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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編3 未来と仲間
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水妖姫と炎と恋心 2

 

 


(もう少し待つか……)


 コポ、とガウスの口から気泡が漏れた。

 極めて高い湿度の空気だったものは、いつの間にか水そのものになっていた。

 水の牢に閉じ込められ、限られた酸素量と溺死するまでの制限時間が迫るなか、しかしガウスは取り乱さない。


(個々の練度は高い。我も水の能力とは相性が悪い)


 ガウスは冷静に、呼吸の限界を計る。

 そして敵の実力と、雷を通しにくい水の能力から対策を講じる。


(次の手を仕掛けてこない。窒息で決着をつける気か)


 ガウスには微塵も、自身がここで終わるとは思っていなかった。



「ぐ……う……! 側近を抑えておけや!」

「おうっ!」


 ガウスと長老が話し合いをしている時も、ガウスが戦い始めてからも、その側近は何もしなかった。

 そして今も。ガウスが閉じ込められているのを座って見ている。見ているのかすらわからない。なぜなら“三つ目の山羊の頭蓋骨(スカルゴート)”で顔を隠しているから。


「未来のためだ。死んでくれ……!」

「…………」


 刃物を突き立てられても、水の槍に貫かれても。その側近はただそこにいる。


「やった!?」

「いや、血が出ない!」

「効いて、ない……のか!?」


 効くわけもない。

 三つ目の山羊の頭蓋骨。スカルゴート。存在そのものが曖昧で、それが特殊なものでもない限り攻撃は絶対に通らないのだから。


「ど、どうする」

「警戒は解くな。見張っていよう」


 スカルゴートが動かない理由はない。彼女は別に反撃をしたければできるし、体を動かして避けようと思えばいくらでもそれができる。

 それでもスカルゴートが動かない理由は、ガウスの命令が「まだ手を出すな」だったからであった。

 同じ魔神族として立場は対等で強制力はない。しかしスカルゴートはガウスの行く末に“正しい答え”があると考え、ガウスの近くで世界を観測することを望んでいたため、こうして命令に逆らわずいた。


「…………」


 スカルゴートにも、ガウスがここで終わるとは思えなかった。自分が助けに入る必要すらない。



 優位に立ったように見えて、消耗が激しいのは水妖族の方だった。ガウスの鋭い観察眼により耐久勝負になったことで、長老は水牢の維持にかかりきりになった。


「持久戦に持ち込まれた……! さすが、それが一番イヤじゃの」

「長老どの……!」

「集中せいや! あやつの魔力なら拘束を吹き飛ばしてくるぞ!」


 初手で水を吸わせられれば話は早かっただろう。生理現象でむせて空気を吐かせれば僥倖で、肺に水を入れてパニック状態に陥らせたままあっけなく溺死させられていれば最高の結末であった。


「奴が水を弾き飛ばす瞬間が勝負だ」

「ああ、総攻撃で押し留めて、また閉じ込める!」

「呼吸の暇も与えるな!」

「逃がしたら終わりだぞ……!」


 ガウスと、水の球体と、それを取り囲む水妖族の戦士たちと、静観する“三つ目の山羊の頭蓋骨”、そしてさらに後ろからそれを見つめる女子供。

 異様な緊張感。異様な光景。


「頼む、雷帝よ……! ここで終わってくれ……!」


 水妖の民たちもまた、ガウスの逆襲を確信にも似た予感として肌で感じ取っていたのだった。




「あ、あ……」


 ただ一人、この中では最も状況を俯瞰できていない者だけはガウスがピンチだと思った。


「大変、でも、ああ」


 おろおろと狼狽える。幼き日のローザ=プリムナード。

 ガウスに恋をしたから、盲目だった。ガウスがピンチだと思った。



「“翆砲”」

「来たぞっ!」

「今だー!」


 ガウスが帯電するエネルギー波で水牢を吹き飛ばした。


「すぅ……ふむ」


 水の槍が、竜が、砲弾が、枝葉が、息継ぎするガウスへと一斉に放たれる。


「吸えた。クハハ、この瞬間は少しばかり緊張したぞ」


 そして、直撃。


「“降雷蒼”」


 蒼雷が落ちて、竜と砲弾を吹き飛ばした。


「なんでもいい、押し込め!」

「休む暇を与えるなー!」

「あああああっ!」


 水の槍を躱す。枝葉を殴り消す。


「手数では、容易には、いかんか!」


 超人的な動きと反射神経だが、雷は純水とぶつかり合って吹き飛ばすだけだ。その先の水妖族はさらに水の壁でガウスとの間を隔てており、根本的な対処にはならない。


 そうしているうちにガウスの手足は再び重圧に鈍くなり、やがて深海のような水牢に囚われる。


「よ、よし……!」

「気を抜くな! まだだ、次はいつ来る!?」

「耐えるしかない! 奴が弱るまで……!」


 ここまではガウスにも予見できた展開だ。

 ガウスは今の行動で、今度こそ勝負に出るための策を組み立てた。


(クハハ! この我が一方的に受けに回るとは!)


 水妖族は極めて強力な敵であった。

 この戦いは愉快なものであったが、ガウスはすでに「勝利のビジョン」を得た。敵に敬意を払うが故に、ガウスは自らの手で完璧に決着をつけることを望んだ。




 しかし、二度目の水牢。


 一度はこれを破ったが、なす術なくまた囚われてしまった。ガウスはここで水死体になる。

 そんな「敗北のビジョン」を見てしまった少女がいたことを、この瞬間までは誰も知らなかった。


「ダメ、ダメ。雷帝さまが……!」


 そしてこの二つのビジョンが交差し、運命を変えた。




「おい、森が燃えてる!」

「伏兵か!? 馬鹿な!?」

「ガウス一人でも手一杯なのに……!」


 突如、森に上がる火の手。

 水妖族はガウス軍の増援を一瞬疑ったが、同時にもし誰かが森に踏み入ればわかるよう事前に手を打っていたため、すぐに増援を否定してしまい混乱に陥った。


(黒炎? 無垢ではないな。何奴……?)


 一方でガウスにもそれは身に覚えのない不可解な現象であり、今にも牢を破ろうとしていた彼の行動を迷わせた。


「があぁぁああ!?」

「長老!?」


 火の手の正体はすぐに分かった。


「ぐが、う……!」

「はっ……はっ……!」


 長老の背を焼いた少女の手から出ているのは、黒い炎。

 水妖族はほぼすべて水の魔法の使い手であるという常識も相まって、その驚きもひとしおだった。


「炎の、魔だと……!?」

「貴様ァ! 何をしたかわかっているのか!!」

「子供がなぜこんなところに!?」

「まさか洗脳か!?」

「馬鹿、今はガウスだ!」

「そうだ、ガウスは……!?」


 ガウスはもう、そこにいなかった。

 長老が背を焼かれて倒れた瞬間に水牢は拘束能力を失い、まばたきくらいの時間でガウスは標的を目掛けて跳んだのだ。


「“支雷纏装……”!」


 一筋の雷のように、紫電の軌跡を残してガウスは水牢を突き破り、さらに水の壁をも貫いた。


「“閃耀”!」


 水の壁が吹き飛んで、ガウスは易々と敵の懐にもぐりこんだ。


「が、がが、ガウス……!」

「いつの間に……!?」

「ここ、までかっ……! そんな……!」


 ガウスはづかづかとわき目も振らずに標的の前まで歩み寄る。もはやそれを止められる者はいなかった。


「答えよ、娘」

「あ……」


 ローザとガウスの目が合う。


「なぜこのような真似をした。敵を憐れんだか? 我を侮ったか?」


 この長老は自らの手で葬ってやろうと思っていた矢先のことだった。ガウスは、予想通りの答えが一つでも返ってきたら即座にこの少女を焼き殺すつもりでいた。


「答えよ!」

「あ……あの……」


 少女は、ローザは、胸に湧き上がる衝動をただ伝えた。


「好き!」


 誰も予想だにしないそのシンプルな答えに、激情を携えたガウスでさえしばし呆けた。


「まさか……」

「好きですっ!」


 ローザのまっすぐな気持ちに、ガウスは別の感情が沸き立つのを感じていた。


「では、貴様は我を好いているが故にこのような行動に出たというのか? すべて、我のために? 同胞を裏切ったというのか?」


 ローザはこくこくとその小さく細い首を上下する。


「クハハ。貴様、名は何というのだ?」

「ローザ……プリムナード、です」

「では、ローザ」


 ガウスはローザの名前を呼んだ。

 ローザの心はそれだけで舞い上がる。好きな人に名前を呼んでもらえた。


「本来ならば子供の戯言だと切り捨てるところであるが……」


 ガウスの胸中はこの少女に対する敬意で満たされていた。


「ローザ。貴様の言葉には行動が伴っていた。偽りなきその誇り、見事である」

「嬉、しい……」

「さて。たとえ子供であろうとも、我もまた貴様の示した誇りに恥じぬよう応えるべきだな」


 ガウスは手を差し伸べる。


「我と共に来い。ローザ」

「はい……!」


 手を取る。全身が火照って、胸が苦しくて、音が遠ざかる。


 ローザの運命が変わった。

 炎を隠して生きて、誰かと結ばれ母にもなって、やがて炎の使い方も忘れて老いていく。きっとそれがローザの生き方だった。

 そんな人生が、恋をして、誇りを見初められて、愛しの人の近くで生きられるようになって。


「ローザ! 裏切るのか!!」

「誰か! 娘を助けて!」

「待て、戻れ! 帰ってこい!」

「耳を貸すな。お前はもう我がものであろう」


 ガウスはローザを横抱きにして持ち上げる。


「はうん」


 肩と膝を支える、俗に呼ぶお姫様抱っこである。近づいた顔の距離にローザの心臓は五秒止まった。


「久々に骨のある戦いができた。思わぬ仲間も得た。我は満足した」

「…………」

「スカルゴートよ、後を頼む」


 ガウスは告げる。戦いの終焉を。


「ただし、減らしすぎるなよ」

「わかった」


 それは、当初殲滅のつもりだったガウスの最大限の譲歩だった。戦争に出てこないよう戦士だけを減らし種族は見逃す、ガウスが認めたからこその恩情だ。


「ローザ」

「は、はひっ」

「ローザ=プリムナード。黒き焔を繰る異端の水妖姫か」


 ガウスとローザは白と黒の霧に覆われていく水妖の里を後にする。


「ローザ、力を示せ。お前の求めるものはその先にあるはずだ」


 ガウスはこのときすでにローザの才能に目をかけていた。いずれその潜在能力をすべて引き出したとき、ローザはガウスにとってなくてはならない存在になるだろう。


 霧の中では幽幻の隊がどこともなく現れ、水妖の民を狩って回っているのだろう。その中にはローザの両親も含まれるのかもしれない。


「わかりました。私、がんばります」

「ああ、期待している」

「はうん」


 ローザは振り返らない。未練もない。もはや運命は変わったのだから。


 ◇◇◇







 影が躍る。焔は飛沫を上げて散る。


「おあああああ!」

「ふん……っ!」


 カルキの刀が影法師を数体斬り飛ばす。

 その合間を縫ってハルが目指すは、ローザの懐。


「らい、てい、さまのぉぉ」

「……っ」

「ために、ためにぃ!」


 ローザの激情を映しているかのように、黒く燃える炎は勢いを増す。


「あああ、ああ!」

「ん、ぐぁ!」


 ローザの姿が急激に近くなり、ハルは咄嗟の防御態勢をとった。しかしその直後に攻撃が来ることはなく、やや間を置いてから黒蝙蝠に噛みつかれ爆発を喰らった。


「冷静……!」


 ローザは感情に身を任せているようで、その実極めて冷徹にカルキとハルを殺すための戦法をとってきていた。ローザの接近は陽炎が見せた幻覚で、その隙をついての攻撃は時間差で飛ばしていたのだろう。


「がっ、は! まだまだ……!」


 後方ではカルキの苦戦する声が聞こえる。

 たった一人でハルの分まで炎の人形を相手にしているのだ。ただの体当たりでもまともに受ければ致命傷になりかねない。そんな限界の戦場で、彼は笑って踊っているのだろう。


「次で、決める……!」


 もはやこの空間内の環境は人が活動できるようなラインを大きく超えた。目を開けていれば瞳が枯れる。呼吸すれば肺が焼ける。表皮は今にも泡立って蒸発しそうなほどジリジリと爛れる。

 ハルは次の一撃にすべてを懸ける。駆ける。陽炎の水妖姫を目掛けて駆ける。


「“氷廻(ヒマワリ)”!」


 氷の手裏剣を投げる。

 ローザが黒炎を纏う腕で受け止め、一瞬で蒸発させる。


「はっ!」

「まだだ!」


 もう一発。弧を描いて飛ぶ手裏剣はローザの背後から命を狙う。

 それも黒炎を纏った蹴りで打ち砕かれる。


「“黒大蛇”!」

「ぐ……!」


 黒炎が竜巻のように渦巻き天に延び、大口を開く大蛇となってハルを呑みこむ。

 まともに受ければ即死は必至。しかしもはや退くという選択肢は死を受け入れると同義。なによりハルの勘が進めと囁く。


「このまま……行く……!!」

「燃えてっ! 灰になれ!」


 ハルは盾のカートリッジにありったけの魔力を通す。一瞬で蒸発しても、また次の盾を出す。


「おおお……!」

「ハルーっ!!」


 ばくん、とハルの姿が完全に黒炎に消えた。


「…………!」


 ハルの脳裏には、敵だった彼の命にすら慈悲を向けたミュウがいた。飄々としていても熱いものを秘めたマオがいた。そして雲一つない星空の下で涙を流すソリューニャが。

 共にグリムトートーを破ったソリューニャがいた。竜の鱗を纏い白銀の吹雪に突っ込んだ紅い光があったのだ。


(これに懸ける!!)


 全身を覆う魔力を凍らせる。そう、ソリューニャが一か八か懸けたように。


「うお……おおおお……っ!」


 そしてハルは黒炎の中から飛び出した。


「しぶとい……!」


 ついにローザとハルは至近距離。命の間合い。


「はぁぁっ!!」

「ぐ!」


 ローザの鞭のようにしなやかで美しい蹴りが上段から振り下ろされる。

 ハルは片腕でそれを受け止める。足に纏わる黒炎が膨れ上がり、爆発した。


「があああ!」


 折れた腕を気にする余裕すらない。獣のような咆哮を上げて、無事な方の腕で創造した剣を突き出す。


「っ!」


 刺さってはいない。ローザの皮膚に触れた瞬間に蒸発した。


「あが、が、あああ……!」

「この……!」


 体表を高温にしたのだろう。

 体外で熱を操るのとは根本的に違う。多少は黒炎のもたらす炎熱に強くはあるだろうが、皮膚を高温にするとなれば相応のダメージや後遺症は覚悟しなければならないはずだ。


 覚悟をしているのだ。ローザもまた、自らの誇りのために命を懸けている。


「やああっ!」

「ぶっ、ぐ……!」


 ローザの細腕がハルの顔面をしたたかに殴りつける。

 揺らぐ意識を繋ぎ留めて、壊れた腕を伸ばす。


「おお、おおお!」

「灰に……!」


 腕が発火した。黒炎がハルの腕を貪る。


「なれぇぇ!」

「が、あ、ああ!」


 ハルは止まらない。

 折れた腕はローザの腹部に到達する。


「かっ……!」

「ぐうううぅっ!」


 それでもハルは止まらない。焼けた拳の、折れて露出した骨がローザの腹部を刺し貫く。


「ヤ、離れてっ!」

「がっは……!」


 ローザに蹴り飛ばされて、ハルは宙を舞う。

 腕から上がる黒炎がカルキの姿となり、両手を広げて迫る。落下地点からも黒影法師が身を起こし、受け止めるかの如く両手を挙げる。


「ひ……“氷弾(ヒガン)”……」


 ハルは言葉の引き金を引く。それに呼応して、カートリッジが発動する。


 ローザの腹部に残したカートリッジが。


「う、いああァァっ!?」


 ローザの体内から腹を突き破って無数の鋭い氷柱が飛び出した。


「あ……ッ……」


 ハルを抱きすくめようとしていたカルキの影法師が消える。カルキに群がる影法師も消える。


「ハル!!」

「カル……キ……」

「死ぬなよ!」

「…………」


 カルキはハルに肩を貸して立ち上がると、すぐさま塔に向けて進み始めた。

 陽炎の領域が薄れてローザがやられたことを知ればすぐにでも敵が探しはじめるだろう。今ならばまだ、敵はカルキたちの姿を見失っている。


 黒の地獄の道を往くカルキ。


「塔に潜り込んで治療だ」

「…………」

「うん、わかってるよ。水も探す」

「…………」

「……ああ。それでも僕は」


 塔に侵入したカルキは、ようやく冷えた空気を吸い込むとハルを寝かせた。


「僕らは進むんだろう?」

「…………」


 塔の中にいた敵の兵たちが襲い掛かる。

 カルキは笑って迎え撃つ。

明けましておめでとうございます。


大変、大変お待たせ致しました。本日より天雷編最終決戦を毎日投稿するので、お楽しみくださいませ。

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