挑発
夜は明けて、三日目。
今日も今日とて女三人寄れば姦しい。
「今日はソリューニャもいじったげる」
「え、アタシはいいよ……」
「そんなこと言わずに~。せっかく奇麗な赤髪じゃない?」
自分の身だしなみは早々に整えたマオがキラリと目を光らせた。今日は簡単に前髪を両サイドに寄せていつもの赤いピンで留めている。マオがいつも作っている髪型である。
「ほれほれ~」
「ああっ、もう……」
「あははっ! ソリューニャさんもたまにはやってもらうです!」
ソリューニャは照れ交じりに弱い抵抗をするが、逆に許可を得たと捉えたマオはさっと背後に回り込んでしまった。
事実、ソリューニャも照れていただけなのでおとなしくされるがままだ。
「腰くらいまでのストレート。さらさらで、鮮やかな赤色……ふひっ」
「ちょ、ちょっとやめてよもう……」
「んん~ふふふ~、上物じゃあ~」
マオはニコニコと機嫌よく笑いながら手際よくソリューニャの髪を整えていく。
「ねぇ、ソリューニャ?」
「ん? なんだ、マオ」
「あんまり気負いすぎちゃ駄目よ?」
「……」
「心配したもん」
ソリューニャは気づいた。マオはソリューニャの様子がおかしかった昨日を気にして、それで今日は強引にソリューニャのヘアメイクをしたがったのだと。
(確かにこれは……顔見ながらだと恥ずかしいな)
ソリューニャは自分の顔が熱を帯びていることを自覚している。耳は赤くなってやしないだろうか。マオの顔も赤くなっているのだろうか。
そんなソリューニャの緊張をよそに、マオは柔らかく、諭すように語りかけてくる。
「そりゃ私たちが帰るにはソリューニャに助けてもらうしかないけどね? だからってみんなの命を一人で背負ってるだなんて、責任感じなくてもいいのよ」
「ああ、そうかも。ありがとう、マオ」
「どういたしまして、ソリューニャ。一緒に生きましょ? ……っと、ほらできた」
髪を左右に一房ずつとってリボンで縛る、シンプルなおさげだ。やや高いところで結んだのと、長い房となったこともあって、シンプルでも驚くほど印象が変わっている。首を傾げて片側の房を触るソリューニャのしぐさも、普段はあまり感じない愛らしさがある。
「ツインテールっていうの。尻尾みたいでしょ」
「これは……いいかも、うん」
「カワイイのです!」
「元がいいからねー。かっこいいカンジの美人さんが子供っぽい髪型してると、それはもう化けるのだ~」
「化けてるのです~!」
「今日はやたら褒めてくるね!? 恥ずかしいんだけど!」
ひとしきり三人ではしゃいだ後、マオはハルにも声をかけた。
「あっ、あんたもやってあげよっか?」
「…………」
「ジョーダンよ。あなたのこと許したわけじゃないから」
この朝が昨日と違うこと。それがハルの存在である。無言の返答ではあったが、わかりやすく困惑が伝わってきた。
マオは強気にハルを睨み付けた。
「間違っても仲間なんて思わないでよね」
「ちょっと、マオさん!」
ミュウが口を挟む。
「ハルさんには助けて貰ったじゃないですか!」
「ミュウちゃん。それでも信じすぎたら駄目よ、こいつはミュウちゃんたちを狙って来たんだから」
「…………」
ソリューニャは黙って行く末を見守るつもりだ。
今朝マオが聞いたところによれば、ソリューニャとハルは他二人が寝ている間に協定を結んだのだという。もともと協定を持ち掛けようという話は共有してあったから、そこに自分が居合わせられなかったことは別にいい。むしろ思い通りの条件で飲んでもらえたことには素直に安堵した。
だが、それですべて水に流せるわけもない。はっきり言っておかねばならないこともある。
「共闘はね、いいことだわ。お互い生きるための決断だもの。でもね、足並みも揃えるべきだからこそ言わなきゃいけないのよ」
「……何だ?」
「これから先、どんな状況になったとしても、何が起こったとしても、裏切ったら許さないから。絶対」
「…………」
「私はともかく、この二人の信頼を踏みにじるようなことは許さない。……それだけ」
「ああ」
こんな口約束に意味はないのかもしれない。それでもハルを受け入れてうやむやにしたまま話は進められないのだ。
「あ、そーだ。お礼も言わなきゃね」
「……?」
「初日、手首切って助けてくれたこと。あとミュウちゃんを庇って戦ってくれたこと。ありがとうね」
「……あれは」
「そうだ、お礼を忘れていたのです! ありがとうなのです!」
「ああ、アタシも。ありがとう」
ミュウとソリューニャもすかさず感謝を伝える。
「……俺は」
「理由なんて聞きたくないわ。黙って受け取っときなさい」
「…………」
ハルの行動がミュウたちを守るためのものでないことなど想像に難くはない。かといってそれが礼を言わない理由にはならない。
一方ハルは責められたかと思えば感謝されたりと、マオの忙しない話法に困惑していた。
「あはは、女は現金なのよ」
「…………そうか」
「あー言いたいこと一気に言ったらスッキリしたーー」
マオは満足そうに笑うと、ソリューニャにアイコンタクトを送った。
ソリューニャは「ん」と短く頷くと、手を叩いて注目を集めた。
「これで本当に足並みは揃ったね。あとはどのタイミングで、どこを目指すのかだけど……」
残りの問題点を整理する。
最初の関門はまずここを出た直後。
出るのは簡単だ。それを妨げるものはない。しかし出たら最後、敵は確実に殺しに来る。ガウスに、レインハルトに、ローザ。化け物クラスの敵がわかっているだけでも三人いて、なによりまだ敵の全容がわかっていない。
この都市を生きて脱出するには何かきっかけがいるだろう。
二つ目の関門は、仮に生きてここを出られた後。
ソリューニャたちはこのスカイムーンとやらの地理がほとんどわからない。知らず危険な地域に踏み込んでしまう可能性があるうえ、恐らく追ってくるだろう敵に追いつかれないことも考えなければならない。
さらに、この閉ざされた地では“逃げ切り”が不可能だ。最終的に仲間全員と合流して、竜を呼び出し、地上に逃れるまで終わることはない。
正確にルートを選んでいかなければ、ただでさえ小さな生き残れる確率がより小さくなってしまうだろう。
「現状、アタシたちだけじゃ厳しいね」
「要約するとそうね。泣きそう」
「よしよしなのです」
「うわーん! ミュウちゃん私と結婚してー!」
「むあー! 気を抜くとすぐこれなのです!」
「こらこら遊んでる場合か」
ソリューニャが諫めるが、とはいえ彼女自身口にした通り今はどうにもできないわけで、無駄に気を張り続けるのもいいことではないだろう。
なんだかんだふざけつつも、マオはしっかりそのあたりを計算してふざけどころを選んでいる。勝負どころが近いからこそ、気を張り続けて肝心な時に潰れてしまうようなコンディションは避けたいのだ。
「だって、もうすぐでしょ?」
「まあね」
「ですっ!」
お守りを通じてわかる。仲間が来ている。
それがレンか、ジンか、リリカかはわからないが、その誰か一人は確実にここに向かってきていた。
「少しでいいんだ。敵の気を逸らしてくれるだけでいい」
「でも、すっごく危険なのです」
「そうね。でも今はそれだけが頼りだわ」
「うん。信じて待とう。きっと何かやってくれる」
不安ではある。一人二人が来たところでどうにかできるような戦力差では到底ない。
しかし今はそれにすがることしかできない。
「みんな、いつチャンスが来ても大丈夫なようにね」
「はいですっ!」
「うん!」
「……ああ」
四人は決意を固め、頷く。
そのチャンスが訪れたのは、日光燦燦と注ぐ昼下がりのことだった。
今朝からもなんとなく外が騒がしかったが、ここにきていよいよ騒がしさは増している。ここからでは城壁の外側を見ることはできないが、それが祭りの類の騒がしさでないことは分かった。
「もしかして!」
待ち望んでいたことだ。好転かどうかはさておき、なにかしら状況は動き出している。お守りから伝わる反応ももう都市に侵入していてもおかしくないくらい近い。
「まだわからない。もう近くには来てるけど……」
「でも、きっとそうですよ!」
「…………」
意見はここで二分した。
動くなら今しかないというマオとミュウと、まだ慎重に機を伺いたいソリューニャとハルだ。
しかし外の喧騒の答えは唐突の来訪者によってもたらされた。
「入るよ」
「!!」
昨日の乱暴さとは打って変わり、しかし相変わらずノックもなしに入ってきたのは青い髪の竜人だった。
「よぉ、炎赫の契約者」
「……双尾」
「おいおい、そりゃ竜のことだろ!」
剃り落とされた眉。紫のルージュ。大胆に刈り上げられた髪は後ろだけ残して三つ編みにされている。
手には身の丈ほどの槍を持っていて、その槍は何かの骨を使って作られたものに見えた。
「あたしはコルディエラ! お前も名乗れ!」
「……ソリューニャだ」
「ソリューニャか、覚えた」
コルディエラはずっと笑みを浮かべている。しかしソリューニャと同じ、瞳孔が細長い竜神特有の目が品定めをするようにギラついていた。
「ん? お前生きてたのか」
「…………」
「ふぅん。まあいいや」
コルディエラが少し意外そうな顔でハルを見た。
「アンタ、何か用か?」
「そう警戒するなよ。契約者同士、ちょっと話がしたかっただけさ」
警戒心露わなソリューニャとは対照的に、コルディエラは馴れ馴れしい態度で話しかけてくる。
「お前も“祝福”持ってるんだろう? あたしもだよ。竜と契約をすることができる、選ばれし才能さ」
「才能か。便利な道具くらいにしか思ってなかったな」
「才能だよ! 竜は“祝福”を与えた者の中からさらに主を選ぶ。選ばれたんだぜ、あたしたちは」
不意にソリューニャは納得した。このコルディエラという竜人は自分にシンパシーを感じているのだ、と。だからこうも馴れ馴れしく絡んでくるのだろう。
「……そういえば、双尾は先祖と契約を交わしたっていってたよな」
「ああ! 黒竜は赤竜との最終決戦に臨む直前、当時の主とある特別な契約をした。それが子孫との契約だ。もう千年も昔の先祖の話だけど、千年間ずっと語り継がれてきた」
「それで運よくこの時代にも“祝福”ある者が現れたわけだ?」
「少し違うね。“祝福”は一族に一人だけ必ず産まれるようになったのさ。その子供は一族復興の希望として竜の契約者になるべく厳しく育てられる」
「なるほど。選ばれた、ねぇ」
「そうさ。あたしは選ばれた」
確かにコルディエラの境遇を知ってみれば、それなりの自負を得るに至ったことも納得である。復興の希望なる言葉から推測するに、コルディエラは一族の期待を一身に受けてきたのだろう。その重圧はソリューニャには縁のないものだ。
そして、双尾がなぜ仲間ガウスの仲間になったのかという疑問もこれで解消された。
「けど残念だったね。アンタと戦うことはないだろう。もう近々処刑されることになってるはずだろう」
ソリューニャはわざと諦めたような素振りをみせつつ、コルディエラの反応を伺う。
「はっ! 人間どもを滅ぼしたらその後は好きなだけ戦えるぜ」
「……何?」
ここでようやく、ソリューニャたちはガウスの計画を知ることとなった。
ガウスはこの島を兵器として起動させ、それで地上を攻撃するつもりなのだ。
「ちょっと、嘘でしょ!」
「そんな……!」
ミュウとマオが動揺する。
コルディエラはその反応に機嫌をよくしたのか、さらに勢いづいて話し始めた。
「あたしが5歳の頃さ。漆黒の竜が夢に出てきて、語り掛けてきた」
「夢……アタシの時と同じだ」
「間もなく復活するってな? 間もなくって、15年以上経ったけどなぁ。おかしいぜ、竜とあたしらじゃ時間の見方が違うらしい」
横道に逸れながらも、コルディエラは話し続ける。実際ところどころで重要な情報も出てきていたため、ソリューニャは適当に反応を返しながら喋らせ続けた。
「けど、その前に深紅の竜も復活する可能性が僅かにあるって話じゃないか。それがガウス様の耳にも入って、そうなるとスカイムーンが起動しても壊されるかもしれないってんで、またあたしの価値は上がった」
「双尾の力があれば炎赫も牽制できるから、か?」
「その通りさ! それまで第七小隊だったあたしたち“竜人部隊”も第三、第二と地位を高めていった」
そこからしばらく竜人部隊なる組織の話になったが、ソリューニャはそれを聞き流しながら考えた。
(双尾は炎赫がいる以上出てこないが、逆に炎赫が出れば双尾も出てくるってことだ。脱出時の危険が高まったとも言えるし、それまでに双尾は出てこない可能性が高いとも言えるが……)
問題はとにかく生きて脱出することだ。得られる情報のすべてがそれを基準に整理されていく。
炎赫の抑止力としての双尾だというのなら、炎赫を中心にした脱出プランの危険が高まる。炎赫は貴重な切り札だ。必ず有効な場面で活用しなければ、生き残ることも、スカイムーンを止めることもできなくなる。
「じゃあ今アンタを殺せば、炎赫は双尾の主が決まるまでの間自由に動けるようになるわけか?」
「おっと、ここで殺しあうのは無理だぜ。部屋の外には仲間が控えてるからな」
「……それもそうか」
予想はしていたが、コルディエラのような超重要人物が単身乗り込んでくるはずもない。可能ならば今ここでコルディエラをやって即脱走が最善かもしれないが、一応それが可能そうかを視線だけでハルに確認したところ、彼は首を振っていた。控えている敵の能力が未知数であること、単純に時間を稼がれてしまうだけでも圧倒的に不利になることなどを加味して、ここは下手に手を出すべきではないという判断である。
(ハルがいても無理か……。けどこいつが来てくれて色々わかったのは大きかったな)
ソリューニャが小さくため息をついたとき、甲高い咆哮が鼓膜を震わせた。
「!?」
「何だ、今の鳴き声!」
「見てください! 窓、外に!」
ミュウの指の先、窓の外。竜より一回り以上小さいが、竜によく似た生き物が二頭飛んでいった。
「おい、コルディエラ!」
「ははっ。翼竜のつがいさ。珍しいだろう?」
翼竜。通称ワイバーン。竜の親戚とも呼ばれる魔物だ。
第二小隊の竜人たちは翼竜を使役することができる。
「この島で人間が見つかったのさ。きっと仲間だろ?」
「……っ!」
「それでこの騒ぎだったのね……!」
「ガウス様とレインハルト様が向かわれたよ。確実に死んだなぁ、お仲間さん」
「コイツ!!」
「待って、ソリューニャ!」
殴りかかろうとしたソリューニャをマオとミュウがしがみついて止める。
あまりに露骨な挑発だったが、ソリューニャはわかっていても激昂していた。
「いいね、もっと怒れよ!」
「フーッ……! それを伝えるために来たのか、コルディエラぁ……!」
「まあね。あたしはお前に怒ってもらいたかったんだ」
ぐいとコルディエラも顔を近づける。
二人の視線が至近距離でぶつかり火花を散らした。
「戦いたいのさ! 人間なんかと仲良くする腑抜けとこの時のために鍛え続けてきたあたしでさ、どっちが真の契約者なのか教えてやるよ!」
「くだらないな……! だが、首を洗って待ってろ……!」
「お前がな、ソリューニャ」
ソリューニャは必死に冷静になろうと努めた。ガウスとレインハルトがいなくなった今が、千載一遇のチャンスなのは言うまでもない。早いところコルディエラを帰して、脱出をしなければならない。
「…………!」
ソリューニャがそう考えた時だった。
この騒ぎの中でもお守りを握り続け、冷静に反応の接近を観察していたミュウは神樹製の杖をコルディエラに向けた。
「は?」
「速撃の飛星!」
「ッ!? なんだお前!」
コルディエラが素早く下がって攻撃をかわす。まさか攻撃されるとは思っていなかった彼女は混乱している。
ミュウは叫んだ。
「ハルさんっ!!」
「凍原」
コマンドに呼応して、扉の周りに仕掛けていたカートリッジが発動する。噴き出した魔力が扉を塞ぐように凍った。
脱出のために準備していたプランの一つである。次の瞬間、四人は迷いなく窓から飛び出していた。
「待てっ……!」
後ろの仲間が氷に足止めされていたが、コルディエラは単身敵を追って飛び出した。
「ジン!」
「おぉ!? 無事か!」
こちらに向かってきていたジンが驚き、笑う。
ジンは自身の後方に指をさして、しかし自分はそのままコルディエラに向かっていった。
「な、ジン!?」
「構うな! 行けェ!!」
「っ、わかった!」
足止めするつもりだろう。深くは聞かず、ソリューニャたちは進む。
「待てよ、コラ!」
「行かせねぇぞボケぇ!」
コルディエラの槍とジンのトンファーが衝突する。
千載一遇のチャンスだ。生き残りをかけたソリューニャたちの長い戦いが始まった。




