氷獄の追跡者たち
およそ一日。それがソリューニャたちがチュピの村へと到達するのに要する時間だった。順調にいけば明日の夕刻までには到着できるだろう。
「くそ、あいつらピッタリ張り付いてきやがる……!」
しかしその追手はもう半日余りも遠くから確実にあとを付いてきていた。
「何が目的、なのですっ……?」
「喋るな、ミュウ。アンタは少しでも体力を残した方がいい」
半日。それは彼女たちが走り続けた時間でもある。
魔術による強化があってこその無茶な行軍だったが、特にダークエルフであるミュウは身体能力にやや劣ることもあってかなり限界に近づいていた。
「おんぶ? おんぶ?」
「…………」
「おいこらミツキ」
ミツキの言葉には無言で首を振る。
単に嫌だということもあったが、有事には貴重な戦力のミツキはなるべく消耗をさせたくないという考えもあった。
「数は互角。目的はあくまでおれたちの位置を見失わないことじゃないかな?」
「そうね。援軍待ち7、疲労待ち3ってところ?」
ミツキが推測した通り、敵の目的は今の時点ではただの偵察だ。
しかしそれがわかってもミツキたちにできることはやはり走ることだけだった。
「こっちから行って戦うのは?」
「危険だね。あいつら相当強いぜ」
「ハルとあんたがいても?」
「正直おれはもう戦力にならないよ。昨日からずっと熱が下がらないんだ」
「えっ」
こちらから排除に向かった場合、敵は逃げるかもしれない。仮に戦闘に持ち込めても、こちら側が全員でかかるくらいでなければ負ける可能性も高い。
「それでも向こうが勝負を仕掛けてこないのは、おれたちの強さをそれだけ脅威に思ってるってことだ」
「油断はしてくれないんだね」
「まあこれまでがうまく行き過ぎたわね。奇跡の連続。小隊二つ潰して、私たちも脱走。敵からしたらメンツ丸潰れ、油断どころか全勢力を挙げて潰しに来てもおかしくない」
マオが冷静に分析する。
ここに降り立ったのは紛れもなく地上でトップクラスの戦闘力を持った個の集団だ。数の上では圧倒的に劣っていても、彼らを止めるにはやはり同等の個をぶつけるしかない。
「そういう意味でも間違いなく強いよ、あいつら」
「そうだな。失敗は許されない」
「戦いたくない、わね」
「はっ……はっ……」
マオがちらとミュウを見る。息は上がり、弱音は吐かないがとても辛そうだ。
ミュウだって、立派に個である。もしも何かあったときのことを考えると、ミュウの疲弊は全体に危機を及ぼす可能性もある。
「……少し休憩しましょ」
「そうだな。一度止まろう」
「え、まっ、まだ走れる……のです……!」
「もちろん体力のこともそうだけど、ミュウ。ここは出方を見てみる」
先頭を走っていたベルとミツキが歩調を弱めた。
「少し先に水場がアる。そこまで歩こう」
「案内たのむぜ」
全員で呼吸を整えながら歩くと、やがて川辺に出た。
「うん。ここで休憩していこう」
「村まではあと半分くらいダ」
「そうか、引き続き案内頼むぜ」
ミツキはベルにそう言うと、ハルも引き連れて三人で追手の確認に向かった。
「……いた」
「あそこか。向こうも止まって様子を見てるな。近づいてこない」
「…………」
予想通り、こちらが立ち止まると敵も止まる。
(……膠着状態。狙いはそれか?)
徹底している、とミツキは感心する。
こちらは女子供も交えた集団で、追いつこうと思えば追いついて戦闘に持ち込むこともできただろう。その際の勝機も十分にある。
それでも敵は徹底的にリスクを回避し、見失わずそれでいて近づきすぎない距離を辛抱強く保っていた。この膠着はミツキらにとって最も嫌な状況と言って差し支えない。
そのことからも敵がよく訓練された兵であるとわかるのである。
「敵さんも止まってたよ」
「ありがと。どうする?」
「どこかで撒かないといけないだろうな。ベルの正体がバレてないなら、まだ目的地も確信持たれてないと思うし」
ベルは顔や耳を隠し、人間であるかのように見せている。もし魔族であると知られたら、その時点でチュピの反逆とミツキたちの向かう先が明らかになってしまうだろうためだ。
「撒く、ねぇ。できるかしら」
「どうだろ? 脱出直後はいなかったよね?」
「たぶんな。もしそういう魔導なら、姿を潜めるくらいじゃダメかもしれない」
「…………殺すか?」
珍しくハルが口を開く。
「誘いに乗るってこと?」
「……それも一つ……」
敵がわざわざ姿を見せているのは、こちらにプレッシャーを与えるためだ。常に追われているという事実が精神と体力を消耗させる。また挑発の意味もあり、こちらから戦闘をしかけにいくことを誘ってきてもいる。
「ジンたちがいれば挟み撃ちでもできたかもね」
「ジンは今はいい。何があったか知らないけど、アタシたちを飛び越えて先にいるんだから」
「心配なのです……」
ジンたちが魔神のきまぐれによって命拾いしたことなど知る由もないが、確かな反応が彼の無事を示している。
「ともかく、このままじゃ不味いぞ」
「うーん、こういうのは予測してなかったしなぁ」
「二手に分かれるか?」
「それが一番かもね。ミュウちゃんとミツキは分けるとして……」
「なんでぇ!?」
「奴ら、気づいたな」
「原住民の方角……偶然か?」
「どうだろうな。単純にリーグから離れたいようにも見えるが」
追跡部隊、6人。
グリムトートーの側近であるエリオールは、自分たちの目論見が見抜かれたということを確信した。このような状況下で腰を下ろして休息をとるということは、自分たちが追いつかないと理解している証拠だ。
「挑発が返ってきたな。クク、乗りたくなるわ」
「馬鹿言え、命令は追跡だ。それにそろそろ手を打ってきてもおかしくない」
好戦的なエリオールをたしなめるのは、同じく側近のモーガン。彼は悪趣味な人形を片手に、休息中の人間たちをじっと観察している。
モーガンの能力は“痕厄者”。新鮮な体液や毛髪等を対象とは異なる性別の人形に摂取させることで、その分量によって最大四日間、ターゲットの位置がどれだけ離れていても追跡できるようになる。
今回使用した人形は女型。摂取させたのはミツキの血液。これによりモーガンら追跡部隊はミツキたちを発見することができたのである。
「俺が追えるのはあの剣士だけだ。他の五人はくれぐれも見逃すなよ」
「わかってるって。でも奴らに隠れる気があるのかどうか」
「目は合ってるんだよな。生意気にも睨み返してきやがる」
ウィルズ。二人よりも特に忠誠心が強い、今作戦の部隊長である。
「おい、ペアー。“ノック”はまだか?」
「まだだ。妻を信じて待っていろ」
ペアー=ハニー。
妻との協力を条件に極めて特殊な能力を発動する。この作戦は彼とその妻の能力がカギである。
「待て待てって……私は手柄が欲しいの。悠長なことはもうこりごりよ」
「…………」
「ああ? 勝手についてきた分際で、偉そうな口をきくな」
ここまでの四人がグリムトートーの側近である。
残りの二人、高圧的な女性と寡黙な男。
「私が手伝ってあげる。手柄は分ける。何か文句でも?」
「あるだろうが、クソ売女が」
彼女の名前はアミン、主人はローザ。グリムトートーが編成した追跡部隊に勝手に参加した彼女は、手柄をグリムトートーに独り占めされる事態を回避するために独断で動いているのだった。
「はぁ。もう一人は話さないしよ」
「…………」
「それすら無視か……」
雨の三剣士、暗僧ロータス。彼もまた主の名誉のため、独断でこの作戦に首を突っ込んだ。
彼らも一枚岩ではない。レインハルト、ローザ、グリムトートーの三人はライバルのような関係であり、その配下であるアミンたちは四天内での主の力関係を優位にするために動く。基本的には善意のみによる協力関係はありえない。
(まあグリムトートーさんからはうまく利用しろと言われてるからな……)
グリムトートー側もそれを承知の上で二人の同行を見逃している。
「とにかく。今はグリムトートーさんが絶対だってことは忘れるな」
「おい、ウィルズ! ノックだ!」
「来たか! 開けろ!」
ウィルズが興奮気味に声を上げる。
ペアーは虚空に手を、まるでそこにドアノブがあるかのように掛けた。
「今開けるよ、マロン」
ドアポート。使用者はペアー=ハニーとマロン=ハニー。グリムトートーの配下である二人が、グリムトートーのためだけに発現させた能力である。
本来、空間を超越する能力は極めて稀有な存在だ。ミツキのように自分を基点に対象物を限定して習得できる召喚タイプや、転移タイプもヤヤラビのように自身の一部を短距離短時間だけに制限してようやく形にできることがほとんど。
「来るぞ……!」
ハニー夫妻はこれを形にするために、四つの制約を設けた。
発動には両者の同意がなければならないこと、基点になるのはその時々に二人がいる場所になること、送り出すのは妻から一方的にしかできないこと。
「着替えに手間取ってなぁ、遅くなった。王の御前とはいえ余所行きは肩が凝るぜ」
そして四つ目。グリムトートーにしか使えないということ。
本来であれば不可能に近い、自分以外の転移を二人はこうして達成したのである。
見えない扉の向こうから現れたグリムトートーは、ぐるりと辺りを見回しながらウィルズに尋ねた。
「状況は?」
「リーグから原住民の集落の方角に、およそ半分の距離」
「言われた通り、ずっと見張っていましたよ。向こうも我々に気づいてます」
「よく我慢したなぁ。前にも言ったが、もう一度確認する。今までの奴らは敵を舐めたから痛い目を見た」
グリムトートーは六人に再度言って聞かせた。彼の登場によってやや浮ついていた六人は、すぐに気を引き締めなおす。
「敵は地上の頂点に立つ強さだ。己より強いと思え。……分かったかぁ? 分かったよなぁ?」
「もちろんですよ、グリムトートーさん」
「はやく行きましょう。敵が逃げます」
「よぉし、追え! 殺せ!」
一斉に追跡者たちが動き出した。




