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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編3 未来と仲間
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水妖姫と炎と恋心

 

 

 ローザ=プリムナードとガウスの出会いは、とりたてて運命的な何かに導かれたわけではない。


「はう……っ!」


 導きがなかったというそれはあくまで、ただの事実の話。そもそも“出会った”という表現すらも不適切だった。

 それでも。まだ幼さを残すその少女にとっては、まぎれもなく運命的で劇的な恋だったのだ。


「あの子、最近よく一人で遊んでるね」

「ああ、ローザでしょ? この前もずっと一人で蟹見てたよ」

「えぇっ、ホント!?」

「か、かに……」

「変な子!」


 ローザは決して悪意の強い子供ではなかったし、悪意を強く受ける子供でもなかった。親からは愛情を受けていたし、いじめの標的にもならなかった。


(…………)


 彼女は物静かで、一人を好む少女だった。人と違うことを自覚しながらも、自ら歩み寄ろうとはしない程度には他人に関心がなかった。

 初めからそうだったわけではない。少なくともある能力が発現するまでは。




 水妖(ウンディーネ)、と呼ばれる種族がいる。

 辺境の美しい水辺に住み、水を操り魚と意思を疎通させることができる希少な種族だ。


 額から生えた一対の、薄い織絹のような触手は潮流の流れをキャッチする。強靭な心肺とタフな肉体は長時間の潜水をものともしない。

 ある冒険家は生まれて初めて見た水妖族をこう表現した。


「この世のものとは思えないほど美しい水の精霊」


 その噂を聞きつけたとある権力者が、大兵団を引き連れて水妖族の暮らす地へと踏み込もうとした。

 そこで目にしたのは、黒い巨大な水の壁だった。津波に呑まれた彼らは海へと引きずり込まれ、大渦に呑まれ、肉食魚に身を食まれた。そうして彼らは誰一人として水妖族の姿を目にすることなく深海に消えることになったのである。


 この強力な水の操作能力と水生生物との対話こそが水妖族の本領であったことは言うまでもない。

 水生生物との対話能力は水妖族の秘伝で限られた才能の持ち主にだのみ修得が可能だが、水にまつわる能力はほぼすべての者が発現させる。水に造詣の深い水妖族には遺伝子単位で刻まれた何かがあるのだろう。そういう定めなのだ。



「~~……~……」


 鼻歌を歌うローザはひとりぼっちで、今日も蟹をつついている。

 潮風に揺れるまっさらな触角は、まるではためく旗のようだ。だが、そんな存在主張に気付く者はいない。

 だからローザは、ひとりぼっちで蟹をつつく。


「……~~……」


 宙に浮かぶ水の玉。それは形状を崩すこともなく、気泡を内包することもなく、理想的なレンズの役割を果たしていた。それはローザの天才的な技量、まだ誰もそのポテンシャルには気づいていないが、しかしながら驚愕すべき能力の一端だ。

 乾いた蟹の甲羅はやがて小さく焦げ始め、明らかに、潮とは違う芳しい香りを発しだす。


「焼けた……」


 日光を集めて高温を発生させる遊び。ローザはしばしこの遊びに夢中になった。

 実はこの少女は、水の能力を発現させる定めから自分が外れていることをすでに自覚していた。

 と、いうのも。


「でも、やっぱりこっちのほうが」


 蟹の死骸が一瞬にして黒い炎に包まれた。


「……楽しい……」


 これはローザが最近になって使えるようになった能力だ。

 火に対する密かな憧れはあれどもその魔法を練習したことはなかった。だが、これもまた何かの定めだったのかもしれない。ある日突然、殺した蟹の甲羅が黒炎を吹いたのだ。

 固有発現だった。両親から教わってようやく学習発現させた水の魔法とは違い、はっきりとローザの適性を具現化した彼女固有の能力だった。


「ん。お片付け、しなきゃ……」


 ローザは黒炎の魔法をひた隠しにした。

 黒い炎というものには少なからずの邪悪を感じたし、それを自然と発現させた自分自身を気味悪く思いもした。

 能力が自然発現すること自体は騒がれるほど珍しくはないが、それが水に関連しないとなると話は別だ。


「見つかったら……大変」


 まだ多感なローザは水妖族にまつわる何か大きな輪廻のようなもの、その営みから外れてしまったことに大きな不安を抱えていたのだ。彼女はもの静かでおとなしい性格だったとはいえ、孤独に耐えられるようにはできていなかった。幼さ故、排斥されることの恐怖はことさらに大きかった。


 だからひた隠しにしていた。


 しかし一方でその能力を磨き上げもした。もちろん、密かに。

 それまでたまにつるんでいた同年代の子供たちからもそれとなく離れ、彼女は火遊びに夢中になった。

 自身が水妖族であることは疑いようもない。ただ水よりも火に焦がれる異端児だと、ローザは確信していく。

 そうしてやがて不安も寂しさも薄れ、他人への関心も消えていくことになった。


 ローザが恋をしたのは、そんな頃だった。


「あの人が、“雷帝”……」


 水妖族の集落を、たった一人の側近だけを引き連れて訪れたガウスを見た日から。ローザはガウスのことばかりを考えていた。


「雷帝……雷帝、様……?」


 ガウスがなぜ長老と話をしたがっていたのかはわからない。ただ他の者たちの真似をして岩の影に隠れていた。そして帰っていくガウスの姿を覗き見て、少女は初めての恋をした。


「また……会いたい……」


 その願いが叶ったのは三日後だった。






「交渉は決裂か?」

「残念だがのぉ。互いに」

「…………」

「うむ。考え直す機会はこれまでだぞ」


 その日もガウスは側近と二人だけで話し合いの席についた。側近は一言を発することもなく、静かに立っていた。

 対面する長老は白い触角を波打たせながら、ぷかぷかと煙を吐く。張り詰めた異様な空気の中で彼は飄々としていた。


「わかってもらえんかのぅ? ワシらは交わらん運命だ」

「それが何を意味するのか、分かっているのだろうな」


 ガウスが不敵に笑うと、長老の後ろに控えていた男たちが一斉に殺気立つ。


「人間族との確執にははっきり言って興味がない。だが、イリヤの奴とは盟友じゃて。立てなきゃならん義理があるのよ」

「故に我の敵となると?」

「そりゃあ、きさんら次第じゃろうて」


 とぼけて答える長老は輪っかの煙をぽかりと吐いて、立ち上がった。

 ガウスの要求は、親和派の魔神族イリヤの仲間である水妖族に今回起こる戦争から手を引けというものだった。


「逆に問おうかい。手を引く気はないかの?」

「あるはずなかろう」


 人間族を殲滅することを正義と掲げたガウスの勢力と、親和派の筆頭であるイリヤの勢力との小競り合いはすでにあちこちで発生していた。そしてその小競り合いも熾烈化の一途を辿り全面戦争は確実という状況下で、このような静かな戦いはすでに始まっていたのである。


「くっく。光栄じゃ、最強の魔神からこうも恐れられるとはの」

「クハハ。そうだ、誇るがよい。ひとたび敵に回れば貴様らは我が同志たちを多く殺すだろう。我は将として護りに来たのだ」

「同志が大事ならやはり手を引くのが最善じゃろ」

「違うな。ここで決着をつけるのが貴様の言う“最善”だ。そのつもりだったのであろう?」


 刹那、向かい合う二人の瞳が光を放つ。

 同時に発動された大魔法が二つ、衝突して周囲のものをあらかた吹き飛ばした。


「“水迎”」

「“昇雷蒼”」


 天から落ちる巨大な水の爆弾と、大地より駆け昇る蒼雷の力は拮抗していた。


「これほどの水を呼ぶか! やはり、素晴らしい!」

「きさんこそ大地から雷だと!? 噂に勝るバカげた男よ!」


 激しい雨が降り注ぐ。


「長老ォ!」

「何しとる! 手ェ貸せや!」


 長は理解している。一発目が拮抗したからと言って、自分がガウスと同格であるわけがない。

 戦いは数であり、今はガウスともう一人の側近対ここにいるすべての水妖族だ。汚いなどとは言わせない、勝った者こそが須らく正義であると彼は事前に説いた。


 ただ誤算は、それでも尚足りないということ。


「“支雷纏装”」


 一斉に飛び掛かってきた敵の間を超速ですり抜ける。


「ぐああっ!」

「ふむ、さすが勝てると踏むだけあるな」

「馬鹿もん、怯むな!」


 全身を強力な紫電で、周囲の空間を微弱な放電で満たす。

 雷は肉体のあらゆる反応速度を反射レベルにまで引き上げ、放電は近づく異物を視界外からでも捉える。


「うおおおお!」

「これならばっ!」

「なるほど、考えたな。備えていたのか」


 水を纏った手足で攻撃してくる敵を軽くいなしながら、ガウスは思案する。


(惜しいな。我が軍勢でなかった運命を呪いたくなる)


 紫電を纏うガウスは超高速を得るだけでなく、近づくだけで紫電のダメージを与えるようになる。直接触れればさらに強力な雷の追撃もある。


「褒めて遣わす」

「これが雷帝……! 強いっ!」

「あ、当たらん!」


 それを純水で防ぐ作戦だ。あらかじめガウスを殺すための策をいくつも用意しているのだろう。

 最初に飛び掛かってきた彼らも全員、雷撃を受けたはずなのにもう戦闘に復帰している。敵が烏合の衆などではなく、個人個人が強力な能力を備えているという証拠だ。


「まさに精鋭。よくぞ磨き上げた」

「これなら、どうだ!」

「何度でも言おう! 素晴らしい力だ!」


 ガウスは賞賛する。純粋に水妖族の能力を認めているがゆえに、自然と感嘆が口から洩れるのだ。


「っ、バケモンが……ァ!」


 水で覆われた拳を躱し、敵の頭を掴む。そこから伝う雷撃は致命傷となり、その敵は白目を剥き、黒い泡を吹いて絶命する。

 同時に飛び掛かってきた三人に、その屍を投げつけ視界を奪う。その一瞬に近づき、屍を通して雷を打ち込む。

 直接浴びせたわけではないために致命傷には至らなかったのだろう。しかし痺れて動けなくなった敵をまとめて蹴り飛ばし、ダメ押しの雷を落とす。


「“降雷蒼”」

「ぎゃああ!」

「あがががぁ!?」


 ガウスが格闘戦に応じている隙をついて、後衛の戦士たちが一斉に魔法を放つ。味方ごと呑み込む覚悟で放たれた巨大な水の渦が竜巻のように轟々とうねり、四方からガウスに襲い掛かる。


「“翆砲”」


 ガウスを中心に高密度のエネルギー波が放射される。緑の雷が迸るそれは水妖族四人分の大魔法を一撃で吹き飛ばした。


「無……傷……?」

「まるで歯が立たん!」

「かっ、勝てない……」


 抉れた海岸の中心に立つガウスは細かな水の飛沫に白い髪を濡らしながら、次の攻撃に備えて魔力を高めている。

 絶望的な能力の差を見せつけておきながら、一切の慢心もない。付け入る心の隙もないのは、ガウスの水妖の民たちへの敬意の表れである。


「呆けとんなよぉ!」

「む」

「全員の生き死にがかかっとる! 気張れやガキども!」


 最初の水迎と、今の竜巻によってこの空間には大量の水が充満した。

 ここまでは概ね作戦通りでもある。


「水よ! 災禍を喰らう堅牢と化せ!」

「……これは」


 不意にガウスの動きが鈍くなる。

 まとわりつくような空気に締め付けられ、呼吸すらままならなくなる。


(気中の微細な水にまで魔力を及ばせるとは!)


 すでにガウスは呼吸を止めている。もはやここは水中と相違なく、空気を吸おうとすれば肺には水が侵入してくるだろう。それを鋭く見抜いたからこその行動だった。


(ああ、なんということだ。胸が躍る、踊る!)


 翆砲で吹き飛ばすことはできるだろう。だがまたすぐに水の牢に囚われる。それは息継ぎが必要になってからでもいい。


 ガウスを捕らえてなお恐れを拭えぬ水妖の民たち。

 術中にありながらも思考の余力のあるガウス。

 主の危機にも沈黙を貫くガウスの謎の側近。


 その場の誰もがガウスの優位を信じて疑わない。

 ただ一人を除いて。

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