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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編3 未来と仲間
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生の時間 2

 

 

 体に傷を負ったローザが衝動に身を任せて放った一撃は、自身の生命の危機を回避する代わりに有利だったはずの状況をかき乱した。


「ア……ア……!」


 彼女の心を満たすのは、怒りと恐怖。美しさに妥協をしない誇りを傷つけられた怒りと、ガウスに失望されるかもしれないという死よりも巨大な恐怖だ。


「アアアッ……! “黒影法師”……!!」


 ローザの魔導もまた、グリムトートーと同じ短所を抱えている。それは“聖域”においては最大能力を発揮するまでに時間がかかることだ。

 本来なら人だけが生み出せる魔力を自然発生させている、世界でも極めて珍しい土地。故に、空間に自分の魔力を浸透させることで初めてフルスペックを発揮するローザの能力は、聖域とは相性が良くない。


 しかし。


「影がっ!?」

「く……っ」


 あくまで時間がかかるだけだ。

 能力が完全に発動した今、ローザはもう止まらない。


「幻みたいな光景だ!」


 二人の影から黒い煤が噴き出して、やがてそれは人の形に揺らめく黒炎となり立ち上がった。

 大きさは二人の身長とほぼ同じ。ハルから生まれたそれはマントを羽織っているような大きめのシルエットで、カルキから生まれたそれは右腕がまるで剣を持っているかの如く細長く伸びている。


「これはッ……! ハルっ!」

「……!」


 二人の体が炎熱に揺らめく空間に溶けて、次の瞬間。

 カルキはハルの、ハルはカルキの。互いの背後にいた影を切り裂く。

 二人は場所を入れ替えるように交錯した。


「アアアア! 燃えて……モエテ……っ!」

「ひぃ~っステリック~」

「ふざけている場合か……次……!」


 ローザと、カルキとハル。

 三人以外は誰も近づくことのできないその領域はついには色をも焦がし、まるでモノクロの地獄絵図と化していた。

 草花が風に靡くように、燃える大地に炎は揺れる。静かな波間に揺蕩うように、視界に映るあらゆるものが曲線的で動的な夢幻へと移ろう。


「これが真の“陽炎”かっ! とんでもない悪夢だね!」


 熱された空気が光を曲折し、景色をあべこべにする。陽炎という現象の名が持つ意味を思えば、たしかにこれまでの彼女でも十分に「陽炎」の名を冠するに足るだろう。


 しかし彼女の真の恐ろしさはそんなものではない。ほとんど誰も見たことがない領域にまで到達した彼女の能力は、到底信じがたいような幻想的な虚構世界を現実に映し出す。

 実態を掴ませず、あらゆるもの飲み込み、最後には灰を吐いて、そこには初めから何も存在しなかったかの如き焦土だけが残る。そこに生命の営みがあった現実さえも、その揺らめきは虚偽の記憶と捻じ曲げてしまう。


 陽炎と呼ぶにはあまりにも激しく、しかしそれ以上にふさわしい言葉もないだろう。


「“黒影法師”!」


 ローザが両手を広げて天を仰ぐ。

 その腕からにじみ出たインクのようなそれは小さな火種となり、美しい曲線を描いてモノクロの地獄に点々と降り注いだ。


「またさっきの……!」


 種子は発芽する。


 のそり、と身を起こす無数の影法師。


「偽物をいくら積もうと、(ここ)には届かないよ」


 カルキは自身の心臓に指を突き立てた。


 あまりに過酷な環境に、もはや生命活動を維持できる時間も僅かだ。

 この戦いは間もなく終わる。最後にはどちらかの死をもって。


 ◇◇◇






「……生きてる」

「…………」

「ハル……どういうことだい」


 カルキは、夕焼けに染まるハルの横顔に尋ねた。


「あと少し……ほんの少し……。押し込めなかった。手が……それ以上動かなかった」

「あはっ。あーうん、そっかそっか」


 カルキは理解した。ハルに対する感情の変化の理由を。これまでカケラほども認識できなかった、己の性を。


「そういうことだったんだねぇ」

「……?」

「ハルは僕を殺せるんだ。それを僕の本能はわかってたんだ。だから君への気持ちが変わっていたんだ」


 カルキは胸の傷に手を伸ばす。


「僕はどうやら、死に憧れてるみたいだ。いや、生に憧れているのかな」

「…………」

「伝わってくれて嬉しいよ。興奮でうまく説明できないんだ」


 カルキは命に価値はないと確信している。己の命に対してすらも、同じだ。

 何かを為すために生まれる命はない。必要とされて生まれた命などない。すべて命は偶然生まれて、偶然死んでいないだけ。


 だからだろうか。


「気持ちが良かったんだ。最高の気分だった」


 冷たい刃が胸の中に侵入したとき。死がカルキの命に触れたとき。

 カルキは生まれて初めて自身の“生”を実感したのだ。


「死を自力で退けられたら、きっとそれが一番生を感じられるんじゃあないかな!?」

「……どう、だろうな」

「じゃあ、証明しに行こうか! 今は何日目だい?」

「三日目の夕方」

「わお。すぐ行こう」


 カルキが身を起こすと傷口から血が滲み、巻かれた布に赤い染みをつくった。


「無茶だ……!」

「ああ、ハルは見ててくれよ」

「そん……いや、止めても無駄か……」

「そうだね。やらせてくれ」




 約束の時間。現れたカルキを見て、男は意外そうな顔をした。


「おお。俺は正直ハルが生き残ると思っていた」

「うん。力比べなら僕の負けだったね」

「何……?」


 カルキが胸の傷をさらけ出す。


「心臓に触られたのは初めてだよ。初めてだったんだ」

「そうか、情けをかけられたか。失望したぞ、カルキ。……いや、ハルもだ。お前に命を明け渡し死を選ぶとは」

「何を勘違いしてるんだい? ハルは死んでないよ」

「なんだと?」


 カルキは胸の傷に手を当てる。愛おしそうに、痛みを撫でる。


「僕はあんたを殺しに来たんだぜ」

「ふっふっふ! ナメられたものだ。俺を殺せばハル共々生きられると?」

「まあ、そんな感じかな。ああ、そうだ」


 冷たい刃が胸の中に侵入したとき。死がカルキの命に触れたとき。

 その実感はこれまで感じた何よりも強く、美しく、蠱惑的で、倒錯的な快楽を伴った。これまでのあらゆる情動の、そのすべてを凌駕した。


「一応、ね。頼みがあるんだ」


 カルキは傷の中にずぶりと指を突き入れた。己の心臓に触れた指先で、力強い拍動を実感する。


 しかし、至らない。あの快楽は己一つでは再現できない。


「本気で殺しにきてくれよ。僕も本気で抗うから」


 カルキは恍惚とした笑顔で、言った。


「血迷ったか……いや、心が壊れちまったのか」

「さあ、いくよ……!」


 カルキの胸は躍る。

 これから先に起こる、命の危機。そしてそれを拒絶するための戦い。


 それを想ったカルキは、この瞬間、初めてこの情動に名前をつけたのだった。


「生の時間だ」





 一部始終を離れたところから見ていたハルが、静寂の中。大きな月が、カルキと男の影を色濃く巨大に伸ばしていた。

 一方の影が、倒れ伏す影の胸に剣を突き立てる。影の飛沫が舞って、白い砂の上に黒い点と重なる。


「約束は、守った……」

「……ああ、ハル。手を出さないでくれてありがとうね」

「それがカルキのためだと、思ったから」


 そのあとにハルは小さな声で「果たしてそれが……正しかったかは分からない」と付け加えたが、カルキはそれに気づくことなく、それを取り出すことに夢中になっていた。


「でも、何か違ったんだ。何かが……」

「…………」

「そりゃそうだったのかもねぇ。だって、あんなにも近くにいながらハルほど感じるものがなかった」


 カルキは真っ黒な顔であははと笑った。


「我ながらとんでもない嗅覚だぜ。こうなること、わかってたんだ。理屈はないけど……未来がわかるのかな、あはは」

「…………覚醒」

「ああっ、まさにそんな感じだった!」


 魔力が精神に影響することはもはや語るまでもない。だが、心変わりだけでは決して説明がつかないほど爆発的な発露が起こることもある。


「勝ち目はないと……思っていた。手も出す気でいた」

「あり?」

「手段は……選ばない……」


 月下に薄青色の花が咲いた。

 ハルがずっと前から仕込んでいたカートリッジを起動したのだ。彼は自分の行動範囲、どこにでもこれを仕込んでいる。ハルは子供の頃から自分の基地だろうと罠を仕掛けていない場所では一瞬も気を抜かなかった。


「カートリッジ! ここまで完成していたのか」


 生成できる魔力の大きさは平均程度。魔術の適性は高いが、魔導の適性は低い。

 そんな彼が学習発現させた魔導が魔力を凍らせるというものだった。

 弱点は多い。氷は短時間しか維持できず、魔力も少ないため大規模な攻撃はできない。


 そこで彼が組織の研究員と開発したのが、このカートリッジだった。内蔵されたクリスタルに魔力を貯めておくことで魔力量をカサ増しし、また放出する魔力に指向性を持たせることで氷の形状を設定できるようになった。


「俺は……誰も信用しない……。俺を殺せる人間は、特に……」

()()僕も?」

「…………」

「冗談冗談、殺せなかったんだもんな。わかっているさ、ハル」


 それまで影の飛沫をまき散らしていたカルキは、ついにそれを両手で取り上げた。


「よし、取れたぁ」

「…………」

「うん、心臓。骨に守られて意外と苦労したね。綺麗に抜くのは」

「…………」

「これで試験パスだね」


 氷の花が散る。

 カルキは心臓を握りつぶした。


「そうそう、勝ち目ね。そういや考えてなかったな。ただこの痛みが消えないうちにはっきりさせたくてさ」

「…………」

「ああ、拍子抜けだった。届かなかった」

「カルキが、強くなりすぎたんだ」

「覚醒。今さら実感湧いてきたな、そう言われたら」


 覚醒したカルキは師の一歩も二歩も先に及ぶ力で男を下した。


「せめて命に触れて貰いたかったんだけどね」


 己が持つ無比の欲求を自覚した。それがきっかけとなり、カルキの潜在能力が暴発した。


「困っちゃうね。どうやら僕、すごく強いらしいや」


 強くなればなるほど、カルキを殺せる人間はいなくなる。

 カルキが生の時間を求めれば求めるほど、カルキの魔力は研ぎ澄まされていく。


「ジレンマってやつだ。うん」

「……」


 カルキはとりたてて死にたいわけではない。

 しかし自分を殺せる人間を、命のやりとりを求めている。


「これもジレンマだ」

「……」


 そしてすべての生命に価値はないという確信。


「そのくせ大切な命が僕にもある。ジレンマ、ジレンマ……」

「……」

「君のことだよ、相棒(ハル)

「……ああ」




 こうしてカルキは己を自覚した。

 ジレンマはどれも解決していない。


「人の命に価値はない」


 と言い切る半面、ハルという相棒のために躊躇いなくすべてを懸ける。大蛇の死を悼む。

 一見矛盾したように見えるその行動も、ただしカルキは当然自覚していて、しかしその矛盾は未だ抱えたままここに立っている。



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