星降ル夜ノ詩
月夜を二つの翼が切り裂く。
片やグロテスクな紫の翅。
「グオオーーッ!」
片や幾何学的文様の緑の翼。
「速撃の飛矢!」
ミュウが最速の一矢を放つ。
かつてウィルズだった怪物にそれは当たらず、怪物は口から灼熱の呼気を噴射した。
「っ、当たらないのです!」
『落ち着いて! 動きながらそうそう当てられるものじゃないよ!』
「でも、止まると……!」
翅を震わせて怪物が突進してくる。飛行性能だけでいえば怪物はミュウより優れていた。
「オオオンッ!」
「ああっ!」
ミュウは素早く離脱するが、かかる力の大きさに呻く。その小さく未熟な肉体では高速移動に耐え切れないのである。
「ガ、オオオ!」
「うっ、追ってきた……!」
怪物はピタリと制止すると、急な方向転換をして上方に逃れたミュウを追ってきた。
『追いかけっこじゃ勝てないよ!』
「でも降りてしまうと攻撃が当たらなくなるのです!」
ミュウは弓に矢をつがえるが、ジグザグな軌道を描いて突進してくる怪物に照準を合わせることができない。
「グギャオオオオオ!」
「っ、ダメですっ!」
『ミュウちゃん危ない!』
「突っ込みます!」
結局回避を選択したミュウだったが、怪物は触手を八方に伸ばして行く手を阻んできた。ミュウはつがえていた矢を放ってその包囲網に穴をあけると、そこから飛び出す。
『ひゃぁ~! ど、度胸あるねっ!?』
「言ってる場合ですかっ! このままじゃ先にこっちの魔力が尽きちゃうのですっ!」
『翅っ! 翅を撃とう!』
「それなのですっ!」
ミュウを追って怪物が迫る。
敵が吐き出す灼熱の呼気が森に火をつけた。火はすぐに消えたが、とはいえ水分を含む樹木を一瞬で発火させる熱量であるという事実は変わらない。
『生木が燃えたっ!? あんなの浴びたらひとたまりもないよっ!』
「水気……高熱……!」
『何してるのっミュウちゃん、セレスのもう片方を呼び戻してっ!』
「そ、それはダメなのです! 動けないマオさんを守らなきゃ!」
『ミュウちゃん!!』
肉体にかかる負荷に耐えながら、ミュウは頑として譲らない。
「とにかく当たって! 速撃の飛矢!」
黄色の矢は十本に分裂し、怪物へと襲い掛かる。
怪物は空中でその身を一回転させて翼で矢を振り払うと、隙を見せたミュウの下に潜り込んだ。
「ガアアア!」
「っ、あぶっ……」
十二対の蜘蛛脚がミュウを迎え入れようとするかのように開いて、彼女を捕えようと機械的に波打つ。寸前でそれを躱したミュウの足に触手が絡みついた。
『ミュウちゃん!!』
「く、速撃の……」
「グギュ……ゴルルルルル!」
「きゃああああ!」
ミュウが絡まった触手を狙い撃つ前に、怪物はミュウを滅茶苦茶に振り回しはじめた。
照準を合わせられないどころか弓を引くことすらままならない重力に、ミュウはただ耐えながらされるがままだ。
「う、うぅ……っ!」
ミュウは決死の思いで自身の脚ごと触手を射つ。肉を切る思い切った行動で拘束からは抜け出せたものの、すっぽ抜けて地上に真っ逆さまに落ちていく。
『しっかりして!』
「ヘスティア、さん……!」
『このままじゃ落ちちゃうよーー!』
ミュウは森に突っ込んだ。葉を巻き上げ、枝をへし折り、そこでなんとか持ち直す。
「ゴアアーーッ!」
『後ろ! 来てる!』
「はいですっ」
木々の間を縫ってミュウと怪物が飛ぶ。
『何してるの、追いつかれちゃうよぉ! 上がったほうがいいよ!』
「もう少し、なのです……ある程度引き付けて……」
もともと出せる速度で劣る上に翼の制御に慣れていないミュウでは、この障害物の多い地形は不利だ。このままでは追いつかれるか、樹に衝突するかどちらかだろう。
しかしそれでもミュウは森を出ようとしないばかりか、ますます高度を落として地上スレスレを飛ぶ。
同じように高度を落とした怪物は鋭く樹々を躱し、灼熱の呼気で森を焼きながらミュウに迫る。
『ミュウちゃん!!』
「っ、間に合ったです! 深紅の燐矢!」
「ガアッ!」
ミュウは先ほどの祭壇を見つけると、その先にある川に向けて真紅の矢を放った。
矢は川に着弾と同時に収束されていた高熱を解放し、水滴と蒸気を巻き上げたる。ミュウはその瀑布に突っ込むと、急上昇しながら次の矢をつがえる。
「ぐううっ! そ、速撃の飛矢!」
直下にはミュウを見失い急停止した怪物の姿がある。
最速の矢が怪物を射抜いた。
「ガ、アアアア、ガア!」
「当たったのですっ! これで……」
しかし、ミュウの期待通りにはならなかった。
確かに怪物の翅にも命中したはずなのに、怪物の飛行能力は失われていない。
「そんなっ!?」
『なんか来る!』
「きゃああ!」
怪物はがぱぁと裂けた吻を大きく開いて、次々と紫の魔力の塊を吐き出した。そのうちの一つがミュウの翼に当たると、魔力は爆発してミュウを地上へと吹き飛ばした。
『ミュウちゃん!!』
「くぅ……っ!」
ミュウは体勢を整えて片手と両足で着地すると、地面の上を滑って衝撃を少しでも緩和する。アミンがあらゆるものを削って更地にしていたことが幸いし、塵や滓がクッションの役目を果たして彼女を守った。
そこには当然、動けないマオもいて、落ちてきたミュウを心配する。
「大丈夫!? やっぱり私も……!」
「へーきなのです!」
「でも、あんな奴……っ、せめてこの輪っかは自分のために使っ」
怪物の追撃がマオの声をかき消す。
セレスはびくともせずにマオを守り、やはりこれはマオのもとに残しておくべきだとミュウは思った。逆に防御能力のない自分は弾を避けつつ痛む脚を堪え再び空へ飛び立つ。
『あいつの翅、ちょっとの穴くらいならすぐに再生しちゃうんだ! さっきの矢は当たってたよ!』
「ちょっとの……だったら、ちょっとじゃない攻撃をするのです!」
『当てられないよ! ここは一回逃げて……』
「私だけがっ! 逃げるくらいなら死んだほうがマシなのですっ!」
『……!』
ヘスティアが息をのむ。
「はぁ、はぁ、ごめんなさいです。でも、譲れないのです」
『……うん、ごめん。作戦考えてみよう』
「一つ思いついたのです」
ヘスティアはミュウのまっすぐな目を信じて、笑った。
『……こんな無茶が知れたら、私セレナーゼに怒られちゃうなぁ』
「その時は私が元気な姿を見せてお母さまを安心させてあげるです」
『ふふっ、頼もしいね。それで作戦って?』
「説明してる暇がもうないのですっ! 追いつかれます!」
マオはただ見上げて、祈る。
「がんばれ、がんばれ、ミュウちゃん……!」
満月に向かって一直線に昇っていく二つの影。
緑の輝きが月に到達すると同時、異形の影がそれに追いついた。二つの影は重なる。
「ガアアアアアア!」
「はああああ!」
怪物の歯が、爪が、触手がミュウを捕らえる刹那、怪物は壁に衝突した。
「グギャアッ!」
「今……!」
衝突の勢いは怪物の肉体すら潰し、体液が噴き出す。
『セレスっ!? ちょっ、こんなとこで翼を手放したら……!』
「紅焔の裂矢!!」
翼を失ったミュウは背中から落ちながら、セレスにへばりつく怪物に矢を放った。
怪物は触手を束ねてそれを盾のようにして身を守る。しかし紅蓮の矢はその触手を爆散させ、怪物の胴体すら爆炎で飲み込んだ。
「ゴグアアアアア!」
片翅と半身を失った怪物もミュウと同じように落下をはじめる。
「グジュルルルル……!」
『ダメ、再生してる!』
だが怪物の傷口からはみるみるうちに肉が盛り上がり、表面は元の艶やかで硬質な外殻へと変貌していく。
再び飛行能力を取り戻すまでそう時間はかからないだろう敵の様子に、ヘスティアは思わず焦燥を叫んだ。
『限界だよミュウちゃん! セレスを呼び戻して!』
「…………」
『落ちるよーー!』
ミュウはただ静かに目を閉じて集中していた。紅の矢は機動力を封じるためのもの。そしてこれから射るのが敵を倒すための矢だ。
神弓アルテミスのもとに緑の粒子が集まり、ミュウの最後の一矢となった。
「千星・流星群!!」
願いを乗せて放たれた矢。それはまっすぐ月へと昇り、弾けた。
「いけぇーーっ!」
凄まじい魔力が込められた無数の矢が、再生中の怪物を撃ち抜いていく。
「ギャアアアアアアアーー!」
怪物の慟哭が月夜を劈く。やがてそれが絶命の沈黙に変わり、躯が原型をとどめないほど散り散りになるまで矢は降り続けた。
「やったぁ、ミュウちゃん……!」
マオは、満月の夜。無数の星が降り注ぐ空を仰いだ。
『私怒ってるよ! ていうか怒られるよ! セレナーゼにっ! オシオキ怖いっ!』
「えへへ……ごめんなさいなのです」
『まったくもーっ! でもオメデト!』
「……はいっ! ありがとなのです!」
ミュウの背中に再びセレスが戻り、翼が広がる。地上が近づくにつれミュウは減速して、ふっと着地した。
『時間切れ、またしばらく魔力を溜めなきゃだ。それまでバイバイ、ミュウちゃん』
「ありがとうございました、ヘスティアさん……」
アルテミスとセレスが戻ってきて、またもとの杖の形に戻る。ミュウの体からは緑の輝きが消え、彼女はぺたんと尻もちをついた。慣れない空中機動で立つこともままならないほど脚に力が入らないのだ。
「ミュウちゃーん!」
「マオさん! 私やっわぷぅっ!」
「ミュウちゃん~~!」
駆け寄ってきたマオに抱きしめられる。その温かい胸の中で、ミュウは安堵と達成感からかほろりと涙をこぼした。
「無事でよかったよー!」
「うぷ、それはマオさんもなのですよっ!」
「よしよしミュウちゃん~結婚して~」
「かっ、考えておくのです……」
ミュウとマオは四天に近い実力を持つ強敵を打ち破った。
しかしまだ戦いは終わっていない。勝利を喜ぶことが許されこそすれ、勝利に酔いしれることは許されない。
「さて、立てる?」
「あうっ……いたた……。ちょっと手を貸してほしいのです……」
脚に力が入るようにはなってきた。だが自分で傷つけた脚が痛む。アミンの攻撃で受けた傷も急に痛みだしてくる。
できることなら戦いの後でも自分で立って歩きたかったのだが、ここはマオが差し出した手に素直に甘えることにした。
「歩けそう? お守りはある?」
マオは、ミュウにソリューニャの居所を尋ねた。
「えと、あっちの方なのです」
「ん。わかったわ」
「ソリューニャさんたち、無事でしょうか」
「……私たちの方に二人だったでしょ?」
マオが唐突に不気味な人形を取り出した。口元に血がこびりついている。
「これ、私の方に歩いてきて。離れても着いてきた」
「ひぇっ!?」
「たぶんこの血、私のね。敵は私をこれで追ってきたんじゃないかしら」
「あっ、そういえば……!」
ミュウは、アミンが正確にマオのいる方角に攻撃を放っていたことを思い出した。
マオが指を二本、立てて言う。
「で、七人のうちの二人が来た」
「あっ、それじゃあ他の皆さんも……!」
「うん。どんなに敵の目の届かないところに逃げてもこれじゃいつかは追いつかれちゃうでしょ? だから、間に合うかわからないけど合流した方がいいと思うんだ」
「すみません、私が最初からそうしていれば……」
「あの状況で仲間を探してうろうろなんてしてたらもっと危なかったんでしょ? 気絶した私が助かったのはミュウちゃんの判断のおかげだよ」
マオはしょげた声のミュウを優しく慰めた。
「切り替えは大事だよ、ミュウちゃん。そういうのは全部終わってから」
「はいなのです」
「よし、いい返事! あ~カワイイなぁもう!」
「こら、マオさんこそ気を抜いちゃいけないのですよっ!」
ミツキとベルは、エリオールとロータスを。ミュウとマオは、アミンとウィルズをそれぞれ倒した。
そしてソリューニャとハル。二人を追うのはかの四天、氷獄のグリムトートー。雲の上の運命を左右するほど重要なこの戦いは未だに過激の一途を辿るのであった。
天雷編50話目です。
天雷編はかつてなく長いのですが、これは初期構想での最終章だった名残です。神樹編あたりで天雷編は今のプロットへと変化していきました。
これからもお付き合い頂ければ作者としては幸いでございます。




