陽炎のローザ 3
黒炎の竜が降り注ぎ、焦土となった一帯。その中心に立つのはカルキ、ハル。そして四天“陽炎のローザ”のただ三人だった。
敵の兵隊たちは黒い炎が燃え残る戦場に立ち入れないでいる。それはひとえに巻き込まれることが恐ろしいから。だから、目の前の黒く焦げた土を、たった一歩。踏み出せずにいるのである。
「ふー、結構なご挨拶だ」
「ふぅん、耐えるんだ」
彼女は四天の中で最も若い。ローザ=プリムナードは15年前に四天になった。
当時のガウス軍は疲弊していたとはいえ、最年少で四天にまで成り上がったその才能を疑う者は誰もいなかった。
「あたし、ニンゲンがキライなの。だってあの方が嫌っているんだもの」
ローザはまったく同じ言葉を、あのときと全く同じ表情で言った。
「改めて対面すると化け物だな。ハル、君よく生き残れたね」
「奇跡……いや。あいつらのおかげだ……」
かつてハルはローザと対峙し、圧倒的な実力の前にただ呑まれた。
そんな彼を救ったのは、ローザのかけたわずかばかりの手心。そしてミュウだった。
「いわれたの。今度は殺してもいいって」
しかし、今度は手心は期待できない。ミュウもいない。
致命傷はそのままに致命的だ。
「くるぜ、ハル」
「……ああ」
「燃やし尽くしてあげる」
腰まである黒髪と、額からは伸びる白い触手が二本。ゆらゆらと揺れる。
口は小さくへの字に結ばれて、虚ろにも半開きにも見える目には大きく黒い瞳が浮かぶ。
妖しい魅力を孕むその目は、あらゆるものに対して関心が薄いことを見た者に悟らせる。
「いつも通り。あの方の邪魔はさせないの」
そして彼女が慕ってやまない主がかかわった時だけ、その目には淡く感情がうつり込むのだ。
「ふふっ、ふふふっ!」
その時の彼女は、とても蠱惑的な雰囲気を醸し出す。恋慕の情を向ける相手はガウスただ一人だが、コケティッシュなその姿に雌雄関わらず魅了される者も多い。
ただでさえローザは女性として完成されているといっても過言ではないほどの美しい肢体を備えている。それだけでなく、動きやすさを重視した露出度の高い大胆な黒いアーマーを身に着けているのだから、その凶悪なまでに強烈な女性的魅力に取りつかれてしまう者が後を絶たないのも無理のないことであった。
「へぇ。そう言う割に、レンとジンは簡単に通したね」
「あの方がお望みですもの」
「何……?」
しかしそれも、彼女と敵対しない者だけの話だろう。
カルキとハルに向けられた敵意が彼女の魔力と混ざり合い、二人に否応なく死を予感させる。魅力に取りつかれる余裕などあるはずもなく、二人の脳内ではいかにこの場を切り抜けるのか、それだけが凄まじい速さで巡っているのだった。
「じゃあ、燃えて。“黒蝙蝠”」
「ハルから聞いてるぜ」
ローザが開いた手の平から、黒炎がコウモリの形に変わり羽ばたく。
「下がってな、ハル!」
「…………」
魔力を凍らせるというハルの魔導にとって、超高温の現象そのものである炎は相性が悪い。
前に出たカルキが斬撃を飛ばしてそれらを撃ち落とす。斬撃はそのままローザのところまで飛んで行ったが、炎を纏った蹴りで文字通り一蹴された。
「わぁお。聞いてた以上に動けるね」
ハルも以前は魔導の相性の悪さを即座に悟り、ローザに接近戦を挑んだ。しかしローザの体術も相当なもので、既にボロボロの状態だったハルでは勝負にならなかった。
「あの炎、相当な魔力が込められてるねぇ。完全に相殺された」
魔力と魔力は基本的に抵抗しあう。だからカルキの魔力刃も同等以上の密度の魔力をぶつければ相殺は可能だ。
「むしろ呑まれて押し返されるかな」
もちろんそれを簡単にさせない切れ味をノーリスクで連射できるのがカルキの魔導の強いところではあるのだが、今回は敵が敵だ。黒い炎も言ってしまえばただの魔力で、それは逆に言えば魔力を込めた生身で受け止められるということである。
「カルキ……」
「わかってる、温存だろ」
「すぐに……手が回らなくなる」
四天共通の特徴として、広範囲を一気に制圧できる魔導を扱うことが挙げられる。ローザの場合は、周囲一帯を焼き尽くす炎の魔導だ。
一撃ずつ丁寧に切り落としていたらキリがない上、どのみち全方位からの攻撃には対処が追い付かないだろう。
「“黒鼬”、“黒揚羽”」
そして全方位攻撃をしない理由がローザにはない。
イタチとチョウが黒く染まるローザの腕から生まれては放たれる。
「あの技……! 囲まれるぞ」
「おーけいおーけい! じゃあ手足を切り落とそうか!」
カルキが姿勢を低くして、飛来する揚羽の群れをかい潜る。地表を駆ける鼬のみを斬り払って、狙うはローザ本体だ。
「くふっ!」
「離れて。“黒大蛇”」
放たれた三匹の蛇は火の勢いの強まるのと同時に膨れ上がり、カルキを一飲みにできそうなほど巨大な大蛇へと変貌した。
「おいおい、ナーガ君を思い出すじゃないか」
火山湖でハルを守るために双尾に挑んだ友が頭をよぎる。
「……カルキ……!」
「っ、ああ。走馬灯じゃないよ」
目の前に大口を開けた黒炎の大蛇。
一瞬の逡巡を経て、神速の動きでカルキが縦に両断する。
「だから、消えてくれよ」
顎を真っ二つにするだけでなく、刀身から放たれた魔力の刃が胴まで走り抜けて、大蛇を両断する。
左右から残りの大蛇が迫るが、カルキは一歩も引かずに横薙ぎに刀を振るった。
「……!」
これまでの何倍も大きな魔力刃が大蛇の首をまとめて刎ね飛ばし、さらにその向こうのローザまで届く。
わずかな動揺を見せたローザは、しかしそれでも黒炎の一振りのもとに刃をかき消す。
「今の、さっきより……」
動揺したのは、先の一撃よりも高密度の魔力の刃だったから。もし先ほどの感覚で迎え撃てば、切断とはいかずとも傷は避けられなかっただろう。大蛇を断った威力を見て即座に反応できたことが彼女を救った。
「この切れ味でも相殺かよ。うーん割と全力だったんだが」
「……傷が付いちゃうところだった……」
ローザの機嫌が最底辺にまですんと降下した。小さなへの字の口が僅かに動き、さらに鋭角的に曲がる。
それに伴い、魔力の質にも変化が起こっていた。
「あらら、向こうさんもようやく本気かよ」
「カラダも全部、隅々まで……あの方のモノなのに……」
「カルキ……! 何か……まずい……!」
「わかってるよ」
カルキが一歩、二歩と詰めていた距離を離していく。彼は相手の間合いを慎重に測ろうとしていた。
「“黒魚”」
「っ、おあ!?」
黒炎の魚が群れとなり、猛烈なスピードでカルキを襲った。
カルキも反応すると同時に、魔力の刃を乱射する。あれに呑まれてしまえば一巻の終わりであるという確信があった。
それでも、全身を黒炎に包まれるような事態は回避した。高熱で揺らめく大地の上で、カルキは袖に燻る小さな炎を払い落とす。
「う、少し燃え移った」
「“黒百足”」
黒百足。ローザがそう唱えた瞬間、カルキの袖の炎が真っ黒に染まった。
「なっ!?」
炎は大きなムカデになってカルキの手に咬みつく。反射的に手に纏わせる魔力を増やし、結果としてカルキが刀を握れなくなるほどの怪我にはならなかったが、炎が一瞬で黒く染まり文字通りの牙を剥いてきたこの光景は彼の度肝を抜くには十分だった。
「ハル、今ただの火が黒炎に変化したように見えた!」
「火なら……自在ということか……!」
「だが、黒炎にしてから操った。火は黒くできるだけだろう。能力はあくまで黒炎が中心だ」
カルキが予想した「黒炎」の性質はものの見事に的中していた。
四天・ローザ=プリムナード。黒炎を自在に形を変えて武器にする幻惑の魔導士。
彼女が操る黒炎は変幻自在で、熱い。つまり彼女の意思が作用する「魔力」としての性質と、それ自体が熱を発する「火」としての性質を併せ持っている。そのため、純魔力の刃は炎で相殺できるし、黒炎が触れた袖には火が燃え移ったのである。
「……“黒鼬”」
しかし、彼女の真骨頂は黒炎にはない。
彼女が何ゆえに陽炎の異名を持つのか。それは彼女がテリトリー内の“熱”そのものを操るからである。
黒炎は魔力で再現した偽りの炎であるとともに、実際に熱を持った燃焼現象でもある。この炎が領域内の空気を熱し、また同時に魔力の道となって空間内に魔力を充満させる。そしてローザの魔力はその熱を伝播することで遠隔で黒炎を発生させるのだ。
「すばしこくて、鬱陶しいな!」
「爆ぜて」
「っ、ここで爆発!?」
真っ二つになった鼬たちの残骸が爆発したのは、ローザが斬られた黒炎にさらなる魔力を注ぎ込んで暴発させたからだ。
「まずい、熱風……が!」
「“黒百足”」
「ぐ、おああっ!」
熱風を浴びたカルキの衣から黒炎が上がったのは、ローザが自然発生した燃焼現象に作用して黒炎へと変えたから。
そしてその黒炎が百足を象ったのも、ローザが黒炎を操作したからだ。
「あ……っぶね! どうなってんだ!?」
「暑い……! 熱か……!」
「確かに、暑くなるにつれなんでもありになってきたな! なるほどな、だから陽炎!」
この真骨頂の全てを把握したわけではない。解釈には仮説も多分に含まれている。
だが、この予想もおおよそ真相に合致していた。
陽炎。それは彼女の戦った後にはあらゆるものが灰燼と化し、骨一本残るものはなく、立ち上る熱気で揺れる「黒い地獄」からつけられた二つ名であった。
「はは、目が霞んできやがった」
「相性を気にする余裕は、ない。俺も、前に……」
「ああ、短期決戦だ」
ハルは迂闊だった自分を省みる。
グリムトートーは時間が経つほどに空間に魔力を浸透させ、氷獄を完成させた。四天がそれぞれ広範囲を制圧する能力の持ち主だということも考えれば、ローザもまた、戦いが長引くほどその実力を発揮できるタイプだということを確信できたかもしれないのだ。
「ハルの所為じゃあないよ。いやはや、このクラスは想像力も及ばないね」
「……ああ」
「素直に喜ぶべきだよね。想像を超えた敵が殺そうとしてくるんだ」
慰めもそこそこにカルキが飛び出す。
「くくく、可愛い顔してとんだ化け物だよ」
「笑ってる……気持ち悪い」
皮膚の表面がチリとヒリつく。
そこはカルキの間合いであるとともに、ローザの間合いでもあるからだ。
その死地でこそ、壮絶にカルキは笑う。
「ふははっ! そりゃどーもっ」
黒炎の鞭がカルキの肩を掠める。それは紛れもない生命の危機。命に届きうる攻撃。
だからカルキは歓喜する。
「最高だよ! あっはは!」
歓喜と恐怖の入り混じった震えがゾクゾクと全身を突き抜ける。
命を死地に曝すことでしか感じられない“生”の実感。今自分が生きているんだという事実を、死と隣り合わせることでしか認識できない生命の落伍者はこう呼んでいる。
「ああ、生の時間だ!」




