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魔導士たちの非日常譚  作者: 抹茶ミルク
天雷の大秘境編2 味方と敵
185/256

気まぐれの魔神 2/2

 

 元々オーガ族たちが船を見つけたのは偶然で、それをガウスに見つからないよう細心の注意を払ってきた。本当にオーガ族、それもさらに一部だけの秘密だったのだ。


 事情が変わったのは、つい最近のこと。グラモールの元に一人の青年が訪れた。

 青年の名前はベル。彼はどういうわけか、ガウス軍にすら知られていなかったオーガ族の企みを知って取引を持ち掛けてきた。



『取引……だと?』


 警戒心を顕わにするグラモール。状況によっては最悪この場で始末しなければならないかもしれない。

 しかしベルの頼みは意外なものだった。


『巫女様も連れて行ってくれないか』

『なに? どういうことだ?』


 ベル。ウルーガやリラと同じく分家の出身で、その使命は宗家の者を守ることだ。

 宗家といっても重要なのは代々特別な力を発現する巫女の系譜。つまり先代の巫女であるエイラ、そして彼女が遺したエリーンだ。先々代が病気で早くこの世を去り、先代が幼いエリーンを遺して自ら命を絶ったのはチュピの民にとってこの上ない危機だった。


 なぜ巫女だけは絶やしてはいけないのか。その理由をベルは話した。


『祈りの儀……? なんだ、それは』

『ツァークの頂に籠もり、三日三晩絶やさず無限の神へと祈りを捧げる。我々を有限の悪魔から守るための、巫女様の御勤めだ』

『無限有限ってのはお前たちの信教のそれだったな、たしか。だが今はその儀式はできないだろう』


 ツァークは聖なる場所として、チュピの民たちも自ら立ち入りを禁じていた。しかしガウス軍はそんなことはお構いなしで踏み荒らし、そこで本来ならば宗家のみに代々伝わってきたなんらかの機密を入手した。それがニエ・バ・シェロという兵器を復活させる計画に通ずるものだったことはチュピの民の間でももはや常識である。


『あぁ。できない』

『するとどうなるんだ? それが巫女を守りたい理由になるのか?』

『俺たちは巫女様のおかげで無限の存在でいられるんだ』

『無限の存在……?』


 ベルは、チュピの民に伝わるとある神話を話した。


 昔、無限の神と有限の悪魔が争っていた。

 ついに有限を打ち破った神は、有限の死体からニエ・バ・シェロを作った。そして次に神は有限の死体で自身の人形を作った。それがチュピの民である。

 チュピの民は無限の神によって無限の魂を分け与えられ、繁栄した。


『なるほど、興味深いといえば興味深い』

『肉体が有限なのは当然だが、魂は無限だ。肉体が死ぬと魂は一度無限の神へと還り、再び新たな肉体を与えられる』

『生まれ変わり……に近いか。儀式とはチュピの民が無限の存在でいられるように祈るってことか?』

『察しがいいな、その通りだ。巫女様が生きる限り俺たちが滅ぶことはない』


 彼らはこの言い伝えを信じているのだろう。

 それは自分がかけがえのない個であることを重要視するグラモールたちからすれば異質な信仰だったが、まったく理解もできないような飛躍した理論ではなかった。


『巫女の祈りが途絶えれば、我々は有限……もはや二度と生きることはない』




 グラモールがベルとのやりとりを話し終わると、エリーンは青い顔で小さく震えていた。


「悪いな、巫女サマ。あんたにゃ辛い話を二度も聞かせて」

「いえ……平気です……」


 極論、ベルたちは自身の死を恐れていないのだ。むしろ巫女のためならば喜んで死を望む。

 彼らにとって本当の死とは、巫女の祈りが絶え、もう二度と戻ってこれなくなることなのである。


「リラの野郎……!」


 レンは不機嫌そうにつぶやく。

 エリーンをオーガ族のもとへ連れていきたい理由がエリーンを逃がすためだったことは理解した。しかし彼女たちはあそこで分かれると言った時から、自分たちはここに居残るつもりでいたのだ。その後でどれほど辛い目に合わされるのかも分からないというのに。



「話を戻すが、俺は了解した」

「グラモール。俺は初耳だったんだぜ」

「急なことだったからな、悪かった」


 キャングの心中は複雑だろう。

 リリカを受け入れるとグラモールが言った時も猛反対したキャングのことだ。もしグラモールの代わりにキャングが残っていれば、受け入れたかは分からない。


「言っておくが、ベルは抜け目なかったよ。ガウス軍から巫女を奪い返して匿うということがどれほど危険なことか理解した上で、俺たちを脅してきやがった」

「ああ、わかってるよ。他の仲間のためにもその要求は飲まざるをえなかっただろうな……」

「すまない、キャング。勝手なことばかりして」

「いいさ。お前をここに残したのは俺だからな」

「……なぁ、おっさんたち」


 二人のやり取りを遮って、レンが尋ねた。


「その作戦って、いつやるんだ?」

「もう始めている。戦えない者から船に避難をさせている。ガウスに目をつけられた以上、作戦が知られた知られてないなど無意味なことだ。時間はない」

「そっか。リリカも連れてってくれ」


 レンはグラモールに対して頼んだつもりだったが、返答したのはキャングだった。


「わかっている」


 “友達になりたい”

 それが本心からの願いであったということを、リリカは体を張って証明した。

 キャングの心は動かされたのだ。貸し借りの世界でも、人情の世界でもない。ただの友人を助けることに大層な理由はいらないのだ。


「ありがとう」

「礼はいらん」


 リリカのことがなければ、キャングはエリーンを追い出していた。レンたちも追い出していたかもしれない。だから今ここに人間とオーガ族、チュピの民が座っていられるのは、リリカのおかげだった。

 リリカの友達宣言がここに種族間の壁を超えた絆を育んでいた。




 レンとジンは、リリカの部屋を訪ねた。


「リリカ、死ぬんじゃねぇぞ。こんなところで冒険は終われねぇだろ」


 全身に包帯を巻かれたリリカは答えない。浅く静かに上下する胸が彼女の容態と、そして生きる希望を物語っていた。


「味方ができたぞ。きっと地上の奴らも助ける。リリカのおかげだ」


 二人はリリカに敬意を表する。

 リリカはよくやった。だから、次は。


「安心しろ、リリカ。仲間は絶対死なせねぇ」

「みんなで生きて帰るぞ。だから、もう少し待っててくれ」


 部屋から出たところで、エリーンとミィカが待っていた。その後ろにはグラモールもいる。


「おいおい、どうかしたのか?」

「お願いします……! 私を、仲間たちのとコろまで……!」

「……エリーン。お前を生きてここに連れてくるためにみんなは戦ったんだぜ」

「わかってます。そうやって戦ってくレた私の仲間を、死なせないために行きたいんです!」


 エリーンの決意は固かった。


「……ははっ、リラに怒られちまうなぁ」

「大丈夫ですよ! 私のわがままなので、きっと」


 託されたものも、自分のために命をかけてくれた仲間たちの想いもわかっている。その上でエリーンは戦うことを決めた。

 ただ人に言われて生きるために進むのではない。今度は自分の意志で、人のために進むのだ。


「それじゃ僕とジンとレンと巫女の四人で行こうか」

「カルキ、てめーもか」

「ハルがいるからね」


 ソリューニャたちが向かっている場所。エリーンの仲間が暮らす場所。

 目的地はチュピの村。


「先に行って安全確保してやらなきゃだし、もともと落ち合う予定の場所だしね。まずは村に行ってからあいつらを迎えに行こうぜ」

「テメーが仕切んなコノヤロウ!」

「あははは。巫女も案内役にはちょうどいい。連れて行くよ」

「お、お願いしますっ!」

「けっ。コイツに礼なんていらねーよ」


 相変わらずレンとジンはカルキを快くは思っていない。


「レン、猶予はあまりない。ガウスの計画はもう五日後に迫っている」

「わかってる。ソリューニャたちを迎えに行って、すぐに戻る」

「ああ。俺たちの反逆が知られた以上敵も押し寄せてくるだろう。幸い脱出計画は知られていないから向こうも油断してくれるかもしれんが、次に兵が押し寄せてきたらもう隠しきれなくなるだろう」

「うん、敵が知らねーうちにトンズラこくんだろ? 任せとけって!」


 グラモールが拳を出した。傷だらけな、オーガの大きな拳だ。

 レンはそれに自分の拳を合わせた。


「リリカの命とミィカの命、お前らに預けた」

「ああ、生きて帰ってこい」

「うん!」






 ◇◇◇




 白都市リーグ、その中心にある城。煌びやかな装飾で満たされたその部屋に、彼らは直立して待つ。


「貴様ら、覚悟するのだな。今回の件、責任は重い」


 レインハルトが刺々しく言い放った。

 それに対し反発したのは、あの時リーグに残っていた二人。


「え? リーグはアナタの管轄でしょ?」

「酷いなぁ、酷いよなぁ? 自分だけ助かろうってかぁ?」


 ローザとグリムトートーだ。

 確かに事件は二人がいるところで起こったが、しかしそこを守っていたのは第一・第二小隊。レインハルトの統括する部隊だ。


「なぁに? あの方のお気に入りだからって威張りすぎじゃなぁい?」

「黙れ、陽炎。貴様こそ調子に乗るなよ、小娘が」

「アタシ、やっぱりアナタはキライ」


 ローザはこの中では最も若く、また四天に入るまでの経緯も特異だ。レインハルトはそうやって同等の地位を得た彼女が不愉快だったし、ガウスに惚れ込んで入隊したローザもまたレインハルトに嫉妬していた。


「醜いな、醜いよなぁ。仲間割れはさぁ?」

「あら、醜いのはアナタの顔でしょ?」

「今ならまだ許してやるぜ?」

「ふん、低俗な……」


 ヒートアップしていく会話。しかしそれがピタリと同時に止まる。


「……!」

「……!」


 “王”の気配を感じたからだ。

 それまでの熱は一転して凍てつくような静寂に変わり、彼を迎え入れる。


「揃っているようだな」


 現れたのは、誇りを司る最強の魔神。ガウス=スペルギア。


「掛けるがよい」


 彼が着座すると、直立していた四人がそれに倣った。


「さて……本題に入る前に報告があるな?」

「はい」


 レインハルトは、今回の事件の報告を端的にまとめて説明した。

 ことの起こりは翼竜で飛び去った直後。人間らの逃走と奇襲が重なり、ハッターと消えた二人を含む全員を取り逃がしてしまった。

 奇跡的なタイミングの悪さ、敵の思わぬ実力など様々な要素はあったが、結果として大きな損害を被ったことに変わりはない。


「……以上です」

「補足しますねぇ、雷帝様」


 口を挟んだのは、グリムトートー。


「オレの部下に追跡させています。戦闘能力に自信のある数人です」


 グリムトートーはそこで一呼吸置くと、言った。


「……会議が終わり次第オレも行きます」

「そうか」


 事件がグリムトートがいるときに起きたのは事実だったが、別に彼はそれをただ眺めていたわけではない。彼はリーグに滞在するにあたり連れてきていた数人の部下を使って独自に行動していたのだ。


「此度の件は、愚かな人間どもから我々への宣戦布告だ」


 ガウスが言う。

 今回の事件で、人間たちは明確にガウスに対する反逆の意を示した。もはや竜のために生かしておくとか、見せしめにするとか、そういった次元の話ではない。


「殺せ」


 いずれにせよ、最終的には人間族と彼らの味方をする亜人族はすべて殺すつもりだった。

 彼らがスカイムーンに辿り着いたのはまったくの偶然ではあったが、それは運命のイタズラか、この奇跡的なタイミングには何かを感じずにはいられない。

 ガウスはそれを自身への試練と受け取った。ならば彼は誇りを持って全力で闘争に臨むだけだ。


「はっはっは。面白いことになっているな?」


 虚空からの声がひとつ。

 一人の男が現れて、用意されていた六つ目の椅子に腰かけていた。


「来たか“気まぐれ”」

「ああ、来たよ。楽しませてくれよ“誇り”の」


 魔神族ネロ=ジャックマン。

 ハッターの兄で、ガウスにこの島を与えた張本人である。彼は定期的に物資の輸送などでガウスのスカイムーン開発をサポートしながら、計画の結末を楽しみに待っていた。


「スカルゴート。首尾は上々だとな?」

「問題ありません」


 四天最後の一人、“紅霞のスカルゴート”。

 それまで一言も発さずにいたそれは三つ目の羊の骨を仮面のように顔に張り付け、真っ黒なマントで全身をすっぽりと覆い隠している。

 不気味なのは外見だけではない。霧霞のように記憶からすぅと消えてしまうような、密度のない声もまた得体の知れなさを増徴させた。老獪な男のような、静謐なる淑女のような、変声期の少年のような、聞きようによってどうとでもとれる声をしていた。


「ふん。相変わらず気味悪いの……」

「なにせ喋らない。かと思えば声もいじってるんだからなぁ、胡散臭いよなぁ?」


 ローザとグリムトートーが言う。

 スカルゴートはガウス以外と会話をしないばかりか、その素顔を仲間にすらみせたことがない。同じ四天の三人ですら彼を得体の知れないものとして警戒していた。


「ああ、山羊のいう通りだ。問題ない」

「……“気まぐれ”。貴様の弟と先ほど言葉を交わした」

「あぁ、俺が呼んだ。この日を待っていたのはお前だけじゃあないってことだよ、ガウス」

「奴は人間に肩入れをした。まさかとは思うが、貴様がこの事態を手引きしたのではあるまいな?」

「はっはっ! 残念だが、今のところ人間族は嫌いだからな。俺は関与してないさ」


 ネロはガウスの疑念をきっぱり否定すると、隣に座るスカルゴートの肩に肘をかけた。


「コイツが俺のお目付け役だろう? 疑わしいなら聞いてみるといい」

「……いや、よい。それよりも“塔”は完成したのだろうな」

「それも保証する。いつでも始められるように俺の力も溜めてある。だがそれも一回きりだからな、慎重に俺の使いどころを見極めるといいさ」


 計画を始動するための最後のカギ、それが“塔”だ。

 普段よりスカイムーンに留まっている四天の三人とは別に、スカルゴートだけは地上で“塔”の建設に従事していた。


「だいたい、悪いのはお前じゃないか。お前が追い詰められさえしなければこんな苦労は……」

「黙るがよい」

「おっと、誇りを傷つけたか。わはは」


 この空の上の限られた土地でガウスらの物資を全て生産することなど不可能だ。そこで新兵や物資などは地上で集められ、年に一度か二度、協力者のネロがまとめて輸送するのである。

 “塔”もまた、空中で作るにはあまりにも人手と物資が足りなかった。だからこそここに来てから計画の発動まですべてにおいてネロの協力は不可欠だった。


「俺が協力者じゃなけりゃお前は地上で死んでいたし、ここで野望を掲げることもなかったってことは忘れてくれるな」

「当然だ。貴様には人間が虫けらのように燃える様を存分に見せてやる」

「ならばよし! 楽しみにしているよ」


 その時、部屋に伝令の魔族が入ってきた。急ぎの様子で、上司であるレインハルトに何事かを耳打ちする。

 レインハルトの顔色が変わった。


「何事か?」

「……はい。第三小隊が人間族の手により被害甚大、撤退を余儀なくされました」


 第三小隊といえば、反逆者のオーガたちを粛正すべく戦闘を行っていた部隊だ。

 あの時点ではもはや勝利は確実に見えたし、万が一のときのために翼竜と練度の高い竜人兵を残してあった。しかしそれらも敗れ去ったという。


「申し訳ございません、ガウス様! これは、私の責任……! いかなる罰も甘んじて受け入れる所存……!」


 第三小隊はレインハルトの部隊だ。同じく竜人も、翼竜もレインハルトの管轄。つまりこの失態はレインハルトの失態だ。

 レインハルトがこれをガウスに報告すると、重苦しい沈黙が部屋の空気を支配した。

 ガウスが一つ息を吸って、自信を宥めるようにゆっくりと深く、吐く。


「貴様でなければ殺していた」


 怒りに震えるその声は恐ろしいほどの殺気がこもっていた。それはレインハルトの本能が死を覚悟するほどだ。


「……これまでの働きに免じて、此度だけは見逃す」

「っ!」

「だが忘れるな。二度はない」

「必ずや取り返します! この命に代えても、必ず!」


 レインハルトにとってそれはこの上ないほどの屈辱だった。全てを捨てて仕えてきた主の信頼は今回の件で大きく崩れたことだろう。レインハルトにとってそれは生きる意味を失うことと同義なのである。


「……ふむ。予定を早めるとしよう」


 人間たちは想像よりもはるかにしぶとく、強く、そして運にも恵まれている。ガウスはそれを認め、そしてそれゆえに策を講じたのだった。





 最後の会議はかつてない緊張感のままに幕を閉じた。


「やられたなぁ。人間族、油断ならねぇ」

「ふん、アタシだったらもっとうまくやるわ。……ふふふ、いい気味!」

「何を笑ってるんだぁ? ロォザちゃぁん?」


 グリムトートーとローザは王宮から出たところでピタリと立ち止まった。互いに互いを横目で睨みつける。


「オレは悔しいぜ、悔しいよ、悔しいよなぁ?」

「一緒にしないでくれる? アタシは特別なんだから」

「特別? くくくっ」


 グリムトートーはシミだらけの顔を歪ませて隣のローザを嘲笑う。


「雷帝様はよぉ、失敗したのがオレやアンタだったら殺していたって言ったんだぜぇ?」

「…………」


 それはローザもわかっていたことだった。例えば失敗したのが自分の部隊だったとしたら、果たして生きて部屋を出ることができたのだろうか。


「悲しいなぁ、悲しいよなぁ? オレたちゃ結局それくらいにしか思われてなかったってことだもんなぁ?」

「……黙ってよ。アタシに殺されたい?」

「オォ、やってみるか?」


 熱気と冷気がぶつかり合う。一触即発。


「……まぁいいやぁ。オレは人間狩りしなきゃなんねぇからよぉ」

「ふん。これ以上失敗は許されないって忘れないことね」


 先に魔力を鎮めたのはグリムトートーである。彼はこれから先行させた追跡部隊に追いつき、逃げた人間たちを抹殺するという仕事がある。


 合流地点である、チュピの村。そこを目指し進むソリューニャたちは、ついに四天の一角と対峙することとなる。

 決死の逃走劇はさらに混沌極まり、彼女たちを追い詰めるのだった。

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