雲の上に雨は降る
驟雨のレインハルトを相手に、マオたちはよく戦っていた。
各々こそ一対一ならば勝ち目はないが、マオの働きがよく効いている。
「あと一手、攻めきれん。……致命的な隙を晒すことになることが分かってしまうからだ」
「これだけやって互角にすらなれないの……!」
「あの女、私の動きを学んでいるな。ますます厄介に成長している……!
もう何度も致命傷だったはずの攻撃を防がれたかはわからない。直接防ぐだけでなく、その攻撃に至るまでの動きを阻害されることもある。
それができるということの恐ろしさを、レインハルトははっきりと認識していた。
(直接的な攻撃力がなくて僥倖だった。それほどの逸材!)
マオこそが最優先に倒すべき敵。
レインハルトは初期の段階で既にそう評価していたが、戦いが進むにつれその評価は留まることを知らず高まっていく。
「あの少女といい、貴様といい……粒揃いだな。極めて手強い」
攻撃の起点を潰されるということは、レインハルトの攻撃のイメージを理解しているということだ。それは並大抵の努力や才能で至れる次元ではない。
傷のない少女の相貌とは裏腹に、相当の修羅場を潜り抜けてきているのだろう。
(こいつ、強すぎる!! このままじゃまずい……!)
レインハルトがマオを評価している以上に、マオはレインハルトを評価していた。
なぜならば、劣勢なのはマオたちだからだ。死の気配がことさらにレインハルトを大きく見せる。
「ベル、下がって! 攻めすぎ!」
「ッ、わかった!」
「……次に攻めてきたところを斬るつもりだったのだが。慧眼凄まじいな」
「うおおお!」
籠手を装着したウルーガが四本の腕でレインハルトへ連撃を加える。
「そろそろ7枚じゃきつい……! どんどんバリア出しにくくなってる……!」
「く、ちょこマかと!」
「霧雨が効いてきたな」
レインハルトの体から生成されているミストが、遠隔発生するバリアの性能を落としている。中距離からバリアを張ってサポートするしかできないマオにとって、これは深刻な影響だ。
「ぐああ!?」
「ウルーガ! だめ、立て直さなきゃ……!」
「ここで幻、焦ったか。単調だな」
レインハルトはウルーガへの剣戟を止められるや否や、体を翻し回し蹴りを放った。
マオのバリアは間に合わない。
ウルーガは蹴り飛ばされ、カバーに入ったグラモールの幻影も見切られてしまった。
「さて、空いたな」
「やっば……」
その結果、レインハルトを抑える者はいなくなった。
蹴り飛ばされたウルーガは当然、ダメージの残るグラモールもレインハルトより速く駆けつけることはできない。疲弊したベルはマオ本人が下がらせてしまっている。
「“滝落とし”」
「見えない!?」
マオとレインハルトとの間に滝雨のカーテンが現れる。
「滝雨の剣!」
「っあ……!」
滝を割って飛び出したレインハルトが、その滝の水を剣に纏わせて振るう。荒れ狂う水流を纏う剣はマオの首へと鋭く閃く。
マオは一気に10枚のバリアを張ってこれを防ぐ。
「おおおお!」
レインハルトの攻撃は9枚目を抜けない。
それは水で溶かせる魔力の容量がいっぱいになっているからだ。しかしレインハルトは、それを攻撃力に転換する技を持つ。
「“暴雨”」
「きゃあああ!!」
マオの魔力がマオに牙を剥く。
盛大に破裂した魔力はバリアを破壊し、その向こうのマオを弾き飛ばした。
「っぐぅ……!」
「先を急ぐのでな。ここで死ね」
水を纏った剣。
それがマオに届く直前、一振りの刀がレインハルトの足元に突き刺さった。
「また新手か!」
刀は雨のように降り注ぐ。
その一本一本に明瞭な殺意が篭っていた。マオを切り殺せば、同時にくし刺しになってレインハルトも殺されるだろう。
レインハルトはウルーガやグラモールにはない、さらに洗練された殺意の塊を躱し剣を握りなおした。
あるいはそれは、絶対にマオを殺させないという強い決意でもあった。
マオは上擦った声で、仲間の名を呼ぶ。
「ミツキぃ……」
「うわ、ちょおおおおお!?」
バキバキと枝葉を踏み折りながら、一頭の山サイが突進してくる。
山サイが森を抜けたと同時に、人影が暴走サイの背を蹴って跳び上がった。
「到着が遅れていると思ったら。山サイ部隊め、いいようにやられたのか」
レインハルトは突っ込んでくる山サイに対し少し腰を落とし力を溜めると、一閃。すれ違いざまに山サイの硬い表皮も肉も骨もまとめて両断した。
「うっわごめん! かわいそうなことをした!」
「貴様、白傘が言っていた男だな!」
「はああぁぁ!」
「うおおおっ!」
着地したと同時、ミツキとレインハルトが鍔ぜり合う。
「マオぉ! ミュウちゃんはっ!?」
「っ、船に向かった!」
「何? 歩ける状態ではなかったはずだ!」
ミツキが力負けして弾かれる。
腕が上がってがら空きになった胴にレインハルトが攻撃を仕掛けるが、飛来する刀に気付き直前で回避行動に切り替えた。
「……別動隊か! そして原住民の大男がここにいるということは……」
「お前がミュウちゃんやったんだな!?」
「まさか、巫女!」
最優先のターゲットであるエリーンが船に近づいている。レインハルトにとってこれほど重要な情報もない。
「くっ、私も早く向かわねば! しかし……!」
「おおっ、おおおっ!」
ミツキの剣が振るわれると同時、それに合わせて召喚された刀がその軌道を追随してくる。
レインハルトはミツキを弾き飛ばすと、飛来する刀をすべて叩き落とす。
「下手に隙は見せられん! この人間もできる!」
「そいつの水は魔力を溶かすわ! しかもそれを倍返ししてくるの!」
「だから君のバリアは逆に利用されかねないってことか!」
「いや、迷う必要はない。ここは速攻!」
レインハルトが焦っても攻める選択をした。
もはやグラモールたちはさしたる問題ではなく、ミストが充満した今ではバリアもあまり効果はない。
「はぁあ!!」
「ぐっ!?」
剣と刀がぶつかり合い、レインハルトはそこから体当たりに繋げてミツキを突き飛ばす。
「“横時雨”!」
「くっ!」
弾丸のように地面を穿つ雨粒が放たれ、それをミツキは宙に跳んで躱す。
「シッ……!」
「速い!」
はじめからミツキの隙を作るための横時雨だ。レインハルトが着地の瞬間を斬るために間合いを詰める。
「マオ!!」「ミツキ!!」
「なにっ!?」
マオが空中にバリアを張り、ミツキがそれを蹴って一足先に着地する。
ウルーガたちとの即席チームではできなかった縦の動き、機動力をサポートするこの使い方も、ミツキとならばできる。マオのサポート能力に阿吽の呼吸で合わられる。
「だがっ! おおおおおお!」
「はあああっ!」
気勢をあげて、両者が正面からぶつかり合う。
それに耐えきれず折れたミツキの刀の刃が飛んでいく。
「出し惜しみはなしだ! アレを使う!」
ミツキは残った柄を投げながら後退し、地面に刺さっている刀を二振り引き抜くとそれを投擲する。
レインハルトは上半身を逸らしてそれらを躱し、スピードを緩めることなくまっすぐにミツキへと迫る。
「千本刀! “秤厄双”!」
ミツキが乱射した刀をすべて異空間に戻すと、代わりに一振りの刀を呼び出した。
レインハルトとの正面衝突、しかし今度は折れない。先の無銘に近い刀とは武器としての格が違う。
「……!? ミツキ、それって!」
「マオ! 船へ!」
マオが何かに気付いた。
が、ミツキが有無を言わせぬ強い言葉でそれを制止する。
「……ッ、死ぬんじゃないわよ! 絶対!」
「おい、あの男を一人残していいのか!?」
「いいわけないでしょ! でも船にはそれ以上の危険が迫ってる、そういうことでしょ!」
船のあたりでは先行した翼竜部隊との戦闘が続いているだろう。それだけでなく、ミツキが白傘とグルニドラと戦っている隙に第一小隊の山サイ部隊を先に行かせてしまった。
あれだけの倒木で道を塞いだというのに、短時間で道を作られてしまった。強力な破壊能力を持つ敵がいて、その敵に船が見つかればどうなるのかは想像に難くないだろう。
そこにマオがいれば話は変わる。そういうことだ。
「行かせんぞ!」
「急げ! こいつはおれが止める!」
「禍々しき気、呪いの剣か!」
「へぇ……!」
マオはミツキの召喚したあの刀を一度だけ見たことがある。
その戦いでミツキは負け、大きな怪我を負った。
(あんたが死んだらミュウちゃんも悲しむんだからね……私だって……!)
マオは踵を返して駆け出す。後ろ髪引かれる思いは当然だが、それでもミツキを信じて今はただ走るだけだった。
ミツキが所有している刀剣類の中で“最も格上に通用する刀”。大業物“秤厄双”は、使い手を呪う妖刀である。
「ご名答、妖刀だ。こいつを握ったからにはただじゃ済まないぜ、おれもアンタも」
「私も追わねば! どけ!」
「ぐ、追わせない!」
力押しでミツキを飛ばし距離を作ったレインハルトは、まだ見えるマオたちの背中を追おうとした。
させまいとミツキは刀を飛ばして足止めを狙う。
「な、に……!?」
「さっそく来たか!」
レインハルトが剣でなぎ払った刀が折れて、その切っ先がレインハルトの眼球へと跳ねた。
避けることはできる。しかしミツキが妖刀を使い始めてからすぐの不運に、レインハルトは嫌なものを感じずにはいられなかった。
「おれから目を離したら何が起こるか分からないぜ」
これを握った者が戦って勝った試しは過去にない。だがその呪いは斬り合う敵にも降りかかる。
「偶然か……?」
「はぁぁ!」
「っチ、なんであろうとやることは変わらん。私も船へ向かわねば!」
ミツキとレインハルトが斬り合う。
単純な力ならばレインハルトに軍配が上がるが、ミツキは手数でそれを補う。
ミツキは既に高い集中力で戦闘に没頭し、未来視にも近い技術で先読みの精度を高め始めている。
「ぬ……ぐ!?」
「お前たちもマオと行け!」
レインハルトが地面の窪みに足をとられてひっくり返る。
すかさずミツキが斬りつける。レインハルトはこれを剣で受け止めると、不利な体勢のまま押し合う。
体重をかけているぶん、レインハルトとの力の差が埋まり力比べは拮抗していた。
「だが……!」
「いいから行け!」
「わかった、先ニ行く!」
ウルーガとベル、そしてグラモールもマオを追って船へと向かった。
「仲間を行かせる……! そんな余裕があるのかっ……?」
「どう、だろうね!」
ミツキが彼らを行かせたのは、マオが船まで到達するための護衛だけが理由ではない。
巻き込まれるのだ。この妖刀の呪いに。
「千本刀!」
「霧雨……!」
「っ、出ない!?」
戦いの最中、ミツキとレインハルトを取り囲むミストは徐々に広がっていた。
それはもはやミツキの千本刀を阻害するまでになっている。
「私の能力は魔を打ち消し、正面からの戦いを強要する……!」
「う……ぐ……!」
レインハルトが徐々に押し返し始める。そしてミツキを蹴り飛ばすと、横時雨で追撃を放ちつつマオたちを追う。
ミツキもすぐさまそれを追い、森に消えた。
「そして身に染みれば体内の魔力操作をも弱らせる。何人たりとも私には勝てん」
「それでも、分かってるんだよ……! おれしかいないってこと……!」
魔力で武器を生成するジンでも、魔力を飛ばす戦略を中心としているカルキでもだめだ。
レインハルトと純粋な剣技だけで渡り合えるのは今この空にミツキをおいて他にいないのだ。
味方も巻き込む秤厄双を召喚した時点で、孤独な戦いは覚悟していた。
(ナギサ。おれはここまでかな……?)
逃げる気は毛頭ない。だが、はっきりと見える絶望。
剣を交えたからこそより明瞭になった実力差。レインハルトと戦うということは、その先にある絶望に手を伸ばす行為といって相違ない。
その結末を覆せるとすれば、天運の気まぐれしかないのかもしれない。
それでもミツキは戦う。最後まで抗う。




