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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編2 味方と敵
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氷獄のグリムトートー 2

 


 過酷な迫害を受けるグリムトートーだったが、彼の両親も精神をすり減らしていた。

 村一番の美男美女ということで囃され、子どもは間違いなく美しいと期待されていただけに、現実との落差は大きかったのだ。


「あなたの中身に穢れがあったからあんな子が生まれたのよ!」

「なんだと! おまえこそ違う男のものを宿していたんじゃないのか!?」

「いやっ! ひどいわ!」


 夜な夜な繰り返される夫婦喧嘩は、村の密かな名物となりつつあった。

 だがもはや二人には外聞を気にするほどの余裕はなかった。子どもが聞いているから止そう、などということを言いだすこともなくなった。


「やめてよ、パパ! ママ!」

「ああっ、起こしてしまったのね! ごめんなさい!」

「ケンカしないで……」

「ああ、ぼくが悪かったっ。仲直りをしようか、ママ」

「そうね、ママも悪かったわ……」


 兄はいつからか自分が愛される美しさを持っていることを自覚し、それを効果的に使うようになっていた。彼は自分が媚びた声で泣き付けば両親の煩わしいケンカが止むことを学んでいたし、そうすることでもっと両親からの愛を受けられることを知っていたし、そしてそれら全てがわざと開け放しにした扉の影から団欒を覗くグリムトートーに対しての攻撃になることを狙っていたのであった。


「…………」


 兄は決してグリムトートーを汚く詰らなかった。それどころかある時期から彼に優しい態度をとるようにすらなった。当然、自分の品格を貶めないためだ。

 しかし弱い弟を迫害することで得られる優越感、その無邪気な快楽の虜にもなっていた。だからこうやって両親に甘える姿を見せつけたり、決して直接手を下さない方法で弟を嬲ることをやめられないでいたのである。


 一方で精神の限界を迎えた両親は、ついに直接グリムトートーをいじめるようになった。


「お前さえいなければ……お前さえ生まれなければ……!」

「うぐぅぅ……!」


 首を絞められて苦しそうに呻くグリムトートーを、父はゴミを見るような目で見ていた。


「どうしてお前は醜いの!? 醜い、汚らわしいっ!」


 もはや慣れっこだとでも言うように泣きもせず耐えるグリムトートーに、母は一層激しく罵声を浴びせていた。


(苦しいな……)


 ふと、美しさについて考えた。そして気づいた。気づいてしまった。

 美しいと評判の両親の顔が、グリムトートーにはとても醜く見えるのだ。


「醜い」「醜い」「醜い」

「醜い」「醜い」「醜い」

「醜い」「醜い」「醜い」

「醜い」「醜い」「醜い」


 幾度となく言われ、コンプレックスとして深く深く心に刷り込まれたその言葉の意味を考えたことはなかった。


(醜いってなんだろう?)


 自分の姿か、存在か。


「醜い!」


 違った。本当に醜いのは“醜いと罵る者の表情”だった。


 侮蔑軽蔑、差別中傷冒涜。嘲笑、嘲笑。

 ゾワリとおぞけが立った。自分はこれまで何度もその醜さに晒され、そして今も醜い者に首を絞められているのだ。


「醜い!」

「く……ぃ……」

「は? 何?」

「醜いよ、お前ら」


 それはまさに覚醒だった。

 保有魔力や魔道の知識が多種族よりも優れているといわれるエルフ族。その中でも一際強い輝きを放つ、別格の才能がグリムトートーにはあった。

 魔法で魔力を生成することもできなかったグリムトートーは、精神の覚醒とともにその才能までもを一気に覚醒させたのである。


 一瞬で、両親は物言わぬ氷像に成った。

 両親は最も醜い瞬間の顔で固まった。それはつまりその醜さが人生最後の顔という最高の皮肉で、そしてその醜さの頂点が長く残り続けるということだった。グリムトートーの心は穏やかに満たされていた。


「お前、なんだよ! パパとママはどうしたんだ!」

「あぁ……お兄ちゃん」

「うわっ、来るな! バケモノ!」


 近くにいた兄はふと目を離した瞬間に両親が絶命していたのを見て、混乱していた。ただそれを醜い弟がやったのだということは分かった。


「なぁ、兄ちゃん」

「ひぃぃ! 来るなよぉ! あやっ、謝るからっ!」

「…………」

「ごっ、ごめんよ! ごめん! だから、な!?」


 腰が抜けて床にへばりつき、粗相もして、ナメクジのように後ずさりながら兄は必死に命乞いをした。

 それを見たとき。グリムトートーはもう一つ、この世で最も醜いものを知った。


「死にたくない……?」

「……!」


 ニタリと笑って見下ろしてくるグリムトートーに、兄はただこくこくと頷くばかりだった。


「それはとっても醜いね、お兄ちゃん」


 恐怖に歪み、涙も鼻水も垂れ流し、僅かばかりの希望に縋ろうとする浅ましい笑顔。

 兄もまた、最も醜い瞬間の顔のまま死んだ。


「……あー」


 グリムトートーは生まれて初めての満ち足りた気持ちで、高揚する幸福の精神に溺れた。


 このとき、グリムトートーの精神は完全に壊れていた。トラウマになった無数の“醜い”と、正気を保たせるためにたどり着いた“真理”と。それらが正しく被虐者だったグリムトートーの精神をおぞましく歪めていた。


 それでもグリムトートーはまだ子供だ。生き方を知らない彼は行き場を求めてまじない師の家の戸を叩いた。


「おばあさん、来たよ」

「随分と、と、遅かったねぇ。待ち、待ちくたびれれたところだよぉ」


 あのときよりも老いたまじない師は、痙攣する舌でグリムトートーを歓迎する言葉を吐いた。焦点が合っていない右目は上を向いていたし歯もかなり抜け落ちていたが、足腰はしっかりしているようだったし、自然と惹きつけられるようなオーラは健在だった。


「さささ、出かける、よ」

「ぼくを醜いって言う奴。死にたくないって言う奴。それが一番醜いってわかったんだ」

「そうかい、そうかい」

「おばあさんもそいつらと同じ?」

「いいや、違う。違う、ね。儂はおお、お前を待って、ずっと、いたんだよ」


 まじない師はグリムトートーが尋ねたその日のうちに、彼を連れて村を去った。

 氷漬けの村を、去った。


 その日から“忌み子グリム”と呼ばれることはなくなった。

 幼い日の、苦痛にまみれた記憶はここで一つの区切りを迎えたのだった。






「……あぁ?」


 グリムトートーは、氷漬けのソリューニャの目が動いた気がして首を傾げた。


「そんなわけがないなぁ、ないよなぁ」


 体表が凍るということは、体温も零になったということだ。一度冷え切った体が自力で発熱することはできないし、そもそも凍った時点で死んでいる。


「今までそれで生きてた奴はいないんだからなぁ」


 それを錯覚と片付けようとした瞬間だった。


尾撃オノフリッッ!!」

「な、がはぁ!?」


 氷が砕け散る。

 怒りに爛々と眼を光らせた竜人は至近距離の悪魔に向けて、“止めていた”技を放った。

 まるで竜の尾を叩きつけるかのような強烈な一撃がグリムトートーを吹っ飛ばす。


「てめぇぇ!」

竜式たつの二刀流にとうりゅう……」


 ソリューニャは両腕のカトラスを一点に向けて構え、魔力を高める。赤い竜の鱗が彼女とカトラスを覆う。

 それは一点に両腕の攻撃を集中させ、岩にさえまるで竜の太い牙に貫かれたような穴を開ける大技。


「くたばれぇ!」

牙穴カミツキ!!」


 赤い魔力の刺突が視界を埋めるほどの大吹雪に穴をあけて、その向こうのグリムトートーをさらに後ずさらせた。

 ソリューニャのいる場所から強烈な冷気が消える。氷獄の外に出たのだ。


「押し負けたっ! こいつ、急に力を増しやがったなぁ! 増しやがったよなぁ!?」

「生きようと必死になることが! そのためにもがき苦しむことが!」

「けっ、怒りで魔力の質が上がっていやがるのか!」

「醜いわけがないんだ!!」


 ソリューニャには、それを嗤うことが許せない。

 彼女の同胞たちは生きたくて、もがいて、喪って、泣いて、しかし最期まで足掻いて、それでも届かずに散ったに違いないのだ。その無念を背負って復讐を誓ったソリューニャは、死者の死後すら醜いと嘲るグリムトートーがどうしても許せなかった。


「お前は一体何人殺して! 何人の死を笑ってきたんだ!」

「これくらいでいい気になるなよなぁ!」


 その時、三つの物体が木々の合間を縫って飛来した。


「“氷廻(ヒマワリ)”!」


 四方に噴き出した魔力が無数の刃となり、大輪の向日葵のような形状となる。

 それは氷でできた美しい花であるとともに、殺傷力の高い大手裏剣として隙を見せたグリムトートーを死角から襲う。


「グリムトートーさん!」

「あぁ!?」


 ペアーが主を突き飛ばしてみがわりになっていなければ、あるいはグリムトートーでも無事でなかったかもしれない。


「うぐ、あ!」


 ペアーは魔導こそサポートに特化しているが、魔術を含む体術では一般の兵のそれを遥かに凌駕する。ナイフと拳で二つまで叩き落とし、手が回らなかった三つめも脚に受けたが、致命的なダメージだけは回避した。

 だが今回ばかりはハルの方が上手だった。


「“凍原(イバラ)”!」

「ぐおああああっ!」


 無数の鋭利な棘がペアーを串刺しにした。

 ハルは氷廻のカートリッジに凍原のカートリッジも仕込んでいたのだ。


「ハル!」

「成功……だな」

「気づいてたのか。先に逃げたのかと思ったよ」

「……約束したからな……」


 ハルがソリューニャの隣に戻ってきた。


「図らずもアンタに助けられた形になるね」

「ああ……」


 ソリューニャはさっきハルの氷がグリムトートーの氷に侵食されていないのを見て、イチかバチかの賭けに出た。賭けは成功し、油断を見せたグリムトートーに一撃食らわせることまで叶ったが、そこには二つの幸運があった。


 魔力そのものが冷気を纏っているグリムトートーと違い、ハルは魔力を凍らせるだけだ。冷気も凍って初めて発生する。

 だからハルの魔力は竜の鱗がある限りソリューニャの肉体までは届かない。もちろんそれは憶測だったし、それを確かめる前にハルと分断されてしまった。

 一つ目の幸運は、この憶測が当たっていたことだ。ソリューニャはハルの氷に守られ、肉体の芯まで凍ることなくグリムトートーを待ち構えられた。


「これ、返すよ」

「ああ……」


 ソリューニャはハルに空のカートリッジを返した。

 これを受け取ったのは地上でのこと。ハルが休戦協定を持ち掛けてきた際、彼が投げ寄こしたものだ。

 二つ目の幸運は、それをソリューニャが持っていたことだった。


「これを……」

「ん、サンキュ」


 代わりに、ハルは自身の魔力の込められたカートリッジを二つソリューニャに投げ渡した。

 ソリューニャの竜の鱗とハルの魔力の合わせ技が有効だと分かった以上、それはソリューニャの生命を守るために利用すべきだ。


「調子に乗るなよ……クソどもがぁ……」

「逃げられるか?」

「ごめん、もうかなり体力を持っていかれた」


 体温が零になることは防げたものの、体が冷え切っていることに変わりはなく。今の運動能力では逃げきることは確実に不可能で、つまり戦うしか残されていない。不幸中の幸いだったのは、敵を一人減らしてグリムトートーにダメージも与えられたことだ。

 しかし、相手は氷獄。それと戦うということの本当の恐ろしさを二人は思い知るのであった。

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