氷獄のグリムトートー 4
グリムトートーの部下、モーガン。彼もペアーと同じくサポートに特化した能力を持ち、そして同じく肉体を鍛え上げている。戦力で考えれば平均的な兵隊たちの百人分に匹敵する実力。
(グリムトートーさん、いま助けます!)
敵が増えた。ダークエルフと人間の娘だ。人間はともかく、あのダークエルフから感じられる魔力が極めて危険なものであることは疑う余地もなかった。
それも当然だろう。今のミュウは四天にも通用しうるほどの破格の力を手に入れた。この幼い少女ひとりが千人の群を凌ぐ個だ。
だからモーガンの仕事は、ミュウを止めることだった。
このままグリムトートーが一人で戦っても恐らく勝つだろう。だが負ける可能性もあるかもしれない。それを潰すために。
「ペアー、お前に敬意を払う。私も命を懸けよう」
「ミュウちゃん! 新手!」
「っは!」
マオのバリアがミュウとモーガンを隔てる。
「まずいです、援護ができない!」
「くぅ、近接型は相性悪いわね……!」
ミュウの攻撃が途絶えて、氷獄は再びその勢いを増し始める。
かといって襲い掛かるモーガンをマオに任せてソリューニャたちの援護などできそうにない以上、どうしてもまずはモーガンを倒すことが先決になる。
「迷い。なるほど、経験豊富というわけではなさそうだ」
はじめからモーガンの目的がミュウの攻撃を引き付けることだったのだから、この状況になった時点でミュウたちは負けている。
「命も捧げる覚悟だったが……勝機はあるな」
「駄目です、撃てない……!」
ミュウが最速の矢をつがえてモーガンを狙うが、モーガンは射線から逃れるようにして動き、的を絞らせない。
対するミュウはもとより精確な狙いを付けられるわけではないため、矢を放つことすらためらう。安全圏から巨大な氷獄のどこにでも撃ち込めばよかった先ほどとは異なり、いまは動く的に狙いをつけてなるべく早く一発で決めなければならない。
「こうしている間にも……!」
「ミュウちゃん!」
ソリューニャたちはもういつ死んでしまってもおかしくはない。
その焦り、氷獄に意識を取られた一瞬を見逃さなかったモーガンは、一呼吸の間にミュウに急接近した。
「ふん! かかったな!」
「ああっ!?」
「ミュウちゃん!」
「貴様の魔は一度見たぞ!」
マオのバリアが展開する。
しかしそれはモーガンが張らせたものであり、初めから二撃目を本命と狙っていたモーガンはするりとバリアをかわしてミュウの背後を取った。
「ぬうん!」
「うああっ!」
「ミュウちゃん!」
それでもさすがは防御専門の魔導士マオだった。一瞬でモーガンの攻撃を読み、ミュウの急所を守るようにバリアを展開しようとした。
だが間に合わない。脆弱なバリアは幾分か攻撃の威力を殺したが、モーガンの蹴りは容赦なくミュウの後頭部を打ち付けた。
「っ!?」
モーガンの上腕部から血が噴き出す。
ミュウはやられる寸前、カウンター気味に矢を放っていたのだった。しかし頭に強い衝撃を受けて気を失ってしまっている。
「ぐ、だがかすり傷だな。安い!」
「ミュウちゃん! 起きて!」
「無駄だ……っ!?」
モーガンが飛び退く。
直後、刀が一本そこに突き刺さった。
「新手……! エリオールさえ敗れたというのか!」
「お前、許さねぇよ」
「ミツキ!!」
ミツキはベルと二人、肩を預け合うようにしてふらふらと近づいてくる。
「遅いのよ、ばかぁ……!」
「ごめん」
マオはミツキの凄まじい強さを理解し信頼する一人だ。どんなにボロボロの姿であれ、彼が来たことが泣きそうなほど嬉しかった。
「だが、すでに虫の息!」
「黙れ。ミュウちゃんに手を出したことを死んで詫びろ」
千本刀。
もはや刀を一振りする力すら残されていないミツキだったが、魔力は少し残っている。
「死ぬのは私ではない!」
勝負はほんの数秒で決まった。
モーガン。降る刀を掻い潜ってミツキの懐に迫る。
ミツキ。それでもただ刀を召喚し続ける。
マオ。ミツキの前にバリアを張る。
モーガン。想定通りとばかりに右から迂回しようとする。
マオ。先ほど見た敵の動きに早くも順応し、さらにモーガンの行く手を阻む。
ミツキ。全ての魔力を使い、刀を大量に召喚する。
モーガン。マオの順応にも即座に反応し、今度は左から狙う。
マオ。すでに左も塞いでいる。
「く……!」
モーガン。飛び退いたが背中に衝撃を受ける。
マオ。四方を囲む壁で敵を封じている。
ミツキ。逃げ場を失った敵に向けて刀を降らせる。
モーガン。串刺し、絶命。
「う、う……ひっ!?」
「ミュウちゃん! よかった……!」
ミュウが僅かな間の気絶から目覚めて、無残な敵の姿に怯えた。夥しい量の鮮血は彼女にとって恐ろしくショッキングな光景だ。
「っ、まだ、やらなきゃ……!」
「頭を強く打ってるの! 無理しちゃダメよ!」
「最後の魔力が、まだ……!」
氷獄の中ではまだ辛うじてソリューニャとハルが立って戦っている。
できることがあと一つだけ残っていたから、ミュウはまだ眠るわけにはいかない。
「千星・流星群……!」
緑の矢がミュウの手の中に生まれる。
最後の魔力。最後の矢。
「手伝わせてくれ」
「私も!」
「おれも支えるよ」
「……ありがとなのです!」
ベルがミュウを抱き起した。
ミツキとマオが震えるミュウの手に自分の手を重ねる。
「届いて!」
緑の矢は放たれた。
しかし再び気を失ったミュウたちは、その一矢がもたらす結末を見ることはなかった。
「モーガン、助かるぜぇ」
ミュウの攻撃が止まった。グリムトートーには敵を引き付けるモーガンを確認する余裕があった。
「くそ、ぉっ!」
「…………!」
対して、ソリューニャとハルにはその余裕はなかった。
弱まっていた冷気や吹雪が再び強くなり始めている。相変わらず一秒も同じところに立っていられないし、失われすぎた体温は彼女たちの動きを著しく悪化させる。
「お前を! 許さない!」
「そりゃオレの言葉だなぁ、オレの言葉だよなぁ!?」
ソリューニャは追い詰められて無駄に足掻くことを醜いと言ったグリムトートーが許せない。
グリムトートーは自身の価値観を否定されたことが許せない。
どちらも己の記憶に、誇りに、凄惨なトラウマに、歪なアイデンティティに。それらを土足で踏み荒らす相手の言葉が許せない。
「消えろォ!」
「おおおおおっ!」
ソリューニャの一撃が巨大な氷柱を粉砕する。
ハルも次々と盾や剣を使い捨てながら氷柱を凌ぎ、吹雪から身を守る。
「はぁ……っ!」
吐く息は一瞬で凍る。
吸う空気は激しい痛みを肺に与える。
「尾撃!」
赤の太刀がグリムトートーまでの道を作る。
「この世には醜いものがごまんとある! 見るに堪えねぇ! 許せねぇ!」
「お前の信念なんかしらない! だが、許せない!」
ソリューニャは自らその道に突っ込む。
雹霰に怯むこともなく、行く手を阻むように生える氷柱をまとめて薙ぎ払い、あと一歩のところまで迫る。
「死者を醜いと言うお前が! 一番醜い!!」
「オレは勝者だぁ! 未練を残して! 命を手放し! 朽ちていく敗者こそ醜い塵だ!」
「黙れぇ!」
グリムトートーを守る最後の壁、ドーム状の氷。ソリューニャはそれを叩き壊す。
しかしすぐにそれは再生する。
「それが醜く見えるならっ!」
「っちぃ!」
「それはお前の心が醜いからだ!」
再生しきる前に、ソリューニャは武器を片方投擲した。
カトラスはドームに突き刺さる。
「っ」
「ヴァァァァァ!」
苦しげに歪みきった顔のグリムトートーが慟哭する。
ソリューニャは吹雪に巻かれ、白く凍った。
自身よりも醜いものがあり、それを淘汰する。
そうやって自我を保ってきたグリムトートーは、しかしそれしか自我を保つ術を持っていない。
絶対の価値観。それが死にたい過去を小さく押し留めておく鍵で、記憶の蓋で、ともすれば発狂しそうな苦しみから彼を救う薬だった。
「何度でも言ってやる!」
氷の殻を打ち破って、ソリューニャが飛び出す。
そしてドームに突き立つその杭に向かって、ソリューニャはカトラスを叩きつけた。
「お前は! 醜い!」
「黙れェェーーーー!」
ドームを突き破ったカトラスがグリムトートーの腹部に刺さる。
瞬間、緑の輝きが降り注いだ。
「アタシは生きるぞ! 笑われても、みっともなくても!」
「ごはぁ……!?」
「はああああああああっ!」
吹き飛ばされたグリムトートーが緑の流星群に呑まれた。
それは走馬灯か。
まじない師と旅をしていたグリムトートーが初めてガウスと相まみえたときの光景。
「老婆。その子供はなんだ」
「へ、へ。あああなたさまに相応しい、相応しい力でございます」
多くの修羅場をくぐってきたとはとても言えないが、それでもわかった。
ガウス=スペルギア。圧倒的だ。
覚醒したグリムトートーですらそのオーラに呑まれた。
「ふむ、醜いな」
醜い。
それはトラウマを刺激する禁句である。
「なんだと……」
反射的にグリムトートーが、使い方を覚えつつあった自身の力を開放する。気温が下がり、霜が降りる。
「ほぅ」
刹那、その冷気も氷もすべて吹き飛ばされていた。空間に充満したグリムトートーの魔力さえ一瞬で消し飛び、代わりにガウスのそれが空間を侵す。
「美しいな」
「……!」
舞い上がった小さな透明の粒が日光を乱反射し、魔力となって還ってゆく。
醜いと言った。美しいと言った。彼は事実を、当然のこととして言っただけだった。
(この人は、なにか違う!)
記憶の中の敵たちは“醜い”を傷つけるための棘として、あるいは自尊を守るための盾として使っていた。
「不服だったか? 醜いと言われることは」
「あなたのは、嫌じゃない……」
「クハハ……!」
ガウスは満足そうに笑った。
「覚えておけ、小童。誇りなき言葉や行動は須らく醜いものである」
“醜い”。この言葉がグリムトートーの精神に多大な影響を与えていたことをガウスは見抜いていた。
「おきおき、お気に召されましたかな?」
「ああ、悪くない」
「ありがたき幸せでございますぅ……」
まじない師は平伏した。
あとで知ったことだが、このまじない師はかつてガウスの下で尽くしていたようだった。老いて一線を退いた彼女は、故郷に帰りひっそりと余生を過ごすことを望んだ。
しかしある日、両親に連れられて訪ねてきた子供に出会った。そしてこの子供は虐げられ、強い感情に蓋をして生きていることを見抜く。
まじない師は歪んだ精神にこそ強く珍しい力が宿っているものだという理説を思い出した。歪んでいるが、その感情の発露はきっと爆発的だろう。
思わず種を蒔いた。
『この子は将来、恐ろしいことをしでかすね。人殺しかもっと恐ろしいことだ』
両親に対して恐怖を煽った。そして呪われた子供の噂を村に流布して、グリムトートーがよりよく苦しめる状況を作り出した。
『アンタは素晴らしい才能を秘めてるよ。もしもそれに気付いたときはね、アタシを尋ねておいでなさい』
歪み、呪って、そうやって煮詰まった精神はやがて爆発するだろう。才能が覚醒するかどうかはわからないが、もしそうなったときに自然と尋ねてくるように、被虐者のグリムにはそう言葉をかけた。
老婆は畑を耕すようにグリムトートーを苦しませ、実った作物を収穫するように彼を受け入れた。
すべてはガウス様のために。彼女の余生はグリムトートーを届けるためにこそ使われた。
「来い、小童。我に仕えるがよい」
「おばあさんは?」
「儂はなぁ、死に場所を探す、よ。ここ、こここでお別れだ」
「……さよなら」
「あい、あい。さようなら、グリムトートー」
まじない師の仕事はここまでだ。
グリムトートーは引き止めなかった。
「小童、何か望みはあるか?」
「ん……もう一回言ってほしい……です」
グリムトートーは雪を降らせた。
「美しい魔法だ」
「ありがとう、ございます」
「オレは!」
「っ、この……!」
意識を取り戻したグリムトートーが身一つでソリューニャに突進する。
(速い!)
否、ソリューニャが遅くなっているのだ。
「オレは醜い!」
「みんなで生きて帰るんだ!!」
「醜くねぇぇ!!」
ソリューニャは最後の力をすべて拳に込めて、放つ。
グリムトートーはそれを片手で簡単に受け止めた。
拳が先から凍っていく。
「う、ぐああ!」
「誇りがある、ん、だァっ!?」
「……!」
飛び出してきたハルがグリムトートーの腕を切り落とした。
ソリューニャの氷結は肘までで止まる。
「ガウス様ぁぁ! オレはぁ!」
「うぐ……!」
吹き出す鮮血が赤い氷柱となってハルを貫いた。
吐血するハル。しかし彼はなんとか意識を保たせる。
「……っ……!!」
「アナタを……」
「氷廻」
グリムトートーの背中に氷の大手裏剣が突き刺さった。グリムトートーは白目を剥いて盛大に血を吹く。
だが、まだだ。グリムトートーは終わっていない。
「オ……ア……!」
「……氷丸」
グリムトートーの心臓が弾けて、そこに真っ赤なヒガンバナは咲いた。
「ガウス……さま……」
「……が……」
「…………」
空は静かに白み始めていた。
「…………」
氷獄が消滅し、熱いほどの空気が流れ込んでくる。
ハルはすべての力を使い果たして膝をついた。目だけを動かして、戦場跡を見る。
ソリューニャ、ミュウ、マオ、ミツキ、ベル。誰もが傷だらけで倒れている。死んでいるのか、生きているのか、確かめる余力はもうハルにはない。
「カル……キ……」
相棒の名を呟きながら、ハルもまた倒れ伏した。再び目をあけることがあるのか、このまま野垂れ死ぬのか。
それを決める力はもう彼らに残ってはいない。
そして戦場は音を失う。
星が隠れ、月も還り、朝日が差しても、彼らはただそこに倒れていた。
グリムトートーの死に顔は穏やかだった。
それは最後まで敬愛する主のために戦うことができたからか。あるいは死してなお自身の信念を貫くためか。
四天、氷獄のグリムトートー。最強の守護者の一角はこうして崩れ落ちたのであった。




