神の弓、聖なる盾
ミュウの故郷、フィルエルムには秘宝が眠る。
かつて大陸一の盗賊アルデバランも狙ったその秘宝は三つ。
『初めまして。ううん、久しぶりだね』
「ヘスティア……さん……?」
神樹の至宝。
フィルエルムに恵みと加護をもたらすといわれている。
「なんで……神樹から離れられないはずじゃ……」
『ミュウちゃんが持ってた杖は何でできてたかなー?』
「あ……」
その正体は、神樹に宿った意志。ヘスティアと自称するもの。
『まあ長居はできないけどね。この小さな神樹で身を保つのは大変だから』
「なるほど……」
『まさかこんなすぐに呼び出されることになるとは思わなかったけどね。ミュウちゃん、大変な目に合ってるんだ』
「そう、そうなのです……!」
ミュウはウィルズとアミンを見る。離れて警戒している。
マオは激しく咳き込んでいるがひとまずは生きていた。
「ここは雲の上で! 魔族とかが敵で、ソリューニャさんたちともはぐれちゃって……!」
『落ち着いて。私にはそれをどうにかできる力はないんだよ』
「それは……でも……」
『その力を持つのはね、ミュウちゃん。あなたなんだよ』
「え……?」
そのとき気づいた。杖を持っていたはずの手に弓が握られていることに。
「これは……もしかして」
『お、察しがいいね! そうだよ、それが神弓……』
「アルテミス、なのです……!」
神弓アルテミス。
かつてフィルエルムに危機が訪れた際、王の一族が扱ったという伝説の武器だ。その存在だけははっきりと伝承されているものの、実物がどこに隠されているのかを知る者は王を除いて誰もいない。
「まさか、そんな。あの杖が……」
『歴代の王様と私だけの秘密なんだ。見つかるわけがないよね。隠すも何も、普段はみんな見てるただの杖なんだから』
「なんでこのタイミングで……」
『フィルエルムを守るためとか、民を守るためとか。危機に瀕したとき、時の王たちはこの武器でそれを退けてきたんだ』
神樹の至宝たるヘスティアと、神樹製の杖と、王族が持つ二次魔力があって初めて発現する。それが伝説たる所以なのだった。
『ミュウちゃんが何かを守るために戦いたいって、力が欲しいって、そう願ったから神樹は応えたんだよ』
「…………!」
杖は四本の枝が渦巻のようにねじれてできていた。その枝が解けて、今はそのうちの二本が絡み合って弓を形作っている。
「なら、これは……」
『もうわかるでしょー?』
「何をぶつぶつと……! ショット・ツヴァイ!」
アミンがマオに向かって攻撃を仕掛けた。
当たれば彼女を殺しえただろうそれは、しかし緑の壁によって阻まれた。
ミュウは確信する。
「聖盾セレス!」
『正解~』
弓にならなかった二本の枝がそれぞれリング状のパーツとなって宙に浮いている。
『セレスはとっても堅い防御壁! ミュウちゃんが護りたいものを護ってくれるんだ』
「すごいのです……!」
『念じるだけで自由自在! 別々に使ってもよし、二つ合わせてもよしだよ!』
聖盾セレス。
アルテミスと同じく、伝説に語られる武器だ。その弓は国を脅かす邪悪を打ち砕き、盾は絶対の防御力でもって民を守ったのだという。
『ささ、ミュウちゃん。覚悟はいーい?』
「はい!」
緑。ミュウの二次魔力の色。そして神樹が纏う魔力の色でもある。
緑色の輝きが一際強まり、それは弓へと収束していく。背丈の小さなミュウが持つとそれは長弓のようだ。木目調の古びたような見た目のそれに、緑の魔力が輝きを与え、幾何学的で神秘的な紋様を浮かび上がらせる。
『弓の腕には自信があるよ! たくさん練習したし、経験もバッチリだから!』
魔力の弦が張る。
ヘスティアの手に導かれ、ミュウはまっすぐに腕を敵に向けると弦に指をかけた。
『イメージして。ミュウちゃんが杖から撃つ技を、一つだけ』
粒子が集まるようにして、黄色の矢が現れる。
ミュウがイメージしたのは、速撃の飛星。
「何よ……! 全部まとめて吹き飛ばしてやるわ!」
『覚悟はいい?』
「はいですっ!」
ミュウが弓を引く。
同時にアミンが四本の指に魔力を込める。
「ショット・チェティーエ!!」
「速撃の飛矢!!」
ミュウの矢はアミンが放った魔力弾を易々と貫いた。
魔力弾はミュウに届く前に破裂し、周囲のものを無差別に削り取る爆発が広がる。それはミュウやマオのみならず、放ったアミン自身をも巻き込んだ。
「す、すごいのです……!」
「が、ああああっ!」
爆発による砂煙が収まると、そこには撃ち抜かれた肩を抑えるアミンの姿があった。衣服もボロボロで、自爆の被害をこれでもかと受けているのが分かった。
一方、聖盾セレスはドーム状の膜を張ってマオを守り、もう片方がミュウも守っていた。
「み、認めるものですか! こんな小娘がぁ!」
『小娘? こちとら何百年も生きてるんだぞっ』
アミンが吠える。
魔導も肩もまとめて貫いた攻撃力。破裂による破壊を完全に無効化した防御力。それはアミンがミュウに圧倒されているという証拠だった。
「青風の巻矢」
「……!」
イメージしたのは、青い風を纏った魔力弾。
弓から放たれたのは、渦巻く風を従えた青の矢。
「こんっ、ああああああああ!」
アミンの腹部に直撃した瞬間その矢はまるで糸が解けるように、青い暴風となりアミンを吹っ飛ばした。
『すご……。もう矢を作るコツ掴んじゃったの?』
「狙いはまだ、全然なのですけどね」
『ううん、それは任せてよ。そのために私がいるんだから』
赤子の手を捻るがごとくアミンを倒したミュウは、残るウィルズに照準を合わせた。
「どういう仕組みか知らんが、さすがはダークエルフ。魔道を征く賢者の種族よ」
「お前を倒す……です!」
「今の俺では貴様には敵わんな。倒す、それも可能だろう」
覚醒したミュウと対面して、しかしウィルズからは不気味なほどの余裕が感じられた。
『ミュウちゃん、気を付けて! そいつ何か仕掛けてくる!』
「マオさん! もう少し待っててほしいのです!」
「私も、ぐぅ……っ!」
「休んでてほしいのです。今は私が戦う番だから、任せてほしいのです!」
マオはまだ動けない。ミュウはセレスの片割れをマオの元に残し、もう一つを自身の隣に浮かせる。
「グリムトートーさん、俺はすべてをあなたに捧げると決めている。それが今だと確信しましたよ」
『ミュウちゃん、早く倒そう』
「はいです。速撃の……っ!?」
『速ぁ!?』
「さようなら、グリムトートーさん」
ミュウがセレスを発動する。
凄まじい速度で飛び掛かってきたウィルズは緑の膜に阻まれて止まると、それを蹴って飛び退いた。
「ミュウちゃん!」
「だいじょぶなのです! でも、今のは……!?」
『わかんない!』
ウィルズの脚はいつの間にかすべてあの触手になっていた。触手とはつまり筋肉の塊だ。それはしなやかに曲がり、力を溜めて、バネじかけのようにウィルズを押し出したのだった。
「なにあれ……!?」
『おぞましー!?』
ウィルズは異常とも言えるほどの忠誠心を持つ。グリムトートーに心酔し、彼のためならば命も捧げる覚悟がある。
しかしその実、彼は臆病なたちである。死を恐れ、自分の命を尊ぶ。
「うご、ご、がああああ!」
「っ……!」
ウィルズの背中がバキバキと割れて、節くれ立った蜘蛛のような脚が生えた。おおよそ歩くためとは思えないその脚は、生物としての範疇を逸脱しているといえる。
ウィルズの魔導は、召喚魔導の一種だ。
彼は従えた怪物に己の命や肉体を与えることで呼び出す。より大きな代償を支払うことで怪物の力をより強く使うことができるようになるのだ。
「が、ああああ、ああ……!」
さらにそこに彼の歪な性質が絡む。
肉体を与えるという行為は彼にとって酷く恐ろしく、やりたくないことだ。だがグリムトートーのためならば肉体も命も捧げられる。心の半分はその献身を誇らしく思っているが、もう半分は確かに代償を恐れて悲鳴を上げている。
命を大切に思うからこそ、それを削るという代償は高く高くつく。
「ぐふぅぅ……。俺は貴様を、グリムトートーさんにも届く脅威として認識した。俺は命を捨てて! 貴様を殺す力を得る!!」
それは、最初で最後の力。尊い命をすべて代償にすることで、一時的に四天にも匹敵する力をその身に降ろす。
ウィルズは再びミュウに正面から飛び掛かる。セレスの片割れによってそれは防がれるが、ウィルズはそこからさらに背中の脚を伸ばし、左右から膜をすり抜けてミュウの喉元を狙う。
「うああ!?」
「が、あ、ああ!」
間一髪、セレスを操ってウィルズを押し出していなければ確実にやられていただろう。脚の先の爪はまるでハサミのようにカチカチと蠢き、不機嫌そうに戻っていく。
「青風の巻矢!」
「がああ!?」
腹に矢が刺さり、暴風が起こった。
ウィルズは何とかそれをこらえる。
「速撃の飛矢!」
「ぐ、が、が、がっ!」
放たれた黄色の矢が分裂して、ウィルズの腹部に連撃を与える。
彼は押されながらもそれをこらえ、踏みとどまっている。
『押し切れ!』
「紅焔の裂矢!!」
「ごがああ!!」
ダメ押しの赤の矢が腹部に突き刺さり、爆発した。
ウィルズはついにこらえきれなくなり、派手に吹っ飛んでいく。
「すごい……!」
『ミュウちゃん、まだだよ』
「わかっているのです。マオさん、すぐに戻るのです」
「ミュウちゃん、行かないで!」
「……すぐに戻るのです」
それは祭壇の中央にいた。まるでそこに召喚された悪魔のように、月の光を浴びて闇夜にたたずんでいる。
「グルルルル……」
その怪物はミュウが到着するのを待っていたかのように、バキバキとその體を変貌させながらそこにいた。
血管で編まれた仮面のような目鼻のない頭部は、歯茎とキバを剥き出している。脚は相変わらず鱗のようなものに覆われた艶やかな触手の集合体になり果てていた。
『あれはもうヒトじゃないね。自我も体も全部“アレ”に喰わせて……ミュウちゃんを倒すためだけに』
「怖い……でもちょっと悲しいのです……」
皮膚が爛れ、腸は腐り落ち、その空ろを守る肋骨は蜘蛛の脚に変貌していく。
ボキリ。嫌な音を立てて背中側に文字通り折れて曲がった両腕は捻じれ、筋繊維を引きちぎりながら骨は伸びる。やがてそれが歪な翅へと変わり果てると、ウィルズだったものは祭壇から飛び立った。
『うげ。胸骨ガパーって開いてて気持ち悪い』
「ヘスティアさん、私、飛べる気がするのです」
『ありゃ、カンがいいね。うん、飛べるよ』
聖盾セレスがミュウの背中に付く。するとミュウの背中から緑の膜で象られた幾何学模様の翼が広がった。
「グオオオーーーーッ!!」
満月を背に、翅を広げた怪物が咆哮する。
ミュウはぐっと神弓アルテミスを握りしめると、星が輝く夜空へと飛び立った。
神樹編では正体不明のまま終わった弓と盾の伏線を回収しました。




