氷獄のグリムトートー 3
グリムトートーは絶命したペアーを魔力で包むと、彼の遺体を真っ白に凍らせた。
「寂しいなぁ、寂しいよなぁ。オレに尽くしてくれるいい奴だったなぁ……」
遺体の水分は氷の粒となって消え、乾燥した遺体は崩れて銀の粉となり散っていく。
美しいものが好きなグリムトートーの、最大限の弔い方だった。
「マロンには笑って逝ったって伝えてやんなきゃあなぁ」
生にしがみついたまま死ぬことはこの世で最も醜いことの一つだ。グリムトートーのその信念を知るペアーは安らかな微笑みを浮かべて死んだ。
彼は死んでなおその忠誠が本物であると証明したのだ。
それがどれだけ嬉しかっただろうか。
「翼切!」
「うるせぇなぁ……」
赤い魔力の波動を、せりあがる氷塊が受け止める。
ソリューニャとハルはしっかりと理解できている。四天とは、本来は真っ向から戦っても勝てない相手なのだと。
先の一撃もソリューニャが命を捨てる覚悟で飛び込んだ危険な賭けの、その報酬に過ぎない。命を懸けてようやく一撃。これが実力の差だった。
「ハル! 遠距離で削る!」
「……ああ」
消耗したソリューニャはグリムトートーからは逃げられない。
だが、片足でも痛めたグリムトートーからならば、どうだろうか。
(なんでもいい! とにかく脚を殺す!)
狙いはとにかく脚。
グリムトートーの脚を削って、そして逃げ切る。それが唯一未来につながる道筋だった。
「うるせぇんだよなぁ」
グリムトートーがギロリとソリューニャを睨む。
瞬間、それまで希望が見えて高揚していたソリューニャの胸が底から冷えた。
「うっ!?」
見落としていた。
“脚を削ればいい”
それはグリムトートーにとっても同じだということに。
「あ、うああああ!?」
痛みは後から来た。
地面を突き破って生えた氷柱がソリューニャの足を貫いていた。
「ソリューニャ!」
「うぐ、ああーっ!」
「バカな……!?」
痛みをあまり感じないのも、流血が少ないのも、体温が冷え切っているからだ。それは幸いでもなんでもない。もしも足の感覚が万全に生きていたとしたら、ここまで深く攻撃を受けずに済んだだろうからだ。
これでソリューニャは逃げるという選択肢を完全に失った。
「オレが言ったかぁ? 言ってねぇよなぁ?」
「ぐあああっ……!」
「霜が降りてない? だからここは安全だって? ナァ?」
ところで、空間を広く掌握するグリムトートーの力は実はこの土地とすこぶる相性が悪い。
ニエ・バ・シェロは聖域。聖域とは魔力が自然発生する地。そして魔力とは他の魔力に馴染むことはなく、抵抗する性質がある。
「逃げられると本気で思ったのかぁ!?」
「く……そっ……! やられた……!」
「テメェらはすでにオレの氷獄に囚われているんだよォ!!」
ようやく空間に魔力が充満したのだ。地中にある聖域の魔力すら押しのけて自身の魔力を浸透させたのだ。
(かなり無茶に引き抜いたのに痛みがほとんどない! だがそれが怖い!)
雪が降ってきた。
グリムトートーの魔力が目に見える結晶となって漂っているのだ。
「醜いツラ下げて逃げまどえ!」
「く、くるぞっ!」
「最期の瞬間すら醜く飾れ!」
足元から大量の氷柱が生えてきた。頭上から雹霰が降ってきた。隣の木からも枝のように氷柱が伸びる。
「うぐううっ!」
「……っ!」
ソリューニャは竜の鱗で、ハルは剣と盾を作って、それぞれ身を守る。
二人は耐えた。その十秒は十倍の長さにも錯覚するほどだった。
「まだだぁ」
「うああああああ!」
「ぐ……お……!」
無慈悲に第二波。
拳骨大もある雹霰は一発でも頭に受ければ致命傷。地面や木などの面はすべて鋭利な氷柱を生やす土台。そこにさらに空間全域を吹雪が渦巻く。
上も下も、前も後ろも、右も左も。全方位から放たれる悪意。殺気。
これが真の“氷獄”。目に映るすべてが。環境全てが敵、敵、敵。
「うぐっ!?」
吹雪の直撃を受けたソリューニャが真っ白に凍る。
直後、その氷を脱皮するように突き破って脱出する。しかし今度は裏をかくどころか、わずかでも事態は好転していない。またも偶然命を拾っただけだ。
(使ってしまった! あと一回!)
着地、瞬間、跳躍。足は痺れ、もはやどう動かせばいいのかすらわからないほど感覚はない。いつ足がもつれてもおかしくはないし、それはいつ死んでもおかしくないということと同義だ。
着地地点から生えた氷柱を薙ぎ払い、上空に生成されつつあった巨大な氷塊には翼切を撃ってそれを砕く。
(どうすっ、痛、次っ、敵はっ!)
息をつく間もない全方位攻撃。体感ではもう丸一日も耐えているような、それほどの集中力でもってなんとか命を引き留める。
(敵、は、ぁっ!?)
なんとか視界の端に捉えたグリムトートーは氷獄の中心にて集中力を高め、空間全てを操っているようだった。
だが、遠い。そこに到達するまでに二度は死ねる。
(くそ、くそ!)
ソリューニャが契約した竜、炎赫にはとうの昔に縋っている。しかしガウスの雷撃を受けて帰った時からただの一度も応答はない。
二次魔力も使えない。だからソリューニャが使える強力な遠距離攻撃である竜の息吹も使えない。
(何か、何かっ! 誰かっ!)
助けてくれ。その願いは通じたか。
「紅焔の裂矢!!」
「アァ……?」
赤い矢がグリムトートーを守る氷の壁に刺さり、それを爆散させた。
グリムトートーが小さく呻く。
「グ……!?」
「ソリューニャさん!」
「……!」
その小さく頼れる仲間の名前を呼ぶこともままならなかったが、それでもソリューニャの折れかけた心はそれだけで堪えられた。
(ミュウ!!)
緑の魔力を身に纏い、見慣れない弓を構えるその少女は間違いなくミュウだった。はぐれていた少しの間に急激な成長を遂げたのだろう、その姿からは得も言われぬ自信が伺えた。
「おいおい、しくじったのかぁ? あいつら」
グリムトートーが鬱陶しそうにミュウを睨む。
ミュウは内心とても怯えながら、次の矢をつがえた。
「ヘスティアさんがいないから狙いは定まらないのですけど……!」
「氷獄の外から……邪魔だなぁ!」
「っ!」
矢を消して、聖盾セレスを操る。
先ほどのウィルズとの決戦でヘスティアの時間は目いっぱい使ってしまったため、今は彼女はいない。だから半分は彼女が行っていたセレスの操作や狙いを合わせる動作はすべてミュウがやらなければならないのだ。
ミュウだけだと魔導を矢にしながらセレスを操れるほどのレベルにはまだ達していない。
「ただ者じゃないなぁ、ただ者じゃあないよなぁ? その魔力は、お前よぉ」
「も、もう一度最初からなのです……!」
ミュウは最も素早くイメージができる黄色い矢をつがえた。
「速撃の飛矢!」
「テメェも醜く凍れ!」
途中で十本に分かれた最速の矢は、しかし吹き荒れる吹雪の魔力にかき消されてしまった。
吹雪はミュウを飲み込んだかに見えたが、しかしミュウは吹雪が過ぎた後もそこに立っていた。
「マオさん、助かったのです!」
「気にせず撃って、ミュウちゃん! あいつの領域の外から攻撃できるのはミュウちゃんしかいないの!」
「はいなのですっ!」
戦力として頼られている。その事実がさらにミュウを奮起させる。
(ミュウ、マオ! みんな勝ったんだ!)
ミュウの介入は、二つの効果をもたらした。
まずミュウが矢を撃ち込むということは、グリムトートーの魔力領域にミュウの魔力が流れ込むということだ。それは一時的なものとはいえ、たしかにグリムトートーの魔力を幾分か退けることになる。
「紅焔の裂矢!」
「ちぃ、鬱陶しい! けどよぉ、氷獄はそれぐらいで揺るぎやしねぇぞぉ!」
「まだまだっ、魔力尽きるまで! 紅焔の裂矢!」
そして二つ目。
覚醒したミュウの魔力は、いくら四天でもまったく無視できるようなシロモノではない。氷獄の操作に注がれていたグリムトートーの意識は新たな敵にも割かれることになった。
それはつまり、苛烈な攻撃の中で逃げ惑うしかできなかった二人に余裕が生まれるということだ。
「…………っ」
「うぜぇなぁ、うぜぇよなぁ!」
ハルがグリムトートーに斬りかかった。
せりあがった氷塊がそれを弾く。
「ハルっ! 畳みかける!」
ソリューニャの力任せの一振りが削れた氷塊を粉々に粉砕する。
いつの間にか吹き荒れる冷気がなくなり、かなり動きやすくなっていた。
(ここしかない!)
氷柱がグリムトートーを守る砦のように生える。
「尾撃!」
「……よし」
両腕に持ったカトラスを上段から振り下ろす。竜の尾を叩きつけられたように、氷柱が吹き飛び道ができる。
その道の上をハルが弾丸のように突っ込んでいき、グリムトートーに斬りかかる。
「竜人よぉ! 無念の死は醜いぜぇ!?」
「また……!」
ドーム状に氷が張り、ハルの斬撃を受け止める。
ハルは即座に飛び退き、再生した氷柱から逃れる。直後、赤熱の矢がドームを爆破し、熱風を吹き荒らす。
「弱者や敗者が死ぬ間際までもがくのは、とびきり醜い!」
熱風がわずかにソリューニャとハルを癒す。
しかし白煙が晴れたそこには未だ健在な氷の砦。壊してもすぐに再生してしまうのだ。生半可な攻撃は一切が無駄に終わる。
「許せねぇなァ! 許せねぇよなァ!!」
奪われた体温はつまり、活動時間だ。ハルもソリューニャも全身が震え、手足の感覚はほとんど麻痺し、脳をガンガンと殴られているような耳鳴りは生命の危機を知らせるサイレンのようだ。
「醜くくたばるくせにそれを棚に上げて! オレを嘲る奴らも! 歯向かう奴らも!」
勝つにせよ、死ぬにせよ。グリムトートーとの決着は否応なく近づく。
「ハル! あと何回いける!?」
「……さてな」
「とうに限界は超えてるってかっ! ……アタシもさ!」
強固な防御を超えてグリムトートーを倒すか、氷獄の前に力尽きるか。
氷獄のグリムトートーとの戦いは最終局面を迎える。




