無茶を通せ
ソリューニャは全身の痛みに顔をしかめながら身を起こした。
「う……うぅっ……!」
彼女の近くにはハルもいる。意識を失っているようだ。
ソリューニャは頭から血を流しているハルをゆっくりと起こした。
「気が付いたか!?」
「う、ああ……」
「よかった、動けるか」
ハルはすぐに目を開けた。打ち所が少し悪かっただけなのだろう。
「それにしても……」
「……急ぐぞ」
「あ、ああ。そうだな」
ソリューニャは我が身に起こったばかりのその現実を、いまだに夢を見ているかのようにぼぅっと捉えながら振り返った。
木々はへし折れ、大地は抉れた。隕石が衝突するのと大差ない破壊だった。しかも衝突と同時にすさまじい魔力の暴流をまき散らして破壊の規模を増幅させていた。
飛び散った氷の欠片はその一つずつが岩のようだった。茜色に輝く結晶は白銀の粒子となって消えていく。
「ミュウたちは……」
「いや、こっちだ」
「え? そっちは予定のルートから少し外れる……」
「こっちだ」
有無を言わせぬ、静かな迫力があった。
(あの氷を正確に飛ばしてきた……位置を測れる者がいる……)
今のところ、誰が補足されているのかはわからない。そもそも推論に過ぎない。
だがハルの勘は確かな警鐘を鳴らしていた。身を焦がす戦火の中、彼はその勘に従って生き延びてきた。今回も同じだ。
◇◇◇
氷山の衝突で、彼らは散り散りに吹き飛ばされた。
「はぁ……はぁ……!」
「…………」
ミュウが走る。その小さな体には大きすぎるものを背負って。
「マオさん……!」
氷山は恐ろしいほど正確に落ちてきた。下手をすれば直撃、圧し潰される未来もあったかもしれない。
それを回避できたのはマオがいたから。マオの身を呈した抵抗があったからである。
「今度は……今度こそ……!」
「…………」
ミュウの前を走っていたマオは急に立ち止まった。彼女はたった一人氷山に挑み、巨大なバリアを張ってミュウたちの命を救った。
華奢な身に誰よりも大きなダメージを受け、ボロボロの姿で自分の前まで吹き飛んできたマオ。
「…………」
彼女は今も気を失っている。チャームポイントのおでこは少し裂けて朱に染まっているし、左腕は赤黒く腫れてだらんと垂れている。撃たれた肩の出血もまだ止まり切ってはいない。
分かれて逃げていた仲間とは完全にはぐれてしまったが、ミュウは彼らを心配する余裕などなかった。今マオを救えるのは自分しかいない。自分がすべきは仲間を探すことではなく、仲間を待つことでもなく、約束の場所を目指して進むことだ。
ソリューニャに救われた。ハルに救われた。ジンに救われて、見知らぬ獣人にも救われて、そしてマオに救われて。そうやってミュウは今走っているのだから。
◇◇◇
「一つも死体がない。逃げられましたかね?」
氷塊による破壊の跡地はクレーターとしてその凄まじさを雄弁に物語っていた。
「ここを見てくれ。血がついている」
「一人、出血していたな?」
「バリア女ね。ホント、生意気」
アミンが舌打ちする。
モーガンはこの血痕がマオのものであると断定するや否や、二体目の雄型人形に血を吸わせた。これでソリューニャ、ミツキ、マオを捕捉できる。
「モーガン、どぉだぁ?」
「少なくとも三匹……生きてますね。別れて逃げているようです」
「一人ずつ狩っていけるか?」
「無理だな。追跡が切れるのが先だ」
「ならば仕方ないな。モーガン、分かれるぞ」
「はいはい」
モーガンはミツキとマオの人形を手渡した。
ソリューニャの人形が喰らったのは髪一本で精度に問題があるため、それは自分が引き受ける。痕厄者はモーガン以外も対象に導くことができるのだが、かわりに効果が切れるのはやや早くなり、対象との距離も正確に測れなくなるというデメリットが発生するのである。
「モーガン、ペアー。行くぞぉ……」
「はい、グリムトートーさん」
グリムトートーが戦闘力に劣るモーガンとペアーを引き連れて、ソリューニャを追い始めた。
「……んじゃ後は剣士とバリア女だけど」
「女は私が行くわ。次こそ仕留めてやらなくちゃ」
「はぁ。エリオールは?」
ウィルズが尋ねるまでもなく、エリオールは決めていた。
「そりゃ剣士の方が骨がありそうじゃねぇか」
「私もいく……」
「テメェ、急に喋るようになったなぁ? 恨みでもあんのかぁ?」
「…………」
「今度は無視かよ、殺すぞ!」
ウィルズは雌型の人形を投げ渡した。エリオールとロータスはミツキを追う。
「ふふん、もし追いついたら私がやるわよ?」
「グリムトートーさんに迷惑がかからないなら何でもいい」
ウィルズとアミンはマオを追う。
◇◇◇
ミツキとベルもまた必死に、迫る脅威から逃げていた。
あえて道を外れて逃げようとするハルとソリューニャ、余裕を失いただまっすぐ目的地を目指すミュウとマオ。この四人と違ったことは、彼らが積極的に仲間との合流を望んでいたことだった。
それはミツキの目的が完全に切り替わったためと言ってもいい。
自身を第一に考えろ。そう命じ、彼自身もリーグではギリギリのところで脱出した。その判断は間違いなく正しい。正しかった。
しかし、グリムトートーと直接対峙してその考え方は、優先順位は変わった。
(もし次に奴と誰かが接触したら、そいつは確実に死ぬ!)
強いと自負するが故の慢心が、心のどこかにはあった。
ミツキは大陸でもかなり上位の戦闘力を誇る。それは事実であり、この雲の上の世界でも敵の小隊長格を相手に一対一で勝利できる。だから、もしも戦闘で敵わない相手と対面したときも逃げることに全力を尽くせばそれくらいは可能だと、そう推測していたのだ。
(くそ、甘かった……! 数だけじゃない、質でもあれだけの差があった……!)
ミツキは歯噛みする。
第七小隊を殲滅し、第九小隊を制圧し、リーグからも脱出した。これまでがうまくいきすぎていたのだ。無意識のうちに、このまま生き残れるのだという希望に甘えていた。
「ミツキ、大丈夫か?」
「ん、ああ。考え事をね」
「頼ムぞ。お前たちには生きてもらって、巫女様のために戦ってもらわねばならない」
「わかってるさ。約束だからな」
思えば、この青年の覚悟も相当なものだ。彼は初めから命すら捧げる覚悟で、チュピの仲間たちに知られることもなく、ただ胸に秘めた使命を全うできる可能性を少しでも上げるためだけにミツキたちに接触した。
無駄に終わることも、聞く耳すら持ってもらえずに殺されることも考えられた。実際はうまく協力を取り付けられたが、それでも巫女を守るという目的の完遂が約束されたわけでもない。
(約束、か。それを守る余裕が残ればいいが……守りたいものだな……)
その時、遠方より破裂音が響いた。
「……!」
敵の中に、同じ音を出して飛び道具を放つ女がいたことを思い出す。さらに破裂音が重なり、戦闘が始まったことを確信した。
「ミツキ!」
「ああ、行こう!」
「違う!」
「!?」
ぐいと襟を引かれる。
直後、ミツキも気付いた。自分が狙われていることに。
「マジか……!」
「……!」
ロータスの錫杖が目の前を横切った。
ミツキは腰に差した刀の鍔を親指で押し出した。
「悪い、ベル! よく気付いたな!」
「聞こえナかったのか!?」
「は? 何を……っと!」
抜刀。ロータスの追撃を払いのける。
「またお前か……!」
「……覚悟……!」
この編み笠の男を相手にするのももうこれで三度目となる。警戒すべきは気配を眩ませる奇妙な術を使ってくること。
そしてロータスともう一人、エリオールがいることだ。
「けっ、俺は助けんぞ。勝手に死ぬがよいわ」
「……不要」
エリオールは、ミツキに追いつくなり飛び掛かっていったロータスに毒を吐いた。
「それよりも俺は、なぁ。なんで魔族がここにいるんだぁ?」
「……ッ」
「獣人ってわけでもないしな。そもそもどこで知り合った?」
戦闘狂といって差し支えないほど血の気が多いエリオールだが、ベルを警戒しないほど間抜けではない。地上からきたばかりの人間たちはこの空の上、味方などいるはずもないのだ。
「臭いな。おまえ、原住民か」
「…………」
「だとしてもなぁ、人間族と仲良くなる理由があるのか。……何を企んでいるんだ?」
まずい、とベルは思った。自分が加担している作戦はガウス軍には絶対に知られてはならない。悟られてはいけない。
「まあ吐かせりゃいいな」
「ベル、逃げろ! 君じゃ敵わない!」
「だができなイ!」
ミツキの叫びを、ベルは聞かなかった。
「正体を知らレた! ここで逃がしてはならない!」
最悪なのは、相手が生き残ってガウスのもとに情報が渡ってしまうことだ。それがたとえ「チュピの民たちが隠れて何か企んでいる」という程度の情報だったとしても。
(くそ、二人……! 敵はバラバラに追っているのか!)
ミツキはロータスと戦いながら、状況を整理する。七人いた敵のうちの二人がここに来たということは、残りはマオたちを追っている。たまに聞こえてくる破裂音がその証拠だろう。
そしてベルが言ったとおり、敵はチュピの民が人間と接触していることを知った。その時点でミツキたちは逃げるという選択肢を失った。エリオールたちを逃がさず、ここで決着をつける。それが必須になってしまった。
「きっつ~……!」
「貴様……!」
ミツキの苦笑いが癪に障ったのだろう。
ロータスはより一層激しく錫杖を振り回す。カラカラと金属の輪が忙しなく鳴って、まるでロータスの心の乱れを表しているようだ。
「反省したぜ、ほんとに」
ミツキはそれでも表情を変えない。
「全員で生きて帰る。無茶な話だ」
逃げるだけなら何とかなる。それが甘い考えだったことはよく理解できた。
ミツキは錫杖を強く弾くと、一旦距離をとって構えを正す。走り通しで息は荒いし、失血もある。だが、今一度覚悟を決めたからには。
「まあ、その無茶を通そうって奴らが戦ってるんだ。それに比べりゃこの程度の無茶、なんてことないよな」
ミツキはもう見誤らない。
自分が挑戦者としてどこまでその無茶を通していけるのか。ただそれだけを、一つずつ積み上げて最後には奇跡と呼べるその勝利を掴むために。




