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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編2 味方と敵
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願えり

 


 にわかに気温が下がった気がした。


(……なんだ?)


 振り返る。ハルは、四角く切り取られた空間から誰かが出てきているところを目撃した。


「!!」


 現れたのは、小柄な男だった。

 尖った三角の帽子を深く被り、薄汚れたマントに身を包んでいる。


 四天。それを間近で感じたことがあるのはハルだけであった。


(これはっ)


 瞬時に思い浮かんだのは、ローザ=プリムナード。黒い炎を自在に操る女。これまで戦った相手の中で類を見ないほどの強さだった。

 それに類似した圧倒的な力。ハルの良く当たる勘が言っている。


 逃げろ、と。死ぬぞ、と。


「走れ!」

「散れっ!」


 ハルとソリューニャがほとんど同時に叫ぶ。

 次の瞬間、ソリューニャとハルに引っ張られるようにして残りの四人は一斉に走り出していた。


「どういうことっ!?」

「知らん! 奴らこのために待ってたんだ!」

「どうする! 追いつかれるぞ!」

「っ!」


 マオが後方に向けて手をかざす。

 高速の飛来物がバリアに当たって弾けた。


「そりゃいるわよね、遠距離型!」

「情報にあったバリア使いはあの女ね……生意気っ!」


 アミンとマオの目が合う。

 軟禁される前にそれぞれ魔導は披露させられている。マオはバリアを、ソリューニャは竜の鱗を、ハルは氷を。魔導が恐ろしいのはその正体が知れないということが占める割合が多く、万が一の事態にも優位を保てるよう情報アドバンテージを削いでしまうのだ。


 ただ、それでもマオの能力はまだ影響が少ない。理由は簡単で、マオの魔導は単純だからだ。マオの知覚が働く限り、壁は攻撃に強固で不滅だ。


「マオ、動くな!」

「えっ!?」


 今度は頭上。狙いを誤ったかとも思えたその飛来物はカクンと急降下してマオの脳天に一直線に落ちてくる。

 ミツキはそれを抜刀と同時に弾き、攻撃してきた者を確認した。


「棒手裏剣……渋いもんを使うな」

「チィ、厄介なバリア女から消してやろうと思ったのにな」


 エリオールが悪態をつく。


「あ、ありがと!」

「おう、走れ! 追いつかれちゃおしまいだ!」


 敵はロータスとウィルズが先行して追ってきている。少し離れてグリムトートー、モーガン。遠距離攻撃ができるアミンとエリオール、そして非戦闘員のペアーは最後方。


「逃がさぬ……!」

「また君かい?」


 いち早く追いついてミツキに飛びかかったのは、暗僧ロータス。忠誠心も武功を逸る気持ちも大きい。


「むぅぅ……っ!」

「はっ、随分と必死に見えるね!」

「また……!」


 リーグにてミツキは一度ロータスと手を合わせている。しかもその時はエーデルワイスと共に二対一、いや、周りすべてが敵だったことを考えると二対一ですらなかった。

 そんな状況でミツキはロータスとエーデルワイスの猛攻を捌ききり、あろうことかあの状況で全員の目を振り切って逃走を成功させている。


「グリムトートーさんから逃げられると思うなよ」

「……っ、……!」

「ハル!」


 もう一人、ウィルズが狙ったのはソリューニャだった。彼は鱗のようなものに覆われた触手を伸ばしてくる。

 ハルがそれを創造した剣で弾き返した瞬間、嫌な予感に襲われた。グリムトートーほどではないが、なにか不気味な空気とでもいうべきものがウィルズにはあった。


「む!? 凍った!」

「行くぞ」

「あ、ああ!」


 触手を凍らせて敵を怯ませると、またすぐに走り出す。


「あいつが来てから変わった! なんなの!?」

「たぶんグリムトートー! 四天のっ!」


 ガウスや四天、雨の三剣士などの存在とそれを見分けられるだけの情報は道中ミツキから聞いていた。

 氷獄の二つ名を持つ通り、グリムトートーの魔導は広範囲を一気に凍らせるほどのケタ違いな性能を誇る。それを言葉として聞いていたからといって、彼らはグリムトートーの対策を考えたりはしない。立ち向かうことがそもそも愚かな行動なのだから。


「くぅ……! このままじゃっ!」

「さ、先に行ってくださいですっ! 私、はっ……!」

「馬鹿なこと言わないでっ! みんなで生きるのよ、ミュウちゃん!」


 ウィルズとロータスの相手をしているうちにもどんどんグリムトートーたちは近づいてくる。追いつかれれば、その先には絶望しか残らない。

 だからこそミュウは自分が足手まといになっている現状に焦りと恐怖を感じていた。


「っ、速撃の飛星(ソニックスター)!」

「…………!」


 ミツキと組みあっていたロータスに向けて魔力の矢を放つ。彼はそれで怯んだロータスを蹴り飛ばすと、走ってミュウたちに追いついた。


「ミュウちゃん、助かったよ」

「……凍原(イバラ)!」

「ハル!?」


 突然ハルが叫ぶ。

 ちょうどウィルズとロータスのいるところ、その足元から鋭い棘が無数に伸びて彼らを足止めする。


「撒いておいたのか、ハル……!」

「ああ。今のうちだ」


 それで少しは距離を稼げるはずだった。確かに先頭二人は足止めできていたのだ。


「エリオール、オレを飛ばせぇ」

「はい、グリムトートーさん」


 氷の茨のバリケード。その上を軽々と飛び越えて、ソリューニャたちの目の前にそれは降り立った。


「はぁ!?」

「っ!! こいつ!!」

「はは、驚いたか? 驚いたよなぁ?」


 グリムトートーが、あっさりと追いついていた。


 くすんだ錆色の縮れた毛髪。かぎっ鼻とそばかすだらけの頬。血走った眼と裂けたような大きな口。おまけに心底嫌いなものを目の前に突き付けられているかのような忌避の激情、その嫌悪をそのまま張り付けたようなしかめ面が素であるときた。

 ローザでなくとも醜いと評するだろう。その男は、背中を丸めてただでさえ大きくない体をさらに小さくして、しかし巨大な圧力を纏って不敵に六人を()めつけていた。


「逃げ……っ!」


 ソリューニャが裏返った声で何とか絞り出す。


「そうはさせるかぁ……」


 しかし、彼女たちは追いつかれたとき既に入ってしまっていた。

 グリムトートーの魔力空間。“氷獄”と揶揄される零の世界に。


「凍っ……!?」

「うわぁ!?」


 氷が土と靴を縫い付けている。足をとられた者はもう動けない。さらに氷は靴底から伸びるように成長していく。


「っ、ちィ! 足を止めるな!」

深紅の燐星(クリムゾンフレアー)っ!」


 ミツキが足元の土を切り裂き、ミュウは熱で氷を解かす。

 唯一空中に逃れていたハルは白い息を吐いて、状況を確認した。


(辺り一帯に霜が降りている……! 数秒でこれか!)


 凍ったのは足元だけではない。グリムトートーを中心にその空間内の木も石もすべて白く凍てついている。ミュウの火球によって脱出したマオとベルの指先はもう真っ青で、ジンジンと刺すような痛みを与えていた。


「何とか離れないと!」

「無駄だぁ」

「くそ……!」


 ミツキが敵の動きを止めるために刀を召喚して飛ばすが、分厚い氷塊がせり上がりグリムトートーを守る。


翼切ハバラ!」

速撃の飛星(ソニックスター)!」


 ソリューニャとミュウもグリムトートーを攻撃する。

 が、それらを全て受け止めた氷塊は多少の損壊もたちどころに修復してしまった。グリムトートーからの攻撃は防げず、グリムトートーへの攻撃は失敗する。


 これが四天の実力の、ほんの一端だった。

 ヒトと戦っているというよりも、得体の知れない怪物に襲われているようなものだ。


「通らない……!」

「鬱陶しいぞ、小娘どもぉ」

「きゃっ!」


 白銀の魔力がグリムトートーの手から放たれた。それはまるで意志を持った吹雪のようにうねり、ソリューニャとミュウを呑み込む。

 マオがバリアを張って、ミュウは辛うじて直撃を免れた。が、ソリューニャはまともにそれを浴びてしまった。


「痛っ……か……あ」

「お前も殺せって言われたからなァ……。もう“自分だけは安全”じゃあないんだよなぁ」


 ソリューニャの全身から一気に熱が奪われて、指先や髪が凍り始めていた。

 竜の鱗は発動していた。しかしその攻撃は容赦なくソリューニャの体温を奪い去る。冷気などという呼称ではあまりにも温い、死の息吹きだった。


「不味い……ソリューニャっ!」

「ソリュ……あぐっ!?」


 ソリューニャに気を取られたマオの、肩から血飛沫が爆ぜるように噴き出した。


「あら、頭を外してしまったわ」

「マオっ!」

「っ、へーき……!」


 アミンだけではない。バリケードが壊され、足止めされていた敵も自由になっていた。グリムトートーだけでも手に負えないというのに、間もなく敵の戦力が集合してしまう。


「ソリューニャさんっ!」


 名前を呼ぶ仲間の声も遠ざかっていく。

 体は震え、思考は鈍り、あらゆる感覚が麻痺していく。体温の低下による生命の危機を迎え、ソリューニャは微睡に沈む。


(アタシは……まだ……!)


 その時、巨大な鉄の塊がグリムトートーとソリューニャの間に“振り下ろされた”。

 大地が砕け、その衝撃がソリューニャの意識を繋ぎ止める。


「……オイオイオイ。この剣はまさか……」

「氷獄ぅうおおあああっ!」


 第九小隊隊長、グリーディアが決意の籠った眼差しでグリムトートーを睨んでいた。


「あいつ、第九の……!」

「今のうちだァ!! 人間ン!!」

「はっ……ソリューニャさん!」


 倒れかけたソリューニャをハルが支えた。


「しっかりしろ」

「う……ああ……」

「走るぞ……」


 ハルは自身のマントをソリューニャに被せると、肩を貸して走り出す。


「獣人族……味方……!?」

「早く行けェ!!」

「走れるか、マオ! ミュウちゃんとベルも急げ!」

「逃がすかぁ……!」

「させん!」


 グリーディアは逃げる六人を背に、グリムトートーの前に立ち塞がった。

 彼を知るミツキが振り返る。


「あんた、なぜ……!」

「伝えてくれよ!!」


 グリーディアは刃のない剣を掲げて、最後に言葉を託した。


「……! わかったよ、グリーディア」


「君は“負けなかった”!!」


 ミツキはもう振り返らなかった。


「……はは。お前も負けるなよ、ミツキ……ジン……」

「悲しいなぁ、悲しいよなぁ……」

「グリムトートーさん……いや、グリムトートー!」

「お前を拾ってやったのは誰だったっけなぁ? えぇ?」


 グリムトートーは今度こそ本当に不機嫌そうに口を歪めた。


「お前の寝返りなんて知らなかったなァ」

「思い出してしまったんだ。俺はイリヤ様のものだということを」

「そのイリヤも裏切り、今度はガウス様も裏切るのかァ?」

「裏切りじゃない。戦いは続いていた!」

「人間ごときに何を吹き込まれやがった? お前の心が弱いから簡単に絆されるんだよなぁ」


 グリーディアの隣に生き残った第九小隊の面々が集う。最後までグリーディアと生き、グリーディアと死ぬことを決めた仲間たちだ。


「グリーディアさんは弱くない!」

「芯だけは折れていなかったから戻ってこれたんだ!」

「俺には過ぎた仲間だな……ありがとう」

「今更何言ってんすかー」

「やりましょう、隊長!」


 対するグリムトートーの隣には、追いついてきた六人がいる。そのうちの一人でもグリーディアたちと渡り合えるような精鋭たちだ。


「行くぞ、グリムトートー!」

「無謀だなぁ、無謀だよなぁ?」

「うおおおおおお!」


 一瞬で伸ばした剣でグリムトートーに斬りかかる。

 それを合図に、部下たちも一斉に敵に襲い掛かっていく。


「……無益なり」

「ハッ、死にたがり共が!」

「馬鹿なのかしら?」

「寝返りの代償は高くつくぞ!」


 勝ち目は当然、ない。

 グリムトートーを白銀の渦が襲う。


「はぁぁ!」

「暑苦しいなぁ」


 急激に低下する体温。必死に体を動かして何とか体温を維持しようとするも、その冷気の力からは逃れられない。

 鈍くなるグリーディアの剣戟の合間を縫って、グリムトートーが懐に入り込んでくる。


「ぐ、ぐう……っ!」

「終わりだぁ」


 胸に手を当てられた。


「かは……ぐああああ!」


 肺と心臓が動きを止めた。

 グリーディアの人生の中でこれほどの苦痛はかつてなかった。体内が凍り付いていく激痛が、絶望が、グリーディアを嬲り殺す。


「ぐあ、あああっ!? がっああっあ!!」


 グリーディアは最後の気力を振り絞って、剣を握ったまま凍り付いた腕を振り上げる。


「おぉ、やるなぁ……」


 グリムトートーが肘で腕を撃つ。

 グリーディアの手首は彼の腕を離れ、くるくると回りながら高く宙を舞った。


「か……ぁ……」

「死んだか。下らねぇ最期だったなぁ」


 グリムトートーがグリーディアの巨体を軽く押すと、それは倒れてひび割れた。

 第九小隊の残党はあっけなく全滅した。それを確認したグリムトートーは、妙な風切り音を聞いて上を見上げた。雲一つない美しい夕焼けと、それを覆い隠すほど巨大なそれ。


「……!」


 グリーディアの渾身の魔力が注ぎ込まれた、巨大な剣が落ちた。


「……やりやがったなぁ、やりやがったよなぁ……!」

「く……少し油断した!」

「グリムトートーさん、助かりました」


 彼らを守ったドーム状の氷も今にも砕け散りそうだ。グリーディアの命を捨てた最期の一撃は無情にも届かなかった。

 しかし、出し抜かれた。それは事実で、グリムトートーは苛立たしげにグリーディアを踏み砕いた。


「おォい、モーガン! 奴らまでの距離はァ!」

「奴ら、少しばらけだしましたよ!」

「構わねぇ、逃げ場なんてねぇくらいの一発をお見舞いしてやる。距離はぁ!?」

「はい! おおよそ……」


 ソリューニャの凍った紅い髪を拾って雄の編み人形の口にねじ込みながら、モーガンが能力を発動した。


「よぉし、エリオール。やるぞぉ」

「……最大で?」

「アァ。魔力は足りてるなぁ?」


 グリムトートーは魔力を凝縮し、小さな結晶を作り出す。

 エリオールがそこに魔力を当てて、自身の能力を発動させる。彼の能力は物を動かすという単純なもの。しかし彼が他と違うのは動かせるものの質量の上限が無いこと。


「失敗は許さねぇからなァ……」

「はい。モーガン、標的の詳しい位置とスピードを」


 結晶は瞬く間に成長していき、やがて山のように巨大な氷塊となった。エリオールはほとんどすべての魔力をそれに注ぎ込み、ゆっくりとそれを持ち上げていく。

 茜色の光を反射して、その氷塊は美しい輝きをたたえていた。


「やれ」


 防げやしない。逃れられもしない。

 まるで神話の中の災厄のように、巨大な氷山が雲の上の秘境に衝突した。

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