天駆け霧切る海燕
竜人族の戦闘能力は秘伝の魔導“竜の鱗”に大きく依存する。
そして彼らのほとんどはこの能力だけで完結している。
「ガハハ! お前、強ぇな!!」
第二小隊・副隊長グルニドラ。
豪快に笑う、無精髭の武人。
「ぐっ、硬い! それに重さもないんだろ?」
「よく知ってるな! あぁ、竜人の仲間がいるからか!」
「単純に強いんだよ、それは!」
ミツキの刀がグルニドラの片腕に受け止められる。
腕だけを覆う黒い半透明の鱗はわずかに削れるが、それ以上刃を通さない。
グルニドラはもう片方の腕に握ったソードでミツキを振り払った。刀を受け止めた腕の鱗は消えていて、今はソードを覆っている。
「っ、重い!」
グルニドラのソードは幅が広く刀身が厚い。形状は短刀のように柄と刀身が同程度の長さだが、大柄なグルニドラに合うサイズであるためまるで鉄の塊を振り回しているかのようだ。
「てめ、ふざけるな!」
「ああん? 何かおかしいか?」
「剣があるのに腕で受け止めるな! しかも初撃でその判断だと!」
刃筋は立っていて、勢いも十二分についていて、気力の込められた本気の一太刀。それを初見の判断で腕を使って受け止めた。その行動にはグルニドラの自信と狂気が表れている。
「おお? 大真面目だが!」
「真面目な方がふざけてるぜ……」
「大真面目に決まってる! 俺が信じなきゃあな、だって俺の信頼が折れれば鱗だって割れちまうだろ!」
「……! なるほど、理に適ってる」
魔導は突き詰めれば自己暗示だ。子供のころの憧れや、強いトラウマなど精神的な要因がそのまま能力に現れることもある。
グルニドラはその傾向がより強いタイプだったのだろう。竜の鱗は何物にも負けない鎧だと、そう信じることで一段階上の硬度へと至った。
自分の能力を疑わないこと。それによってグルニドラはミツキの刀の切れ味にも負けない硬度を実現しているのだ。
それはもはや、剣よりも鱗で受け止めることを選択したというレベルの話ではない。思考すらせずに鱗で受け止めなければならなかったのだ。そうしなければ鱗の硬度は落ち、逆にミツキへの対抗策を失っていたかもしれない。
「だからそんなカミソリみてーな剣だろーと、咄嗟に出ちまうんだ」
「いや。ふざけてないってことがよく分かった。悪かったな」
「あんたも律儀じゃねぇか! ガハハ!」
同時にミツキは何か違和感を覚えもしていた。
(ソリューニャの鱗とは何かが違う……なんだ……?)
その違和感はすぐに明らかになる。
「ふんっ! ふんっ! 効かーん!」
「に、しても異常だぜこの硬さ……!」
果たして硬さを信じるというだけでここまでの防御力を獲得できるものだろうか。
ミツキは大陸でトップクラスの剣士で、得物も切れ味に特化しているというのに。
「ちっ!」
「む、剣を呼ぶ技か!」
ミツキの情報は帝都リーグの襲撃の一件である程度割れている。実力のほどはミツキの性もあって低く見られてはいるが、魔導・千本刀は知られてしまっていた。
「避け……!?」
「あっぶねぇな! 暗殺術か!」
直上と、背後に計二振りの召喚。そして大振りの攻撃で正面に目を釘付けにする。
ミツキの必殺の型の一つを、しかしグルニドラは完璧に凌いだ。正面のミツキの攻撃を鱗で受け止め、同時に視界外からの二撃を体をひねって躱す。
「あぶない……だって? それに今の眼球運動……!」
異常だった。故に気付けた。
「あんた、今避けたな」
「ハッ! もう気づくのかよ。お前、その若さでどれだけ修羅場潜ってきたんだよ!」
「あんたは竜の鱗を部分的にしか出さない。多分、持続時間も短い。その制約もあったんだろう」
正面のミツキには鱗で対応したのに、なぜかそれ以外は体をよじって躱した。ソリューニャのように全身を覆ってしまえば事足りたはずなのに、リスクを負ってまで体を捩ったのはそういうことだと、ミツキは予想した。
「部分的、持続時間、いい線いってる。80点」
「素直だな。裏もなさそうだ」
「正確には出さないんじゃない、出せないんだ。そういう風に改造した」
竜人族の戦闘能力は秘伝の魔導“竜の鱗”に大きく依存する。
そして彼らのほとんどはこの能力だけで完結している。
しかし中には、グルニドラのように少し手を加える者もいるのだ。
「やっぱり信じるだけじゃなかったな。口先でのブラフまで使うか」
「勝手に誤認しといてそりゃないぜ。ガハハ」
魔導士たちの戦いにおいて最も危険なことは、相手の能力が未知であるという状況だ。故に魔導士は戦闘中も常に思考を絶やせない。
ミツキはその点でも優秀だった。彼はこのわずかな間にグルニドラの能力を看破した。
グルニドラの鱗は、ミツキが知っているソリューニャのように全身を覆うタイプではない。部分的な展開も可能なのではなく、部分的にしか展開できないタイプだ。
「だが、見切ったぜ。あんたの魔導」
「ガハハ! そりゃどうかな?」
不敵に笑うグルニドラに対して、ミツキも不敵に笑い返す。
「言っただろ? 見切ったって」
「ほーお? 聞かせてみろよ」
「あんたは……っと!」
ミツキが言葉を切って飛び退く。
地面に刺さった刃は、傘の石突から放たれるそれだ。
「わたくしをお忘れなく!」
「傘女! 懲りないね!」
エーデルワイスの隙を見てグルニドラたちに奇襲を仕掛けたのだ。時間が経てばエーデルワイスが戻るのも必然である。
「白傘のぉ。お前さん何度もフられたってのに懲りないな!」
「失敬ね! わたくしの想い人は今もただの一人だけですわ!」
エーデルワイスがレースをあしらった白い洋傘をくるくると回す。
「とはいえ、彼との戦いは正直厳しいですわね」
「……珍しいな。もっとプライドの高い腕白お嬢かと思っていたが」
「レインハルト様のお役に立てるならば共闘くらいわけなきことですもの。あなたはどうかしら?」
「ガハハ! あの“白傘”にここまで言わせておいて逃げたとあっちゃあ漢がすたるわな! いや、見直したぜエーデルワイス!」
グルニドラがソードを振り下ろす。
「その話、乗ったァァ!」
「ぐ、千本刀!」
躱して反撃、ミツキの刀が上空からグルニドラを襲う。
グルニドラの行動予測に基づいて的確に降る刀の雨。
「わたくしもいましてよっ!」
「まるで傘だな……はは、何言ってるんだ?」
傘はまさしく傘のように。雨をまさしく雨のように弾いた。
「悪いな、エーデルワイス!」
「構いませんわ!」
「わかっちゃいたがくるよなぁ同時攻撃! 俺が防げないの知ってて、容赦ないぜ!」
頭部を覆う鱗だけでは全ての刀を防げなかった。ミツキはいつも通り敵の行動を予測して可能性の高いルート上に刀を召喚したことに加え、刀の数を増やしグルニドラが対応しきれないギリギリを攻めていたからだ。
エーデルワイスが手を貸さなければ今の攻撃で終わっていたかもしれない。
「……わたくし、こんな方とやり合っていたというのですか……!」
「ああ。俺の竜人の血も一発受け止めたときから騒いでる」
初めて見せる攻撃の型に、戦いの中で観察し的確な対策を加えて変化させた。恐るべきはミツキの戦闘能力で、エーデルワイスやグルニドラもまたそれをはっきりと知覚できるレベルの術者だ。
「四天ともやり合えるかもしれねぇ……!」
「まさか! レインハルト様と同格なんてありえませんっ!」
「だが、紛うことなき強者!」
ミツキがエーデルワイスを狙う。
「く……っ!」
目にも止まらぬ連撃を閉じた傘でなんとか凌ぐ。
エーデルワイスは目の前のミツキだけに意識を集中できない。いつ千本刀が背後から心臓を貫くともわからない中で戦うストレスは相当なものだ。それでなくとも猛攻を凌ぐのに僅かな気の緩みさえも許されない状況である。
「一瞬も……!」
「おれは悠長にしてらんないんだよ!」
「エーデルワイス!」
グルニドラが助太刀に入ろうとする。
だがそこを狙ってミツキの千本刀が放たれた。
「う、お! 俺を誘うのが狙いか!」
「これもダメか!」
グルニドラは一本を鱗で受け止め、残りをソードで払い飛ばす。しかし出鼻を挫かれたグルニドラはエーデルワイスと分断されてしまった。
ミツキはここを最大のチャンスと見て畳みかける。
「おおおお!」
千本刀を警戒させておいての超攻勢に出る。
ミツキの技量に及ばないエーデルワイスは単純な正面戦闘では勝ち目がない。それを理解していながらも容易に抜け出せはしない。下手な策を弄そうと意識を割こうものならば次の瞬間には首が飛ぶ。
「ぐ、ううっ!」
「押し切る! 今ッ!」
閉じた傘を右へ左へ。それもやがて限界を迎え、手首の痺れる感覚すらも失われていく。
「そこだァ!」
「あ」
エーデルワイスが傘を広げた瞬間、ミツキはとある一点を目掛けて突きを繰り出す。
ミツキの猛攻を耐え続けた傘の、小さな綻び。
ミツキが千本刀でエーデルワイスを急襲しなかったのは、ミツキもまた己の連撃に思考をすべて割いていたからだった。自分の攻撃を傘のある一点のみに集中させていたミツキは満を持して、この小さな綻びを突いたのだった。
「そこですわ!」
「……!」
傘の向こうで、エーデルワイスは身を翻していた。
「レインハルト様のためにっ!」
「エーデルワイスー!」
鋭く砥がれた骨組みに、硬質の生地。石突から分離して放たれる刃。そして最後のギミックが、傘の柄から引き抜ける仕込み刀だった。
傘を開いて相手の視界を遮り、その陰に紛れて仕込み刀で仕留めるという切り札。偶然ではあるが、体に沁みついたその型によりエーデルワイスは致命傷を避け、逆転のチャンスを得た。
「はああ!」
「っおおお!」
ミツキは傘を貫いた向こうから手応えがないのを悟った瞬間、すでに刀から手を放していた。そして何も持たない両手のまま見えざる剣を振り上げる。
エーデルワイスと目が合う。両者、最後の一振り。
エーデルワイスの剣はミツキの腕を浅く裂き、ミツキの剣はエーデルワイスの腰から大腿部までを深く斬った。
「あ、あ、そんな……」
「はぁ……はぁ……。危なかった……」
うつ伏せに崩れ落ちたエーデルワイスの体から血が流れ出す。
ミツキはとどめをさすことをせず、すぐに駆けてくるグルニドラに向き直った。
「エーデルワイス……! くそ、間に合わなかった! すまん!」
「さあ、一対一だ。答え合わせの続きをしよう」
ミツキは刀を虚空にしまい、代わりに鞘に収められた一振りの刀を召喚した。
その黒い鞘には雲の意匠が凝らされている。
「名刀“巻雲”。大業物だ」
「鞘? 何のつもりだ」
ミツキはその疑問には答えず、腰を落とし刀の柄に手をかけた。
「あんたの魔導は竜の鱗と、もう一つ。殺気か何かを感知する能力だ」
「……すごいな。恐れすら覚える」
「見切ったと言っただろ。あんた、後ろからの攻撃をよけた時にもおれから目を離さなかったから」
親指で鯉口を切る。ここからの勝負は一瞬で決着する。
「魔力を感知しただけならそうはならない。放たれる角度がわからなければ刺さる場所も予想できないから、無意識にでも目で追う必要がある」
「…………」
「だから、殺気みたいなものを皮膚で感知できるのかもって」
グルニドラが疑問を持ったように、鞘に収まっているうちは攻撃までに抜刀という動作が挟まれるため一歩遅れる。
「正解だ。武器を向けられれば狙われてるとこがヒリついて分かる。理屈じゃあねぇんだ」
「竜人族は特殊な感知能力を持つらしいね。その応用と思えばありえない話でもないと思った」
「よく知ってるな。相手の強さを肌で感じられる」
再三だが、竜人族の戦闘能力は秘伝の魔導“竜の鱗”に大きく依存する。
そして彼らのほとんどはこの能力だけで完結している。中には多少の個性を反映させる者もいるが。
だが、稀に、それ以上を追及する者もいる。補助的な能力を以て高みを目指さんとする異端。それがグルニドラだった。
「さて。感知できるかい?」
「お? おおお、嘘だろ!」
「本来は実戦用じゃないんだがね」
ミツキの生まれ故郷でもある島国・日ノ丸国。
刀はその限られた土地の中の文化だ。グルニドラが知らない独自の技や型も多い。
「鞘はそういうことか! 狙いが、殺気の先が読めん!」
抜き身ではないため、グルニドラも殺気を感知しにくくなっている。ミツキの狙い通りだ。
だが、ミツキにも読めないことがある。手の内を明かすデメリットを負ってまで、わざわざ“巻雲”を召喚して見せたのは「この戦いを受けるか?」と問うためだった。相手の反応次第ではこの戦いの様相が変わるだろう。
「……どっちにしても、だな。仮にこの戦いに乗らなければ、お前は時間を喰うが俺は負ける」
グルニドラが“巻雲”との真っ向勝負を避ければ、ミツキは不本意にもより時間を浪費するだろう。しかしそれはグルニドラにとって確実に死が見える袋小路だ。
「ならば乗るしかあるまい! 剣を抜く一手が増えるならば、見切ることも不可能じゃないだろう!」
「そうだね」
「ならば勝機は在り!」
両者の利害は一致した。
時間が惜しいミツキと、勝ち目のある勝負にできるグルニドラ。
「感謝する。君はいい戦士だ」
「竜人の矜持だ。こればっかりはガウスに協力していても譲れない誇りさ」
「……この一撃で終わらせる」
「見切って反撃だァ!」
どこに攻撃が来るのか、いつ来るのか、すべてはグルニドラの反射神経と読みの技量に懸かっている。
逆にミツキはグルニドラの反射に遅れをとらない速度での攻撃が要求される。
純粋な技量と技量の勝負である。
「…………」
「…………」
しん。
空気が張り詰めて、喧騒が遠ざかる。ミツキは微睡にも似た深い脱力状態へと移行し、余計な力みを削ぎ落す。その一瞬をさらに縮めるために。
細く、鋭く、そしてしなやかに。研ぎ澄まされていく。
「——————」
「ア」
それは神業。
神速の刃は風切り音よりも先にグルニドラの皮膚に到達し、血の噴出すら待たずして斬り抜けた。
「は……が……!」
「ふぅぅーっ!」
喧騒が戻る。どっと汗が噴き出す。
「居合一刀……“天津霧切海燕”」
グルニドラの発動した鱗は刀に触れることもできなかった。
「抜く動作と斬る動作を限界まで融合させた。抜刀術だよ」
名刀、巻雲。大業物。カミソリのように薄い白刃と、通常の半分しかない重量が特徴の一振りである。
そして抜刀術、天津霧切海燕。巻雲の軽さと薄さを利用した居合斬りである。
「負け……たぜ、ガハハ」
崩れ落ちたグルニドラは、残り僅かな力を振り絞って仰向けに大の字になった。
「くれてやらぁ……俺の命」
「……これはおれのちょっとした哲学なんだが」
ミツキは血を拭い刀身を清めると、それを鞘に納めた。
「敗者から奪うものは一つ二つでいい。いつかおれが敗者に堕ちたとき、おれの命だけで事足りるようにね」
「…………」
「君の山サイ。もらっていくぜ」
「……待て」
目を閉じて、悔しさに歯を噛みしめる。
グルニドラは負けを認めた。周囲にいた第二小隊の竜人たちも、ミツキを襲おうとはしない。グルニドラの誇りと、己の矜持に殉じたのだ。
「地上には……人間には、お前より強い奴は」
「いるよ。剣士としてならおれよりも師匠の方が強い。剣士じゃなくても、強い人を何人も知ってる」
「そりゃあ……険しいなぁ……。王への道は……」
「…………」
グルニドラが何を考えたのか、何を確認したかったのか。
それをゆっくりと聞けるほどミツキは暇ではない。負けを認めた敵をいつまでも見下ろしているわけにはいかないのだ。
想定よりも手こずってしまった。ミツキとエーデルワイスたちが戦っている間に第一小隊は倒木の罠を越えてオーガたちのもとへと進んでいる。
上空で戦うミュウの姿も今はもう見えない。
「さて、乗れるかな」
ミツキは山サイの手綱を握る。乗馬はある程度できるためか、思ったよりも山サイの背中はしっくりときた。
「間に合えよ、マオ。ミュウちゃん」
負けを認めた敵をいつまでも見下ろしているわけにはいかない。この先にはまだ見上げるべき敵が残っているのだから。




