竜の逆鱗
ソリューニャとコルディエラの戦いは、突き詰めれば炎赫と双尾の戦いである。
竜たちはソリューニャたち契約者の持つ特殊な二次魔力「竜の祝福」を通じて魔力を得ている。これが途絶えればこの世界に顕在し続けることは叶わなくなり、次の契約者が現れるまで出ては来られない。
だが、それは千年戦争の終わりを意味しない。
双尾らが求める完全な決着とはすなわち、この世界における「死」を与えること。竜の祝福が途絶えるということは竜の死ではなく、決着の保留なのだ。
だからこそ双尾は、主たるコルディエラに『殺すなよ』と言ったのだ。
「「“竜の鱗”!」」
竜の鱗を模した魔力が二人の体を覆う。
突き詰めてしまえば竜の戦いというのは、しかしあくまで大局を見渡す視点からの理屈である。
今、地上で相対する二頭の小さな竜は爛爛と瞳をギラつかせ睨み合っている。二頭の目的はただ目の前の敵を打ち倒すこと。それによって竜の戦いの決着が先送りになることが一切の枷にもなり得ない。
なんてことはない、この戦場にはただ二人。己と敵だけがいて、最後には自分だけが立っていればそれでいい。
「あたしが本物だ! 紛いものに負けるかよ!」
「竜人に真贋あるとは知らなかったな! その理屈だと負けるアンタが紛いものになるわけだけど?」
「はっ、ほざけよ!」
コルディエラが奇妙な形状の槍を振るう。武器のリーチで優位をとっているとはいえ、当たるはずのない間合いからの攻撃動作を起こす。
「なんだ、遠い間合いから……!」
「オラ、よっ!」
「伸びた……っ!?」
短い柄がいくつも連なっていたのだろう。多節とでも呼ぶべきだろうその機構は内部に通った繊維で繋がっており、驚異的な伸張を見せた。
「だが当たるか!」
「避けられんのも想定内……だろ!」
ソリューニャがカトラスで弾き、前へ出る。一度伸び切った槍ならば間合いを詰めるのに十分な隙があると見ての行動だった。
しかしコルディエラは動じず、槍を持つ腕を引く。
「っ、速い!」
「のこのこと踏み込んで来やがって、バカがっ!」
今度は急速に縮む槍の穂先が、ソリューニャの後頭部を狙う。
予想外の速度の攻撃に、ソリューニャは咄嗟に背後に意識を集中して防御を固めることしかできなかった。
「速い! 伸縮……!」
「おいおい遅すぎる!」
鱗に守られ、血の一滴も出ない。だが前のめりに崩れた体勢はまるで自ら受け入れるかのように、コルディエラの膝に吸い込まれていく。
「二段構えだよ、雑ァ魚!」
「がっは!」
竜の鱗の強度はほとんど同じだった。他人のそれと反発し合うという魔力の性質により、互角の鎧は紫の火花とともに散る。
故にその後の攻防は単純な肉体同士のぶつかり合いに帰結する。鳩尾にクリーンヒットだ。
「ついでにコレも喰らっとけ!」
「ぐあはっ!」
動きが止まったところをコルディエラの拳に殴られて、ソリューニャは後方に吹き飛んだ。カトラスが手から離れて転がる。
「べっ! 鱗は互角か」
「気に食わないけどな、そうみたいだ」
「あっさり認めるな」
「重要じゃない。鱗は竜人なら誰でも鍛えるし、拮抗なんてよくあることさ」
竜の鱗。
戦闘民族である竜人族の秘伝の技で、硬質の魔力を纏うというもの。シンプル故に強力で、弱点もないのが特徴だ。
竜人族はこの魔導を展開することで極めて高い防御能力を得る。それも、鎧を着こむような重量の変化もない。自傷を気にせず力を出し切ることによる高い攻撃能力を得られることもあり、攻防共に高く安定した能力を代償なしで引き出す極めて使い勝手の良い技なのだ。
「お前も使うならこれくらいは知ってんだろ? 竜人族の強さは鱗に大きく依存する!」
竜人族の戦士のほとんどは竜の鱗を習得することとその練度を上げることのみに力を入れる。
それは鱗が竜人族にとっての秘伝だからではなく、それが最も強いからだ。
硬く、力強く、そして速く。これが戦闘においてどれだけ脅威か、彼らは知っている。火を噴くことよりも、水を飛ばすことよりも、ただシンプルに。どんな攻撃にも怯まず、どんな防御の上からでもダメージを与え、風のように駆け抜ける。それが“強い”ということを。
「けど実力が近い竜人の戦いじゃ埒が明かねぇなぁ!? だから備えるんだ!」
「備え、だと?」
「お前は本物の竜人同士の戦い方を知らねぇ!」
拳を固めて迫るソリューニャに、コルディエラは親指で自らの胸を指し示す。
「……!? 本気か!?」
「ビビってんのか? 優しく教えてやろうってんだろ」
コルディエラは両腕を広げて挑発した。
「チィ! 乗ってやる!」
警戒をしつつも、ソリューニャは本気で拳を振りぬく。
しかし馬鹿正直に胸は狙わない。狙いは胸と見せかけてその少し下、水下だ。
「痛っ!? 何か仕込んで……!」
「う、はぁ! なかなか重いな!」
鱗を相殺して水下に突き刺したはずの拳が鈍痛に痺れていた。
「分かったか、備えの意味が!」
「かっは!?」
そしてコルディエラの反撃を受けてソリューニャはまた吹き飛ばされた。
「あたしの部族は渓谷に暮らす。切り立った崖、深い谷底、そして空には翼竜が飛び交う!」
コルディエラが上着を脱ぎ捨てる。
そこから露わになったのは、胸から腹までを覆う薄い鱗だった。整列された鱗はコルディエラのボディラインに沿って曲線を描き、呼吸に合わせて反射光の加減を変える。
両肩より先には鎧はなく、むき出しになった筋肉質な上腕に仰々しい翼竜の刺青が彫られていた。
「翼竜と竜人。本物の竜と本物の竜人。互いに喰い合うこともあれば、認め合い共に空を飛ぶこともある」
コルディエラたち第二小隊は同郷の竜人だけで編成された戦闘部隊であるが、彼らがガウスに手を貸すことになるより以前、飛竜舞う渓谷で暮らす頃からすでに屈強な戦闘集団だった。
竜と呼ばれる二つの種族は、過酷な環境の中で食物連鎖の頂点を争う。同族以外は全て捕食対象となりうる。この二つの種族が生態系の頂点に立っていることも、繁栄を懸けてたった一つのその席を争うことも自然の摂理だった。
そんな中で彼らは翼竜を狩り狩られ、守り守られ、その腕を磨き上げてきた生粋の戦闘民族だったのだ。
コルディエラが自身を本物と持ち上げ、リューニャを偽物と嘲るのは、竜と共に生きたこの歴史を誇るが故だった。
「これは鎧さ。自分の手で狩った翼竜の鱗を剥いで縫い付けた。初めて見たんだろ」
コルディエラの鱗は、翼竜のそれを貼り付けたものだ。
その硬さの割りに翼竜の鱗はとても軽い。その一枚一枚が空気抵抗を切り裂く鋭利な刃物のようだ。
「ぐ……! 鱗を相殺できてもこれは……!」
飛行のための最適な性質は、そのまま高質の防具になった。
「そしてこれは竜を一人で斃した者だけが持つ栄誉の証! 竜の骨から作った誇りの槍だ!」
コルディエラが槍を振るう。
翼竜の骨もまたその頑強さに似つかわぬほどの軽さを持つ。その尾骨を一欠片ずつ繋げることで、変幻自在の軌跡を生み出す。
「喰らいな、ハァァ!」
槍の穂先は翼竜の牙を加工して作られている。
紅い鱗で守られていたはずのソリューニャの肩に、竜の牙が喰い込んだ。
「竜の魔力が最も馴染む素材は何だと思う?」
「ぐっ、貫通……! さっきの攻撃とは違う……!」
「竜だよ。竜の鱗だよ! 竜の骨肉だよ!」
竜人族の魔力を纏う鱗は鉄よりも硬い。竜人族の魔力で砥がれた牙は鋼のようだ。
「なァわかんだろ!? 竜の素材の全てを引き出せるのが竜人の魔力だ! あたしらの魔力こそが適合する唯一の力なんだよ!」
「適合、そういうのもあるのか……!」
「どれもこれも知らなかっただろ? だから偽物なんだ、お前はさぁ!」
コルディエラには“竜の鱗”だけではない。翼竜の鎧と、翼竜の槍で武装している。
「ここまで教えてやりゃもう分かっただろ!? 備えの意味が!」
それはつまり、竜人どうしの戦いで相手の鱗を貫くことができる武器を持っている。その武器から身を守る防具を着込んでいるということである。
コルディエラが謳う竜人同士の戦い方も、そのための備えも。ソリューニャは知らない。
「竜は希少な生き物で本物の竜人も数少ない! だからこそあたしたちはそれを自覚して誇るべきなんだ!」
コルディエラにとって耐え難かったのは、それでもソリューニャが真紅の竜の主人として現れたからだった。
「ふらふら生きて偶然あの竜と出会っただけの偽物と! どうしてあたしが同格に見られてるんだ!? 心、底! 虫唾が走る!」
ソリューニャはたしかに知らなかったのだ。
「お前は備えてない。本物も知らない紛い物がよ、ヌルい人間族とばかり馴れ合ってるからだ」
「何……だと!」
「竜人は戦いの種族だろうが。お前がどこの出かは知らないけどな、そっちの竜人はよっぽど腑抜けてるんだな! ハハハ!」
「…………!!」
大げさな嘲笑を浴びせた瞬間の、ソリューニャの修羅の貌を、コルディエラは見ていなかった。敵が再び丸腰で突進してきたことに気付き不敵に笑ったその時にはもう、その表情は前髪に隠れて見えなくなっていた。
「分かってるぜ! 鎧のない手足だろ! それとも首か!?」
「…………」
コルディエラも構える。
動きを妨害しないため鱗の鎧は臓器を守るように胸から腹までを覆っているにすぎず、肩から先の腕と付け根から膝までは露出している。
ソリューニャがダメージを狙えるとすれば当然その部位かもしくは頭部になってくるが、しかしコルディエラからしても敵がどこを狙ってくるのかは分かりきっている。
「無駄なんだよ! 備えてない偽物がいまさらどう足搔いても!」
「…………っ!」
高い位置に放たれたソリューニャの拳を、コルディエラが見切って受け止める。
カウンター気味に放たれたコルディエラのハイキックを、ソリューニャもまた腕を立ててガードする。
「まだ本物との差がわからないようだな! あたしは対竜人の修練だって毎日積んでんだよ!」
ガードしたソリューニャの腕から血が流れる。
竜の鱗どうしがぶつかり相殺されても、コルディエラの膝下を守る翼竜の鎧が腕を切り裂いたのだ。
「……ッッ!」
ソリューニャがすかさずさらに一歩、踏みこむ。
「バカが! キレたか……っ!?」
ソリューニャの崩れた体勢からでは、コルディエラの露出した生身は狙えない。
それでもソリューニャの拳は一切の迷いなく、鱗に守られた水下へと吸い込まれていった。
「アアアア!!」
「ごぐっ、っはぁ!?」
赤と青が交錯し紫の火花が爆ぜる。鮮血が飛び散り、コルディエラが吹っ飛ばされた。翼竜の鱗でも吸収しきれなかった打撃のショックが、コルディエラの全身に響く。
ソリューニャはズタズタになった血まみれの拳を握りしめた。滴る鮮血が地面を黒く塗る。
「コルディエラぁ! アンタはアタシの仲間を侮辱した!」
叫ぶ。レンたちを嘲笑したコルディエラに。
「アタシの故郷を侮辱した!!」
憤怒のまま叫ぶ。殺された同胞を腑抜けと笑ったコルディエラに。
「アンタはもう許さない!」
ソリューニャが知らなかったように、コルディエラもまた知らなかったのだ。
彼女の故郷であるパルマニオは、彼女がまだ小さい頃に滅ぼされたということを。ソリューニャが孤独に己を追い詰めて、張り詰め切れる寸前で救いとなった仲間との絆を。
コルディエラは知らず触れた。ソリューニャの逆鱗に、触れた。
「本物だ偽物だとグチグチ、ああ理解したよ! その上で心底興味がない!」
「げほっ! テメェ、腕がどうなってもいいのか……!」
「互いに憎いだけならもう、どうしたって拳で殺すしかないんだからな!」
ソリューニャの貌に浮かぶ修羅。
今度はコルディエラもそれを目の当たりにした。
「ハ……ハハ、完っ全にイカレてやがる!」
コルディエラはたじろぐこともなく、嗤った。
自傷も厭わぬソリューニャの覚悟を身に受けて、ゾクゾクと湧き上がる歓喜に打ち震える。
「そのくだらん誇り、アタシが全部へし折ってやるよ!!」
「それを言われちゃあ黙ってらんねぇなぁ!!」
小さな竜の戦いは激化の一途を辿る。その目に狂気を携えて、相手の誇りを無残に踏みにじるために。
「塵一つ残ると思うなァ!!」
「ぶっ殺すッ!!」
二頭の竜は吠える。
少なくともどちらかは誇りを折られ、敗者として這いつくばるのだ。それがどれほど恐ろしい結末なのか理解できるから、二頭は修羅の形相で、狂気の眼光で、敵と対峙しているのだった。




