剥き出しの心で
身を隠し続けているうちは、戦闘において有利なのはレンだった。しかしそれが意味のないことであると理解していたから、レンは姿を見せた。
「望むところだ。やっと集中してやれるぞ」
「ありがとう。血が燃えるような戦いがしたいね」
「勝手に燃えてろ」
ヤヤラビが巫女を追おうとすれば、レンはいやおうにも姿を現しそれを阻止せざるを得ないのだ。
レンが構える。ちょうど最初に対峙したのと同じくらいの距離。
違うのはお互いがいつでも攻撃できるという攻めの構えをとっていること。
「この状況でその攻め気……肝が据わってるな。なんて子供だ」
「とっとと終わらせてエリーンを追いかける」
「せめて君だけはここでっ!」
先に動いたのは、ヤヤラビ。届くはずのない距離から拳を繰り出す。
しかしレンもほぼ同時に半歩下がる。
「ぐ!」
「誘われた……だと!?」
「見え……なかった!」
レンの腕には衝撃が残ったが、それはこれまでと比べてかなり小さなものだった。
敵が防御の構えを見せていないことにまんまと釣られ、思惑通りに魔導を使ってしまったヤヤラビだったが、まだ見破られたわけではない。間髪入れず虚空を蹴る。
「おあ!?」
軽くのけ反っていたレンが足払いをかけられたように脚を浮かせ、バランスを崩す。
「今だ、詰めるッ!」
ヤヤラビの魔導は一度目で敵を仕留められなかったとしてもその種が見破られず、“いつでも使える”ように見せておけば強い圧力を常にかけ続けていられる。
ここからは魔導を意識させつつ魔導を乱発せずに戦えるようにと考えての接近だった。ここまで鬼のような強さを見せるレンも、その実限界も近いほどに疲弊している。格闘にも自信のあるヤヤラビは対等以上に戦えると踏んでいたのだが。
「させるか!」
「なっ!?」
「おおおお、ら!」
レンが空気を破裂させ、その反動で身を起こす。さらに空気砲を重ね、一瞬で加速する。
近づいてきていたヤヤラビとの距離はあっという間に0まで縮まった。
「なんて動きだよっ!?」
「食らえや!」
ヤヤラビの片腕のガードの上から、レンが拳を叩き込む。
単純なパワーの差が出て、ヤヤラビが弾き飛ばされた。
「ぐあ! 想像以上ッ……!」
「まだまだ!」
レンが空気砲で追撃する。ヤヤラビが体勢を整え、いまだ正体の掴めない魔導を使う隙も与えずに勝負を決めるつもりなのだ。
「こんな戦い……!」
「うおらぁ!」
「終わらせて、たまるかああ!」
ヤヤラビが吠えた。
長らく前線から遠ざけられ、柄でもなく部隊長など任されて、体を鍛えるよりも座って頭を使うことが増えて。そんなところにようやく降って湧いた強敵との戦いだ。最後になるかもしれないこの戦いをこんな形で終わらせたくはなかった。
吹き飛ばされながら、煙玉をがむしゃらにばらまく。幸運にもそのうちのいくつかが地面に衝突し、破裂した。
「煙幕か!!」
「ぐは、効いた……!」
姿が見えない敵への追撃はあまりに危険だ。レンは咄嗟に立ち止まり、防御態勢に入りながら風を集める。
レンがこれまで攻撃を受けてもなんとか無事でいられたのは攻撃の予備動作、初動が見えていたからだ。敵がどこを見ていて、どのタイミングで攻撃をしてくるのか。それがなければまず目が潰されて終わりだっただろう。
だからこそ、動きを隠してしまう煙幕は厄介な武器だった。ヤヤラビも自身の弱点をよく分かっていたのだ。
そしてレンが煙幕を吹き飛ばすまでのわずかな時間、根性だけで立ち上がったヤヤラビは起死回生の一撃を放った。
「ガ……!?」
レンが優先して守っていた、目、喉、心臓、正中線。そのどれでもない急所を文字通り刺された。
「ぎゃああ!」
「く……くくく、やったぞ」
ヤヤラビは膝をつきながらも、確かな手ごたえを感じて笑った。ミィカがレンを刺したことを知らなければこの展開にはなり得なかっただろう。
貫手がレンの急所を突いたのだ。
「ああああ! 痛ぇ、クッソがァ……!」
「はぁ……はぁ……。君が怪我をしていなかったら勝ち目はなかった……」
ヤヤラビは血の付いた手を握り、よろよろと立ち上がった。
入れ違うようにレンが膝をつく。押さえた腹部から赤い血が染み出してくる。
急所。それは先の戦いにおいてつけられた傷だ。
「ぐっ……げほっ!」
「恨むなよ、これは戦いだ。もしもも卑劣もないぜ」
「あ、当たり前だよなァ……そんなこと……!」
レンはしかしすぐに立ち上がった。
「なに!?」
「もう勝った気になってんじゃねぇぞ……!」
「化け物か……! そういえば君は毒に侵されながらもネルヴァを倒したんだったな」
双方、三度目の立ち合い。
ヤヤラビは変わらぬ攻撃の構え。
一方でレンは左腕を立てて防御を固めつつ、右腕は拳を固めて引き絞った攻撃態勢。
「疾ッ!」
先手は常にヤヤラビが取れる。ヤヤラビは幾度となく繰り返してきた動作で、虚空を穿つ。
「…………!」
ヤヤラビが動いた瞬間、超人的な反応速度でレンは身をのけぞらせながら右拳を繰り出した。
刹那的な交錯だった。
ヤヤラビの手には紛れもない破壊の手応えが残っている。
「手応え、ありだ……が!?」
「フゥーーッ……よし」
「うぎゃああああ!」
ヤヤラビの拳が砕けていた。
「馬鹿な……! なんっ、あっ、合わせたのか!?」
「オォ。テメーの魔導は見切ったぞ」
レンは自身の拳にも残る手応えを確認するように、それを握っては開く。
「テメーの手に血がついてたからな」
「はっ……!?」
ヤヤラビが自身の手を見る。
血がついているということは、その手でレンの腹を抉ったという何よりの証拠だった。レンはそこからヤヤラビの魔導の正体を“自身の手足を一瞬だけ飛ばす”ものだと推測したのである。全身飛ばせる敵との戦闘経験もあって、その仮説にはスムーズに辿り着けた。
「た、たとえ分かったとしても! なぜ的確にカウンターを合わせられた!?」
「そりゃ勘だ、勘。つか今のでテメーの手が出てくるとこも見たし、もう当たんねーぞ」
「な……あ!? ありえん!」
レンは勘といったが、実際は無意識下ではちゃんと見えていた。
正面を殴ればレンの正面に届く。低く足を出せばレンの足を払う。ヤヤラビがレンに見せてきた動作の一つ一つの積み重ねが、この魔導はヤヤラビの動きで飛ばす場所が決まるということを見抜いていたのである。
そして来る場所がわかっていれば、そこに焦点を合わせることもできる。その結果、レンは拳の出現を視認することにも成功した。
「嘘だろ、なんて強さだ……! 震えてくるぜ、人間!」
「そうだろ。ミィカが信じてくれてるからな、今のオレはちょっと張り切ってるんだぜ」
「くそ……!」
ヤヤラビが砕けていない方の拳を放つ。間髪おかず足も出す。
だがレンは宣言通りそれをひょいひょいとかわすと、ヤヤラビへと一歩ずつ進み始めた。
「ほら、当たんねぇ」
「ぐ……!」
「オレはもっと強くならなきゃいけねーんだ。仲間を守れるように。心配だってさせねーように!」
「……真っ向勝負か! 願ってもない……!」
ヤヤラビもレンの意図に気づくと、攻撃をやめて自分もレンに向かって歩き出す。
そして二人は互いに拳の届くところまで近づくと、足を止めて、構えた。
「よくも腹に手ぇ突っ込んでくれたな。滅茶苦茶痛かったから、テメーはド正面からぶん殴る」
「こっちも手を砕かれたからな。一矢報いてやる」
正真正銘、最後の立ち合い。
両者ともに攻撃の構え。
「はあああああ!」
「オオオッ!」
それを制したのはレンだった。
「はぁ、はぁ。ミィカ……エリーン……」
レンは森の中をふらふらと歩いていた。簡単な処置を施しただけの腹部の傷はまだ出血が完全には止まっていない。
「こっちで合ってるよな? 迷子とかなってねーだろうな……」
レンはお守りが示す方角へ歩けばだいたい迷子になることはないが、その方向にミィカが進めているかはわからない。
「……いや、信じなきゃな。大丈夫だ、きっと」
レンは眩暈に襲われ、よろめいて近くの木に手をつくとそのままもたれ掛かってずるずると座り込んだ。無理が祟ってか、指一本動かない。
「でも、あぁ、寒ぃ……休憩…………少し…………」
そのまま瞼が落ちていった。
肩をゆすられてレンが目を覚ましたのは、それからしばらくのことだった。
目の前にミィカと少し離れてエリーンがいた。それに何か見たことのない動物も後ろに見える。
「……おう、おはよう」
「おうおはようじゃないですよ、もう!」
「はは。無事でよかった」
「ミィカが……ミィカが戻って来なかったらどうなってたト思うんですか!」
「あはは……」
ミィカが泣きそうな顔をしていたのにちょっと安心して、レンは思わず笑った。
「オレはまた帰ったろ? 追手も来なかったろ?」
「うん、うん! 信じてよカったです!」
「あ~~……やったぁ。わはは!」
レンはミィカの頭を撫でて上機嫌に笑っている。
「ミィカも、エリーンをちゃんと連れ出してくれたんだな。よくやったぞ~」
「……あ、あの!」
「ん」
レンはここでようやくエリーンと向き合った。
「あ、あの……まずケガ、治します!」
「いらねぇ」
「え?」
「言いたいこと、山ほどあるぞテメー」
ぶっきらぼうに突き放したレンの表情には、ミィカと話していた時のような柔らかさはない。不機嫌そうに口をへの字に結んでいる。
「オレは怒ってる! エリーンが最後にごめんなさいって言ったからだ!」
「それは、だって、私のせいデ」
「そうだ! エリーンは全部自分のせいだって思ってる! それが気に食わねぇ!」
ミィカは二人の様子を不安そうに見守っている。
「そんな風にはちっとも思ってねぇぞ! オレもミィカも、リラたちもだ!」
「で、でも! 私の……私がっ!」
「あぁ……!?」
「私が死ねばよかったんです!」
その悲痛な叫びを聞いたミィカが息をのんだ。
そしてそれを言葉にしてしまったとき、エリーンの目からは涙が溢れていた。自分を大切に守ってくれる民たちに申し訳ないからと一度も言葉にしなかった自殺願望は、言葉にしたことでもはや圧し留めてはおけなくなっていた。
「このっ……!」
「私が死ねば! 誰も死なずに済んだかもしれないのに!」
「うるせーーーーっ!」
レンがエリーンの頭に拳骨を落とした。
ミィカはそれでも止めようとはせず見守っている。唇を嚙んで、じっと待っている。
エリーンはしかし止まらない。口からはずっと抱えていたものが言葉になって吐き出され続ける。
「でも、でもでもでも! 私を守るために! ミィカもレンさんも傷ついた!! 死んでしまった仲間もいる!!」
「あぁそうだな! だからどうした!」
「だから私のせいじゃないですか!」
「まだ言うか!」
エリーンとレンの言い合いは次第にヒートアップしていく。今この二人は剥き出しの心でぶつかり合っていた。
「お前が死にたがっちまったら! 命を懸けた奴らはどうなるんだ!」
「それで死なないでいてくれるならいいじゃないですか!」
「ふざけんなコラ! それじゃみんなの誇りはどうなるんだ!?」
「誇りなんて……! 生きていてくれればそれで私は……私なんて!」
「お前のために戦ったみんなを! お前が馬鹿にするんじゃねぇ!」
「っ!?」
そのあまりの剣幕にエリーンは怯む。
「オレもみんなも! お前を守るって自分で決めたんだ! 自分が選んだ戦いなんだ! 」
「……!」
「それを勝手に背負い込んだ気になってテメェはっ! オレたちを舐めんじゃねぇ!」
もちろんエリーンに悪意があったわけではない。
だが、自分で選んだから自分の戦いだと。誇りを守るための戦いだと。そんな捉え方があるとは考えたこともなかったのである。
「私……私、ずっと……」
「ん……エリーンは悪く考えすぎてんだよ。オレはもっと前向きなのが好きだ」
「はい……はい……!」
エリーンは涙を拭うと、自分の胸に問いかけた。臆病で自罰的な気持ちの、もっと奥の、もっと大事な。それを掬い上げて、言葉にする。
「助けてくれて、ありがとうございます!」
「うん、どういたしまして」
「そして、もう一度ちゃんとお願いしマす! 私を助けて下さい!」
「うん! 任せろ!」
にぱっ、と。レンが笑う。
二人の和解をずっと待っていたミィカが、勢いよくエリーンに飛びついた。
「お姉ちゃん!」
「ミィカ……!」
「死ぬなんてもう……二度と聞きたくないです……!」
「あぁっ……本当にごめんなさい……!」
ミィカに連れられて逃げているときも彼女はどこかよそよそしいように感じられたが、それはエリーンの勘違いではなかったようだ。エリーンはこれまでの自分の発言がどれだけ彼女を不安にさせてしまっていたのか、それを改めて実感し反省した。
エリーンの手が背中に回されると、ミィカはよりいっそう力強くエリーンに抱き着いた。ぎゅっと顔をうずめたまま、くぐもった声で言う。
「ホントはミィカもレンさんと同じくらい怒ってました……」
「そうだぞ。ミィカの分も代わりに殴ろうか?」
「一発の約束です!! 二回目はぜったい許しませんけど!!」
「えっ一発は決まってたの!?」
「あう、お、怒ってたから! 怒ってたから!」
三人は顔を見合わせると、声を上げて笑った。
「……ぷ」
「ふふっ、なにそれ……!」
「あっはっはっは!」
しばらく笑ってから、レンは大の字になって仰向けに倒れた。
「はははは……あー……エリーン?」
「はい」
「ちょっとだけ怪我したから、助けてくれねーか? 腹、痛くてさー」
エリーンは嬉しそうに微笑んだ。
「はい! ありがとうございます!」
「はは、なんだそりゃ……」
「力になれるのがすごく嬉しいンです」
「そっかぁ。そうだなぁ」
レンの体がライトブルーの光に包まれる。
「あー……少し、疲れた……」
連戦に連戦を重ね治癒魔導でも体力を消耗した。そして大怪我を負い、毒に侵され、それでもまた戦いに身を投じた。
幾度となく限界を超えてきたレンも、今度こそ本当に限界だった。
「悪いな、ちょっと寝るよ……」
「はい。ゆっくリ休んでください」
「うん。起きたらまた、進もうな……」
レンはそう言うと、すぐに寝息を立て始めた。
「レンさん、もっと自分が強かったら安心させられたんだって、そしたらこんなことにならなかったって、言ってました」
「そんなこと……」
エリーンはチクリとした胸の痛みを感じる。見ればミィカも同じ表情をしていた。
「うん。そんなことないって、ミィカは言ったんです。なんだか、寂しい……」
「そうね、とても寂しいと思う」
「だからミィカはレンさんを信じることに決めました。それで助けてもらったあとは……」
「その時は私たちがこの人の助けになる番、ね?」
「はい……!」
レンは全力で応えた。
だから今度は彼の戦いを助けてあげたい。エリーンとミィカはこの不思議な少年の寝顔を見ながら、そう決心した。人間と魔族の間に生まれた小さな絆はこうして育まれ行く。




