ミュウの空
神弓アルテミス。
どんな魔力も性質そのままに矢の形に固め、放たれた矢は射手の意思の赴くがままに飛ぶ。
聖盾セレス。
鋼鉄のような防御力を持つ盾にも、空を切り裂く翼にもなるバリアを展開する。
この二つは神樹の枝から作られる特殊な杖が変形して成る。それに宿る意志、導き手のヘスティアを合わせて『神樹の至宝』と呼ばれるのだ。
『ミュウちゃん、作戦は?』
「可能な限りここで足止めして……足止めして……」
『一応言っておくけど、八方警戒して飛行しながらセレス操作して狙いもつけて……って結構無茶だよ?』
「うー……」
神樹の至宝を手にしたミュウは、その力でもって戦場の空を駆ける。
それは決してミュウの努力で得た力ではない。努力なく扱える力でもない。
だが、戦いの時はミュウの努力を待ってはくれない。だからミュウは今だけは、本来ならばあり得ないはずの力が手に入ったという歪みに気付きながらも、そのポテンシャルを遺憾なく発揮することを心に決めていた。
「と、とにかく! 皆さんを守る力があるからには、そのために全力を尽くすのですっ!」
『わかってるってば。でも、無策で突っ込むわけにはいかないよ?』
「それは……その……」
『ちがうんだよ。確かにミュウちゃんは戦えるけど、戦って、その後が大事でしょ?』
だが、逸りすぎているミュウの気持ちを見抜いたヘスティアは戦いの前に釘を刺す。ヘスティアの方が長くこの力と付き合ってきたのだ。できることと、できないことの、その違いもよくわかっていた。
「たしかに……私、焦りすぎていたのです……」
『ああ~~! ご、ごめんね! 怒ったんじゃないんだよ!』
「いえ、はい。わかっているのです」
『そっ、そんなヘスティアちゃんがオススメするプランはコチラっ! “挑発して逃げよう作戦”~!』
「挑発……確かに、それができれば……!」
ミュウが敵を殲滅するのではなく、ミュウが敵を引き付ける。そういう目的で戦うという提案である。
「…………」
『あれ、滑っちゃったカナ……』
「あ、いや、アイデアはよかったのです!」
『気遣いが痛い!』
ヘスティアなりに緊張をほぐそうとしたのだろう。ことさら明るく振舞ったが、敵の一団から目を離せないミュウにはあまり通じなかったようだ。
『さ、気は引き締めなおしたし! そろそろ射程圏だよ!』
「はい、でも向こうも気づいてて無視してるのです」
『うーん、専門的な戦術論はわかんないや。ミュウちゃんに心当たりは?』
「あの人たちの目的は、もう少し先にあるのです。そこに行くまで人手は割かない……とかなのです?」
『考えてもわかんないね! 今はセレスも片方あるし、撃っちゃお!』
「えぇ……。でも、そうするのです!」
アルテミスにミュウの魔力が流れ込み、緑に輝く幾何学模様が発現する。導かれるままに弦に指をかけて、イメージするのは最速の矢。
ミュウは好んでこの速撃の飛星を用いる。高速で広範囲に拡散してから一点に収束するためとりあえず牽制に使いやすい、というのがまず一点。なにより破壊力が控え目であるため、心理的抵抗が小さいというのが大きい。
「速撃の飛矢!」
黄色の矢が放たれる。
速撃の飛星と速撃の飛矢の最大の違いは破壊力だ。これまでのミュウであれば心理的抵抗も極めて大きかっただろう。
「……っ!」
だが、今のミュウならば。それを甘えだと言い聞かせ切り捨ててしまえるほどストイックに、それこそヘスティアが引くくらいには覚悟が決まっていたから。
『当たった!』
「これで、少しは……!」
その矢は拡散しない。ただ速く、鋭く、貫通する。それが離れたところを飛ぶ翼竜であっても。
『そういえば、なんで束ねるの?』
「え、矢って普通一本では?」
『カタいカタい! アルテミスは性質そのままに射程と威力を爆発的にアゲちゃうんだから!』
「えぇ!?」
初めてアルテミスを使った時、速撃の飛矢はアミンの魔導諸共彼女の肩を貫通した。それはミュウがイメージしたのが「速撃の飛星のスピードで飛ぶ矢」で、そこにアルテミスの強化が乗ったからだ。
矢は拡散しない。それが常識。だから今までの速撃の飛矢は拡散してから収束するという性質はなかった。
「散会しろ! 狙いを定めさせるな!」
「はい!」
翼竜のうちの一頭が貫かれ墜落していくのを確認して、敵は隊列を崩して広がった。狙いをつけさせないためだ。
ミュウは再び黄色の矢をつがえる。
『ネ。拡散型、いっちゃお!』
「これまでのイメージを壊して……新しいイメージを乗せる……!」
『……いけちゃう?』
「はい! イメージそのままにっ! 速撃の飛矢!」
狙いは、敵の遥か先の空。それでいい。
果たして、放たれた矢は十本に分裂し、広がっていた敵にも数本が命中した。
「成功なのです!」
『いいね、敵も無視できなくなったみたい! “挑発して逃げよう作戦”第一段階クリアだ!』
「でも、撃墜できてないのですよ!?」
以前の速撃の飛矢はいわば十本に拡散するところを無理矢理に束ねた貫通力特化だ。それに対し今回のものは牽制型とでも呼べるような代物で、当然威力は小さい。命中したところで大した傷をつけるにも至らず、ほとんど意味のない攻撃だったようにすら思われた。
だが、ヘスティアはそれで良しとした。
『最初のが良かったね! 撃ち抜かれるのを見た後に、命中精度を上げてきた。これは怖いでしょー!』
「た、たしかに!」
『さ、第二段階だ! 退くよ!』
「えっ、わ、わかりました!」
敵もさるものだ。
ミュウを抑える後方部隊とそのままオーガたちを目指す前方部隊に分かれてきた。そして後方部隊は統率の取れた空中機動でミュウを囲みに来る。
『ホントだ、ミュウちゃんの言う通り目的地が最優先みたいだね』
「来ます!」
『サポートは任せて! ミュウちゃんの思う通りにアルテミスもセレスも動かすように頑張るから!』
「助かるのです!」
ヘスティアが照準の調整やセレスの操作を肩代わりしていることで、ミュウは練習もしたことがないアルテミスやセレスをなんとか扱えている。
「名前改め、神速の飛矢! ……なんて、どうでしょう?」
『いいね、強そうっ!』
「わぁい」
イメージの補強のため、名前で分類した「貫通型」の矢を放つ。
「来たぞっ! 散れ!」
「あっ、避けられたのです!」
『一回距離取らなきゃ!』
「そっちに集中しますっ!」
ミュウは矢をつがえることを一旦捨て置き、代わりに羽と盾、二つのセレスの操作に意識を集中させる。
「囲まれるのがサイアクなのです……!」
『そだよ! わかってると思うけど、セレスは移動用であって機動用の形態じゃないから!』
ミュウも自覚している通り、敵に囲まれるとかなりまずい。
先の戦いでも、自らの命を生贄に怪物を宿したウィルズを相手に空中戦を繰り広げた。結果はミュウの勝利だったものの、空中戦の内容では敗北と言えるほど苦戦を強いられた。今回とは違い、ただの一人を相手にだ。
「でも退けば足止めができないのです……!」
それは単にミュウが不慣れだとかそういう理由が原因のものではない。
セレスは神樹という不動の存在を守る役目もあり、その翼はどこにいても高速で神樹のもとへ移動するためのものだ。ましてダークエルフは魔術による肉体強化を苦手とする種族であり、飛行による負荷は決して小さなものではない。
つまるところ、空中戦を想定した性能ではないのだ。セレスも、ミュウも。
『攻撃、来るよ!』
「セレスっ!」
敵の中にも遠距離攻撃手段を持つ者がいたようだ。巨大な半透明の拳のようなものが飛来して、セレスに阻まれミュウに触れることなく消滅した。
「く……! まずいのです!」
『焦っちゃダメだよ! まだミュウちゃんの攻撃力が警戒されてるから!』
「でも……っ!」
今回の相手は一人ではない。ミュウ以上の機動力を持つ相手が複数。視覚的にもミュウを弱気にさせるに十分だ。
「一点突破で前を追います!」
『それじゃ前後囲まれちゃうよー!』
「あうぅ! やっぱなしです!」
そんなことを話していると、敵のうちの一頭が突っ込んできた。
やけっぱちではないだろう。照準を合わされないようにジグザグに動き、十分にミュウの一発を警戒している。
「ここ、大事なのですっ!」
『ミュウちゃん!?』
「青風の巻矢!」
青の矢をつがえて、放つ。
「当たらずともいいのです……! 速撃の飛矢!」
青の矢はミュウの思惑通り、途中で糸が解けるように青い暴風を吹き荒らす。翼竜はそれで体勢を崩し、吠えた。
翼竜が暴れて困るのは騎乗者だ。落下の恐怖は本能的なものだから、その隙に命中重視の黄色の矢を差し込む。
「ぐあ……! くそっ、落ち着け!」
「もう一発、なのです! 紅焔の裂矢!」
「ぐおおお!?」
紅色の矢が翼竜の至近距離で炸裂し、それがとどめとなり翼竜は完全にパニックに陥った。乗っていた竜人は振り落とされないように必死で、墜落とはいかずとも戦線に復帰するには相当の時間がかかるだろう。
「なに……!」
「青に赤! いくつ魔導を持ってるんだ!」
「警戒しろ、まだ何か隠しているかもしれない!」
ミュウの攻撃を見て、敵の動きが鈍った。
「う、うまくいったのですぅ……」
『うわ、センスあるね』
「これでまだしばらくは近づかれにくくなったはずです! あとは……」
『右上っ!』
「セレスっ!」
ミュウの右上にリング状のパーツが移動し、敵の魔力砲撃を防ぐ。
『さっきの手のやつとは別だ!?』
「う、下っ!?」
『わああああっ!?』
右上に気を取られた隙をついて、半透明の手の平がミュウの左下から飛来する。
ミュウは盾ではなく、翼に念じてその場を離脱してかわした。
「あっ、降りてるのですっ!」
前方部隊が高度を落とし、地上に向かっている。オーガらの本拠地を強襲するのだろう。
「ヘスティアさんっ! 荒らすだけ荒らして前に行くのですっ!」
『ミュウちゃん、ちょっと!』
ミュウは二つ目の切り札をここで切ることを、根拠なき直感で選択した。
「千星・流星群!!」
流星群は広範囲に降り注ぐ魔力攻撃だ。ミュウの学習した魔導の中でも最上位クラスの威力を誇る大技である。
敵が警戒している状況で、さらなる混乱を招くために放つ。贅沢で雑な切り方だが、仕方がないと割り切った。
『うっわ、すっごい威力!』
「今のうちに行くのです!」
それは仮にもミュウという天才が放つ暴力的な一撃だった。滅多に使うことのない技だったこともあり、流星群の矢はミュウの想像すら超えた破壊力を以て敵に壊滅的ともいえる被害を与えた。敵を数頭、撃墜すらした。
それもそうだろう、降り注ぐ矢の一本一本が神速の飛矢と同等以上の破壊力を持っていたのだから。
ミュウはこの隙に乗じて敵の間を抜けるとオーガたちのもとに向かう。
「リリカさん……! 今行くのです……!」
『リリカちゃんが!? ……うー、こうなっちゃ仕方ない! ミュウちゃん、後ろはヘスティアちゃんにお任せだー!』
「あ、ありがとうなのです!」
ヘスティアは自身で提案したように、敵を引き付けて仲間の到着まで少しでも被害を抑えるのが最良としていた。だが、リリカの名前を聞いて、もはやそれを選べる状況でないことを理解してしまったのだ。
『リリカちゃんがピンチなんでしょ!? うぅ、どっちも大事なんだからねっ!? ミュウちゃんもっ、リリカちゃんもっ!』
「ヘスティアさん、頼もしいのです!」
マオたちの手の届かない空にミュウはいる。だが、敵に追われていようとも囲まれていようとも。背中を預ける文字通り一心同体っぽい味方がいる。
ミュウの空に、ミュウは一人ぼっちではない。その温かさに喜びを感じながら、ミュウはいよいよ目的地へと辿り着く。
そこで彼女が対峙するのは、四天・驟雨のレインハルト。ミュウの戦いはここからが本番なのだった。




