連なる想い
溶けそうなくらい熱い体が急激に冷えていく。
「ア……ヴ……」
宙を舞うのは瀕死のミュウ。
呼吸しようとするたびに喉からはヒトのものではないような枯れた音が鳴る。瞼すら動かず、肉体は屍のようにただそこに在るのみ。
彼女はレインハルトに負けた。
起死回生の一手だった虹を攻略されて敗れた。神樹の至宝を破壊されて敗れた。単純に力が及ばなかったから敗れた。
戦意を折られて負けた。
(……たい)
セレスの翼はどこかへ飛んでいったが、仮にミュウの背にあったとしても操るための魔力と心はもうない。
ミュウはこのまま外気に冷やされながら、地面に衝突して死ぬだろう。
(……いたい……)
敗北を痛みと共に刻み付けられて、意識を失う寸前。
しかしミュウの心が最期に紡ぐ気持ちは「死にたくない」でもなければ「悔しい」でもなく、まして「痛い」といった本能的なものでもなかった。
(会いたい…………)
レンとジンがいて、リリカもいて、ソリューニャもいて、みんなが笑っている。みんなで笑える。
一番大事なものを、ミュウは────……
「ん?」
ピクリ、とその男は何かを感じて振り向いた。
先ほどから凄まじい魔力が発生しては消え、強大な力がぶつかり合っていたことは分かっていた。
それがふっと消えたのだ。何かが起きたのは間違いない。
「……急げよ。長くはもたない」
男は一服を終えると立ち上がった。
強い葉の成分が男の魔法の副作用を緩和する。本気を出した後にはこれが大事だった。
「クァ。空から帰ったらこの相性抜群な葉っぱともお別れか」
翼竜が二頭、男の足元に転がっている。
男の名前はグラモール。オーガ族で、歴戦の戦士だ。
彼の能力は、彼の見る幻覚を現実に映す。夢を見られる程度の知性があればたとえ翼竜だろうと能力は通じ、幻惑に目を潰され飛ぶこともできなくなった竜の頸をあとは剣で刺し貫くだけだった。
強力だが、反面これは彼自身の精神をも汚染する諸刃の剣である。事実彼は眠るたびに悪夢に襲われ、ゆえに3日に一度の睡眠しかとらない。目の下の隈は生涯取れることはないだろう。
強力だが相応の副作用が常に付き纏う、そんな能力だからこそ一服は大切だった。本気で能力を使った後はこうしてケアをしなければ、いずれ悪夢を無差別に撒き散らすだけの廃人と化してしまうのだ。
「んん?」
グラモールがそれを見つけることができたのは偶然だった。しかし、かつてジェイン=ロールとリリカが激戦を繰り広げガウスがさら地に変えたその見晴らしの良い場所と、敵を倒した後のグラモールがいるタイミングだったことは彼女にとって奇跡に等しい幸運だった。
「おいおいおい……!」
グラモールは一瞬も迷わなかった。
「人が飛んできうおおおおお!?」
飛び込んで、なんとか受け止めたのは人だった。
「おい、おい!」
銀の髪のダークエルフの少女。
彼らから聞いていたある少女の外見と一致する。
「いや、細いが息はある……!」
グラモールは、この小さな少女が虫の息になるまであの四天と戦っていたことを知らない。
だが四天が戦っているかもしれないという見当はついていた。ついてはいたが、たった一人で四天と戦うという無謀を、この年端もゆかぬ少女がしていたなどとは信じられなかった。
「ミュウだな!? 待ってろ、船まで運ぶ!」
第三小隊との戦いで、オーガたちが人間も巻き込んで何かを企んでいることは知られている。実際にはネロ=ジャックマンのリークによって脱出船のことまで知られているが、オーガたちはそれをまだ知らなかった。しかし彼らは怪我人やチュピの民たちを含む非戦闘員を先に船に乗せつつ、万一に備え時間稼ぎのための戦力を外に残してあった。
それが功を奏し、速やかに翼竜部隊の迎撃に向かうことができたのだ。
「くそ、俺が離れるのはまずい。近くに仲間がいりゃあ任せるんだが……! いや、今はこの子の命が最優先だろう……!」
グラモール以外の戦闘員たちはみな少し離れた、集落の跡地付近の森で翼竜部隊を相手にしている。グラモールの能力は十全に発揮すると仲間すら巻き込むため、彼だけはあえて見つかりやすい開けたこの場所で戦っていた。
「…………!」
少しの衝撃で容体が悪化してしまいそうなミュウを抱えて、細心の注意をもって運ぶ。
そうやって森に入ったすぐあとだった。
「待て」
「じょ、冗談じゃねぇ」
振り返ることすら恐ろしくなるような、強大な魔力。
それでも見つかった以上は、振り返らざるを得ない。
「“驟雨”……!」
「ほう、一人で翼竜を二頭も仕留めたか。さすがはオーガの英傑グラモール。年月を経ようと健在とみえる」
「馬鹿言え……あんたのがよっぽど衰え知らずだ……!」
グラモールは、ガウス軍の捕虜となる以前にはオーガ部隊の一番槍として数々の戦場を生き抜いてきた豪傑だ。
それこそレインハルトの率いる軍隊に敗れるまでは負けなしだったのだ。
「そのダークエルフは逃がさぬ。ここで確実にとどめをさしておかねば危険だ」
「く……!」
グラモールは敵から見えないよう木の陰にミュウを寝かせると、森から出て剣を抜いた。
「俺の友にとって大切な子だ。渡さんぞ」
「そうか。だが結果は変わらん」
レインハルトも細剣を抜く。
「貴様も粛清対象だ。貴様を殺し、ダークエルフはその後だ!」
「そうはさせるか!」
「忘れたのか? 貴様はかつて私に挑み敗れている」
「忘れるわけがねぇ!」
グラモールが突進する。
レインハルトの見える景色がグニと歪んだ。グラモールの能力が発動したのだ。
「やはり忘れているようだ。この術は私に効かん!」
「ちっ、無理か……!」
その歪む世界へ、レインハルトは水が滴る剣を一振り。
パックリと世界が裂けて、そこから現実の景色が戻ってくる。
「“驟雨”……! 俺の天敵だ!」
「残念だな。相性が悪い」
レインハルトの能力は魔力由来のものを魔力に還元し、それを溶かし無力化してしまう。
それがたとえ景色全てを一変させてしまうような強力な幻影だろうとも、水はすべてを解き消し去ってしまうのだ。
「うおおおお!」
「ハァッ!」
グラモールとレインハルトの剣が衝突する。
「おお……っ!」
「く……!」
グラモールの大型の片手剣がレインハルトの細剣を少しずつ、少しずつ圧し込んでいく。
(こいつ……!)
焦りがあるのは、グラモールの方だった。
そもそもこの状況がおかしいのである。剛力のオーガ族と真っ向からぶつかり、ほとんど同等の腕力で押し返してくるこの状況が。
レインハルトの能力は強力で、特に魔力攻撃を主体とした相手にはほぼ無敵とも言えるテクニカルなタイプだ。しかしそれは近接戦主体のパワータイプを苦手とするという意味ではない。
圧倒的で質の良い魔力からなる身体強化は、オーガ族の英傑と力比べの土俵ですら張り合えるまでにレインハルトの肉体を昇華させるのだ。
「さすがに重い……な!」
「この……! わざと正面から!」
グラモールはレインハルトが真正面から受け止める可能性は薄いものとして、躱されてからの反撃を意識して攻撃した。
だが、レインハルトはその心境を読んで、あえて正面から受け止めた。
その結果、グラモールは正面からの押し合いをせざるを得ない状況を強制された。たった一つの選択で戦況をコントロールされたとも言えるだろう。
「ここだ」
「うおお!?」
グラモールの剣から重みが消える。
彼が地に手を突いた瞬間にはもう、レインハルトは空中に身を翻していた。
「力では敵わなかったぞ、グラモールよ」
「化け、物がっ!?」
回し蹴りがグラモールの横面にクリーンヒットし、グラモールを大きく蹴り飛ばす。重厚なグラモールの肉体をも、レインハルトは石でも蹴るように軽々と吹き飛ばしたのである。
「ぐはっ!」
「首を捥ぐつもりだったが。やはり強いな」
レインハルトは一瞬の閃きで、この攻撃を思いついたのだ。そして思いついた直後、迷うことなく剛剣を受け止めた。
グラモールは強い。翼竜を二頭同時に相手取って、あまつさえ倒すことができる者もなどそうはいない。
しかしレインハルトのバトルセンスはそのグラモールをも軽々と凌駕する。四天とはそういう次元の存在だった。
「体が……動かん……」
「生き残ったのならばそれはそれでいい。貴様らの企みと船の隠し場所を吐いてもらう」
「ぐ……!」
「だが、待っていろ。先に片付けねばならんことがある」
レインハルトは立ち上がれないグラモールの横を通り、悠々と歩を進める。
「たしか、あの木だったな」
「おい、やめろ……!」
「黙っていろ」
「ぐおあああ!」
一抱えほどもある水が高速でグラモールの手に打ち付けられた。グラモールの手はまるで岩を落とされたように潰れた。
「ダークエルフの娘よ。貴様は勇敢だった」
ついに木の裏に横たわるミュウを見つけ、レインハルトは賛辞の言葉と共に剣先を喉に向ける。
「やめろォ!」
「死ね」
剣が小さな喉を刺し貫いた。
切れた喉から血が噴水のように細く噴き出し、地を赤く染め上げる。
「うおおおーーーー! ミュウーー!」
グラモールの号哭が森に消えてゆく。
「……! 白々しい……!」
レインハルトは剣を納めて、横たわるグラモールを忌々しげに睨みつけた。
「貴様やってくれたな!」
レインハルトの足元に転がっていたミュウの姿が薄れ、血痕の斑も諸共に霞のように消えていた。
「……へへ、一杯喰わせたぜ。驟雨!」
「いつからだ。いや、背を向けていたあの時だな」
「そうだ。俺はあんたに見つかった瞬間、幻にあの子を置くフリをさせた」
「その隙に貴様は本物を別の場所に隠したというわけだ。合点がいった」
グラモールはレインハルトに見つかると即座に二つの幻影を作り出した。ミュウを運ぶ自分の姿と、周囲一帯の森の姿だ。
次に己の幻影がわざとレインハルトから見える木の裏にミュウを置いている隙に、グラモールは木々の幻に身を隠しながら本物のミュウを別の場所に寝かせた。そして自分の幻影と実体を重ねて幻を消したのである。
レインハルトの洞察眼をもってしても遠目からでは見抜けなかった。
それほどの精度のフェイクを仕掛けておきながら、グラモールはさらにフェイクを重ねた。
「あの単調な幻も私を欺くためだな」
「その通りだ」
「忘れていたわけではなかったか」
次にグラモールが打った手は、幻影をわざと破らせることだった。幻影を破らせることで幻影を使っていない、見えている情報がすべて現実だと錯覚させるためだ。
もちろんレインハルトも完全に油断するわけではないだろう。だが幻影は確実にレインハルトの判断力を蝕み、グラモールを殺すよりも先にミュウを探させた。
「だが、まだ隠していることがあるな。なぜ幻影を張っている間に森の奥に逃げなかった。なぜ私に殺されに戻ったのだ」
「…………そいつぁ、言えねぇ」
「で、あろうな。予定が狂ったが、貴様を殺しエルフを探す」
今レインハルトが見下ろしている、手を潰されたグラモールは実体だ。ここからどんな幻影で姿や景色を誤魔化そうとも、動けなければ剣は躱せない。もっとも幻影を破る水を纏った剣が振るわれるのだから、誤魔化すことすらもできない。
「見事に意地を見せたな。だが今度は外さん」
「俺もまだ動けんよ。ここまでだ、ああ」
レインハルトがグラモールの頭蓋へ剣を振り下ろした。硬いものを叩き切った感触で、レインハルトの腕に僅かな痺れが走る。
「なに……!?」
「……っ、ここで来たか!」
レインハルトの目が驚愕に広がり、即座にその正体を捉える。
「あの女は、脱走した……!」
「三枚も張ったのにっ。二枚一気に叩き割られた!?」
マオだ。
レインハルトはすぐにマオ以外の気配も感知し、飛来するナイフを剣で弾いた。
「外した!」
「チュピの原住民……!」
ベルが飛び出した。
その後ろで木が盛大に音を立ててへし折れる。
「二人三人、次々と邪魔が入る!」
「ぬおおおおおっ!」
へし折れた木が、砲弾のように投擲された。
「剛力! オーガか!」
マオがレインハルトの周囲にバリアを張り、移動を妨害する。
レインハルトは水を使ってバリアを無力化しながら、上段に剣を構えて樹木を一刀両断した。
「はあっ!」
「失せろ!」
突進するベルに、マオの魔力が溶けた水をぶつけ爆発させる。
「ごあ!」
「うおおおおお!」
「後ろかっ!」
レインハルトの背後、真っ二つに割れた樹の陰から四本の剛腕が急襲した。
「っ、く……!」
「おおおおあっ!」
レインハルトが剣で四方向からの乱打をガードするが、虚を突かれ対応が遅れたために一発を受けて弾き飛ばされた。
「ぐ……! 侮りがたい威力」
「強い! いつ斬られてイた!」
「なるほど、ウルーガと言ったな!」
ボトリ、と腕が落ちた。
ウルーガの複製腕だった。
「羽虫のようにたかりおって……」
ベルがグラモールに肩を貸し、立たせる。
グラモールは安堵のため息一つもなく、未だ緊迫した表情で素早く敵の情報を伝えた。
「レインハルトの水に気を付けろ。あれは魔力を溶かす」
「それで二枚抜きされたのね。私とは相性が悪いわ」
マオは高性能のバリアを的確に貼れるサポート型の魔導士だが、そのバリアを打ち消すレインハルトとの相性は良くなかった。
「こういうことだったか、グラモール。わざわざ殺されに戻ってきた貴様は時間稼ぎに命を張ったのだな」
「賭けには勝ったぞ」
「勝ち? それは私を倒せるという意味で言っているのか」
「……まさか」
事態は切迫している。
味方が三人増えたとて、レインハルトを倒せる確率は低いことをグラモールは理解していた。
ベルは単純に力不足で、ウルーガも四天の領域には及ばない。マオは防御方面では極めて優秀なサポーターだが、レインハルト相手ではあまり本来の仕事はできないだろう。
“個”が必要だ。攻撃面でレインハルトと渡り合える、誰かが。
それがない限りレインハルト相手には勝機を見いだせないとグラモールは確信していたが、どれだけ不利でも戦闘は避けられないのだ。




