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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編2 味方と敵
193/256

氷獄のグリムトートー

 


 “忌み子グリム”

 それが幼少期のあだ名だった。当然、苦痛だった。


(嫌だなぁ、嫌だよなぁ、まったく……)


 グリムトートーが昔を思い出したのは、目の前の二人のせいだ。


「ハル、ここはやるしかない……!」

「ああ……」


 ソリューニャ。竜人族の女。くっきりとした目鼻の美女。

 ハル。人間族の男。精悍な顔立ちの美男子。


 種族は違えど、それが“美しい顔”だということはわかる。


「そうか、戦うか。さぞ美しいんだろう、その覚悟とやらは」


 その時三人は、遠くで異様な魔力の高まりを感じ取った。


「これは……!」

「……ウィルズめ、死んだかぁ? さぞ怖かったろうなぁ」


 グリムトートーにはそれがウィルズのもので、彼がすべてを捧げたのだということが理解できた。


「集中しろ、ソリューニャ」

「ああ。わかってる」


 戦いはここだけで起きているわけではない。それはソリューニャも確信していた。

 だが、他を心配する余裕はない。

 目の前にいるのは四天。一瞬でも気を抜けば足を氷に縫い付けられる。魔力に触れれば体温を奪われる。近づこうとすれば厚い氷が邪魔をする。

 それを分かっていたから、ソリューニャはただ目の前の敵から目を離さない。今、最も大きな危機に瀕しているのは他でもない自分たちなのである。


「じゃあ、苦しめや」


 グリムトートーは白銀の魔力を放出する。地面が一瞬で凍り付きながら、その零の空間はグリムトートーを中心に広がってゆく。

 ソリューニャとハルはそれに触れないように後退した。グリムトートーと共に追ってきたペアーとモーガンは初めから距離をとって待機している。


「あれは、巻き込まれないようにしてる……! 奴らの最初の距離がおおよそ安全圏かっ!?」

「もっと離れろ……!」


 当然グリムトートーも逃がすまいと追ってくる。見た目こそ小柄で貧相な体躯だが、魔術による肉体強化も相当な練度だろう。簡単に振り切れたりはできない。



(……弱点がない!!)


 ソリューニャは逃げながらも必死に思考を続けていた。むしろそれは策を練るための逃走であるともいえる。

 しかし、グリムトートー。弱点らしい弱点がない。攻撃は一撃でも受ければ死につながるものばかり。分厚く、損壊しても修復される防御壁。本人も決して動けないわけではない。


「追いかけっこはもう飽きただろぉ?」

「くっ、どうすりゃいいんだ!」


 そもそも近づくことすら不可能なのだ。グリムトートーが“氷獄”の二つ名で呼ばれる所以、それが空間をまるごと銀世界に変える彼の魔力領域である。

 氷獄に入ったものには霜が降りる。だから氷獄と外界の境界は目に見える恐怖として迫る。


「ハルっ! 同じ氷使いだろ、何かないのかっ!」

「……ない」


 それでも打開策を見つけたい気持ちは同じであるハルは、少しでも役に立てばと気づいたことを口に出した。


 まず、ハルは自身の魔力を氷に変えるのに対して、グリムトートーは魔力そのものが強烈な冷気を放つ。凍るのは実際に温度が下がっているからだ。

 また恐らく彼も自身の魔力を氷に変えることができる。先の巨大氷山は明らかに魔力が基になっていたからだ。


「俺にも……まだわからん……」

「そっか、ありがと」

「なぁにを喋ってるんだぁ!?」


 グリムトートーが凍てつく魔力を放ってきた。魔力は氷の結晶を美しく光らせる幻想的な吹雪でありながら、その実殺意にまみれたおぞましい奔流でもある。


「マズっ!?」

「……!」


 ハルはカートリッジを握り魔力を込め、氷の大楯を作り出した。楯が冷気からハルたちを守る。


「助かった! 翼切!」


 ソリューニャが両手のカトラスを振り広げる。

 広範囲を薙ぎ払う赤い魔力がグリムトートーグリムトートーに襲い掛かるが、グリムトートーの前に集まった魔力が氷の壁となってそれを防いだ。


(ハルの推測通りだ。魔力が氷にもなるんだ)


 魔力を氷にする。ここまでは差はない。

 しかし、たった一つ無視できない差がある。それが持続時間だ。

 ハルの氷は手放すとほどなくして魔力に戻り消滅してしまうが、グリムトートーのそれはずっと長くその形を保っていられる。氷壁にしても、グリムトートーはそもそも体から離れたところから出現させられる。


「完全に上回っている……!」


 単純に、性能はハルの上位互換。それが事実だった。


「猪口才なァ……」

「っ、くる!」


 再び吹雪の攻撃。

 ハルは楯でそれを防ぐが、少しずつマントや靴が凍っていくのを見て、楯を置いて脱出した。


「受けることすら……!」

「遠距離しか……ない……」


 盾はハルの手から離れたため、魔力に戻り消滅していく。

 後には、盾の形がくっきりとついた薄氷が残った。


(ん……!?)


 そのあまりにも綺麗な跡に、一瞬目が留まった。ソリューニャはその光景に引っかかるものを感じる。


(ハルの氷を敵の氷が覆って、ハルの氷だけが消滅したらあんな風になるのか)


 まるで殻みたいだな、と、この危機的状況下で呑気に考えてしまう。

 その時、ソリューニャにとあるひらめきが降りた。


「ハルっ!」

「ソリューニャ……!」

「えっ?」


 それをハルに打診する前に、痺れを切らしたグリムトートーが強引に魔力を解放した。凄まじい寒波がソリューニャを呑みこむ。


「あ……()()()……っ」


 明らかに空気が変わった。つまりは氷獄に囚われたということ。

 なんとか領域の外に出ようとするが、冷気に纏わりつかれて体の動きが鈍る。そして領域の拡大するスピードはソリューニャの速度を上回った。


「マズ……うあああっ!」


 ソリューニャの体がピリピリと鋭く痺れ、すぐに呼気は真っ白に凍る。


(そうだ、アタシは“持っていた”!!)


 ついに脱出を諦めたソリューニャは、迫りくるグリムトートーに向き合いカトラスを振り上げた。

 背水の陣の構え。ソリューニャが生きる唯一の方法。そう、グリムトートーをここで倒すこと。


「ぐ、あ、ああっ……!」

「油断は無いぜぇ?」


 すでに髪は凍り始めている。ソリューニャの体が完全に動きを止めてしまうまで、残された時間はあと数秒だろう。それまでに一撃、全力で叩き込んでグリムトートーを倒す。

 しかしグリムトートーはまだ距離があるうちから、万が一も消し去るために魔力を放った。それはソリューニャの体の周りで渦巻き、彼女のなけなしの活動時間を完全に奪い去る。


「く、そ……んな……」


 ソリューニャはついに凍り付く。竜の鱗の魔力の光は彼女の氷像を赤く光らせていたが、やがて命の灯が尽きたかのように光も消えた。


「ックク、残念だったなぁ」


 グリムトートーは攻撃を放つ寸前を見事に残したソリューニャの氷像に近づくと、満悦の笑みを浮かべた。

 避けたような大きな口、色の悪い唇、シミだらけの頬に充血した眼。それらをぐにゃりと歪ませた笑顔だ。


「生きようと必死にもがく奴らのツラはどうしてこうも……クク、醜いなぁ。醜いよなァ……?」

「…………」

「どんな綺麗なツラだろうとよぉ、その瞬間だけは等しく醜いんだなぁ」


 グリムトートーはまた昔を思い出していた。






 “忌み子グリム”

 彼がそう呼ばれていたのは今はもう昔の話だ。その日まで、彼の人生は被虐と苦痛にまみれていた。


 彼はとあるエルフ族の両親のもとに双子の弟として生まれた。

 その夫婦は村でも評判の美男と美女で、その子どものことだから大層美しくなるものだと言われていた。互いに容姿には自信があった夫婦も、それを信じて惜しみない愛情を注いで二人を育てた。


「男の子だから、きっとあなたのような凛々しい子に育つわ」

「いいや、君のように美しく愛嬌のある子に育つだろう」


 その幸せな家庭が壊れはじめたのは、グリムトートーが三歳になった頃からだった。


「ねぇ、あなた。グリムトートーのことなんだけれど」

「わかってる。だがきっと今だけだ。今だけなんだ……」


 双子の兄は齢三年にしてすでに期待通り、いや期待以上に成長していた。彼の評判は上がる一方で、もうこの頃から将来娘を娶ってもらおうという下心を秘めた大人たちが、言葉も覚束ないような娘を連れて遊びに来るようになったほどである。


 だが、弟のグリムトートーはまるで一切の美しさというものを持っていなかった。目は細く、肌はカサつきシミが浮き、小指の爪でさえよく見ると妙に歪んでいた。普段はあまり泣かないし喋らないが、口を開けば飛び出すのは聞く者の心を奇妙にささくれ立たせる声。たまに見せる笑顔でさえも愛嬌より醜さが目立つように感じられる。



 幸いにもグリムトートーは主張の少ない子供だったからまだ目立つこともなかった。しかし成長に伴って兄との醜美の差は明確に現れた。


「あなた、やっぱりグリムトートーは悪魔よ!」

「お、おい。子供に聞こえるような声で言うもんじゃあないよ。少し考えすぎているのさ、疲れているんだ」

「そうね……。でもわたし、不安で……」

「ああ、わかるよ……」


 やがて二人はグリムトートーを村一番のまじない師のところへ連れて行った。自分たちとは似ても似つかぬ醜い子供が、その頃には恐ろしくすら思えていたのだ。


「むむぅ、この子は何歳だね?」

「今年で七つです」

「はぁー……。占ってみたけどね、この子は将来、恐ろしいことをしでかすね。人殺しかもっと恐ろしいことだ」

「そんな……」


 それは信じられない、という顔ではなかった。母の顔は言っていた。「やっぱりそうか」と。


「どうすればいいのですか?」

「それをね、それを防ぐにはね、いいかい? この子を刺激しちゃあ駄目だ。普通の子にするように、穏やかに成長を見守ってあげなさい」


 まじない師にささやかな礼をして、両親は二人並んで歩いていく。

 その後ろに続こうとしたグリムトートーは、まじない師に呼び止められた。


「アンタは素晴らしい才能を秘めてるよ。もしもそれに気付いたときはね、アタシを尋ねておいでなさい」

「……うん」


 両親は振り返りもせず歩いていく。グリムトートーが走って追いついても、両親が顔を見せてくれることはなかった。



 翌日から、グリムトートーにまつわるある噂が流れた。

 “グリムトートーは呪われた子である”

 美しい夫婦が授かった美しい子供。彼が美しいのは呪われた子(グリムトートー が醜いものをすべて引き受けたからだ。どんな美しい物も、それを作るためには醜い芥が出る。それがどういうわけか集まって生まれてしまったのがその子なのだ、と。


 本来は生まれなかった。この世に生を受けたことは何かの間違いであった。ああなんて不幸な夫婦だろうか。

 みながそう思うようになりついたあだ名が“忌み子グリム”だった。

 お前は醜いかすだ。生まれるべきではなかった。早く死んで塵に還るべきだ。そのあだ名を口にするとき、人々はそんな思いを内心に込めていた。


「おぐあああああっ、がぁあぁっ、ああっ!」


 噂は耳に入っていた。あだ名の裏に隠された、隠しきれていない悪意にも気づいていた。誰にも愛されていないことなんてもっと昔から知っていた。それが苦痛でないわけがなかった。


 誰もいない川に吐瀉物は流れ、その帰り道で昔いっしょに遊んだ子供に石を投げられ、腫れた目尻を見た母は顔をしかめて目を逸らした。


「……ああ」


 道端に横たわる鳥は美しい羽を血と臓物で飾りつけていた。


「死んでしまいたいな」


 鳥の死骸を見ながらそう呟いた。グリムトートーは10歳になっていた。

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