いつの間にか少女は
天雷編2後半、本日より毎日投稿していきます。
書き溜め期間中に投稿しました「たびするようじょ」もよろしくお願いします。
昨日、レンがリラと囮作戦を決行すると決めた時。彼はエリーンをどこに連れて行けばいいのかを聞いた。
『オーガ族?』
『はい。巫女様を生かすために、彼らに話は通してあります』
『ふーん?』
『時間がありません。詳しいことは彼らに聞いてください』
リラはそう言ったが、レンは一つだけ疑問を挟んだ。
『エリーンは知ってんのか?』
『我々が目指す場所としては知ってイます。けれど、なぜそこを目指すのかは知りません。それを教エてしまってはきっと……』
リラはそれ以上先を言わず、代わりに困ったように微笑んで後ろに目をやった。エリーンをよく知る彼女だからこそ、この作戦が単なる奪還を目的としたものではないことは隠しておいた方がいいと断言できた。
あの岩陰の向こうでは、エリーンと、背格好の近い護衛が服を交換しているところだ。
『オーガ族はあなたの力にもなってくれるかもしれませんよ』
『お、そりゃいいや!』
レンが笑う。
ちょうど着替えを済ませたエリーンたちが出てきた。
『それと、ミィカも頼めますか? この子はまだ……』
リラが言葉を濁す。
分かっていた。この作戦では間違いなくリラたちの方が危険だ。それはきっと、幼い少女には耐え難い光景を伴うだろう。
『ん。わかった』
『ありがとうございます』
リラはほっとしている。
そんなリラに、レンはやや声を落として言った。
『……死んでいいってわけじゃねぇからな』
『えっ……』
『あとで絶対また会うんだ。いいな』
『……そうですね』
こうしてレンはリラたちと別れ、そして今に至る。
「ふがっ!?」
「あ、レンさん!」
「……?」
エリーンを奪還し、ヤヤラビの部隊を突破したあと。このまま行けばオーガ族の住む区画まで何事もなく到着するだろうと思われていた時だった。
レンは何か嫌なものを感じて目を覚ました。
「よく寝られましたね。ポロポの上なのに」
エリーンがおかしそうに笑う。
ポロポ。ニエ・バ・シェロに生息する最大の草食獣だ。盾のように固く平たい背中が特徴である。
今レンたちは、二頭のポロポに乗って進んでいた。走るよりは遅いが、歩くよりは早い。ヤヤラビの部隊で捕獲され、調教されているこの動物たちをエリーンが逃げる際に助けたのだった。
それだからかは分からないが、普通人を乗せたりはしないこの動物も力を貸してくれている。
「私、ちょっと驚い……」
「エリーン!」
「は、はいっ!?」
レンは険しい表情で周囲を警戒している。
「何もなかったか!? オレが寝てる間!」
「え、え、はい! 何かあったら起こせって……でも何も……」
「なんだ、どういうことだ!?」
レンだけが怖い顔をしている。
エリーンとミィカはついていけずにポカンとしている。
「どうしたんですか?」
「いや……」
前方から感じる。それはレンだからこそ察知できた。
次に反応を示したのは、ポロポであった。野生の鋭い嗅覚が何かをとらえたのだろう。
「様子がおかしいです」
「こいつらも感じてんだ。大丈夫だ一号、オレがいる」
レンは自分を乗せた一号(ポロポにつけた名前)の首元をさすってやった。
「感じるって、何を……」
「嫌な感じだ」
レンたちはやがて、立ち上る黒煙を遠くに見る。真正面からだ。
ここまでくると、さすがのエリーンたちにも異変がわかる。
「何か起きてんだ」
「まさか……そんな……!」
明らかに目的地、オーガたちのところで何かが起きたとみるべきだろう。
それを知らせるには黒煙は不穏すぎた。
「もしかして、彼らの身に何か……!?」
「わかんねぇ。けど急ごう!」
一号と二号(例によってレンが名付けた。エリーンとミィカを乗せている)を急かす。
「リリカ……」
レンはお守りを握りしめる。
リリカか、ジンか。間違いなくそのどちらかがオーガ族のところにいて、間違いなく戦いの渦中にいるのだろう。
しばらくすると、今度はエリーンとミィカにもはっきりとわかる巨大な魔力が現れた。
「な……!? んだ、これ!?」
「ガウス……!!」
「なっ、これがガウスなのか!?」
エリーンとミィカは直接会ったことがある。忘れようもない、これがガウスの魔力である。
「……っ、悪い! 仲間が心配だ!」
「レンさん!」
「お前らはここで隠れてろ!」
レンはポロポから飛び降りると、脇目も振らずに駆け出した。
残されたエリーンとミィカは顔を見合わせて、頷く。
「行きましょう!」
「うん!」
今度は自分たちが力になりたい。その想いが二人を決断させた。
走れば走るほど、感じる魔力は強大になってゆく。
まだ見たこともない敵を恐れるのは初めてのことだった。
「くそ、待ってろ……!」
そして無慈悲にもその時は来た。
「えっ?」
閃光。轟音。そして衝撃波。
世界が白く塗りつぶされる。
「うわああっ!?」
やがて訪れた、無音の世界。ガウスの気配も消えた。
レンは駆け出し、そしてそれを目の当たりにした。
「…………!?」
砂埃で視界が悪いが、そこには確かに巨大なクレーターができていた。
呆然と立ち尽くすレンの目の前で、砂埃が晴れてゆく。
「……!!」
クレーターの端の方に、誰かが倒れている。
「リリカぁーー!!」
「…………」
リリカ。倒れたまま動かない。
慎重に抱き上げると、リリカはうっすらと目を開けた。
「れ……ん……」
「り、リリカ……! よかった……」
リリカは今にも泣き出しそうなレンを見て、胸に温かいものが広がるのを感じた。掠れた声を絞り出す。
「リリカ……遅くなって……オレ、ごめ……」
「謝ら、ないでよ……」
「……!」
謝罪の言葉を口にしようとしたレンの、唇に指を当てて。
レンの腕の中で、リリカは弱々しい笑顔を見せた。
「あたしが……戦うって決めたから……」
「…………!」
「あたしが選んだ戦いだから……」
奇しくもそれは、レンのエリーンへの言葉と同じだった。
「だから、褒めてよ……」
「うん……」
笑顔。一筋の涙が伝う。
いつの間にか少女は。
「あたし、頑張ったよ……」
「うん……」
守られることの多かった少女。恐れ、傷つき、それでも歩みを止めなかったから。
いつの間にか少女は、こんなにも強くなっていた。
レンは力強くリリカの手を握ると、言った。
「よくやったな、リリカ。あとは任せとけ」
「えへへ……。ねぇ、レン」
「ん、なんだ?」
レンはリリカの言葉を聞き届けると、彼女を抱えて立ち上がった。
「ぐ……まさかお前は、レンか……?」
「あぁ。おっさんがリリカを助けてくれたのか?」
「そうだ」
ガウスが見下ろしていた、リリカとグラモール。実はそれはグラモールが作り出した幻だった。
本物のグラモールは自身の姿を土と同化させ、気を失ったリリカを連れて攻撃の中心地から離れていたのである。
そうしてなんとか攻撃の直撃は避けたものの、結局余波はまともに浴びてしまった。それが事の真相で、辛うじてリリカが生きている理由だった。
「……いや、助けられたのは俺の方だ」
「うん。そっか」
グラモールのこの少年に対する初めての印象は「穏やか」だった。リリカを慈しむ優しい目も、リリカの活躍を聞いて少し嬉しそうな表情も、凪のように穏やかだ。
(聞いていた印象とはずいぶん違うな)
しかしそれは全くの間違いであったとすぐに気づかされることになる。
「おっさんもケガしてるとこ悪ぃけどさ。リリカのこと、頼んでいいか?」
「もちろんだ。だが、何を……?」
「ちょっと戦ってくるよ。もう誰もリリカに近づかねぇようにさ」
穏やかだ。穏やかな笑顔だ。
だが隠しきれていない殺気が漏れ出しているのを感じ取り、グラモールは背筋が寒くなった。
「グラモール!」
「テレサ! よかった、目が覚めたのか……!」
「それよりリリカ! すぐに手当てするよ!」
即死は免れたものの、依然として予断を許さない状態だ。
テレサとグラモールが離れていく。
「レンさん!」
「エリーン!?」
入れ替わるようにエリーンとミィカが駆け寄ってきた。
「ミィカも。あぶねから待ってろって言っ……」
「「レンさんがいるから大丈夫です!!」」
「はは……」
レンは頬を掻くと、グラモールたちを指さした。
「なら、あっち。オレの大事な仲間が大変なんだ」
「えぇ!?」
「だから助けてくれ。頼む」
「わかりました!」
エリーンが駆けていく。
ミィカはふと立ち止まって、不安そうにレンに尋ねた。
「レンさんは……?」
「オレはまだやることが残ってるからな。今はミィカがエリーンを助けてやってくれ。危ないからちゃんと隠れてろよ?」
「うん……。でも、無理しないで」
「ああ。すぐに戻るからな」
外傷はエリーンに治してもらったが、疲労や魔力消耗はその限りではない。ポロポの上で眠ってしまうほど、レンは弱っていた。
それを心配するミィカを笑顔で見送ってから、レンは振り返りもせず背後に声を投げかけた。
「消えろ。殺すぞ」
「そうはいくまい。我らは敵同士なのだからな」
ジェイン=ロール。
彼女はレインハルトより「帰還して療養せよ」との命令を受けていた。地上侵攻を目前に控える今、例え人間に敗れたとしても戦力を切り捨てるのは愚策だという判断からの恩情だった。
「私は一度あの娘に敗れている。素晴らしい戦士であった」
「そっか」
「それでも私は雷帝様に全てを捧げた者として、あの方が“殺した”娘が生きているのを見逃せはしないのだ」
「そっか」
本心では戦いたくはないのかもしれない。彼女は一度リリカに敗北を認めたのだ。だが同時に君主への忠誠心も強く、その狭間で苦しんでいる。
「ふん……。心に迷いがあるとは、我が未熟め」
「…………」
地面が揺れて、土が盛り上がる。
「参るっ!」
盛り上がった土は刃となり、土の上を走る。
「はんっ!」
「上! ……だが悪手!」
レンが足に魔力を集め、空中に跳び上がる。
すぐさまジェインは土の槍を形成して、空中のレンに向かって伸ばす。空中ではかわせまい、そう思った時だった。
「なにっ!?」
レンが空気砲を破裂させ、一瞬で着地した。
「くっ……!」
「おらぁ!」
魔導では間に合わない。ジェインは目の前の少年の攻撃を防ごうとガードを固める。
だが、目測もスピードも足りなかった。ガードのために下げた腕が掴まれて、ぐいと引き寄せられる。
そうして前のめりになったところで、レンのアッパーカットが鳩尾にクリーンヒットした。
「ぐ、げぼああっ!!」
「零距離……」
リリカ戦でのケガに加え、レンの拳が深く突き刺さって内臓を傷つける。ジェインは盛大に血を吐くと、くたりと全身の力を失った。
「吹っ飛べ!」
それでもなお容赦なく。突き刺さった拳に集められていた空気が破裂し、ジェインを吹き飛ばした。
「が……あ……っ!!」
「ふぅ……。次っ」
レンは顔にかかった血を拭うと、空を見上げた。
オーガの殲滅を命ぜられた、第二小隊のタックスが翼竜の上からレンを見下ろしていた。
「何やら音がすると思って戻ってきたら……」
「カッケーのに乗ってるけど、容赦はしねぇからな」
「人間族か。ちょうどいい、オーガの前に狩っておく」
翼竜。竜の名を冠するにふさわしい見た目で、人を乗せて飛べるほどの怪力を持つ。
だが、その荒い気性により人を乗せるなど本来はありえない。猛獣が跋扈する荒野に棲み、どんな猛獣をも狩り喰らうことで食物連鎖の頂点に君臨している。
タックス。翼竜が棲息する荒野で生活する唯一の存在、その一族である、とある竜人族の出身。
そこに住む竜人たちは険しい環境の中で戦闘能力を磨き、翼竜を従える秘術を編み出した。タックスもそれを使える一人だ。
「グルルルル……!」
「ああ、喰らっていいぞ」
「ガアアアアア!」
翼竜がレンに向かって突っ込んでくる。
「このまま飛ばせてると厄介だな」
姿勢を低くして躱す。
しかし敵が空中を制している以上、不利なことに変わりはない。それどころかグラモールたちも見つかってしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。
「……あ、エリーンが見つかっても駄目じゃん」
「もう一度だ! ゆけ!」
「しゃーねー、強引にいくか」
空中で旋回した翼竜が再び突っ込んでくる。
「これ結構キツ……いんだよっ!」
「んな!?」
地面に空気砲を叩きつけて、反動で自身を吹っ飛ばす。空気の反動を利用しての移動法は体への負荷が激しいが、その人間離れした動きはなによりも相手の虚を突ける。
レンは呆気に取られるタックスの肩を掴んで、翼竜の上に乗り込む。
「捕まえた!」
「ば、降りろ! 竜は実力を認めた者しか乗せんのだ!」
「あぁ!?」
タックスの言った通り、翼竜が暴れだす。レンが乗っていることがストレスなのだ。
「はやく落ちろっ!」
「テメーが、なぁぁ!」
タックスが懐から短刀を抜いてレンに刺す。
短刀が腕を掠めたが、レンは怯まずタックスの襟首を掴んで引っ張り上げた。
「な、やめ、ああああっ!」
投げ飛ばされたタックスが森に落ちていく。
しかし秘術士を失ったことで、竜はますます我を失って暴れはじめた。
「ムカつくなぁ……」
「!?」
これは全くの偶然だったが、ここにきてレンの魔力がついに底をついた。それによってレンの特殊な魔力“透明な白”が噴き出す。
翼竜の動きが一瞬ぴたりと止まった。
「オレじゃ実力が足りねぇってかァ!? ああっ!?」
レンが巨大な竜巻を上空へと放つ。
とてつもない重石を載せられたようなものだ。翼竜はレンを乗せたまま墜落した。
「今度はなんだ!?」
「デカい鳥が落ちてきた!」
そこはオーガと第三小隊の戦闘の真っ只中だった。彼らは見る。砂埃が収まるにつれ輪郭をはっきりとする、白く燃える少年と翼竜の姿を。
「な……な……!」
「おぉ。次はテメーらか」
レンはふらりと立ち上がり、淡々と言った。
もはや押し込まれる寸前だったオーガたちを一瞥して、第三小隊の魔族たちを見る。それはまさに得体の知れない怪物が次の獲物を見定めたようだった。
強力なエネルギーを纏う少年の圧力に押され、魔族たちが狼狽える。
「な、なんなのさぁ……」
レンは明らかに敵わない相手だ。それを敏感に察知した副隊長ヒリの下に、先ほどジェインに飛ばした鳥類型が戻ってきた。これが戻ってきたということは、つまり。
「隊長が……負けた!?」
にわかには信じがたい話だったが、ヒリは素早く判断を下した。
「みんなー。撤退するよぉ!」
「し、しかしまだ……」
「隊長も危ない! アイツにも勝てない! ここは勇気の撤退だよぉ、急げー!」
「なんだ、戦らねぇのか」
第三小隊が撤退していく。
オーガたちはそれを信じられないような顔で見ていた。彼らを代表して、全身傷だらけのキャングがレンに訊ねた。
「お、おい。お前、人間族か……?」
「ああ。お前らオーガだな? オレはリリカの仲間だ」
「リリカの……!」
キャングはすぐに、彼こそが話に聞いていたレンだろうことを確信した。
「そーだ。あっちに仲間がいたぞ」
「……グラモールか! 無事なのか!?」
「ああ。敵は片付けたけど、ケガしてるから動けねぇ……っ」
不意にレンがふらつく。
今度こそ本当に限界だった。だからこそ目の前のオーガに託す。
「……あいつらも……頼、む……」
「お、おい! しっかりしろ!」
「くそ……反動が……」
そうしてレンは気を失った。
ついにリリカと合流したレン。しかしそれでも彼は戦いに身を投じる。
リリカだけではない。エリーンやミィカも、リラたちも、リリカが世話になったオーガ族も。戦う理由は増えていく。彼自身すら知らぬ間に、もっと大きな戦いへと繋がっていくのであった。




