴェルヴェットとウェンリルをここまで運んできた二羽は上空で旋回していたが、すぐに下りてきた。
「残念だけどほかに生存者はいないみたいだね。俺はこのあと竜人を探しに行くよ」
「ふむ、竜人……?」
「いや気にしないでくれ。君も早めに船に戻ってこいよ」
「承知した。早めに片を付ける」
「だから、そういうことじゃないんだけどなぁ」
相変わらずちょっとズレた武人にウェンリルは困ったように笑いかけると、ミツキとともに戦場を離脱した。
「お前ほどの剣士との戦いか。昂ぶるな」
「ふぅ……っ。今日だけで何人目だ。人間族の頂に近いだろう敵とまみえるのは」
そして残されたのは、二人の武人。
戦場にレインハルトの部下たちはまだいるが、部隊長フィアードが指揮できず、かつ状況があまりにも目まぐるしく動くために混乱し動けずにいた。しかし彼らが例え動けたとしてもウェンリルの離脱を力づくで止めることはできなかっただろうし、レインハルトの戦いに首を突っ込むこともできないために、結局この場の主役は二人の武人だった。
「そしてその中でも貴様は別格! でなければ死に損ないにトドメを差しそびれることはなかったはずだ……!」
「聞き捨てならん。私はあいつの師だ」
ヴェルヴェット。ミツキの剣の師匠であり、本人は否定するが、大陸で最強の剣士とまで言われる偉才の女。
「ゆくぞ」
「来い、人間!」
しかし彼女と相対するのも、魔族で最強クラスの剣士だ。
そこからおよそ数分間、戦いは二人にしか理解できない次元で繰り広げられた。
◇◇◇
魔力は精神より生まれ出でて、物質世界へと作用する未知のエネルギーとなる。故に肉体が死を迎え精神が消滅すると、魔力は生成されず同じく消滅するのだ。ある「例外」を除いて。
「ヤロウ……! 死体が歩いてんじゃねぇよ……!」
秀抜な魔導士がこの世に強い未練などを残したまま死ぬと、その死体は魔力を生成する事例があると一部では知られている。まるで怨嗟の炎が燃えるように死体から立ち上る魔力が恐れられるのは、その現象の不吉な形様ばかりが原因ではない。そのまま何事もなく治まることもあるが、中には術者の死後も効果が消えない解除不能の災厄へと発展した記録も残っているのだ。
「魔力が消えないのは……聞いたことがある……。だが、体が動くのは……」
ガウスは言うまでもなく最強の個で、無念にも道半ばで命を落とした。これらの条件は彼を「例外」たらしめるに不足なく、あれほどの執念の持ち主ならばむしろこうなることの方が自然とも言えた。
「アレかも……! シライ……なんちゃら……!」
「ああ。でもそれが分かったとて……」
ガウスが戦闘中にいつも発動している“支雷装纏”は彼の格闘能力を大きく底上げする。彼がこの技によって得る超反応の仕組みは、外部から直接電気を流すことで脳で思考するという過程を経ず肉体を動かせるというものだ。
つまり死後生成された魔力は生前と同じ雷の性質を帯び、肉体に命令を下す脳が働いていなくとも支雷装纏の力で動けているということだ。
「来る……! どうすりゃ止まる……!?」
「さあね、徹底的に破壊してみるか」
とは言うものの、レンたちはもう動けない。
一歩ずつ、しかし止まることなく近づいてくるガウス。床下から伝わる敵の無数の靴音。
「くそ……くっそぉ!」
歴史上、死者の遺した災厄は悉く生者の手によって鎮められてきた。最強の魔神が死した今日この日。亡者の行進を食い止めるのもまた生者である。
「レンくん! ジンくん!」
「んあ?」
「上……鳥だ!」
「あっ」
間一髪、間に合った。
「あー! あー……ヒヨコ!」
「ヒバリよトリ頭くん」
上空より相棒のぽっぽたちと共に下りてきたのは、もう何日ぶりになるのだろうか、空飛ぶ魔法使いヒバリだった。
そして鳥たちの中の一羽からは、ヒバリもその実力だけは信頼しているギルドマスターが降り立つ。
「やーやー。間に合ってよかった」
「誰だ……?」
「わあ強そう……!」
「ギルドマスター。一応私の上司よ」
ギルドマスターという肩書が何なのか、レンたちにはよくわかっていない。それが何であろうと、レンたちを背にかばうようにガウスの前に仁王立ちするその男の実力だけが重要なのだ。
そんな不安を読み取ったか、ヒバリが二人を鳥に運ばせる準備をしながら確信をもって言う。
「心配いらないわ」
「けどよ、あいつ生きてるうちはスッゲー強かったんだぞ」
「それでもよ。もういいから喋らないで、傷が酷いわ」
後方からの心配をそよ風のように心地よく受け止めて、ギルドマスターは正面の怪物を見る。
「くっく。一応初めましてかな、誇りの魔神」
莫大な魔力を放出する隻腕の死体に対し、引くことも怯むこともしない。
眼鏡の奥の瞳がじくりと疼いた。




